12.悪事を企む者
「クレア―! お昼にしましょう!」
嬉しそうなサナの声に促されて、クレアは顔を上げた。
「はーい!」
返事をすると、サナは両手で昼食の包みを掲げる。
二人の仕事は、今日も今日とて雑草抜きだ。このペースなら今日か遅くとも明日には終えられそうで、ホッとしている。
とはいえ日がな一日それだけをしているわけにもいかず、都度都度雑用を言いつけられて二人してそれぞれ城を走り回る日々が続いていた。
たまたま籠を庭師小屋にはサナが持って行ってくれるタイミングが続いていて、あれからルーカスには会っていない。
「さ、食べましょ!」
「まぁ、美味しそう」
クレアが歓声を上げると、サナは頷く。
今日の昼食は香辛料と共に炊いた米で、固く握られて植物の皮で包まれている。付け合わせは野菜の酢漬け、根菜のミルクスープの碗もあった。
「今日は少し肌寒いから、温かい料理は有難いね!」
「私はお米が好きなので、嬉しいわ」
フィガロ王城では米飯の文化がなかった為、帝国に来てからクレアは米料理を日常的に食べるようになった。帝国には様々な国の者が集まっている所為か、他にもクレアの食べたことのない料理がごく日常的に食事として供されるのが面白い。
スパイスの効いたオニギリの中には細かく刻んだ鶏肉と香草が入っていて、美味しい。手掴みで食事をするのにもすっかり慣れたものだ。
ミルクスープのほうは逆に塩と野菜の甘味だけで味付けされていて、ほっくりとした根菜の食感と相まって蕩けるような安心感がある。合間に食べる酢漬けで口の中がサッパリするのが心地よく、使用人用のボリューム重視のメニューながら料理人の心遣いを感じた。
ニコニコしながらクレアが食事を頬張っていると、サナが優しく見つめているのに気づく。
「な、なに?」
「ううん。美味しそうに食べるなぁ、と思って」
「だって美味しいんですもの……」
クレアはまじまじと見られていたことに、少しだけ頬を赤く染める。
今となってはほとんど思い出すこともなくなったが、叔父であるジェラールに邪な目的で媚薬も盛られてから、クレアはしばらく食事をまともに摂ることが出来なくなった。
その後も少しずつ生野菜などを食べるようにしていたが、それでも警戒心は晴れることはなく、状況的にもそれを許さなかった為にフィガロでの食事はどんどん量が減っていってしまい、クーデターが起きた際のクレアは随分と痩せ細っていたのだ。
それが今はどうだろうか。
下働きは体力勝負なので、三食しっかり食べているし、体が疲れている所為で夜はぐっすり眠っている。
クレアを取り巻く状況は相変わらず複雑だが、体の健康という意味ではフィガロ滅亡直前に比べると格段に改善されたように感じていた。
食事を終えると、サナはすっくと立ちあがる。
「サナ。どうしたの?」
「昼からはあっちの倉庫の片づけをするように言われたの。大変そうだから手伝って欲しいんだけど、平気?」
視線の先に小さく見える用具倉庫を指されて、クレアは頷いた。雑草抜きはもう少しで終わるし、断る理由はない。
「勿論よ」
「ありがと!」
クレアが当然と微笑むと、サナも明るく笑った。
食事の後片付けを済ますと二人は目的の倉庫へと向かう。皇城の庭はあちこちにある上にそれぞれが広く、手入れの用具や肥料など最低限必要なものを仕舞ってある倉庫が要所要所に建てられている。
定期的に掃除をしたり必要なものを補充したりと、倉庫の手入れをするのは下働きの仕事なのだ。
掃除を言いつけられた倉庫は庭の端にあり、中に入るときちんと整頓されていて意外と広く感じられた。だがすっかりと埃を被ってはいたので、まず扉と窓を開放して換気してから仕事に取り掛かろうとクレアは窓へと近づく。
「待て」
そこに扉の方から声が掛かり振り返ると、扉に隠れた倉庫の暗がりに見覚えのある男が立っていて驚いた。
「……ニールス侯爵?」
扉を塞ぐようにして立っているのは、フィガロ国の大臣の一人だったニールス侯爵だったのだ。
侯爵、という爵位はフィガロで授けられたものだから、今は意味のないものだが、クレアには他に呼び方が分からない。
年はクレアの父親と同じ頃、茶色の髪に灰色の瞳のなかなかの美丈夫で人当たりも良く、フィガロが健在の頃は女性達に人気の大臣だった。
そしてニールス侯爵は、フレドリックが言うところの「フィガロ政権の残党」だ。まさか部下ではなく侯爵本人が、自ら皇城の中に現れるとは誰が想像しただろう。
フレドリックの「大物が釣れる」という予言が当たった形になる。
「静かにしてください、姫。私とて、危険を冒してここに来ているのです」
「……でしょうね、貴方がここにいると帝国の追手が知れば喜んで縄を掛けに来るわ」
ニールス侯爵も、例に漏れずフィガロが滅ぶ前に逃げた者の一人だった。その際持ち出された歴史的価値のある国宝もあり、現在でも帝国は彼を追い続けている。
「つれないことを仰る……我ら同胞ではないですか」
「国を捨てて逃げた者のことを、同胞とは呼ばないんじゃないかしら」
言いながら、クレアはサナの様子を窺う。
目を白黒させてニールス侯爵とクレアを交互に見ているサナは、事態を把握出来ていないようだ。だが、ここに居合わせてしまった以上、ニールス侯爵がサナを見逃してくれるとは思えない。
「では民を守ることの出来なかった悪辣王女も、同胞とは呼べませんな」
痛いところを突かれて、クレアは眉間に皺を寄せる。
そうだ、逃げた大臣よりも民を守れなかった王女の方が罪深い。しかし、だからといってニールス侯爵が逃げたことが無罪になるわけではない。
「ニールス侯爵、帝国に出頭なさい。命だけは助けてくれるように、私からも嘆願しますから」
「何を仰っているのやら。この皇城に私が現れている時点で、あなたなら分かっておいででしょう? 帝国は一枚岩ではない。手引きしてくれる協力者は大勢いるんですよ」
含みを持った言い方をされて、ギクリとする。
まさかサナも、ニールス侯爵の協力者なのだろうか? 確かにこの倉庫に来たのはサナに手伝ってくれるよう頼まれたからだ。
だがそれは、サナに用事を言いつけた者が協力者だったのだ、と思い直した。
クレアは必死に疑念を振り払おうとする。だが一度意識しだすと、悪い考えばかりが頭を擡げ始めた。
他の下働きの者はクレアにあれほど冷たかったのに、サナは何故か最初から好意的だった。積極的に声を掛けてくれたし、手伝い気遣ってくれた。
それがもし、クレアを見張る為だったとしたら?
渦巻く暗い考えの向こうで、ニヤニヤと笑うニールス侯爵がいる。意識的にゆっくりと呼吸をして、クレアはそれらを振り払うように瞬きをした。
「……同じことが言えるんじゃなくて? あなたが不利な状況に陥ったら、協力者とやらはきっと帝国に寝返って、あなたのことなんて知らんぷりするわ」
わざと挑発的に言うと、侯爵は顔を歪めた。
どうやら図星らしい。今はフィガロから逃げ延びた時に持ってきた金を使って、相手を買収でもしているのだろう。その金が尽きるか、帝国に事が露見すれば話は別だ。
たちまち侯爵の立場は、危機に陥る。
ニールス侯爵の反応でまだ反撃の余地があることが分かったクレアは、すぐさま行動した。
「行きましょう、サナ!」
言って、サナの腕を掴んで走り出す。真っ直ぐに扉に向かい、思いっきり侯爵を突き飛ばして外に出た。




