最終話『聖女アンネローゼ』
ジェイド殿下が訪問した翌日は、穏やかな快晴だった。最近の悪天候などなかったかのように鳥が囀り花は咲き誇って、優しい春風が吹いた。
「イグナシオ様にもご迷惑をおかけしました」
頭を下げる私に、トム様ーーもとい、西の大国ファーレンの皇太子、イグナシオ・ベレス・ファーレン殿下は困ったように笑った。
予想していたことではあるが、やはり高貴な身分だった彼は、昨日、あの後今まで偽名をつかっていたことを詫び、自分の身分を明らかにしてくれた。
「名前、そろそろ言おうと思ってたん。こんな伝え方になって御免なぁ」
「こちらこそ皇太子とは知らず、失礼をしていなければ良いのですが……」
イグナシオ殿下とは、偽名だったとはいえ、何度か会って話した知人のような仲だったし、この数日間、殿下はあの悪天候の中毎日私のところへ通って寝込む私を世話したり話し相手になってくださっていたのだ。
大国の皇太子に濡れタオルを交換してもらっていたなんて……。
「なんも問題ないで。
……それより、結局原因ってあの女なん?」
それを聞きに今日はきたのだろう。
ジェイド殿下にも書面にしてあとで伝えなければならないことではあるが、私には今回の真相がなんとなくわかっていた。
「申し訳ありません。……悪天候を招いたのは彼女が原因かもしれませんが、元はといえば私が悪いのです」
外は青空。私の御璽は、血のような赤から、うっすらと薄紅になった後、今は濃い桃色をしている。
「私が、ぽつりと思ってしまったのです。
『そんなになりたいのなら、彼女が聖女になればいいのに』と。それで、一時的に彼女に私の力を譲渡したような形になったのだと思います」
「寝込んだのはその所為なん?」
「おそらくは。聖女交代も、当代の聖女が、次代の聖女にと引き継ぎの祈りをあげることで交代するんです。
素質は本当にあったのでしょう。でも私も彼女も、準備不足で、こちらから一方的に力を貸し与えるようなことをしてしまったので、無茶の反動が高熱ではないでしょうか」
寝込んで数日間後には、徐々に力が戻りつつあるのを感じていた。熱が下がってきたせいかなと思っていたけど、彼女に会って分かった。
対面している間に、彼女の力がどんどん私に戻ってくるのを。
彼女がもっていた力が私の色をしていたのを。
はじめから、全て私の一言が原因だったのもその時に理解した。
ここら辺は、感覚的なもの過ぎて言葉でこんなふうに言ってもうまく伝わらない気がするが。
「まあ、高熱もあの女がしたことなんかなくらい俺は思ってたから、姫さんのほうにキッカケがあったなら良かったくらいや」
「聖女失格です、色んな方を巻き込んで……」
「うーん、あの女に力貸したんは良くない事かもしれんけど、結局、あの悪天候はあの女の心の問題なのには変わりないやん」
気にせんとき?とイグナシオ殿下は笑う。
彼こそ、この国に来て無関係にも関わらず一連の騒動に巻き込まれたのに……。
「本当にご迷惑おかけしました。
好意に甘えて面会に付き添って貰うだけでなく、私を庇って紅茶を……」
「おっと、その話は昨日何度も聞いた、もうええって」
な?と優しく微笑むそのアクアマリンの瞳は、澄んだ水面のように穏やかで、本当に気にしてないことがわかる。
皇太子への非礼や汚れた服など含めて、ジェイド殿下が王宮を通して賠償金を支払うことになっているらしい。
近隣国の皇太子が遊学の最中に、噂の偽聖女に紅茶を被せられたなど公にはできないので、昨日のことは全て、なかったことになるが、それすらイグナシオ殿下は快諾してくださったらしい。
「それに、好きな子守れるなら紅茶くらい被るて」
「え?」
不意の言葉に驚いて顔を見る。
すらりとした長身の彼は、跪いて、優しく私の手をすくい上げた。
「聖女として生きる貴女は美しい。しかし、聖女であろうとなかろうと、貴女は私の心を掴んで離さない。どうかひとりの女性として、私を愛してくださいませんか?」
普段の軽さを感じる柔らかな言葉とは違う、あまりにも真摯なその告白に、私はかあっと顔が熱くなるのを感じた。
「こ、こま、ります」
「わかっとる、聖女でおらなあかんよな」
うんうんと頷くイグナシオ殿下。
しかしその手は取られたままで。
「アンネローゼを愛しとるねん。
なあ、聖女のままでええから、俺の事、考えてみてくれん?」
ちゅっ、と指先に軽くキスされて。
私はくらくらとして自分の気持ちがふわふわになっていくのを感じて、慌てて外を見た。
「お、虹やん。喜んでるは喜んでるんやな」
「そっ……! そんなの、卑怯です……!」
「なにが? 天気で姫さんの気持ち当てるんが?
初なのも、あれだけ感情殺して生きてきたんに今めちゃくちゃバレバレなんも、かわええよ」
ああどうしよう。
春風が吹いてる。花が咲いていく。
小鳥たちが軽やかに鳴いて。
恥ずかしさに雲ができるのに、雲は私の顔を隠してはくれない。
聖女としてこれからも生きていく私は、彼に振り回されたりなんかしちゃ、いけないのだ。
「負けませんから……!!」
「ん? すきってこと? かわい」
「イグナシオ殿下なんてきらいです!」
「イグナって呼んでや」
「知りません!」
恋とか、愛とか、縁遠いはずなのだ。
恋に心乱されて、愛にこの身を投げ出して、心赴くままに生きることなんてできないのだ。
この国の聖女として、清く正しく慎ましく、これからも国のために生きねばならないのだ。
すきになっても、かなしいだけなんだ。
「振り向かせるし、聖女のこともなんとかしたるから待っとってな?」
そんな言葉に、期待なんてしない。
でも、今日だけは、虹が出たままでもいいのかもしれない、そんな風に思った。
これにて本編完結になります。
お読みいただき、本当にありがとうございます。
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また次作も読んでいただけたら幸いです。