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ザシャを撫で斬りにしようとした凶器。
暗がりの中でもはっきりと伝わってくる鈍色の光は大ぶりのナイフだった。
突くよりも斬ることに主眼を置かれた肉厚の刀身はそれこそ使う者によっては致命の一撃を簡単に入れてくるだろう。
使う者によってはだ。
こそこそと背後から忍び寄るまでは良かったが相手が一人の時を狙えと言いたいね。この隙だらけの男だったらど素人でも葬れるだろう、多分。
今回の失敗は相手が二人でいた点と、身の丈に合わない凶器を使った点か。
膝から崩れたザシャを投げ出す。
「捨てられた⁉」
うるさい。
ナイフの重さに体を振り回されて態勢を崩した人影をそのまま制圧する。
顔立ちは幼く男だか女だかよく分からん。霞がかった目つきをしている。首からペンダントのような物が零れ落ちた。
腕は細い。体重は軽い。捻ると面白いように地面に転がって動けなくなった。そして男の感触と匂いではなかった。ちょっとあれな表現なのでぼかすけど肉の感触がね。
「離せこの変態!」
なんだこいつ声張り上げやがって。
だいたいそいつはザシャ一人で間に合っている。
声は甲高く耳に刺さる。男の物ではない。いや声変わり前の男でもあるかもしれない。いや、やっぱないわ。これ女だわ。
変態呼ばわりされた腹いせにフードを剥がすとまず目に見えたのは首の裏。うなじに描かれた樹木の紋様。さっきまで話していた猟兵団の象徴を思わせる。
肩ぐらいまで伸びた銀髪に褐色の肌。南洋諸島連邦に多く見られる特徴だがさて、こいつはどこのどいつなのか。
「お前はザシャの尻の穴を狙うのが趣味なのか」
視界の端でなぜだか嬉し恥ずかし両手で尻を隠すアホたれもいたが無視した。
「くっそ。あんたこいつの何なのさ。ずっと張り付いててさ!」
「導きの星協会の三等煌士だよ。おら見ろこの証を」
普段から持ち歩いている懐中時計にアクセサリーの如く取り付けた煌士たる証の紋章を見せる。
一つの大きな星を中心にして巡る星々の連なりを象った模様は見間違いようもなく煌士である証だ。
三等煌士以上が持つことを許される身分証明のようなものでもある。
平伏せ悪者よ。
「嘘つけ。あんたみたいなチンピラ顔した煌士なんかいるもんか!」
男子の面貌を足蹴にする奴に容赦してはならない。ちょっと音がするぐらいまで腕を捻った。
「痛い痛い痛い! 離せ馬鹿変態鬼畜! その男を守るなんてどうせ猟兵団の新顔か何かでしょ!」
なぜザシャを守るとどこかの猟兵団の誰かになるのか。
「お前が猟兵だろ。イオニア猟兵団。その首の象徴はあいつらのそれと似てるからな」
「冗談言わないで。私が猟兵、それもイオニア猟兵団⁉ あいつらは母さんの仇だ!」
「……それがなんでザシャを狙う」
「その男が聖樹の在り処をあいつらに売り払うって聞いたからよ!」
眉を顰める。こいつも声もでかいな。
いくら人のいない暗がりだからってこうキンキンと騒ぎ立てられちゃ誰か来ないとも限らない。
お前の知り合いかと確認しようとザシャを見ると尻を抑えたまま頬を染めて首を横に振った。どういう意味だそりゃ。頭痛ぇよ。眉を顰めちゃうよ。
それにしても聖樹の在り処ね。
この小娘がどこの誰かは知らないし、むしろ依頼人を殺そうとする敵だとしても、ちょっとは有用な情報を持ってるかもしれない。速さはそれなりだけど身のこなしが追い付いてない。今なら制圧可能。
そう判断した俺は雇い主様に判断を乞う。
「どうすんだこいつ。ぶちのめした方がいいのか」
「止めたまえ。未来ある子女に暴力を振るうなど僕の矜持が許さない。それよりもなにやら不幸な行き違いがあるようだから僕という快男児の素晴らしさを骨の髄までずずいっと知ってくれた方が誤解が解けるのじゃないのかな!」
快男児っていうか怪男児だけどな。
この女、口を開けば煩そうだし騒がれても困るだけだし絞め落として黙らせよう。うん、そうしよう。その後はまぁザシャにまるっと投げて任せよう。
さーて首から脳に至る管はどこかなと流れ作業気分で探ろうとしたらザシャが近づいてきた。
なんだこいつと見上げると高い建物。遠くに反射する光。きな臭い予感。
女を投げ出しザシャを引っ付かんで転がり続ける。
直後に地面に穿たれる小さくて黒い穴。一つ。二つ。三つ。そいつを尻目にザシャの首根っこを引っ付かんだまま駆け出した。
狙ってくださいと言わんばかりに人気はないがここ街中だぞふざけんな。どこのどいつだ馬鹿野郎なんて毒づいても状況が把握できるわけでも良くなるわけでもないので口には出さなかった。
「もしかして僕は狙われているのかな⁉」
「黙ってろ。舌噛んで精肉屋に提供されても知らないぞ」
「んっ!」
黙りますと言わんばかりに口を引き締めきりりと精悍な面構えをした。
「ちょっと置いていくなんてひどいじゃない!」
なんだその戯言は。俺の眉間に縦皺が寄るのも止む無し。ザシャを首ちょんぱしようとした女が何を抜かしてんだ。つーかお前何なの。狙ってきてるやつらの仲間じゃないの。
「わ、わ、わー!」
大げさに騒ぎよって。騙そうったってそうはいかんぞ。
狙われながら射角で狙撃手の場所を冷静に割り出すなんて出来る奴ってマジ凄いと思う。そんな余裕なんてない。建物の陰に方々の体で逃げ込むのが精々だ。
耳の中を走る血の音。早鐘を打つ心臓。どっちも煩い。ぶわりと全身から出てくる冷や汗の音すら聞こえてきそうだった。
狙撃はやばいまずい対処出来ない。たぶん高いところから狙われてるんだろうけどそれがなんだ。射手の数は。正確な場所は。相手の武装は。何にも分からない。ザシャが射殺されなかったのは幸運の賜物だ。
「もしかしてまずい状況かい?」
「もしかしなくてもそうだよ」
頭の中でこの場所から商館までの逃走ルートを思い浮かべてみる。人込みに紛れればいけるか。いやでもそこまで遠いし。さらにあいつらが民間人を狙わないなんて保障もないし。
頭の中でぐるぐると考えていると背の高い雑草が延び放題になっていた俺の危機察知能力に除草剤が撒かれたのか迫ってくる危機に体の方が勝手に反応した。
三人。頭上から。猟兵。逆さになった樹の象徴。ザシャを狙う。迎撃。
振り下ろされる鋭利な刃物を握る手首をそれぞれ右手と左手で掴んで引きずり下ろす。
頭から地面にめり込んだ。死んでしまったかもしれないがお互いそういう職業に就いてんだ納得済みだろう。民間人を傷つけようとする猟兵に手心を加える理由なんてないしそもそも遠慮なんかしてたらこっちが殺される。
「離せこの馬鹿変態!」
この世はとかく変態が多いらしい。
「彼女を助けてあげたまえ!」
三人のうちもう一人はあの女を羽交い絞めにして連れ去ろうとしていた。
本気で抵抗しているように見えた。そりゃまあ無言で拘束されちゃそうなるだろ。演技という可能性も捨てきれないがザシャを殺したいだけの一般人という可能性もまだある。それを一般人と呼んでいいのかは別として。
相手の頭に両足による躍動感に溢れた美しいフライングでドロップなキックをお見舞いしてやった。首から上が再起不能になったかもしれないがしれないが納得してくれ。
うん、今日の俺は調子が良い。実戦から離れてた割には体が良く動く。
「さあ逃げようかお嬢さん!」
「なんであんたが助けてくれんの⁉」
「紳士は何時如何なる時でも乙女を助けるべきなのさ! ラーメンを啜っている時でもトイレでお尻を拭いている時でも!」
そんな紳士に助けられたいと願う夢見る乙女がいるものだろうか。果たしてなく疑問だ。
「あんたイオニア猟兵団の仲間じゃないの⁉」
「ふふん。彼らの仲間になった覚えはないしなんなら命を狙われる間柄さ!」
「自己紹介は後にしろ! こっからどうやって逃げんだアホたれ!」
「任せたまえ。ここは僕の庭といっても過言ではない。そうそれは僕がまだ幼少の砌。女神すらも蕩かす紅顔の美少年だった頃の話さ」
長話に付き合ってる時間はないのでザシャを小突いた。
ちょっと様子見で顔を出すと音もなく地面に穴が開いた。狙撃はまだ続いているようだ。撃退されたのが意外だったのか追撃がないのが助かる。ただこのまま時間をかければいずれまた来るだろう。次も凌げるとは限らない。ザシャはどうするつもりだ。
ついてきたまえと建物の壁を遮蔽物にして自信ありげに歩いて行く。女も文句を言わずに黙って付いて行く。俺は殿で二人を視界に入れつつ何かあったら即座に動けるように警戒中。
鉛玉に尻を掘られるのが好きなのはザシャだけだ。
入り組んだ道を少しずつ進んで行くとザシャが得意げに振り向いて地面を指さした。そこには地下へと向かう穴を塞ぐ蓋があった。
下水道。
ラティエラは度重なる区画整理によってその下水は半ば迷宮のように化しているとかそんな噂があったがまさか自分の身で体験することになろうとは。
ザシャの方向感覚に対する不安よりも身に迫る危険の方がより不安。
蓋を開けてその中にザシャと女を急いで放り込んだ。悲鳴が上がった気がするけど気がするだけなので気のせいだ。
俺も穴倉に身を潜めてしっかりと蓋を閉じてから飛び降りる。
底では二人が尻を抑えて摩っていた。俺の知らない間に仲が良くなったようで何よりだった。
地下で光の差し込む場所なんてない。ぼんやりとした薄緑色の誘導灯だけを頼りにして進むのは随分と勇気と根性が必要そうだった。
別種の白い光が宿った。ザシャのベルトのバックルからだ。
「ふふふ、冒険家七つ道具の一つさ。格好いいだろう。取り外し可能で取り回しも良好さ。寿命が短いのが難点だが目的地までは持つだろう。ふふふ、格好いいだろう」
鼻息荒く繰り返される格好良さへの言及に同意するのは難しいが助かるのは間違いない。
こういう薄暗くって湿った場所は魔獣が住み着いたりするがラティエラはその当たりしっかり対応してそうだし大丈夫だよな。
ザシャは迷う素振りもなく進んで行くからそういった方面への危険はないのかもしらん。
「あんたたち一体なんなの」
しばらく無言で進んだ先で女が言った。
「それはこっちのセリフだ。お前が一体なんなんだ。なんでザシャを狙う。こいつはアホたれだが比較的善良な民間人だぞ多分。小娘につけ狙われるような真似したのなら別だが」
「失敬だねカナタくん。僕は僕の紳士道に誓って恥ずべき汚れも染みも持ち合わせていないよ。ほら見てごらんこの曇りなき眼を」
その眼は不気味に淀んでいた。この薄暗がりで顔を照らすんじゃない。ただのホラー画像にしかなんねぇから。
「そいつが聖樹の在り処を猟兵に売るって話を聞いたから……」
また聖樹が出てきたよ。
「確かに僕は聖樹を探しているけれど見つけたわけでもないから在り処を誰かに教えたり売ったりなんてのは出来ないよ。それよりなにより僕が聖樹を探しているなんて話はどこで聞いたのかな。一応、秘密のはずなんだけれど」
「ザシャって冒険家が聖樹の在り処について知っているとか在り処を売るとかって話を情報屋から買ったんだ」
「それを頭っから信じ込んであの凶行に至るってか。考えなしすぎないか」
「その話の出所がどこだか気になるね」
「一応、部外者には秘密にしてるはずだろ。お前その話どこで聞いた」
「どこってここでだけど」
俺とザシャは顔を見合わせた。相変わらずのホラー画像に淀んだ目で以心伝心俺たち言葉にしなくても伝わっちゃうぜとはいかなかった。
色々と気にかかることはあるが一旦、置いておくか。こんな所で長話なんざするもんじゃない。空気淀んでるしいい考えなんて出てくるわけがない。
それに襲ってきた奴らが諦めたとも限らないのだし。こんな狭く長い通路で離れた場所から銃でも撃ってこられちゃ堪らん。こちとら飛び道具なんざ悪口雑言程度のもんしか持ってない。
「人の噂に戸は立てられないということだね。家人たちがどれだけ注意深くしていたとしても出入りの客人や業者から情報はどうしても漏れてしまう物さ」
「……本当にあんたは聖樹の在り処について知らないの?」
「今のところはね。だが近いうちに世界は知ることになるだろうザシャ・シュラールという一人の人間の伝説譚の輝かしい一幕を! ああ、舞台化映画化してしまったら有名俳優ではなくこの僕自身がキャスティングされなければならないね!」
「分かるだろうがこいつはかなり高水準のアホたれだ。そんなアホたれは秘密の情報を誰かに売って小金を稼ごうなんて狡い真似はしない。しようと考えられるような頭の作りをしていない。お前がこいつに害を加えるつもりがないのなら黙ってこいつに付いて行け。命だけは助かるだろうよ」
その後、拷問という名をした尋問的なあれこれをされるかもしれないがそれは俺の知ったこっちゃない。自業自得。誤解で殺そうと襲い掛かってきたんだ。そこにどんな理由があったって弁解の余地はない。素晴らしい温情措置と言えるだろう。
その後、下水に潜む大型ワームにザシャが食われそうになったり服が解けていく粘液を小娘が受けたり、腐敗しかけたネズミの群に遭遇して危うく齧られたりとちょっとした小冒険みたいな出来事はあったものの、概ね何事もなく順調に目的地まで進めた。
「ようやく着いたね!」
「俺は早くここから出たい……」
俺ら全員が酷い見た目になっている。きっと臭う。中年の加齢臭よりもケバさ満開のおばちゃんよりも臭い。
出口となる蓋を開けると星々を従える夜空が出迎えてくれた。やっぱり人間は空と大地の狭間にこそ生きるべきなのだ……。
さて、ここはどこだと辺りを見回した。
「あん?」
ハルがいた。傍らにはレイもいる。
ちょうどレイの喉を良くするためのまっずい飲み物を飲ませてようとしてた所だ。
初回から現在に至るまで色々と配合を変えて試しているがレイの喉は良くなっていない。そして味の方は千差万別で当たりの日も外れの日もある。統計的には大外れの日が良くある。
二人とも腰に手を当てて一気スタイルだったのだが俺たちを見つけて動きが止まった。眉を顰めて俺達から遠ざかろうとしている。まるで見知らぬ誰かに、それも出会ってはいけない類の何者かに遭遇したみたいだった。
「ち、近寄らないでください……」
しかもちょっと怯えている。あれでかなり度胸のある奴だ。いったい何に怯えてるってんだ。
『やあ。ちょうど商館の庭に出られたようだね。僕の方向感覚と距離感覚。空間把握能力も大したものだろうと証明できたね』
ぞろぞろと出てきた二人は空の下へ出られた事実に感動と解放感を覚えているのか興奮気味だった。
特にザシャなんかは喉の奥に何か詰まってでもいるように近くにいる俺でも聞き取りづらい言葉を口からもぐもぐ吐いていた。汚水も吐き出していた。
いやー、分かっちゃいたけどきったねぇなぁこいつら。俺が出会っちゃったら即座に逃げちゃうね。
『おお、ハルくんにレイくんではないか。ここで出会えたのも何かの縁。さあ、一緒にお風呂に入ろう』
そんなたわけたことを抜かすザシャの頭を叩いた。隙と言えば、これは結構な隙だろう。もしここに本当に化け物がいるなら逃げだすまたとない好機だろうな。
「化け物が出ました! それもとんでもなく臭いのが地下から臭いのが!」
そしてハルはレイを抱えて颯爽と逃げ出した。素晴らしい逃げっぷりに感心せざるを得ないが聞き捨てならない台詞もあった。
化け物。
どこだと顔を見合わせる俺たち。
「「「化け物ー!!!」」」
俺たちは互いに互いを指差して三者三様に罵って逃げ散るのだった。
「「「クッサー!!!」」」
そして人としてあってはならない香りを発していたことも忘れられない。
生涯に渡って失われそうにない重く苦しい悲くそして臭い記憶になりそうだった。