シショサン
夢を見ていたようだ。「随分昔」のありきたりな日常風景。友人とたわいもない話をして笑っている夢。
瞼が目ヤニで開きにくい。これまでの食生活が祟ってしまったようだ。指で擦り、体を起こした。
なんとも悪い夢見だろうか。ベッドのスプリングが軋む、カーテン越しに夕暮れの風が忍び込む。夕暮れ時でも昼に浴びた熱がまだそこら中に蟠っている、なので暑い。夜になれば涼しいなんて嘘だ。
ミヨリはもしや眠っている間に昼が来ているのかもと邪推する。それならこの家の住民はどこへ?
他人の家に無断で泊まるのはもはや罪悪感も無くなっている。
クーラーをつけ、しばらくぼんやりとして、冷蔵庫から適当な朝食を選び食べる。我が物顔で生活した後シャワーを浴び、外に出た。この町は田畑が多く、かと言いまとまった住宅地はある。長閑な平均的な田舎町といったところ。関東であるには変わりないが、内陸部ではなく、少しばかり遠くに行けば海がある。結構故郷から移動してきたものだ。
ひりひりする足の裏を気遣いながら日陰を選び、町をうろつく。途中にあった自動販売でジュースを買い、飲みながら駅や店、主要施設を巡ってみる。怪しい人も人目を気にすることもない、気ままな旅行。観光地で遊んでみたりもしたい。雑誌に載っていた有名な歴史的建造物や人がごった返す都会を独り占めができる。
家出にしては大仰な家出だなと心中で自嘲した。
ひと通り町を散策してみたが数少ない観光施設は閉館しているし、スーパーのイートインスペースでアイスコーヒーを飲むのも限りがある。移動経路として国道を利用している──疲労した足がまだ使い物になるには時間がかかる。無理をしないで「家」に帰るべきか?
夕飯を品定めして今日はのんびりしよう。
時間はたっぷりあるのだから。
レジからビニール袋を拝借し、惣菜をつめ、帰路についているとノーマークだった建物にであった。
「わあ…」
町の規模としては立派な図書館である。自転車がまだたくさん停められている。「あちら側」では蛍の光が流れているだろうか?
LEDの真新しい光が自動ドア越しにこちらを照らす。住人のいない蜘蛛の巣がそよそよとゆれ、夏の情景が脳裏に浮かぶ。そっと近づくと自動ドアが空いた。
古臭い本の匂いが施設内に充満している。嫌いではない、むしろノスタルジーを蜂起させる。暇つぶしには膨大な量の情報が溢れている―今日はここで「一夜」をあかそう。
「あら、珍しい」
受付から聞きなれた声音がした。誰かがいる。
「図書館のお姉さん」の格好をしたミヨリが文庫本片手に座っていた。受け付けにいることや様子から図書館の職員だろう。
「こんばんわ。びっくりした。私はミヨリ。立派な図書館があるから入ってみたんだ」
「そうですとも。この町の自慢の図書館よ」
自らの職場を褒められて彼女は素直に喜んだ。口調からして彼女、であっているだろう。姿方は鏡に映ったミヨリだが知的さを醸し出している―脳内に素敵な女性が浮かぶ。厄介だが出会う人々は自身と話しているせいか攻撃的にはならない。自らを犯すなんて悪趣味だし、ましてや殺害するのも気が引ける。よく出来ているなとミヨリは何度も感謝する、でないとここまで放浪を続けられなかった。
「私の名前はシショサン。笑っちゃうでしょ」
図書館で独り、本を読んでいた「シショサン」は静かに立ち上がり本棚へ歩いていった。
「ここの司書をしているの。あなたみたいな利用者が来るまでこうやって読書をしている。暇で暇でしょうがないから。図書カードを作ってもらわないと本は借りれないわ」
「見ていくだけだから、カードは作んない」
「そう。何をお探し?案内してあげますよ」
「この世界から出られそうな手がかりがないかなって、思って」
すると彼女は首を横に振る。「残念ながら私もそれを探している最中なの。ここの書籍にはそれらしき内容はあっても、真相は見つからなかった」
予想はついていた。でなければシショサンはこの場に存在していない。
「じゃあそれっぽい本を読んでいこうかな」
「なら私が選んであげる。そこの席に座ってて」近場のスペースを指定され、ぼんやりと本が来るのを待つ。司書に本を選別してもらうなんて人生初だ。
「おまたせしました」
眼前にどっさりと本が置かれ肝を潰す。ミヨリは読書家ではない、絵本のようなイラストが描かれた類のものしか読まない。ああ、これは一夜漬けになるなあと内心呟きながら礼を言う。
「時間はたっぷりあるのだから」その通りだ。
神隠しについての本。集団失踪についての本。旅のススメの本。心の悩みの本…。
この中に打開策の元となる情報はあるのだろうか?
「…」
──パラパラと目を通したけれどめぼしいものは見つからない。神隠しの本は難解すぎて頭か痛くなりそうだった。
「なかったでしょ」
見兼ねたシショサンがせせら笑う。
「今日はぐっすり眠れそう」
「本を読んでみるっていうのも悪くはないでしょ?」
「シショサンは本当に本が好きなのね」その言葉に彼女は憂いを帯びた笑みを浮かべた。酷なことを言ってしまったかな、とミヨリは戸惑う。
「あのさ…」
「良かったらまた来てね。暇だからいつでも空いてるよ」
シショサンは名残惜しそうに告げた。