第四十八話 女神のギフトは甘い罠
女神のギフトが身体中に蝕んでいるのは感じていた。
それでも俺は、最後に爆弾を投下するため敢えて確認する。
「女神サマがくれたギフト。俺をこの世界に繋ぎ止めるため、残しているよな?」
「そうですね。もう、それも不要の産物ですが」
この美貌に惑わされない俺も、凄いと思うが……。
一歩ずつ近づいて来る女神エムプーサの呼び方を変える。
「あれは、アンタに危害を与えない条件はあるが、重大な欠点がある。それは――今、この瞬間をもって、俺は女神のギフトを否定する! 異世界人は、例外なく全員元の世界に帰るんだ」
女神エムプーサは明らかに動揺して詰め寄ってきた。
だけど、そんなこと俺には関係ない。俺の身体は、三人と同じように淡い光に包まれる。
「偽りです! 女神のギフトを否定するなんて、そんなこと出来るはずが――」
「俺のギフトは、想像力を現実にする最強の力。女神のギフトも例外じゃない。……短い間だったけど、この世界はそれなりに楽しかったよ。まぁ、無駄な誘拐はもう辞めるんだな」
女神エムプーサが腕を掴もうと手を伸ばすが、それだけ言い残した俺は消えた。
* * *
記憶が定かじゃない俺は、知っている天井を見つめてボーッとしている。
気がついたときには、数年愛用しているベッドの上にいた。
「――ふかふかだ。社会人になって、初めての給料で奮発したんだよな……」
そんな他愛もない独り言を口走る中、最後に見た女神エムプーサの顔が頭をよぎる。
絶望した表情に、なんの感情も芽生えなかった。
人生を奪われた者の絶望を少しでも味合わせられたなら、俺も少しは役に立てたと思える。
それにしても、夢だったのかと思うほどリアルな体験だった――。
「……いや、そんなこと考えてる場合か、俺!」
飛び起きると、目についたのは目覚まし時計だった。
――1月1日。8時00分……。
「えっ……? 俺が、誘拐された日の時間だ……」
現実を受け入れた瞬間、俺の中で本来の時間が回り始めると同時に、異世界での記憶が失われ始めた気がする。
「あれ……俺は、どのくらい異世界に居たんだ? それよりも、異世界って――まずい!」
混乱する頭を両手で抑えると、本当に記憶が失われてきていることに気がついた。
着替えを済ませると家を飛び出して駅に向かって走り出す。
目指すのはもちろん、彼女の家だ。
女神――が見せた魔法に映し出された、あの変わらない子供部屋。きっと、今でもあそこに家がある。
・ ・ ・
「ハァ、ハァ……ふぅ――緊張してきたけど、時間がない……」
電車を乗り継ぎ駆け足で彼女の家にたどり着いた。
そこには、あの日別れたときと変わらない……。だけど、年月が経ったことで古びた黄色い屋根と赤いレンガの外壁。
あれから15年経ったんだから当然だ。
大人になったのに、この近辺は坂道が多くて息が切れる。
騒ぐ胸を抑え、深呼吸してからインターホンを鳴らした。
現在主流である、相手の姿を確認できるカメラ式はない。
すぐに、おばさんが顔をだすと口に手を当てて驚いていた。
おばさんとは専門学校まで顔を合わせていたから、大人になっても覚えてくれていて説明せずに済んでホッとする。
俺は、無理を承知で彼女の部屋にあがらせてもらった。
ヒメの部屋は二階にある。階段を上がる足音で誰かが部屋に向かっているのは気がつくかもしれない。
俺は一度ノックをしてから鍵のかかっていない部屋を開ける。
こちらに顔を向ける姿は、目を赤く腫らし涙でシーツを濡らしたヒメだった。
当然、驚くおばさんと、俺たちを交互に確認した彼女の顔が一瞬で破顔する。
「――ナイト、くんッ!!!」
「ヒメ、お帰り……。――それから、ただいま」
すがりつくように抱きつくヒメを優しく腕を回すと片手で頭を撫でた。
薄い布から伝わってくるヒメの温もりに、男泣きしそうになるのをなんとか堪える……。
――本当に、現実なんだよな?
ヒメが着ていた服は、厚手で温もりなんて感じないはず……。
良く見ると、白いワンピース姿だった。
これも少しずつ失われていっている、異世界の記憶と同じ意味があるのかもしれない……。
「えっ、えっ……。ナイトくん、どういうこと!? あなた……ヒメ、ちゃん……なの?」
「あっ……ぁ゛ぁ゛あ゛!! お母さん!!!」
おばさんの声に現実を実感した彼女は泣き叫び、少し後ろにいた母親に抱きついた。
抱きつかれて最初は戸惑いを見せていたおばさんの目からも光るものがあふれ出す。
急に成長した娘の姿に戸惑うのは当然だ。だけど、母親だから分かるものがあると俺は思う……。
「ナイトくん……これ、現実だよね?」
「ああ……現実だ。それに、徐々に記憶が失われているだろう?」
「うん……。でも、ナイトくんのことはもちろん。それに、多月さん、誠さんのことは忘れない気がする」
女性の悲鳴にしか聞こえない声に慌てたように駆け上がってきた人物がいた。
開いたままのドアから顔を出したのは、優しくも厳格だった、おじさんの姿。
「母さんどうした!? それに、今ニュースで――どういう、状況だ?」
「あっ……お邪魔してます。神崎ナイトです」
「お、お父さん――!!!」
顔が涙でグシャグシャとなったヒメは、勢いでおじさんの胸に抱きつく。
急に若い女性に抱きつかれて戸惑う様子に、おばさんが首を立てに振る。
その瞬間、破顔するおじさんの目からはボロボロと涙がこぼれ出して、大きな両手でヒメを優しく包み込んだ。
俺は一言おばさんに伝えて、リビングで待つことにする。
『――番組を中断して、ただいま緊急速報をお伝えしています。15年前から頻繁に起きていた、相次ぐ小学生行方不明事件ですが、本日8時台を境に、大人に成長したお子さんが帰ってきたという報告が――』
階段を下りた先で、テレビの音が聞こえてきた。
「――緊急速報? そういえば、アレ……。俺は、今何を思い出そうとしていたんだ? でも、なんだか分からないけど……。今も身体を包むような、不思議な感覚がする――」




