ナイ
生ぬるい風。夏の夜はじっとりとしていて、過ごしにくい。この剥離した世界に夏の虫はおらず、湿っぽい風だけが草木を揺らす。虫はいないのに植物は存在する。その線引きを何度か考えたが、勉強が不得意なミヨリは決まって途中で放棄する。
汗が背中をつたい、せっかく公衆浴場に入ったのにすぐに体は汚れてしまう。腹も減ったし、夜ご飯を頂こう。
人家にポツポツと明かりがついて遠くの摩天楼郡が小綺麗に瞬いている。一番星もチラチラと存在感を主張して、これからやってくるであろう夜を歓迎している。実際真夜中になったことはなかった。
こうして代わり映えのない夕闇の景色を美しいと思うようになったのは精神が大人になったからであろうか?
ともかくコンビニエンスストアはホッとさせる何かがある。暗くなり始めたこの時間帯こそ、コンビニエンスストアが最も温かみを発するのだ。
店内に入るや暑苦しさがすうーっと引いていく。冷房ががんがんに聞いていて、身震いするぐらいだ。
あの独特な匂いが鼻につき、過去と現在の感覚が交差する。感傷に浸っている場合ではない。どのくらい弁当やおにぎりが残っているか、確認しないと。
「おい」
女の声。誰かいる。
緩んでいた気持ちが一気に張り詰める。感覚を研ぎ澄まし、ミヨリは声の主が出でくるのを待った。
スタッフルームから見慣れた相貌が現れる。コンビニのユニホームを着た少女──ミヨリだった。
双方しばし見つめあっていたが
「あんた、なんて名前?俺はナイ。何も無いからナイ、だ」
ミヨリの姿をした「ナイ」は警戒したまま、じりじりと近寄ってきた。相手方にはきっと自身と同じ姿が突如現れたこととなる。
「ミヨリだよ」
「へえ、身寄りがないからミヨリかい?ふざけた名だ」
「あなたこそ。」二人はコンビニエンスストアの煌々とした明かりの下、一時も目を離さず対峙している。
「口調からしてあんたは女だね?」
「うん。あなたも、男の人のようね。それに私みたいな人に会ったのは初めてじゃない」
「ああ、ここのもんを盗みに来たんだろ?」
「…」本音を言えば盗みに来たのだった。これまでナイのような店員はいなかった。なら好き勝手にしてもいいだろう、と。
「金は持ってる?なら払ってくれよ」
「…なにそれ」この世界に通貨など必要あるんだろうか?
「俺なりのルーティンなんだ。それにな、お嬢ちゃん。盗みなんてやっちゃいけないよ。親御さんが悲しむ」
耳にタコなありきたりな説教にため息がでそうになるが、ここは堪えて頷いた。
どうやらバイトとしてのプライドがあるみたいだ。手持ちの金額は約五千円、おにぎりやジュースを買うには申し分無しである。当然これも猫婆した金であるが。
通過の崩壊したこの世界で金の取引は新鮮味がある。
お駄賃を出して冷えたジュースを飲む。ナイはレジに立って子慣れた動作でおでんの具をいじる。最近は一年中おでんをやっている。
「元々バイトでコンビニやってたんだ。そしたらこのザマだよ。最初にあった人も女の子だった。小百合っていうんだ。バイト仲間だった。そいつ、溶けちゃったんだ。アイスみたいに」
滔々と語ったまま彼はバイトを続ける。
「あんたは溶けたのを見た?」
「ああ、でも…教えてもらったんだ。本名を語ると溶けちゃうって。理由は分からないし、溶けたらどうなるのかも分からない、死ぬのか、生きて元の世界に戻るのか」
「溶けたらあとかたもなく消えるんだぜ」
乾いた笑みを浮かべナイは言う。
「怖いからモップで掃除したよ。あれは二度と見たくない──自分が腐ってグズグズに溶けてくのをさ。死んでくのを見せつけられんだよ」




