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 ここはどこだ、なんて文言を冒頭に使う小説なんてバチくそつまらんことの証明だが俺の人生は小説ではないので別にいいだろう。


 真っ暗闇である。


 なのに俺の手足は見えちゃってるのはどういう理屈だ。


 道なんてなく、灯りの一つも見当たらない。

 さて、腕は動く。足も問題なし。視覚は真っ暗なままで正常なのかはちょいと分からん。嗅覚は今まで狂っていたからそのまま狂い続けてるんじゃあないだろうか。静か過ぎて音がないだけなのか聴覚もいまいち宛にならん。味覚は……なんだろうな、血の味がする。それは直前までのやり取りを思い出したらしょうがないだろと納得する。


 歩き出す。道がないからってぐずぐずと居座ったってしょうがない。ここはどこかなんてのは足を動かしながらだって出来るのだ。


 で、とりあえず歩き出したのはいいものの、どこに向かってんだろうか。


 これまさか地獄の下り坂とかじゃあないだろうなとちょっぴり疑っちゃったりもする。


 結論としては似たような場所だった。

 最初に現れたのは俺よりも幼い、十二、十三歳ぐらいのひどく険しい目と顔つきで、冷徹そうな雰囲気をしているのにどこか疲れた風な装いをした少年だった。


 まあ、最初の相手は忘れたくとも忘れられないと言うし。別に忘れたいわけじゃあないからまあいいが。


 その次に現れたのは俺よりずいぶん年のいったおっさん……どこの誰だったかな。ああ、どっかの猟兵団の古参兵だったかな。すんません。あの頃は生きるのに必死でどこの誰とかほとんど覚えてられなかったんです。


 お次は誰だと見ると年上のお姉さん。あー、なるほどなるほどそうきたか。流石にこの人は忘れてない。俺が初めてを捧げた人。名前もしっかり覚えてる。そこまで薄情じゃあなかったか。


 次から次から現れてくる人影は、どいつもこいつも生気がないだけじゃあなくて、四肢のどこかが欠損していたり、目玉が垂れ下がったりお腹の中身が溢れていたり豪快に頭がまるっとなくなっていたりしていた。


 最後に現れたのは、両親。


 口の端が嫌な感じに歪む。


 彼らに共通しているのは俺が生きる為に道の端へと捨てた誰かってことだ。


 今さらそんな人らを見せられて何を思えばいいのか。嫌悪はない。恐怖もない。困惑とちょっぴりの懐古ってところか。


 何か俺に恨み言があるのかもしれないが伝えてもらったところでたいしたことは出来ない。


 で、そいつらを尻目に先に進もうとすると手足が腐り始めた。俺だけじゃなく、今まで現れたやつらも全員。


 そうして無様に倒れ込む。


 凄惨と言ってもいいんだろうけどどうにも現実感がかけているせいか危機感というものがあんまりない。


 ただ、彼らの顔面やらが溶けて崩れてぐずぐずになって下から現れたのがさらにぐずぐずになったヘルダルフだというのだからうんざりだ。あいつまだ付きまとってくんのか。


『逃がさんと言っただろうが』


 すぐ近く。耳元。いやそれよりもっと近くからヘルダルフの声。


 流石にこれは驚いたどころの話じゃない。俺の半分、ヘルダルフに侵食されてる。


 構ってちゃんが過ぎる。流石にこれはどうかと思う。俺もお前もあいつもヘルダルフってか俺ってか。そんなもんを望むのはお前以外にいはしないだろうよ。


 世界中の全部を自分で満たして悦にいれるもんなのか。


 右を見ても俺を見ても俺俺俺。まったく同じタイミングで同じ言葉を発し、まったく同じように怒って笑って食って寝て。ずらっと居並ぶ俺だけど、全部の俺は俺一人で満たされているから感じかたも変わるわけがない。や、俺一人しかいないんだから怒るも笑うもないか。感情一つも波立たないだろうよ。


 自閉の世界。


 ある種の人間にとっては最高に居心地がいいのかもしれない。自分の他には誰もいなくて、食うことも寝るいこともなくひたすら在るだけ。波間を漂うクラゲだってもうちょいなんか考えるだろうがそこにはそれもないんじゃないか。


 こいつの相手なんてしてられない。


 俺は戻る。こんなとこいられるかと腐り始めた手足で這う。


『お前は俺に。俺になったお前が誰かが俺に。連鎖は続く』


 うるさいな。そんで最後にはお前もあいつも俺だらけでなんて嬉しい最高に幸福だってか。なんてつまんなさそうな世界だ。


 俺だってね、聖人君子じゃないからたまにあいつ消えてくれればいいのにとか死んでくれないかなとか思う時はあるよ。


 人と人の繋がりが世界を形作るのだとか、手と手を繋げて広がる愛と人の輪素晴らしいとか訳知り顏して寒々しい説法なんて斜に構えた青臭さ満開に咲き誇る俺は鼻くそなすりつけたくなる。

 

 なすりつけたくなるが、それがまったくの的はずれでもないなぁと鼻ほじりながら納得している俺がいるのもまた事実で。


「その先にあいつらはいるのか」


『いない。全ては俺だ』


「その先に俺はいるのか」


『いない。誰も彼もが俺しかない』


 笑う。それは鼻から息が抜けるような失笑だったが笑いの形には違いない。


 半身だけが腐り落ちて歩くのもままならん自分自身に対してと、ヘルダルフのしょうもなさ極まる発言と。


『辛いのだろう、苦しいのだろう、失われた両親。続くはずだった正道。見捨ててしまった戦友。彼らと笑い会う日常というもの』


 思ったこと、考えたことがないってのは嘘だ。


『俺が救ってやろう。王たる慈悲を持って。俺になれ、俺で満ちろよ。思い悩み惑わずにすむだろうよ』


 それはそれで楽だろう。


 世の中辛いことばかり。自分には幸福の一つもない。いっそ石や樹であったら悲しいことも泣きたいことも感じなかったのにと自分を嘆くやつらには好まれるかもしれないけどな。


 俺はそんな可哀想じゃあないし。


 不幸には際限ってやつがない。下を見れば奈落に通じ、奈落の底さえ突き破って誰にも手の届かない場所へ。


 戦場の死体からそれこそ死肉まで剥ぎ取って金に変え、腐った死骸や糞尿を一日の食事とし、殴られ蹴られ謗られ罵られ、戯れに鞭打たれ戯れに射殺されそうなやつがいたとしてそいつが最下層であるはずもない。


「お前誰だよ」


『……』


「あの馬鹿野郎が俺を知ってるわけないだろうが、お前さんはどこの誰で何様ですか。勝手に人の敏感な部分まさぐりやがって。俺は俺の人生で忙しい。何が忙しいって。笑いたくって忙しい。そんなことが俺はしたいんだよ。どんな終わり方になるにせよ、俺はなるたけへらへら馬鹿みたいにくたばりたいの」


 どっかの馬鹿が自分一人でいたいと望むように、俺にも俺で望む先がある。


 つまりは、まだあのガキんちょの人間らしい笑った顏見てないんだわ。あいつがどこにでもいるくそガキのように満面の笑顔見せてくれたらどんなに痛快だろうね。


 ハルなんかそんなん見たら絶叫しつつ嬉し涙と鼻水流して躍り狂うかもしれん。


 や、よく考えたら満面の笑顔とかいきなりは怖すぎるので最初はとっても控えめな微笑から頼むぞレイちゃんよ。


 顏も見えない名前も知らない誰かと一緒に笑いあいたいとか宣うような誰かはうさんくさくて信じられん。


 俺は俺の知ってるあいつらと一緒に笑いたいのだ。


「くだらんことに怒って笑って泣いて人間らしく。酒のつまみに馬鹿話で盛り上がって、そんで最後にはあー人生楽しかったーって笑いながらくたばる。こんなところで寝てる場合じゃねえんだわ」


 なあそうだろう。


「俺はそうやって生きてく。それしか、あんたたちに報いる術がない。だから悪い。一緒にいたいって気持ちは嬉しいけどさ。それはあの世ってもんまで待ってくれや」


 俺の足を引きずる両親。重石になってのし掛かってくる過去。


 そいつらが急に物分かりのいい顏になって消えていく。


 だからこれが俺の見ている夢みたいなもんだと気づいた。


 恥ずかしいようなそうでもないようなふわふわした心地だった。


 初な少年の初恋が人前で暴かれちゃって開き直って居直って、そうだとしてもすんごい羞恥は残る。そんな感じ。分かるかなこの気持ち。


『ここで大人しく眠っていろ。その先には進まない方がいい。そうすれば楽に終われる』


 半身のヘルダルフもいつのまにか消えていて、響く声は聞き覚えがあるようでまったく聞いたことがないような誰かの声になっている。その声にしても絶対に止めてやる進ませんなんて気概を持たないやっつけ感が半端ない。


「まだ終われん。そう思い直したばかりだ」


『だったら先に進むといいさ。どんな選択、どんな決断、どんな物語になったとしても起こってしまったことは覆らん。結んだ契りは望まれない限り破れない』


「なにが言いたいのかちっとも分からんが、俺はまだ生きてんだ。だったら最後の最後まで生きるさ。生きるって意思を持ち続ける。俺は物語の偉人じゃあないからそれぐらいしか出来ん」


 そんな程度しか示せんし見せられん。


 偉そうに賢しらぶって説教なんてあんまり柄じゃないのだ。


 そりゃあ、本当の本当は、包み隠さず言えば、ほんのちょっぴりはしんどいー投げ出してぇよーって思うことぐらいあるけれど。


『……頑なに命にしがみつく生き方の先、己を否定する物語が待っているとしたらどうする』


 そりゃあめちゃくちゃ怖いよ。だけどそんなもんを今この時に考えたってどうしようもない。どうしようもないがもしそんな時が来るのなら……。


「酒飲んでしょうもないくだ巻いて聞き苦しい愚痴吐くわ。吐いて吐いて吐きまくってゲロまみれ反吐まみれになってどうしようもねぇ見苦しいって笑って風呂入ってさっぱりするわ」


『そうか。だったらとりあえず、そう生きてみるしかないんじゃねえんの。ほら目を覚ませ。あいつらが待ってる』


 声が消える。聞き覚えのある汚い言葉遣いの野郎だと思った。絶対、育ち悪いわあれ。


 変化はすぐに。


 眩い赤い光が俺の内から現れる。


 まるで心臓のように脈打つ妖しさ満天の星めいた、鉄と赤錆の薫り高い匂いを放つ、かつて古代の人々が夢と希望を詰めて産み出した一粒の種。


 どういう理屈か分からん。そいつが俺の内でもがいている。根を、張ろうとしている。


 肉体が、精神が、魂が絡め取られ、締め付けられて四散しそう。


 人間、カナタ・ランシアがまったく別の生物に変容する。


 だけどそんなもんは受けいられない。適応できない。とどのつまり、特筆するところのないただの人間はそんな変化に耐えられない。


 耐えられなければ根腐れを起こすだけだ。


 俺って土壌には種を植えるには栄養が足りない。だから芽生えるには水が必要で、それは溢れそうなほどに注がれている。加減もなく量も弁えず与えれば必ず咲くと信じているみたいに遠慮なく。


 それはいい。それはいいんだ。絶対になんとかするんだって気持ちがめちゃくちゃ伝わってくる。


 だから問題は俺にある。


 これはきっと、最初から特別な者、それはつまり、物語の英雄や勇者や偉人、その中でもさらに隔絶した者にしか与えてはいけない猛毒の種。


 俺のようなどうとでもなるような器じゃあ無理なんだ。小さな杯では水はすぐに溢れ出る。


 故に、道が必要だ。


 正しく水を廻らせるための道が。


 だから、誰か、俺を引き上げてくれ――。


 望んだ瞬間、右手の人差し指に強烈な痛みを覚え――。


 意識が爆発した。

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