ドクター・フィッシュに喰べられたのは
ドクター・フィッシュの群れに、たくさんの角質を食べられたので、外見がすっかり、10歳の頃に戻りました。
あの頃の私。世俗の垢に塗れる前の。
積み上げた年月の分、角質は肥大し、私の肉体を覆っていました。
何層も何層も、年輪のように、鎧のように。
角質が角質を呼び、やがて確執となり、折角就職した会社にも居場所がなく、学生時代から付き合った彼氏は、結婚して夫となり今年で十年目、最近は緩やかに離婚の気配が濃厚です。
すっかり気が滅入っていたところ、駅前の広告が目に入り、ふらふらと吸い寄せられるように、寂れたビルの一角にある、ドクター・フィッシュコーナーに来たのでした。
『一回500円』
そこではドクター・フィッシュの群れが、円形の水槽に泳いでいました。
低い水槽の側にはベンチが置いてあり、青い色は剥がれたり、色褪せたりしておりました。
受付はあるのですが、どこにも人の気配はなく、小さな呼び出しのベルが机に置いてありました。
おもむろに鳴らすと、リン、と小さな音がして、かさこそと人の気配が奥でありました。老爺、とも、老婆、とも見分けのつかない方がいらして、嗄れた声で、お代はここ、といったので、慌てて財布から取り出した硬貨を、受付に置きました。
硬貨を受け取った受付の老人は、ジロジロとこちらを眺めた後、随分厚いね、とぼそっと言いました。
そして、通常はあのベンチに座ってなんだけど、だがあんたは分厚いから、奥に案内する、というような事をぼそぼそっと早口で言って、着いてきな、と言ったのが聞こえました。
受付の机の横の扉から出てきた老人が、ビルの奥の方へ手招きします。よくわからないまま、とりあえず着いて行きました。だって、お代を支払ったのですから。
右へ左へ曲がり、階段を降りて奥へ行き、階段をまた上がります。元の階よりは上がっているようですが、ビルの真ん中寄りのようです。ここだ、とおざなりに言って、老人は去りました。
巨大な円形の水槽に、ドクターフィッシュが詰まっています。簡単な説明書きが貼ってあり、服を脱ぎ、作業服のような服に着替え、中に入るそうです。
どう考えてもおかしいのですが、ここまで来て帰るのも癪だと、服を脱ぎ、下着を放り、作業服に着替えました。
そして、水槽の縁まで来ると、魚の目が一斉にこちらを見た気がしましたが、一気に飛び込みます。
宇宙でエイリアンに囲まれたらこんな気持ちでしょうか、逃げ場のない場所で、四方八方から私は私の角質を啄まれました。
少しずつ少しずつ削られ続け、私は、木彫り細工を作るように、何か別のものに生まれ変わるような気分になりました。
苦しくはありません、どんどん角質が減って減って、あるタイミングですぽんと水槽の外に出ておりました。
作業服はすっかり脱げており、全裸の私は、水槽に映る私を見つけました。
10歳の頃、両親が離婚する前の私がそこにいて、魚のような目でじっと見つめてきました。
水槽には、太ったドクターフィッシュの群れが、ぎっちりと詰まっておりました。
どうにか元の受付の場所に戻ると、あの老人が、次は20年後だな、とぼそっと言いました。
私は生き餌なんだ、と直感的に理解して、またビルの外に出ました。
きっと、世俗の垢に塗れて、生きていこうと思います。