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 頭がのぼせている。茹で上がっている。


 ヘルダルフと殴り合った時のような目の前が真っ赤になるそれではなく、これから巨大な敵をぶん殴ろうという気概に含まれる高揚のような浮足立つ気持ちでもなく、起きているはずなのに夢見ているような浮揚感と浮遊感。


 まるで俺が俺じゃあないみたいな、そんな感覚。


 奇妙に色褪せた現実の中で異彩を放つのが異形と化したヘルダルフ。その姿だった。


 全身からやつの在り様が這い出したかのような思念とでもいうのか。抑えつけ、這いつくばらせ、踏み砕き、支配する。俺に従い尽くせと傲慢な意志が見たくもないのに見えてしまう。


 その具現がここら一帯を食い荒らしては腐らせていくという所業。そうしてなくは己を保てないって理由もあるんだろうが、それ以上に目に見えるすべてが俺のものゆえに俺がどう使い潰そうが俺の勝手だろうという小児じみた意思の発露。


 それで当然、自然の摂理、俺がここにあるのだから従えよと叫ぶそれはただの迷妄にすぎないことを、伝えてしんぜよう。


 跳ねて。


 飛んで。


「どっせぇぇいッ!」


 目玉の一つを蹴り込んだ。


 以前だったら腐肉に足を埋めた途端、奴に煌力ごと食われて足も腐り、そのまま召される一直線だっただろうが今は違う。


 愉快痛快。こんなのただのでかいまとじゃあないかと腹が捩れるまで笑いたいところだがちょっと待て待て待て。


 自分の性能も把握せずにいきなり特攻めいた飛び蹴りとかどうかしているとしか思えない。


 例えそれで、王さまの巨駆が球のように転がり吹き飛んでもそうするべきじゃあない。


 ほら見ろ。突っ込んだ場所が腐っている。こりゃあもう二度と使えないだろう。いや今の俺なら大丈夫だって。すぐに再生して元通り。異常な速度。異常な回復。異常な再生。目の前の王さまと違うのは腐るかそうでないかだけ。


 なんて不気味。なんて不自然。なんて気持ち悪い。こんなモノを人間と呼ぶのは烏滸がましい。


 俺の生命力がどこまでのものかは分からない。もしかしたら本当に不死なんてものになってしまっているのか。


 そしてそれが王さまは大層気に入らないらしい。


「貴様ァ! 誰が俺と同じ力をもってよいと許したかァ!」


「ちっげぇだろうがよほらよく見ろよ。お前、腐ってる。俺、腐ってない。どこか同じだよ!」


「あの小娘、あの小娘がお前の中の種を芽生えさせたか!」


 きっとそういうことなんだろう。


 何を勝手なことを、化け物になるなんて望んでない、なんて言わない。俺がこうなってるってことはまだくたばってなかった。だったら生かさなければならないってことだろうから。


 その結果としてこうなった。


 どうしてこうなったか。こうするしかなかったんだろう。誰もが助かるおそらくは最善の方法だと判断し、決断をした。責任を強いた。だったら報われなくてはならんだろう。


 あいつが望む結末とはなにか。


 そいつはつまり……。


「ふざけるなよ小僧ォ! 俺がこんなに様になっているというのに貴様はなんの変わりもないだと!?」


「おいおい、美々しい身体じゃなかったのかよ。自分でそう自慢したろうに」


 それに、なんの変わりもないわけじゃない。


 内側から何かが膨れ上がってくる。それは俺の中にあって、俺の自由に出来ない純粋な力の塊だ。頭がふわふわしている今だからこそなんとかなっている。きっと正気に戻ればその瞬間に弾けるに違いない。


 その証拠というか、証明というか。


「ギィッ、ガッ! グゥゥゥゥッ! イヒヒッ!」


 変容する。


 分不相応な器に芽生えた力は俺という苗床が狭くて狭くて息も出来ないからと、己に相応しい形へと強制的に成長させようとしている。せめて息継ぎぐらいはさせろと不平不満を叫んでいる。


 気色の悪い音を立てて左の肩から枝が生えてくる。見えていないだけできっと背中あたりにも。


 正気であれば俺なんぞの我慢強さじゃあきっと耐えられないに違いない。自分の身体が刻一刻と化物に変わっていくなんて苦痛以外の何物でもない。生えてくる枝、ざわめく葉、そして狂ったように咲いて散る黄金の花。


 ああ、ハルの花。ひいては白の魔女の。あるいは時女神の?


 はは、ははは。


「どうしたよ。お前と同じになったんだ。喜べよ」


「ならば俺の命に服せ。消えされ目障りだ」


 複数の眼から放たれる高圧縮された煌閃が避け損なった俺の足を焼き切った。まだ痛みを感じた。奇妙に遠い痛み。そして無様に倒れ伏す。それが正しい人間の姿だったろう。


 だけど、俺の足は倒れる前に再生されていた。ここまでいくともう再生なんて水準を遥かに越えて復元といっても良いかもしれない。 


「貴様、貴様、その再生力……! お前のごとき塵芥が俺と同等などと……!」


 同等。


 俺はそうは思ってない。


 まがりなりにも実を受け入れて常時腐り続けているってのにいまだに自分を保っているヘルダルフの自我の強さには瞠目するしかない。俺なんて人間じゃなくなりそうってだけで折れそうなのに。


 俺にもハルにも分不相応な、身の丈に合わない奇跡。本来なら脆弱な器ごと弾け飛ぶはずがなぜか成立している不完全な発芽。


「同等なんかじゃねえよ。俺はお前とは違う。一人だったら耐えられずに砕けてた。だけど今の俺はあいつと繋がってる」


 俺に犠牲を強いたと悔いるやつがいるんだわ。


 その痛みは私のものだと想って、願って、祈り続けるやつがいる。その支えがなければ押し流されて潰されてたよ。


 この束の間の奇跡は、特別なたった一人の誰かを真実の唯一へと押し上げる為だけに存在する真王錬成。


 本来なら俺が耐えられるような生易しいものではない。


 俺がヘルダルフのように失敗せずにいられるのはハルとの繋がりもあるだろうがそれだけではないはずだ。それはきっと、まだ欠片が足りていないから。それだけじゃない。きっと他にもなにかある。あるはず。なくてはおかしい。


 いや、俺は何を訳の分からんことを。なんだこの知らないはずの知ってる知識。意味不明すぎんだろ。


 今やるべきは考えることじゃない。


 速く速く腹の内に滾る熱くて弾けてしまいそうな塊を吐き出してぶつけてしまいたいそうしようそうしようそうしなくては。


「お互い、言いたいことは尽きんだろうが、おしゃべりの時間はしまいとしようや」


 嫌い、認めず、憎んで、殺しあう。


 万の言葉を用いてもきっと平行線で変わりはしない。それは今この瞬間も。


 それにきっと、時間は残ってないだろう。お互いに。


「俺は一人でここまできた! 俺以外は全てがカスだ! 女などに手助けされて助けられているお前と同等など認めん!」


「羨ましいのか! 誰からも支えてもらえない寂しい人間の遠吠えにしか聞こえねえな!」


 それは、不格好で無様な共食いとも言えた。


 俺の場合は殴る蹴るが磨り潰し、抉り潰し、砕き潰し、触れた箇所を端から消し飛ばす。


 ヘルダルフはその巨体で俺を磨り潰し、圧し潰し、砕き潰し、腕も足も腹も吹き飛ばす。


 突き刺され穴だらけにされても生きている。目玉を突き刺され脳をぐちゃぐちゃに引っ掻き回されてもとんでもない痛みだと他人事のような感想をするのみで、こんな馬鹿げた話があっていいもんか。


 こんなものを人の身で誇るなど、恥知らずにもほどがある。


 変容は進行を増していく。


 身体全体の血を辿る道が、葉脈のように表皮に顕れ光を放つ。それにつれて器を無視した暴走も深みへ落ちる。腕も足も顔の半分さえも、ただ動かすだけで崩れていく。


 それはあいつも同じで無限の回復力を誇っていた肉体が、僅かながらに再生速度が遅くなる。崩れていく。


「なぜだ! なぜ再生しない! なぜ壊れる!」


「なぜもなにもねえだろうが! ここをどこだと思ってる! 力の供給源になってた聖樹は倒れた! ここは外界、お前の王国じゃあねえんだよ! それともなにか、実を食えさえすれば無敵になれるとでも根拠もなく信じ込んでたか。加護を授けてくれるってか。そりゃ都合がよすぎるだろ。どんなめでたい頭だ腐る前から腐ってんなお前!」


 何かを得れば何かを失う。世の中全てがそんなわけではないけれど。


 得るモノが大きければ大きいほど、背負う重さは増えていく。それが聖樹の実。不死の実ともなれば自重で押し潰されても不思議はないだろう。


 結局のところ、器じゃないって話だ。


 お互いに崩壊しつつも罵り合い潰し合うのを止められない。


 つまりこれは、どちらが壊れきるかの競争で、だったら相手よりも速く削ってしまわないといけない。


「黙れ! そうして生まれたのだからそうして何が悪い! そうなるのだと乞うてきたのは貴様ら下郎だろうが! 俺は望みを叶えてやったまで! 意見するな否定するな俺は、俺が王なのだァ!」


 巨体が真っ直ぐに跳ねる。


 それは単純で、ある意味とても有効な攻撃手段。


 ヘルダルフの身体の内側からあいつ特有の腐臭溢れる煌力が吹き出す。それを纏って俺を押し潰そうって魂胆。


 そしてそれは余裕をもって避けられるような鈍重さはない。


 落ちてくる星にぶつかったらこんな風になるんだろうかと思ったわ。


「全て俺にしてやる!」


 受け止める。けれど押し潰されていく。


 器、精神、魂。色々な俺って欠片。ここでそいつらを手放せば楽になれるんだろう。


 誇りたいだろう俺を。肯定したいだろう俺を。その方法とは簡単だ。世界が俺だけで満ちればいい。そこに俺以外の異物は存在しない。他人は存在しない貶されない否定されない俺だけが俺だけである素晴らしい世界だ。


 ぶちこまれる感情の波が俺に膝をつかせようとする。


 だって少しは共感するところがある。誰だって自分は可愛いし認められたいし、必要とされたいし、いていいんだって信じたいって気持ちがあるんだろうから。


 ただ、俺には無理だ。


 誰かがいないと楽しくないとか当たり前みたいなことじゃなくて、誰かがいてこそ自分が成り立つとかそんな小難しい話でもなくて。誰もいない世界で自分は王さまだとかそんなん酔っぱらいの見苦しい一人舞台じゃんとかはちょっと思ったけれど。


「だったらお前は、どうやって実を食いやがった!」


「王の為の献上品だ!」


 それは陥穽。俺だけでいいと高らかに宣言する男が自ら断崖から身を投げ出したも同然の意味を持つ。


「誰からのだよ!」


「……ッッ! 煩いわ小僧がァ!」


 圧が惑う。


 己の人生に他はいらないと言い放った。


 俺がヘルダルフを聖樹の天辺から殴り飛ばした時。落下しようがしまいがすぐにくたばると確信していた。手も足も動かないほど完全にぶっ壊したと。せいぜいが芋虫のように這いつくばり無様に末期を迎えるのが関の山だと。


 なのにこうして存在している。


 なぜか。実を食ったから。食えるはずもない実を。落ちた場所にたまたま聖樹の実が転がっていたなんてありえない。そこには何かの意思がある。


 要するに、誰かの手によって実を、()()()()()()()


 生涯において他人は不要と断じた男が他を求めた事実。


 それこそが、腐敗不死の怪物を根底から崩壊せしめる何よりの一撃。


 押し潰される寸前の俺を突き動かしたのは怒りだった。


 その在り方にムカついた。決して認められずまた受けいれられもしないけど、他人に溢れた人の世で、本当の意味では誰の手も借りず、己のみしか信じず己の力のみを頼りに命を全うするなんて、そんな恐ろしい真似は出来やしない。俺には絶対に出来やしない。つまりはみっともない嫉妬だ。


 怒りは想いで、想いは力に。


 誰かがいないと生きていけない柔く弱い俺にとって、その生き方はどこか憧憬を抱く。だから折れたその姿はひどく醜い。


 断言しよう。お前は俺より先に崩壊すると。


 見える。


 大樹のような、大蛇のような、大虫のような、大岩のような姿の向こうで憤怒の相貌を浮かべる腐敗する男が。


 見える。


 憎悪に形相を歪めながら、声なき怨嗟に軋る姿が。憎しみが向かう先は俺かそれとも世界かあるいは己か。


 絶対に理解できないし絶対に共感も出来ない。ただあいつからの破壊的破滅的な意思が弱まったことだけが事実。


 その全て、潰してやろう。

 その為には……!


「ぬがりゃぁあああ!」

 爪先よ大地を掴め!


 唸れ大腿筋!


 キュッと締めろよ大殿筋!


 お前が要だ腸腰筋!


 盛り上がってきたぜ広背筋!


 すべてを乗せるぞ上腕筋!


 渾身の力を込めて、空高くへと放り投げた。


 拳では凹ませられても潰せない。剣でも槍でも銃でも無理だ。そもそも刀槍の類いは得手じゃない。だから振るうとしたら細かな技術を必要とせず、それでいて一振りでなんもかんも断ち割れる蛮性を持った獲物をこそ望む。


 思い出す。幼い頃、俺が子どもで許された時分。父親の側にくっついて山の中に入った。父親は山師だったが猟師であり山人でもあった。その背中に背負った馬鹿みたいにでっかく重くぶ厚い刃物と呼ぶには凶悪な面構え。


 なにより、でっかい樹の化け物を打ち倒すならおあつらえ向きじゃないか。そもそも、それ以外に刃物なんぞよく理解していない。理解していないのなら想像出来ない。ましてや創造出来やしない。


 光が右手に集まってくる。星の輝き煌き。黄金色。幽かに混じる蒼色の。


「お前はもう終わったんだよ! それは俺に負けたからじゃあない!」


「黙レ黙レ黙レェ!」


 そんな必死に黙らせようとするのは己で認めてしまったからなのか。


「俺はぁ! 俺はぁ! 俺はヘルダルフ・アレクセイだぞ! この世でただ一人の!」


 知るか馬鹿野郎。


 右腕がさらに変質する。巨大化し、硬質化する。


 それは獣の爪のようであり、断頭台の処刑具のようでもある。


 高密度に凝縮された星の粒より生まれた凶器。俺の右腕は黄金と深蒼の光を纏い、朝焼けの光を鈍く返す、身の丈を遥かに超す大斧へと変貌していた。


 重く厚く無骨で装飾など一切ない、ただひたすらにアレを潰すためだけに存在するのだと主張しているよう。刃は肉厚で切れ味よりも叩き潰すために生まれたような、それ以外のなんの役にも立たず、それ以外のなんの為にもならない一つの鉄塊。


 胸が高鳴る! 一目で気に入った! 恋をするってのはこういう気分かもしれん! 愛しているといっても過言ではない!


「お前は、最後の最後で自分自身の在り方を見失った!」

 

 それこそが。


「その裏切りがお前の敗因だ!」

 

 振り上げ肩に担ぐ。

 

 渾身の力を込めて。

 

 腐敗と再生を繰り返す腐れた生物にぶつけてやるのだ。

 

 その瞬間――。

 

 腕に伝わる鈍い音。壊れる音。

 

 両の腕は樹皮に覆われている。身体はもはや人間ではない半人半樹になり果てた。肉体は出力に耐えうるまでに作り替えられ頑強さなら問題ないはず。そうなるとつまり、足りないのは俺自身の器。


 こんな時にかよ……!


 制限時間。最初から分かっていたこと。必ず来る致命の時。


 けど、だけどさぁ……!


 ここで諦められるような根性してんならとっくのとうにおっ死んじまってだわ!


 最後はつまり、ここまで付き合ってくれた俺の身体を信じようや。あとちょっと、それを乗り越えるだけで少なくともレイやハルは生き延びれられる。


 だったら出来ないわけがないと、道理を意地と力と根性でねじ伏せる。


 ミギウデ。ソノサキ。センタンニ。ツキササルイタミ。


 だからなのか、溢れて弾けそうな力の塊が出口を見つけたように正しく流れていく。これならいける。これならやれる。あとはただ、ぶっ放つ。


「お前は一人デここで枯れ落ちてろやァ!」


「認メンゾォ!」


 落下してくる異形の生物。その中心へ。玉座に居座る腐れた男へ届きますようにと振り下ろす。


 それは、傍目からすれば馬鹿げた光景だったろう。


 巨大な樹の化け物に、半人半樹の化け物が、武骨極まりないこれまた異形の巨大な大斧で叩き切る。。およそ現実離れした、けれど紛れもない現実の。二度とこんな光景見せんなよと。人外同士の喰い合いなんぞごめん蒙ると。


 切っ先がヘルダルフに触れた。


 瞬間、迸る一筋の黄金光。


 雲を断ち、空を裁ち、醜悪な化け物を断つ。


 どんな形になろうとも今度こそ終わったなと確信し、終わったのは俺もなのかと。


 崩れていく。化け物同然になった手の先から。俺自身どんな姿になってんのか分からん。肩から枝葉生やして花も咲かせるような人間はそんないないだろう、ははは。


 まあ、知ってたけどな。


 身のほど知らず。身の丈に合わないお仕着せ。分際を弁えない慮外者の蛮行。その代償がどんなものなのかなんてな。


 最期は大人しく受け入れよう。やっぱり人間、去り際は見苦しい姿を晒したくないもんだ。


 なんてのは諦めてるだけの話。


 まだ生きてる。まだ死んでない。死んでないなら生きる。俺は生きなくちゃならん。そう決めている。 


 全てが停まってしまって終わってしまった、俺が生まれた胎盤で、俺が定めた俺の誓い。


 それにくたばっちまえばそれなりに気にして無意味に悩みそうなやつもいるだろうから、まだ死ねん。


 死ぬなら綺麗さっぱりなにもかも打ち捨てるから、あるいはなにもかも道連れにするか。


 そんな風に、剥がれいく腕を見ながら崩れ落ちた。

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