18.あなただけ
繋いだままの手を引かれて、クレアは頷く。
先程から一度も手は離れておらず、まるで離せばクレアがどこかへ行ってしまうとでもライノは思っているかのようだった。
応接室のテラスから直接庭へと降りられるようになっていて、ガラス張りの扉を開いてライノに導かれる。外は天気がよく、庭は素朴な花や木が植えられ落ち着いた雰囲気に整えられていた。
「まぁ、素敵ね……なんだか懐かしい」
「でしょう? 姫様が好きだった庭に似てるな、と思って。ここは屋敷自体は小さくて、庭が広いのが気に入ってるんです」
嬉しそうに笑ったライノに手を引かれて、クレアは庭へと降りた。皇城の人に見せることを目的とした華やかな庭園とは違い、この庭には穏やかで静かな時間が流れている。
「素敵ね」
「よかった。……いつか姫様に見せたかったんだ」
整った顔を綻ばせるライノは、クレアにとって本当に可愛くて大切な人だ。
彼の手を取りたい、愛を受け入れたい、と思うのに、せっかく帝国で黒騎士として成功しているライノの経歴をクレア自身が汚すことになるのではないかと不安でならない。
小さな白い花の可愛らしい姿をぼんやりと眺めていると、クレアの内心を察したのかライノが改まった様子で話し出した。
「……俺、姫様とずっと一緒にいたいんです」
「ライノ……何度も言うけれど、私はフィガロを」
卑怯だとは分かりつつ、まだその話をしたくなくてクレアは庭を進む。その拍子に繋いでいた手が離れてしまい、ライノがすぐに追いかけてくる。
「それは姫様の所為じゃない。ジェラルドの罪だ」
「……何もせず、ただ見ていただけの者にも罪はあると思わない?」
クレアが悲しそうに目を細めると、ライノも辛そうに唇を噛んだ。
「じゃあ……あなたの罪を、一緒に背負わせてください」
立ち止まってしまったクレアの正面に回ったライノは、両手を繋いでこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「何を言っているの……あなたはもう立派な帝国の騎士。爵位もあるし、これからは私になど構わず幸せに……」
「あなたと一緒じゃないと、俺は幸せになれません」
はっきりと言われて、クレアの心は震えた。
心臓を、鷲掴みにでもされたかのような衝撃だ。何の衒いもなく差し出される愛情。
「どんな功労をたてても、どんな褒美を授かっても、俺をあなたが愛してくれないのなら、何の意味もありません」
「ライノ……」
美しい琥珀色の瞳に、涙の膜が張っているのが見えた。
背が高くて大柄で、どこからどう見ても立派な大人の男性なのに、彼は迷子の子供のように不安そうな表情を浮かべている。
「……あなたが俺を愛してくれないのなら、俺はもう一生誰のことも好きになんて、なりません」
その場に両膝をつくと、ライノはクレアの手の甲に額を押し付けて懇願した。
「姫様、お願いです。俺は、あなたじゃなきゃ嫌だ……」
それまで力なく、ライノに握られているだけだったクレアの手に、力が籠る。きゅっ、と握り返すとライノが顔を上げた。
最近はいつも青褪めていたクレアの頬は薔薇色に染まり、宝石のような青い瞳は潤んでいる。長く赤い髪が風に揺れて波打ち、その拍子にぽろりと涙が零れた。
「姫様」
「……約束して」
どんな約束であろうと、クレアが望むならばライノは誓ってくれるだろう、とここにきてもズルい気持ちで口を開く。
「はい」
案の定、ライノは内容も聞かずに即答してくれた。それに、ほんの少しだけ背中を押してもらった気持ちになって続ける。
「……私のことが、邪魔になったら必ず捨てて。好きじゃなくなったら、気にせずそう教えて。そうしたら……ちゃんとあなたから離れるから」
「そんな日は来ません」
「でも約束して。その日が来たら、遠慮せず絶対に私を切り捨てるって、約束して」
静かにクレアの頬を涙が伝う。
「そんなこと」
「お願い、約束して……」
ライノは、クレアを邪魔になることも、嫌いになることも絶対にない、と自信があった。だが、クレアが望むように約束しないと、涙を拭ってあげる権利もないのだ。
「……わかりました。絶対に、あなたを厭う日なんて来ないけど……その時が来たら、必ずお伝えすると約束します」
ライノがハッキリと言うと、クレアはホッとしたように溜息をついた。つい、懇願するように彼は愛しい姫君を見上げる。
「だから……俺をあなたの恋人にしてくれますか?」
「うん……」
クレアの瞳からまた涙が零れ、素早く立ち上がったライノがそれをそっと拭った。それから柔らかく抱きしめられる。
衝動的なものではなく、何ものからもクレアを守るとでもいうような、温かく気持ちの籠った抱擁だった。
「嬉しいです……姫様、好き。大好きです……!」
「……ずっと待たせてごめんね。……私も、好き」
何ひとつ、問題は解決していない。
ライノの愛を受け入れることは、彼をクレアの事情に巻き込み、不幸にする可能性が大いにあった。ライノはもうただの子供ではない、帝国最強の騎士で、伯爵なのだ。
なのに、亡国の姫などと恋仲になって、これからどんな問題が起こりどんな風にライノに迷惑をかけてしまうのか。規模が大きくて、クレアには想像の域を超えてしまっている。
それでも愛する彼にここまで熱烈に口説かれて、嬉しかった。
もう自分の気持ちを誤魔化すことも、ライノの気持ちを無視することも出来なかったのだ。
いつか、「その日」が来たら必ず離れると誓うから。どうか今は、ここにいさせて欲しい。
それが今のクレアの、たったひとつの願いだった。
抱きしめ合う二人のそばで、柔らかな日差しを浴びて美しく花々が咲き誇っていた。




