43
ラティエラの夜。
愛はないかもしれんが肉欲だけは霜降りまくられたラティエラ牛のトップヒレ肉のごとくあるはずなのに、俺は松葉杖を右手に装備し、俺の給金ではどう足掻いても手を出せない「独身貴族ー行き遅れ」というなんだか世知辛そうな酒を左手に、眼前には「やもお&やもめ」とかいうジャーキーの一種でそれはそれは辛いつまみがおかれている。これがまた合うんだわ。酔いどれになりそう。
これはこれで良いなのだが折角の観光地。健康的男子として夜の街に繰り出したいという思いがある。だけれども五体満足なわけではないので致し方なしにむしゃむしゃと飲み食いするしかあるまい。
商館のテラスから夜景を眺めながらそんなことをつらつらと。
「遊びて~」
そこにはまだ見知らぬ美少女美女たちが一夜限りの愛と快楽を求め、そして今日のパンツも剥かれる覚悟決めた賭に狂った愛すべき馬鹿野郎どもが我先にと自分の墓標に借金という添え物を刻み込んでいるのだろう。
なんという我が身の不甲斐なさ。この憤りを放つべく思わず身を投げ出しちゃいかねないな。
「何言ってるんですか。まだ治りきってないないでしょうに。それなのにお酒まで飲んで」
婆さんが用意した東世風のキモノとかいう衣装に身を包んだハルのありがたいお小言である。
「だからちびちびとしか飲んでねぇんだよ」
ラティエラに戻ってからというもの、怪我が治るまで自分が面倒を見ると言って憚らないハルが今日もまたお小言を繰り出してきた。
面倒を見てくれるのはありがたいがそこに変な責任感がついているのがちょっとね。今回は自分のせいで怪我をさせてしまったとかいう負い目からだろう。そんなわけねーのだが。むしろ助かったのは俺の方なのだが。
割と何でもかんでもやってくれるのでついついイケないことまで頼んでしまいそうだ。妄想の中まで規制をかけるほど四角四面とした性格をしていない。
ああ、子供生んでもらいたいとか思ってしまったことも忘れていない。流石にあれは自分でもどうかしてるの極みだが。
あの時の興奮や高揚は今はさっぱりない。だけども覚えてしまった獣欲は爪痕を残している。ぼーっとハルを見ていると押し倒してぇとか血迷ったことを考えたりもする。
それを知らんだろうこの女は距離近いんだわ。良い匂いとかするんだわ。レーヤダーナがいる限り、俺がハルに何かイケないことするとかありえんが。
「どうぞ」
酒を注ぐ器に酒がちょっぴり注がれる。おちょこというらしい。この大きさではどうやってもちびちびとしか飲めない。酒瓶本体はハルの管理下に置かれている。盗ろうとすると怒る。お小言もついてくる。
酒臭かろうが青色をした吐息である。そしてそれは俺もハルも同じだった。
「辛気臭い顔で酒注がれてもあんま美味くねぇんだわ。で、何を話したい」
「覚えてたんですね。話を聞くっていうの」
「俺からした約束だからな。約束は守らんとな」
「私、あの人、ヘルダルフを殺せるって、殺してやろうって思ったんです」
ああ、聖樹から突き落とされそうになった時か。
「お前の啖呵なかなか良かったよ。誰をも見下しているのに自分だけは見上げられたいなんておめでたい頭だ。そういうやつを裸の王さまって言うんだろ」
「う……。茶化さないでください。というか聞いてたんですね」
「要領は良く分からんが勢いはあった。総じてかっこよかったな」
「あぁぁぁ。ベッドの上で毛布にくるまりながら眠っていたい丸まっていたい」
笑った。
「まあ、誰かを殺そうと思ったり考えたりするのは、状況次第で割となるもんだ。俺なんか無理な工数押し付けてくるちびハゲの現場監督やらムカつく嫌み上司にいつも殺意抱いてるもん。キレ散らかしてるもん。ハゲ散らかしそうだもん。普通普通。あん時のお前はちょっとらしくないとこもあったが概ねまともだろ。あのクソ野郎の言うこと聞いて大人しくしたんだろ。俺なら秒も保たずに暴発してるわ」
「普通ですか……」
「それにお前は結局殺らなかった。殺れなかった。それならそれでいいだろう。人を殺すことでしか事を為せないような人間に成り下がる必要はない。人殺しの手管に長けてるのが何の自慢になるのやら。そんなもんより美味い飯を作れたり誰かの面倒見たり、ガキを泣かせずに寝かしつけたり出来る方がよっぽどすげえわ」
「二日酔いの薬を煎じたりですかね」
また笑った。その通りだからだ。
やる必要のない奴がわざわざ手を汚す。そんなもんはなるべくない方がいいに決まってる。ただ殺るべき時は、自分が覚悟して納得した上でってしないと、後々まで引きずるかもしれん。そこはもう本人の責任でどうにかしてもらうしかねぇのだが。
「ありがとう」
「あいよ」
会話は一段落ついたようだった。
と、ハルのおちょこの中身が空っぽになっているのに気づいた。飲み口の縁を所在なさげになぞっている。これはきっと、わいにももっと飲ませろという合図に違いない。
婆さんがわざわざ誂えたとかいうなんか高価そうな髪飾りがしゃらんと音を立てて揺れた。
「瓶を寄越こしな。注いでやる」
「私あんまり飲めないですよ、きっと」
「お前も女だろ。変な男……女もか。まあ飲まされても大丈夫なように自分がどれだけいけるかは把握しといた方がいいぞ」
世の中、酒に酔わせて合体したいとか考えるろくでもねぇ男やら女やらどちらでもない奴らが溢れてるからな。特にこいつは顔面偏差値高めだし隙もほどよくある。
「あぁ、まぁ、そうですねぇ」
ふふん、あわよくば。あわよくば酒瓶を俺の手元に引き寄せるという姑息な作戦が成功した。
ハルは難しい顔で、飲むべきか飲まざるべきか、それが問題だとでも言いたげにじぃっと、それこそレイみたいにおちょこを見つめる。かと思えばちらちらと俺を見て「はぁ~」とクソでかくて色気の欠片もない悩ましげなため息。失礼しちゃうわ。
小さな戦果の満足感も散ってしまうというもの、お酒の席に失礼千万。ここはいっちょ、説教かましてやらんとな。今後、もしこいつが誰かと一緒に飲むのなら、もしそれが労り憩う場であるのなら、そんな辛気くさいため息など言語道断である。
意気込み口を開こうとしたらハルがなぜか一気に飲み干した。馬鹿だ。馬鹿の飲み方だ。小さな満足感は呆れに塗り替えされてしまった。開いた口から顔を除かせた説教は咽の奥へと引っ込んでしまった。
「……きっつぃ」
「俺みたいにちびっとずつ飲めよ。俺らのアルコールの分解が速いつっても個人差があるからな。慣れてないならなおさら」
「カナタさん」
「あん?」
珍しく俺の方が小言ちくちく出来る番かと思えば然に非らず。
「瓶を返してください」
「は?」
「返しなさい」
なぜ上から目線。
そんなこと言われちゃぁしょうがないなぁ。はい、お返ししまちゅーと行儀良く返せる俺ではなかった。
「やだ」
「やだってそんな子供みたいに。返してください」
「やーだよ」
「腹の立つ顔文字みたいにならないでくれます。いいから返しなさい」
冷たい金色の目が告げていても、うんとは簡単に頷かない。
普通の奴らならびびってすんませんと謝るかもしれないが、その目で睨まれた回数の暫定一位に座するだろう俺に通用するかってんだ。本気の本気ならともかくな。
「凄んだって無駄だぞ。欲しいなら奪い取れやケケケのケー」
「あ、レイちゃん」
なぬ。
意識を移した瞬間を狙っていたのだろうハルが身を乗り出して瓶をつかもうとする。しかしそんな機敏に動けるわけでもないので俺の方が早かった。
ついでにレーヤダーナが現れたのも本当だった。いつも通りにぼんやりと。まだ見慣れない分厚い眼鏡をかけて。ハルとお揃いのキモノを着て。
「失敗ですか」
良い作戦だったけどな。
俊敏さと反射面は人並み程度。持久力はそれなり。身体能力という点では普通という枠からはみ出さないやつである。
「怪我してるっつても言えお前にゃ負けんよ」
「む……」
まあ、その怪我の治りもいつもよりどこか鈍いのが気がかりなのだが。これって種を食ったことの後遺症とかじゃあないだろうな。医者の見立てでは健康的にすぎる若い男子の体だよ実に羨ましいねと私も若い頃は君と同じように毎晩毎晩そりゃあ励んだものだとどうでも良すぎる話をしてくれたが何を励むと言うのかこの俺が。
「本当に渡さなくてもいいんですか」
なんだその見透かすような目玉は。なんだその脅すような言い方は。なんか裏にあんのか。なんかやばいことしたっけ。迷惑なら色々かけてるかもしれんが、本気でやばい案件には関わらせていないはず。
普段の俺ならそう下手に出られてもまだ我を張るなんてのはしないのだがなんとなくこの時は違った。特に深い理由はない。強いて言えば体を動かせずにストレスが溜まっていたぐらいかもしれん。
「断る」
「……そうですか」
そしてあんだけうるさかった割にあっさり引き下がるハルだった。何がしたかったんだ。情緒不安定なのか。
酔っ払いってわけじゃないよな。顔色は変わってない。目が座ってるわけでもない。怪しいのは言動だけで呂律が回ってないわけでもない。視線はどこか俺を観察しているようだった。
「お前さぁ」
さて、何を言うべきか。自分でも分からんままに口を開いたのだが結局、言葉は形にならなかった。
「カァヌァタゥァくふぅん」
赤ら顔の見本みたいな野郎が酒の入ったグラス片手に機嫌良く、けれど座った目で、ついでに怪しい言動と回ってない呂律、さらに千鳥足で近寄ってくる不審者がいた。ザシャだった。
「散れ、去れ。話中だ」
「いついかなる時でも僕がみんなのアイドルでありどこにいっても注目の的子ちゃんであるのは普遍にしてこの世の定めであることはいついかなる時でも変わりはないけれどもだがしかし天性の生まれ持った輝きを宿しどこにいっても注目の的子ちゃんである僕は孤独と憂いを抱えるそんなか弱い一面もあるだなんてああそんな女神さま欲張りセットすぎませんかありがとうござましたということもあるのだよ!」
何を言ってるのか分からないし何が言いたいのかも分からなかった。
そして、俺はこの一見戯けたように見えてその実やっぱり戯けた男の言動に一々動じなくもなっていた。これが人の成長というものである。物悲しいな。
やたらと胸をはだけさせ、やたらと袖やら襟やら胸元やらにビラビラした布を張り付けて、やたらとキラキラした光沢を持った、俺だったら着てしまったら最期、あまつさえ人前に姿を晒してしまったら、二度と世間様に顔向け出来なくなる有り様の格好だった。
「ふふん、ザシャ・シュラールによるディナーショーは大・成・功! もうお色直しも五回を越えてなお更新中さ。二人にも是非とも出演してもらいたかったところだよ。今をときめくアイドルたるこの僕の大冒険を手助けしてくれるたくましく勇ましく猛々しい立派な若者に彼を支えるうら若き魔女の乙女そして聖樹と因縁を持つ若さ溢るる謎の少女。レイちゃんくんはダメだよ今をときめく僕ですら気になるあの子の前では女神を前にして跪くか弱きも篤き祈りの信徒のようになっていまうからね。みんなの視線をとられてしまう僕は嫉妬と羨望の念を禁じ得ない!」
うるさい。だいたいお前、いつアイドルになったよ。
「だがしかぁーし!」
うるさい。
「君さえ望むのなら僕が君の奴隷になっても構わないつまりは愛奴隷! さあお互いこの世の生まれおちたときのように一糸纏わぬ姿となって暖めあおうじゃないか脱ぎたまえむしろ脱がせてあげようじゃあないか!」
「うるさーい!」
蹴った。
そしてそれ以上喋れないよう口の中につまみを詰め込んでやった。
お子ちゃまになんて戯けたこと抜かしやがるか。冗談でも許さんからな。いやマヂで。
「ふんぐるいふぐるむなふ!」
やっぱり何を言っているか分からないがなんだか良くない神さまでも呼び出しそうな言葉を発するんじゃあないよまったく。
レーヤダーナの手を引っ張って危険人物から遠ざける。
こんな風に大冒険を終え、誰も発見できなかった聖樹の都に辿り着いたザシャ・シュラールはラティエラに戻るなりその自績を各方面に展開し、その名声を再び高らしめた。
当然、本当の聖樹の都への道は閉ざされたままだし、そもそもあの都がどこに存在しているのかなんて俺にもザシャにも分からない。ヘルダルフとの人外じみた戦いの余波で残っていた聖樹文明の遺物も多くがおじゃんになった。
あの地で目にした多くの技術は現代文明に還元されないだろう。また、残されていたとしてもそれを理解し、実用出来るかと言ったらまあ無理なんじゃねぇのと。
ただそれで良い気もするな。あの都市で見聞きしたものはまだまだ俺ら今に生きる人間が手にして良いもんじゃない気もするし。大樹の巫女。生きた人間を機械の装置にしてしまったり。不死の人間を作り出してしまったり。昔の人もろくな使い方してそうになかったんだから俺らもきっとろくな使い方をせんだろう。
なんにせよ俺がどうこう考えたりするこっちゃないな。こういうのはザシャたちに任せておけばいい。
「で、巫女さまから頂いた聖樹の過去が記録媒体みたいなのは使えそうなのか」
ザシャが巫女さまから受け取った装置である。すっかり存在を忘れていたのだが結局どうなったのか。戻ってきた直後に解析にかけるとかなんだとかいっていたが。結果如何じゃあもしかしたらなんか人間にとって役に立つ情報なりなんなりが残されているかもしれない。
「あぁぁぁあれはねぇぇ」
苦みばしった顔。
たまたま口にした果物の断面に千切れた虫の幼虫が、それでもまだうぞうぞと生命力を発揮している胃の中絶賛半分仮住まいみたいな凄まじい形相だった。
「使えないよ」
ツィラの婆さんが期待はずれそのもの、呆れ三割の失望六割で残りの一割が虚無といった配合の、冷えきった声で登場した。
「あたしゃこれでも人間の文明文化、技術技能にゃあそれなりに投資させてもらってんだ。そいつは一重に今よりも発展したより良い未来が来るはずだと信じているからさ。過去の、それも聖樹に残されていた記録を紐解けばそりゃあ世界がどれだけ歩みを進められるかって喜び勇んでみたら結果はこうさ」
怒り心頭で努めて口調を押さえている感じ。
俺程度にそれを悟られてるんだから相当頭にきてんだろうな、というのは伝わってくる。
「なんでだよ」
「僕のプリティかつキュートでフローラルなお尻で押し潰しちゃったのさ、てへ」
なんでだろう。俺がなんか損したとかそんなもんはないのにかなりムカッときたぞこんちくしょう。
「怒っちゃいやなのさ、てへへ」
両手の人差し指を頬で指差し、媚びッ媚びのぼきゅは悪くありませんごめんちゃいなポーズに、怒るというよりも虚無の気分が心を支配した。
婆さんとは美味い酒が飲めそうだった。
「あの装置についてはまあ、このバカがどうにかするだろうよ。同じような規格さえあればもしかしたら解析出来るようになるかもしれないからね」
「そのために、僕は聖樹の都と同じような文明を持つ古代遺跡を見つけるための出資者探しの真っ最中なのさ!」
「だから主役がこんなとこで油を売ってんじゃあないよ。せいぜいバカを晒さないようだまくらかして金をせびってきな」
「了解だよ。ふふふ、世界の誰よりも誠の宿る説得と世界の誰よりも美しい底無しの笑顔にかかれば財布の紐どころかパンツの紐すら弛めるどころか断ちきってしまうだろうね! すっぱりとずり下げてこようじゃあないか! では、愛しき友たち! 見果てぬ夢の為、行ってまいります!」
やつはやつの進むべき道を探し、あるいは舗装するために駆け出していった。
俺らはそれを、何を言うでもなく、というか何も口を挟めないまま見送った。
あの竜巻めいた行動力は多少は見習っても良いのかもしれない。でも自重するところはちゃんとして欲しい。せめて一般常識の遵守という精神を育まなくてはならない。
目線の先には巫女さまから貰った蒼い花を飽きることなくぼんやり眺めているレーヤダーナがいた。
「ガキんちょの飲み物がないから取ってきてくれ」
婆さんの片目がピクリと動いた。
「ああ、そうですね。では行ってきます」
かつん、とブーツのかかとを鳴らし、でっかい帯留めとかいうアクセをどこかにぶつけないかと気にしながらハルが行ってくれる。
「で、婆さんよ」
「なんだい青年」
「あんた聖樹の民の生き残りなのか」
にやりと笑う。ちょっと怖い。
「どうしてそう思う」
「ザシャにもあった。すっげぇうっすらとだけどな。多分、あいつの両親の片方ぐらいはそうなんじゃないか」
思い出したくもないが、あいつの尻にあった。俺の気分を害するしか役に立たないあの記憶を削除する方法を痛切に知りたい早く消し去りたい。
で、そのあいつと一緒にいる婆さん。ダチの息子だから面倒を見るってのもあるだろうが、あいにく俺はそこになんかの理由があると穿ってみるような奴なのだ。
それにハルへの態度がちょっとな。露骨というか。ハルは毎回遠慮しているが婆が若い娘を着飾りたいだけの気分でぽんぽんと高い服を買い与えたりするもんなのか。若い娘だったらラニーだっていいだろ。なによりちょっとの良識があればそんな真似はせん。それが金持ちの気紛れ、道楽と言われればそれまでなんだが。
「正解だよ青年。聖樹が倒れた今となっちゃあなんの意味もない出自だがね」
袖をまくるとそこには確かに聖樹の印があった。
「商会に勤めてる大半はそうさ。薄い濃いはあれどみんな同じ血で繋がった一族なのさ。それを確認する為に巫女さまを遠ざけたのかい」
「別に聞かれても良かったけどな。自分が良くしてもらってるのは『巫女だから』なんての聞いてにこにこ笑顔にはなれんだろ」
あいつの面の皮が厚いのは基本的にレーヤダーナに関わるのなら、だ。自分のことについてはむしろ遠慮する方で、それが周りの為になると説得しないといかん。
「分かっちゃあいるんだがこればかりはどうにもならないみたいだね。聖樹が失われてもあたしたちの血肉に刻まれっちまってるみたいだ。巫女を助けろ、巫女を支えろ、巫女に捧げろってね。あたしはまあかなり濃い方だからね、せずにはいられないのさ」
「嫌々やってんのか」
「私は宿命なんて言葉は嫌いだ。人間の意思や選択、その責任を軽くして思考を放棄させる。その一方で、これはこれでいいんじゃあないかって想いも少なからずある。巫女さまに会うまでは欠片もなかったがね。それに支配されている今も悪くない」
「要するに?」
「心持ち一つで変わるもんさ。結論、私が良いと思えばそれで良いってわけさ」
柔軟性に富んだお言葉である。
「そんじゃあ私もあのバカの客の相手せにゃあならんのでね」
また当分くたばる予定のなさそうな婆さんは痛くもないだろうに腰を叩く。
「巫女さまはこの先、色々と難儀するだろうよ。魔女の瞳にエリスの怪物もいる。あんたは信頼されてるようだ。あんたが助けてやるんだよ。私も影ながらに援助はするがね」
こちらの返事を聞かないまま婆さんは颯爽と去ろうとする。
「ああそれと、今回の件。セヴェロ・エイフレットついてだがね。彼と思わしき遺体が見つかったそうだよ。彼の自宅で。ここで謎だ。あんたらの前に現れたセヴェロって男は何者だったんだろうね」
「………」
「これはあたしの勘だが、確信をもって言える。あんたら、ろくでもないやつと関わっちまったってね。だからこそ、巫女さまが心配なのさ」
「嘆きの影ね」
ザシャから聞かれさた中年オヤジの最期の言葉。
「おっと、そいじゃあ、婆はこのへんで戻るとするかね」
というか、ハルが戻ってくるのを見計らってたなこれは。
なんか高そうなリンゴのラベルが貼り付けられた瓶を持ったハルを見た。
いつも助けられてるのは俺の方なんだけどな。俺がこうして酒を飲んでいられるのも、まだ生きていられるのも。
そのハルの背中に隠れるような、ラニーの姿があった。
ヘルダルフの最後の瞬間から話をする機会はなかった。機会を作ることは出来たが俺から殊更に言うことなんてない。やるべきことをやっただけだから。
それになにより、ラニーが俺を殺しそうな目で見てたからな。面倒なことになるのは避けられそうになかった。そしてそれを受け止めるような甲斐性も俺にはない。
話をするべき、とは誰も言わなかった。まったく、誰も彼も厳しくもお優しいことで。
「ほらラニーさん」
「う……」
背中を押し出されたラニーがらしくない難しい顔になっている。引き結んだ唇はむっつりとしていた。
「あーっと、怪我、結構、治ってんじゃん」
「他のやつらもよりもちょっぴり頑丈なんだ」
「えーっと、あたしツィラ婆さんのとこで雇ってもらえるみたい」
「そりゃ良かったな。その歳で根無し草はつらいからな。寝床があるのはやっぱ安心感が違うからな」
それからなんかもじもじしている。
端的に言って、気色悪い。なんか言いたいことがあるんならまとめてから来ておくれ。
「ごめん」
なんのこっちゃと空惚けられたらいいのだが、あいにく突発性の痴呆症にかかる術を知らない俺は、それがなんなのか察しはつく。というか、それしかない。
ヘルダルフを撃ったこと。頭に一発だけで良かったのだがついつい胴体の方にも撃ってしまった。そちらは外れたのだが。
「土壇場で怖じ気づいた。これから先なにをして生きていこうとか、そんなのは終わったあとでも全然考えられることだったのに」
「あんだけしぶとくてしつこい奴は初めてだったからな。なんかやらかすだろうとは思ってたんだわ」
「そうだけど。そうじゃなくて。謝ってるのはその後のことで。あんたを恨んだ。逆恨みした。あいつはあたしの仇だったのに横取りされたって」
「長年、それこそお前の生涯分ぐらい付け狙ってたんだろ。そりゃ逆恨みもするし怒りもするだろ。だから謝る必要はない。逆恨みして当然だ。つか、しろ」
「露悪的」
「あん?」
「あいつを殺すとこだった。あいつを殺させてしまった。自分に対するムカつきとか、不甲斐なさとか安心とか色んなものがぐちゃぐちゃになって爆発しそうになったけど今は落ち着いてる。たくさん寝たからかなー」
「落ち着いて自分を考えられるようになったんなら上等だ。それでお前はどうしたい。内容によっては付き合ってやらんこともない」
「んー……。後悔はしてるよ。もしかしたら一生引きずるかもしれない。だけどこれで良かったんだって思いたい。思えるようにこの先を生きていきたい。どうなるか分かんないけどさ。だってあたしにはもうなんにもない。家族もない。因縁もない。あいつを付け狙って生きていくとか後ろ向きな生き方もない。でもそれってつまりなにをするにもあたしの自由ってことだもん。これから先は全部があたしの責任だ。だから、あたしのやりたいようにやってせいぜい胸を張ってひしゃげないように生きてきたい」
ラニーの表情は、恨みがましくないし晴れがましくもない、つまりはいたって普通でなんの気負いもないように見えた。
まあ、こいつ本人が納得して決めたんならそれでいいんじゃないか。
「この後どうすんだよ婆さんのとこで働くんだろ」「ザシャの監視っていうか手伝いっていうか冒険者見習いっていうか」「ちょっと楽しそうですね」「あれの面倒見るのが目的だろ」「不安すぎるんだけど」「人を麻痺させるお薬とかありますよ」「お前はまたそういう」「是非いただきます巫女さまあるだけ全部」「巫女さまはやめてください」「あとお爺ちゃんの家にも帰らないと、聖樹の文献とか巫女さまについてとか残ってるかもしんないし」「そいつはザシャに教えてやんな」「もし残されていたのなら私にも教えてもらえると」「この星の誰よりも真っ先にお伝えすることを誓います」「そうそうツィラさんも聖樹の民なんだって」「知ってた」「そうなんですか」「あたしめっちゃ脅された」「あれ爆笑」「笑うな」
これまでの話。これからの話。心温まるようなものでもなかったが、少なくとも前を向いてはいるんだろう。後ろ向きな話よりはよっぽどマシだろう。
色々と話の種は尽きないがそれもお開き。
ちびっ子が限界を迎えていた。
より一層とぼんやりした目玉のレーヤダーナだがずっと変わらず蒼い花を見つめている。流石に眠そうという雰囲気ぐらいは俺でも分かる。
ハルがレイを抱えて部屋まで連れて行く。
「今回は疲れた。しばらく引きこもりてぇ」
「そうですね。色々、ありましたもんねぇ」
実感が籠りまくりだった。
巫女だなんだと持ち上げられ囃し立てられ実際に巫女だかだかなんだかだったわけで。
そのせいで攫われたり殴られたり都合の良い駒にされようとしたりとあったのだ。そりゃあそうなるわなぁ。
「俺としちゃああいうクソ野郎とは二度とやりあいたくないね」
「もう、言葉遣い。レイちゃんが真似したらどうするんです」
「ガキんちょがクソ野郎の真似するより遥かにマシだろうよ。あれは子供が見習っちゃならん最たるもんだ」
自分だけで世界が完結してんならさっさと自殺でもして終わらせろとまでは言わないが、誰もいない離島かなんかで野生に返って生きてくれたらいい。
それじゃあ人間的な生き方が出来ないじゃないかとかクソたわけたこと抜かすのならそもそも人間として生きていくのが間違ってんだわ。
実際に、人間として生きていくなら他人との、世間との、社会との交わりは避けられん。そこには摩擦があって齟齬があって軋轢がある。
勿論、相互理解だったり歩み寄りだったり手を繋いだりとかもあって、喜んだり悲しんだり怒ったり憤ったり色んな気持ちや心が生まれて育って、他人という異物への接し方、対処、受け入れる方法だったりを学んでいくもんだよ、きっと。
それをあのバカは自分の力で思い通りに、思うが儘に、自分にとって都合良く、他者の都合など知らず介さず、やりたい放題やっちまった結果があの最後だ。
誰の理解も必要とせず、誰の手も必要とせず、最期まで自分一人で閉じたて野郎の終わり方。
「おいガキんちょ」
ぷにぷにと、ほんのり肉のついた頬をつっつく。
尊大な猫のようなに、視線だけが俺を向く。
「お前もさぁ。今は俺らみたいな近い奴らとだけしか関わっちゃないけどよぉ、そのうち見知らぬ社会に放り込まれる瞬間が来るんだぞ。いつまでも無関心無感動じゃあいられねぇのよ、分かってんのかね」
ほっぺぷにぷに。ほっぺぷにぷに。
誰かと関わって、誰かを知って、そうして自分を作り上げ、自分を知っていくのだ。
それが普通の人間として生きていくってことだろう、きっと、たぶん。
そうしていたらハルが吹き出した。
「いえ、また顔をしかめてもっともらしいお説教をしているな、と」
なんだ。それの何がおかしいんだ。
社会的常識の基本といえばこの俺を中心に回っているのだ、笑われる要素など皆無のはずなのだが。
まあ、笑ってるならいいさ。文句を言うのも疲れるし。見せられる方もしかめっ面されるよっかよっぽど良い気分で眠れるだろうよ。
それがきっと区切りだった。
今回のお仕事、これにてお仕舞い。それぞれの終わり。それぞれの始まり。
願わくば、レーヤダーナの未来がより良い方へ向かいますように。決してあのクソ野郎と同じになりませんように。
「そういえばお前さ。なんで今回あの村に行くとか言い出した。それがなけりゃあ大冒険に巻き込まれずに済んだかもしれんのに」
「聖樹に纏わる伝承にどんな傷でも治るっていう花の話がありまして。眉唾物ですが本当に存在するのならこの子の喉も治るかなぁと思いまして」
「どんな花なんだ」
「えっと、それは女神の恩寵。彼女らの慈悲により生まれ、この世のものとは思えぬ香気を放ち、如何なる名花も敵わぬ神性が込められた楽園へと誘う花。その蜜は如何なる傷もたちどころに癒すだろう花、です」
「ほーん。見つけられたのか」
「聖樹もあったんですからもしかしたらどこかにあったのかもしれませんが」
「失ってしまった聖樹の在り処。手を伸ばしても届かぬ桃源郷ってわけだ」
「残念ながら」
「色は」
「あ、蒼です。とても深い、底知れない蒼……」
深い、蒼。
俺とハルの視線は自然とレーヤダーナが大事そうに握っている蒼い花へと。そしてやはり自然と目が合わさった。
ぼんやりとしているレイが、目を眇めてくるくると花を回した。
慈悲深い、蒼。
「もしかしたらこれか」
「そうかもですね」
「間抜けだな」
「そうですね」
「どうするよ」
「どうしましょうね」
「今日は、もう、寝ちまおうや」
「いいですねぇ」
しまらん。
ま、俺ららしいっちゃらしいのかもしれんな。
とりあえず今日は寝ちゃおうやの精神を発揮。今日やらなくとも明日はやれる。きっとそう。そうしよう。
そうやって、厄介ごとを後回しにし、どこにでもいる人間らしく、風変わりな大冒険は幕を閉じたのだった。
「あ、レイちゃんの傳人。お引き受けします」
……お前、いい加減にしろよな。
最後までグダグダなまま、俺らの今日は終わりを告げるのだった。




