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1.堅牢たる悪辣王女

新連載です、よろしくお願いします。


 ガシャンッ、と大きな音をたててティーカップが石の床に落ちる。


「もう、何やってるのよ!!」


 クレアが怒鳴ると、給仕をしていたメイドがその場に膝をついて頭を下げた。


「申し訳ありません、姫様!!」

「お茶のひとつも淹れられないなんて、お前なんてクビよ! 出て行きなさい!!」


 力の限り大きな声で、クレアは叫んだ。

 大陸の東に位置するフィガロ王国。その王城、中庭に面した広いテラス席だ。


 赤髪に青い瞳のクレアは、十六歳。

 先代王の娘であり、現国王の姪。その立場を存分に悪用して、我儘放題に振る舞う為すっかり悪評がたっていた。


 テラス席から見える廊下を行き交う官吏達はまたか、と眉を顰めて関わらないように急ぎ足で通り過ぎて行くし、若いメイド達は皆竦み上がっている。

 たった今クレアが怒鳴りつけたメイドは泣きながら逃げて行き、その後ろを侍女頭のベリルが追いかけて行った。

 クレアがあれだけ大きな声で解雇を言い渡したのだ、あのメイドは今日中にひっそりと城を出て行くことになるだろう。


 給仕をする者がいなくなったクレアは、予備のカップを手に取り自分でポットからお茶を注ぐ。

 王女を名乗ってはいるものの、現国王の娘ではない彼女には最低限の供だけが配されていて、ベリルが傍にいなければ後は少し離れた位置に立つ護衛だけ。

 周囲に人はおらず、おべっかを使ってくる取り巻きもいない。

 こくん、とお茶を一口飲んだクレアは、だから心置きなくほぅ、と溜息をついた。


「……おいしい」


 先程泣かせたメイドは、クレアが小さい頃から仕えてくれているベテランのメイドだった。この王城で、彼女以上にクレア好みのお茶を淹れることの出来る者はいない。

 もう味わえないのかと思うと寂しくて、クレアはゆっくりとお茶を楽しんだ。


 その夜は、国王である叔父・ジェラールとの晩餐だった。広い食堂に二人きりだ。

 王妃である叔母は離宮に籠って愛人たちと派手な暮らしを楽しんでいるし、従兄である王太子は最近市井の女性に夢中だとかで、よく城下へと降りていて不在が続いている。

 窓には分厚いカーテン、ずらりと並ぶたくさんの燭台。薄暗く寂しい食卓には沈黙が落ち、かちり、と食器にカトラリーが触れる小さな音が響いた。

 

「クレア、またメイドをクビにしたそうだな?」


 その声は咎めるものではなく、どこか面白がっている響きがあった。

 大柄なジェラールは、クレアの亡き父・オーギュストにはあまり似ていない。

 同腹の兄弟ではないので、と言われてしまえばそれまでだがどうにも彼が血の繋がった叔父だとは、クレアには飲み込めなかった。


「ええ、叔父様」


 なるべく冷たい声になるように、意識してそう言う。

 以前妙な媚薬を盛られたことがあるので、料理にはカトラリーで触れる程度にして食べたフリをした。


「まったく、気の利かない女でしたわ」


 これは嘘だ。

 今日王城から追い出したメイドは、よく気のつく気持ちのいい娘だった。田舎の両親に仕送りをしていて、メイドの仕事自身も楽しんでこなしてくれていた。

 この男に、目をつけられるまでは。


「その割には紹介状までつけてやったと聞いたが?」


 下卑た笑顔を浮かべて、じろじろとクレアの体を舐めまわすような視線で見つめてくる、好色な男。こんな男がこの国の国王だなんて、本当に絶望しかない。


 クレアがこの国での成人である十七歳になるまであと半年。それまでは亡くなった父の喪に服す、という口実で彼女は体のラインのでない、固い生地で作られた黒衣の喪服を身に纏っている。

 それでも白い肌やふっくらとした赤い唇、母親似の美しい顔立ちはジェラールの情欲を駆り立てるらしい。

 不愉快な視線に曝され、内心吐き気を催しながらもクレアは冷たく傲慢な表情を意識した。


「仮にも一時私のメイドを務めた女ですわ。場末の娼婦にでもなられて私の品位まで落とされたら、たまりませんもの」


 ツン、とそっぽを向いて切り捨てると、ジェラールはクレアの真意を見抜いているのかどうなのか、ニヤニヤと笑いながら頷いた。


「……まったく、お前は。巷では、我儘放題の悪辣王女と呼ばれているんだぞ」


 好色国王に金満王妃、頭カラッポ王子に比べればなかなかドスの効いた呼び名で上等ではないか、とクレアは皮肉気に微笑む。


「何とでも言わせておけば、よろしいのですわ」

「それもそうだな。時にクレア、そろそろ喪服は脱いだらどうだ?」


 ジェラールはまだ舐めるような視線で、クレアを眺めてくる。


 オーギュストが亡くなってからちょうど一年ほど。

 喪服のドレスは最近特に女性らしい丸みを帯びてきたクレアの体の線を隠してくれるし、叔父をげんなりさせる効果があるので、着心地は悪いが鎧のように頼もしい。


「父を亡くした哀れな娘の感傷だと思って、どうぞお許しくださいな」


 クレアの口実に、表立って反対出来る理由はない。

 ジェラールは嫌そうに唇を突きだしたが、いつものように釘を刺すことは忘れなかった。


「成人する時には、きちんと脱ぐように」

「……ええ、叔父様」


 クレアは決して、ジェラールを王とは呼ばない。

 このフィガロ国の国王はクレアの父であるオーギュストであり、ジェラールは実の兄を暗殺し王位を簒奪した、謀反人だ。

 簒奪の理由は、兄であるオーギュストに対する嫉妬や憎悪、そして大きな野心によるものが強かった。ジェラールは常に飢え、乾いていたのだ。

 しかし暗殺の事実を知るのはクレアだけで、証拠はない。そして彼女が今も王女として王城に留意されているのは、ジェラールの歪んだ愛情の所為だ。


 クレアを生んでまもなく亡くなった、母であり王妃であるリリーディア。ジェラールは彼女のことを愛していたのだ。

 その為、兄を殺し王位を得た後、リリーディアによく似た面差しのクレアを捕らえ自分のものにするべく城に拘束しているのだった。

 兄を殺した非人間でも、子供に手を出さない程度の良識はあったらしい。


 オーギュストを自らの手で殺したことをクレアに告げ、彼女に絶望を与えた男は、まるで死刑宣告へのカウントでも与えるかのように、成人すれば彼女を自分のものにすると宣言したのだった。

 当然クレアはそれを周囲に訴えたが聞き入れてくれる者はおらず、すっかり城中が腐敗してしまったことを突きつけられただけに終わった。


「クレア、そろそろ誕生日なんじゃないか?」

「まだ半年も先ですわ」

「随分女らしくなったな」

「……」


 絶えず視線は、彼女の体を這いまわる。

 好色で最低のこの男が玉座に座り、このままいけば自分もこのクソ野郎の餌食になってしまう、とは分かっている。

 けれどクレアには王女である矜持と責任があり、一人ここから逃げることは彼女自身が許さなかった。


「まぁ叔父様。私は、まだまだ子供ですわ」


 出来るだけ冷たく響くように意識して言い、クレアは音もたてずに席を立った。

 今彼女がこうして清い体を守れているのは、ジェラールの気まぐれの部分が大きい。

 必要以上に親しくしたくはないが、彼の機嫌を損ねて今夜にでも寝室に入ってこられても困るのだ。

 そのまま部屋を出て行く彼女の後ろを、黒衣のドレスの裾がするすると追従していく。クレアの必死の考えと強がりだったが、実際は悲しくもジェラールの嗜虐性をただ煽るばかりだった。


 自室に戻ると、クレアはベリルに頼んで白湯を持ってこさせて口を漱ぐ。

 薬を盛られて以降、ジェラールと食事やお茶を共にする時には口に入れたフリをするようにしていた。だが、親を殺した男と同席する気持ち悪さだけは拭うことが出来ない。


「……っはぁ……ありがとう、もういいわ」


 礼を言って、クレアは僅かに湯の残ったカップをテーブルに置いた。

 どれだけ解雇しようと王女という立場上、クレアには使用人が宛がわれてしまう。

 その為最低限の世話で済むように、クレアは自分の身の周りのことはなるべく自分でこなすようになっていった。


 現在彼女についているのは侍女頭のベリルとメイドが一人、ここまで人数を減らすのは骨が折れた。

 食事も何を盛られるか分からないので加工されていない野菜や果物を中心に、最低限の量だけを摂っている。

 みるみる痩せてしまったが、女性的な魅力が下がるのはむしろ好都合だった。


「姫様、もっと召し上がっていただきませんと……」


 ベリルは困った様子で言うが、クレアは頑固に首を横に振る。


「民は今や満足に食事も出来ない状態なのに、私だけお腹を膨らませるわけにはいかないわ」


 クレアはよろよろと椅子に座ると、古くから王城で働いている文官がこっそりと運んできてくれた書類に目を通す。

 王の印璽を使うことは勿論出来ないが、クレアの持つ王族の権限で許可出来ることはたくさんある。


 クレアの父、オーギュスト王が亡くなってからこの国の政治はほぼストップしている。

 一年も、だ。

 新たに国王の座に就いたジェラールが、一切政を行わない所為だ。それでも最初は先代から仕える大臣達が何とか執り行っていたが、最高責任者であり最大権力者である王なくしては成り立たない。

 苦言をジェラールに呈していた大臣達は一人減り二人減り、半年経つ頃には王に媚びへつらう者だけを残して、忠臣はいなくなってしまった。

 その頃から、クレアは自分の権限でこなせるだけの仕事をこっそりと行うようになった。彼女が今だにこの城に留まり続けているのは、その為だ。


 善政を敷くには時間がかかるのに、それを悪くするのはあっという間に出来てしまう。

 オーギュストが亡くなってまだたった一年なのに、クレアにとっては驚くほどの早さでこの国は衰退していっていた。

 ジェラールの悪政の進行の早さに、クレアの努力などはまさに悪あがきでしかなかったのだ。だが、ゼロよりはマシ、と信じて出来ることを行っていくしかなかった。


「姫様、おいたわしい……街の噂では力のある民衆が他国へ情報を流し、謀反を企てていると言われています、ここもいつまでも安全とは限りません……どうか逃げたいと仰ってください。一言そう言ってくだされば、わたくし達は姫様の為に命を惜しみません」


 唯一残ってくれた侍女のベリルに言われて、クレアはまた首を横に振る。


「私が逃げた後、残されたあなた達はどうなるの? 国民は? 私はオーギュスト王の娘、フィガロ国王女よ。あの男を何とかする、責任があるの」


 彼女が悪辣王女と呼ばれ、次々に使用人達を解雇しているのは、この為。

 最初の内は次の勤め先への紹介状も持たせられたが、いよいよ国が傾き始めた今となっては、彼らをただただ逃がすことしか出来ない。


 どれほど逃げ出したくとも、城に勤めるものはおいそれと自分の意思で辞めることは出来ない為、クレアは我儘の限りを尽くすフリをして、どんどん人を逃がして行った。

 状況は悪くなる一方なのに、ジェラールもその妻もその息子も状況を顧みない。クレアは言葉を尽くしたが、聞き入れられるどころか薬を盛って襲われそうになったのだ。

 以来、彼女は鎧のような喪服を更に念入りに着込み、悪辣王女の仮面を被った。

 もしもクレアが逃げるのならば、それは誰よりも後。一番最後だ。


「ごめんね、ベリル。あなたの事も早く逃がしてあげたいんだけど……」


 決意の滲む言葉に、ベリルは思わず目元を拭う。


「構いません。それこそ私が出て行く時は、姫様と一緒です」


 ベリルにはっきりと言われて、クレアは思わず微笑んだ。

 ずっと仕えてくれている侍女頭が今も傍にいてくれて、何よりもホッとする。


 ベリルは、大臣の娘で既婚者だ。そのおかげでジェラールの毒牙の犠牲になっていない、という理由で甘えて傍にいてもらっているが、もしクレアが城から逃亡したら当然無事ではいられないだろう。

 クレアの強い意志に、ベリルは口を噤む。

 何度言っても、頑固な悪辣王女は決して逃げたいとは言わないのだ。


「……この王城も、寂しくなりましたね」


 代わりにベリルがそう口にすると、クレアは残念そうに肩を竦める。


「そうね。お父様がいらした頃は……活気があって、異国の商人や遠くの文化や芸術を運んでくれる旅芸人もたくさん訪れていたのに……」

「そういえば、姫様が最初に逃がした子供も、遠い国の生まれでしたね。名は確か、ええと……」


「ライノ」


 名を呼ぶと、一気に思い出が蘇る。

 クレアは硬い喪服の襟元から、ペンダントを取り出した。複雑に編んだ革紐の先に、手の平に収まるサイズの琥珀色の石が提げられている。


 もう何年も前に逃がした、泣き虫の幼馴染。

 彼は今、どこにいるのだろうか。


 一人で泣いていないだろうか。幸せに暮らしているだろうか。



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