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10.初めての戦い

 

 フレドリックに面会してから数日後。


「ふぅ……」


 またしてもクレアは雑草抜きをしていた。

 元々細々とした用事を言いつけられることの多いクレアだったが、最近はやけに雑草抜きを割り当てられる気がする。本格的に他の仕事では無能なので、草でも抜かせておけ、ということなのかと考えると、心が塞ぐ。

 しかし、そうだとしてもせめて割り当てられた仕事だけはしっかりと全うしたくて、クレアは精を出していた。

 気を取り直して、この辺り一帯は粗方抜き終わったので別の区画へ移動しようと籠を持ち上げる。


「さて!」


 そこでふと、それにしても、とクレアは内心で独り言ちた。

 フレドリックに面会した日からこちら、まるで示し合わせたかのように、どこかからの視線を感じることが増えたのだ。

 フィガロの王女として暮らしていた時は常に誰かが側にいて、見られて過ごすことが当たり前だったので気にしていなかったが、今は違う。平民のクレアを注視している者がいるとすれば、それには当然何らかの意図があるのだ。


 皇太子であるフレドリックに命じられている、囮としての役目を果たせているのであればいいのだが、どうもそう簡単にはいかないようで少し焦れる。

 その間も移動してせっせと手を動かして雑草を抜いていた甲斐あって、クレアの手元の籠は満杯になった。考え事をするのに、黙々とした仕事は向いている。

 ジェラールの下で悪辣王女として軟禁状態にあった時も、王女の権限で処理出来る書類に向き合っていた時は没頭していたことを思い出した。


 そろそろルーカスのところへ持って行こう、と立ち上がった瞬間に、後ろからドンと押されてクレアは籠ごと地面に転んでしまった。


「ひゃっ!?」


 悲鳴を上げると、後ろからクスクスと聞き慣れた笑い声が聞こえる。


「あぁら、まだこんな仕事してるの?」

「王女様は土いじりがお好きなのね!」


 ばさばさと地面に転がるせっかく抜いた雑草を見て、怒りが沸きあがった。振り向くと、やはり予想通りいつもの意地悪娘達が立っていて、彼女達はニヤニヤとこちらを見下ろしている。


「……あなた達、こんな子供っぽい嫌がらせをして恥ずかしくないの?」


 こんな卑怯なことに屈してはいられない。クレアはさっと立ち上がると、腕を組んで彼女達を睨んだ。

 ギロリと、フィガロ王家に伝わる煌めく宝石のような青い瞳に睨みつけられて、少女達は一瞬怯む。だが、それは本当に一瞬のことで、土に汚れたクレアのスカートを見て指を指して笑いだした。


「なにが『あなた達』よ、お高く留まっちゃって」

「そうよ、あんたなんか一番デキの悪い下働きのくせに!」

「う……」


 さすがにそれを言われると、クレアには言い返す言葉がない。

 冷静に考えれば彼女達はクレアよりも下働きとしての歴がずっと長いのだ。だというのに、サナのようにメイドへの昇級が打診されていない時点で彼女達の能力も推して知るべし、というところなのだが、それでも先程その件で落ち込んだばかりのクレアには有効だった。

 黙ってしまったクレアに、少女達は勢いづく。


「あら、今日はいつもの強気はどこへ行ってしまったのかしら?」

「最近黒騎士様がいらしてるところも見ないし、ついに見捨てられちゃったんじゃない?」

「ああ、それで落ち込んでいるのね、可哀想に」


 少女達は勝手なことを口々に言っては、楽しそうにキャッキャっと笑う。


「勝手なことばかり、言わないでちょうだい」


 ライノにこちらを構わないで欲しいと頼んだのはクレア自身だし、彼は律儀にそれを守ってくれているだけだ。

 けれど、少女達の言葉は取り合うのに値しないと分かっていても、ここ数日落ち込み気味のクレアの心に冷たい風を吹かせた。


「あら、じゃあどうして黒騎士様は来ないの?」

「愛想を尽かされたに違いないわ!」

「見栄張っちゃって、みっともないわねぇ」


 また肩を突き飛ばされたが、今度はクレアは踏ん張って倒れなかった。代わりに、一番手前にいる少女を押し返す。


「何すんのよ!」

「それはこちらのセリフだわ。自分達の仕事を放り出してまで人の仕事の邪魔をして、言いがかりをつけて……自分のしていることを恥ずかしいと思いなさい!」


 どれほど心に冷たい風が吹こうと、もし実際ライノに愛想を尽かされていたとしても、クレアはクレアだ。

 今となっては忌まわしきフィガロの最後の王族で、フレドリック皇太子から囮という仕事を与えられている。誰に何を言われようと、自分の役目を全うしなくてはならない。

 強く啖呵を切ると、流石の少女達が激昂し掴みかかってきた。クレアにとっては人生で初めての取っ組み合いのケンカである。


「何よ、悪辣王女のくせに、偉そうに!」

「呼び名は関係ないわ、そんなことも分からないの?」


 相手は三人で、クレアは一人。勝算はなかったが、何事も最初から負けるつもりで挑んではならない。クレアは歯を食いしばって、彼女達に対峙した。

 しかしそこに、ルーカスが慌てた様子で駆けつける。


「おいおい、お前ら何してるんだよ!」

「きゃっ!?」

「だ、誰……!?」


 どうやらルーカスのことを知らないらしい少女達は突然の闖入者の存在に驚き、それが見目の良い青年であることに顔を赤くした。


「あ、彼は庭師の甥で……」


 同じ職場で働く者同士なので、クレアは思わず今の状況を忘れて彼を紹介しようとする。だが、ルーカス本人に遮られた。


「いや、俺のことなんてどうでもいいから! それより、お嬢さん達は仕事ほっぽり出してここにいる事が上役にバレたらヤバいんじゃないの?」


 ん? と問いかけるようにルーカスは片眉を上げる。少女達はクレアに同じことを言われた時は知らんぷりしていたというのに、ルーカスに指摘されると青褪めた。現金なものだ。


「見たところ、今日の仕事は洗濯か? この時間には第二便の洗い物がくる筈だけど、ここで油売ってていいのかなぁ?」


 ルーカスが時計塔を指して言うと、少女達はハッとなった。確かに洗濯は朝に一度、昼にもう一度仕事がやってくるのだ。

 庭師の代わりにここで働いているだけなのに、ルーカスは下働きの仕事に詳しい。クレアが感心していると、少女達は時計を見て慌て出した。


「やばい!」

「そろそろ戻らなきゃ」

「男に助けてもらえて、よかったわね悪辣王女サマ!」


 最後に捨て台詞を忘れないところは、いっそ感嘆に値する。少女達がバタバタと建物の方へと走り去る背中を、クレアはため息をついて見送った。

 庭に残ったのは、クレアとルーカスだけだ。


「……ありがとう、ルーカス。助かったわ」

「いや、いつもならそろそろ籠持ってくるのに遅いな、と思って。どっかで具合でも悪くなって倒れてんじゃないかと心配したが、喧嘩の最中とはな」

「……みっともないところを見せちゃったわね」

「いやいや、勇ましくてカッコよかったぜ」


 クレアは頬を赤くして恥じたが、ルーカスは楽しそうに笑う。


「それにしても、いつもあんな風に突っ掛かられてんのか? 面倒くさいな」


 なんとも言えずに苦笑したクレアは、地面に膝をついて散らばってしまった雑草を拾い集める。籠に満杯になっていたので、結構な量だ。

 すぐにルーカスもしゃがんで、それを手伝ってくれた。


「あ、大丈夫よ。ちゃんと集めて庭師小屋まで持って行くから。手伝ってもらえうのはありがたいけど、あなたの仕事の時間を取ってしまうわ」


 慌ててクレアがそう言うと、ルーカスの真剣な表情が意外なほど近くにあって驚く。


「クレアは元王女だったんだろ。……こんな扱いされてて嫌じゃないのか?」


 彼にそう言われて、もう一度驚いた。


「……嫌じゃないわ。そりゃああの子達に仕事を邪魔されたり嫌がらせされるのは困るけど……下働きをしていることは、ちっとも嫌じゃないの」


 自分でも意外なほど穏やかな声が出た。

 目を丸くするルーカスに、クレアは不思議なぐらい清々しい気持ちで答えることが出来る。


「悪辣王女なんて呼ばれて、それでもフィガロの民のために何にも出来ることのなかった頃よりも、落ちこぼれの下働きとして少しでも誰かの役に立てている今の方が、ずっと気分がいいの」

「それでも……お前が願えばもっとマシな生活が出来るぞ? 例えば……庭師の嫁とか」


 そう言って、ルーカスはクレアの手を取った。彼の灰色の瞳は、真剣にこちらを見つめている。



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