9.青い瞳のお姫様
クレアは、今日も黙々と雑草を抜いていた。
昨日は別の仕事をしていたので、サナとは会えていないしこの庭も放りっぱなしだった。
しかし春が来て社交シーズンが始まるとこちらの棟も使うことになるので、それまでに庭を整えておきたい、とのことで、そろそろ本腰を入れて済ませなくてはならない。
土を払って、抜いた雑草を籠に入れていく。籠がいっぱいになったら庭師のところまで持っていて、また空の籠を抱えてここに戻ってくるのだ。
難しい技能がいらないが体力が必要なので、庭師の老人にはキツイ仕事であり、あまり人前に出たくないクレアにはぴったりの仕事だった。
「んー……重い……!」
満杯になった籠を抱えて、庭師小屋へとヨタヨタ向かう。
すると、小屋からさっと出てきた男が籠を受け取ってくれた。
「お疲れさん」
「え……お、お疲れ様」
空に手をぎゅっと握って、思わずクレアは後ずさる。男性は明るい茶色の髪に灰色の瞳をした、精悍な青年だった。
だが見たことのない顔だったし、いつもは祖父ほどの年の好々爺然とした気のいい庭師が出てきていたので戸惑う。
「初めて見る顔だな? 俺はルーカス、庭師の甥なんだ。伯父さんが腰やっちゃったから、手伝いに来てんの」
手を差し出されて、クレアは更に戸惑った。握手を求められているのは分かるが、王女として育ったクレアは手の甲にキスを受ける為に手を差し出したことしかない。
まして、初対面の男性相手にだなんて、どう振る舞えばいいのか分からなかった。
ライノは常にクレアを姫として扱ってくれるし、そもそも彼は幼馴染なのでときめくことはあっても怯えを感じることはない。
他に話す機会のある男性といえばフレドリックだが、彼も腹の中でどう思っているかは別として、形だけはクレアを淑女として遇している。
「ん?」
「あ、ごめんなさい。クレアよ、よろしく」
「おう、よろしく!」
ルーカスにもう一度手を差し出されて、慌てて握手を交わす。もう自分は王女ではないのだ、こういった挨拶はごく普通のことで、慣れていかなくてはならない。
幸い彼は気を悪くした様子もなく、握り合った手を軽く揺するとすぐに離した。
「お姫様みたいな別嬪さんだと思ったら、噂のフィガロの悪辣王女ってあんたのことか」
「え、ええ……」
悪辣王女と呼ばれてギクリとしたものの、ルーカスに他意はなかったらしくその後特に何も言われなかった。彼はテキパキと雑草を始末して、空になった籠を差し出す。
「はい」
「ありがとう……あの、庭師のおじさん……腰は大丈夫なの?」
「ああ。今は城下街の家で安静にしてる。その間だけ、俺がこっちに通ってるんだ」
「そう……お大事に、と伝えて」
「おう!」
籠を受け取ると、彼はニカリと明るい笑顔で応えてくれた。
ルーカスに暇の挨拶をして、空の籠を抱えて庭に戻ってきたクレアを待っていたのは、フレドリックの部下だった。皇太子の執務室で顔を合わせたことがあるので、互いに顔は知っている。
「なんのご用でしょう」
「殿下がお呼びです」
「……」
つい口をへの字に曲げてしまうことを、止められない。
あの皇太子サマはいつもクレアの都合を無視して呼び出すのだ。そりゃあ彼は多忙だろうけれど、下働きには下働きの予定があるというのに。
とはいえ当然拒否権などある筈もなく、部下の彼の手引きでクレアはまたもや皇太子の執務室へと招かれるのだった。
「やぁ、クレア嬢。急に呼んで悪かったな」
「……御機嫌よう、皇太子殿下」
下働きの質素な服の裾を摘まんで、クレアは美しい所作で挨拶を行う。傍らに立っていた部下がほぅ、と小さく感心の吐息をついたことには、気づかなかった。
「お茶でも一緒にどうだ? 座ってくれ」
「いえ……仕事を抜け出してきておりますので、このままで結構です」
お茶とお菓子の用意されたテーブルを示されたが、土埃のついた服で皇太子の執務室のソファに座るなど恐れ多い。それに実際さっさと用を済ませてしまいたかったので、クレアは立ったまま話を聞くことを選んだ。
「では菓子は包んで持たせてやろう。友人と食べるといい」
レッドチェリーのクッキーに、花の砂糖漬けのパイ。薄い紙に包まれたヌガーもあった。
勿論甘いものを戴けるのは嬉しいが、どうにも扱いに含みがあるように感じられてクレアはやや不快だった。
フレドリックはそれを見て、満足そうに頷く。
「下働きが板についてきたようだな、結構結構。ライノとも距離を取っているようだし、上出来だクレア嬢」
「……その話の為に、今日は……?」
まさかそんなことありませんよね? と言外に告げると、それを読み取ってフレドリックはニヤニヤと笑った。
「勿論それだけじゃないさ。フィガロの残党からの接触はないか? 他に怪しい誰かからコンタクトは?」
「ありません。そもそも……帝国皇城という場所は、残党にとっては敵地。滅多に入り込むことなど出来ないのでは? ……私は城下街やどこか地方の街で無防備に暮らした方が、彼らも接触しやすいのではないでしょうか」
クレアは以前から考えていたことをフレドリックに告げた。
最初はフィガロ残党に対する囮のつもりなどなかったので、下働きとして城で働くことに疑問はなかった。だが彼らに接触して欲しくて釣り糸を垂れるのならば、もっと容易な位置にクレアを配置すべきだろう。
しかし、
「あなたが城を出て行ったら、ライノも出て行ってしまうだろう」
フレドリックの信じられない返答に、クレアは目を丸くした。彼がライノを気に入っているのは知っているが、それはあまりにも私情が過ぎないだろうか。
こちらが言葉を無くしているのを見て、フレドリックは大笑いした。
「冗談だ! さすがにそれだけの理由であなたを城に囲っているわけではないよ」
「……どうか冗談は程々になさってください」
さすがにムッとした返事になってしまった。
これなのだ、とクレアは内心で唸る。フレドリックは、対面上クレアのことを元王女、淑女として扱っているが、言葉の端々に軽んじていることが伝わってくる。
まさか大国の皇子がそんなあからさまなことをするとも思えず、さりとてなんの意図があるのか読めない。まさかクレアがライノと親しいことに、本気で嫉妬じみた思いを抱いているわけはあるまい。
「待て待て、怒るな。ちゃんとした理由ならある」
「……お聞かせくださいませ」
クレアには、明るく笑うフレドリックが理解出来ない。
いくらフィガロの残党を捕まえたいからといって、こうして頻繁にクレアを呼び出すのもおかしな話だ。
「あなたが無防備な場所で暮らしていて、そこに接触してくる者などたかが知れているだろう」
「……つまり?」
「俺は、この城に侵入出来るぐらいの大物を捕まえたいんだ。ちまちま小物を潰していられるほど、暇じゃないんでな」
確かに皇城に侵入してクレアに接触してくるとなると、相手はかなりの大物であり本気でフィガロを再興したいと考えている者だろう。
しかし、そもそも。
「……そんな大物がいたとして、わざわざ私を担ぎ上げようなどとするでしょうか? 皇城に侵入出来る伝手や力があるのならば自分が旗頭になればいいのでは?」
疑問を呈すると、そこで初めてフレドリックの瞳が興味深げに輝いた。
「来るさ。あなたは自分の価値が分かってない」
「価値?」
クレアは皮肉な気持ちになって、首を傾ける。その仕草は淑女のそれなのに、着ているものは下働きの粗末な服だ。
そんな自分に何の価値があるというのだろう。
「フィガロは、殊の外王族を神聖視していただろ? だからこそ悪政を敷くような無能なジェラールですら王位に就けた」
「……ええ」
尤も叔父だと思っていたジェラールは、実際は王族の血を引いてはいなかったが、それでも彼が王家の血筋だと皆信じていたからこそ、オーギュスト王が亡くなってすぐに王位に就くことが出来たのだ。
「ですが、それこそジェラールの件で、王族には任せておけないとクーデターが起こったのですし、もう王家など……」
「そう。ジェラールは王家の血を引いていなかった。だからクーデターが起きた、と言える」
「?」
言い方に微妙な違いはあるが、同じ言葉を繰り返してはいないか、とクレアは眉を寄せる。けれどフレドリックは楽しそうに話しを続けた。
「ジェラールは王家の者じゃなかったんだ。そして、今ここに正当な、青い瞳のフィガロ王家の血を継ぐ姫がいる」
「…………」
返事が出来ずに、クレアはそっと自分の瞼に触れる。
彼の言う通り、フィガロ王国は王族を神聖視していた。その際たるものが、クレアの瞳にも宿っている宝石のような煌めく青い瞳だ。
建国の祖である、初代フィガロ王が持っていたとされる青い瞳。
フィガロでは青は神聖な色とされ、王家に煌めく青い瞳の子が生まれた時はお祭り状態となっていた。オーギュストの子が娘のクレアしかおらず、王女でありながら帝王学を学んでいたのはそれに起因している。
クレアは、次期国王候補筆頭だったのだ。
しかし瞳の色は遺伝によるもので、当然煌めく青い瞳を持たず生まれてくる王族も多い。
たまたまオーギュストとその娘であるクレアは青い瞳だったが、今代の王家にその瞳を持つ者は他におらず、そのこともあってジェラールが王家の血を引いていないことに気付くことが出来なかったのだ。
「賭けてもいいぞ。あなたのその瞳に釣られて、必ず大物がかかる」
フレドリックの言葉に、クレアは今度こそ隠すことなく鼻白んだ。




