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長いようで短かった聖樹探索行もこれにておしまい。
いや本当に長かった。もう一年間ぐらい同じところぐるぐるしてるんじゃないかってぐらい長く感じた。
色々あった。ありすぎた。ありすぎて吐きそうなぐらい。やべ、お腹の中がきゅるきゅるしている。周回遅れの食あたりじゃないだろうな。
終わりが良く見えれば過程が悲惨でもなんとなーく良く見えるように、綺麗に締めたいところで汚い展開だけはマジで勘弁して欲しいぜ。
光と希望に満ち満ちているだろう俺の前途ある未来よりも今はミチミチ音を立てそうな腹回りの機嫌の方が気になった。
「もういいよ」
そう言ったのはラニーだった。
聖樹への入り口で俺たちはこの終わった都の最後の光景を眺めていた。
尽きることのない舞い散る灰の葉がなくなっていた。
うっすらとした光が都を照らしている。その光もなんだか灰が混じって陰って滲み、精彩を欠いているような気がする。
風はない。対流がない。空気は重く淀んで堆積している。音もない。命はない。もう都市は停まっている。
ああ、そうだ。夜にも思ったんだがこの場所はいったいどうなってんだと……などとぼんやり考えていた。
「煌力カメラでも持っていればよかったんですが。ザシャさんなら持っていそうなものですけど」
「そんなもん当たり前のように途中で壊れたわ」
「というかザシャさんは?」
来た時は二人だったが帰る時は四人になっていた。
一人欠けているのは当然だ。ここにはもういない。誰もそのことを突っ込まないのでいつ言われるかと身構えて、どう面白おかしくあいつの顛末を語ろうか考えたいた俺の労苦を思いやって。
「お前らあいつの心配とかしないのか」
「いえ、あの人、生命力強いんで。きっとああいう人ほどしぶとく生き残るような設計になってるんじゃないかと」
「ですよねー。映画とかでもあるみたいになんだか真っ先に死にそうだけどなぜだか最後まで生き残る。そういう類ですよあの生命体は」
ひでぇいいようだがおおむね同意出来るのでなんも否定しなかった。
「あいつなら先に脱出してる。緊急脱出用の装置があったからな」
巫女さまの寝所に一基あった一方通行な使い捨て品。
あの先にあいつと一緒に行ったところで危険にさらすだけで、生命力が強いつっても誰だって死ぬ時はあっさり死ぬ。大事な依頼人だ。民間人の安全が最優先。それに本人もそう望んだ。
「ちなみにそのカメラは」
「やつの尻に潰された挙句に水死した」
「いいですよ。思い出は私の中だけにってやつです。写真もあればあったで良いんでしょうけど、今ここであたしが感じたものは写真には残りませんから」
「そうですか」
ラニーたっての希望により静かに終わりゆく聖樹の都。その姿を目に焼き付けていた。
元より終わっていた都。最初に訪れた時からそうだったのだから特に変わり映えもない。俺なんざこの場所に思い入れなんぞない上にむしろなんて面倒くさく厄介な所だったんだと思っている始末なのだから余計に。
それでもどこかに何かが残っているのは、ここがどこか、ではなくてここの誰が、なんだろう。
蒼い瞳をしたあの人が今はまだここにいるのだ。
ちらりとハルと手を繋いでいるレーヤダーナはもう片方の手に渡された蒼い花に、こいつにしては大事そうに持ちながら視線を向けている。こいつの中にも、たぶんまだ。
「じゃあ行くぞ。猶予がいつまであるか分からんからな」
「区切りついた! 名残惜しいはここに置いてく! あたしはあいつらと違って未来を向いてんの!」
立ち上がって拳握りしめて。いやまったく前向きで勇ましい。元気もよくて大変よろしい。
そうだ。ここには過去しかない。過去の栄光、成功をありがたがりすぎて、未来に繋げようとする現在を生きてかないってのはどうにも好みじゃあない。ヘルダルフたちはそうだったんだろうが。
過去の栄光よ。今一度、我が手に戻れ。気持ちはわかるがそうしようとは思わないのはこれといった成功体験がないからか。……ちょっと切なくなった。失敗体験ならたくさんあるから余計に。
「行きましょうレイちゃん」
ハルがそう促しても動かない。ただじぃっと枯れ落ちていく聖樹を見つめている。
「おら行くぞぉ」
ちっこい頭を小突いてもじぃっと聖樹から目を離さない。頭を鷲掴んでぐりんぐりんと回してもそいつは変わらなかった。
その挙動は猫が何もないとこを見つめている言ってしまえばいつものレーヤダーナなのだが当たり前に不安になる。
「早く行こうや、なんか嫌な予感がする」
「嫌な予感てどんなです」
なぜって、このガキんちょが何かを見てる。俺らとは違うその目に何を映しているのかと。見えない何かに恐れ慄くのだ。
不意にその視線が動く。
いつだって何かが起こるのは唐突で、今この時も例外ではなく。あるいはそれは、このガキんちょが視線を動かしたせいじゃあないのかと穿った見方もしたくなる。
予兆といっても良かった。
それを異変が訪れるまでの準備期間とするかそれともただ無為な瞬間にするかは人それぞれであるけれど。つまるところ結果は同じ。自分が予期出来ないどうしようもない何かが起こるのは変えられない。
聖樹の一部分。目を細めて見ないと分からないが確かにごっそりと削れたか、あるいは抉れたか。
これは聖樹の衰亡に関わる何かなのかとハルを窺ってみてもほけーっとしててダメだ何も見えてねぇ。聖樹と一緒に巫女さまの能力も死んだのか。
だったら聖樹の民たるラニーはと見てもこいつもこいつでほけけーっとしてて巫女さまに右に倣えで忠実かよ。
異変を察知しているのは俺とレイしかおらず、後者は基本的に何もしない子なのだ。
こういう時、どうするかというと行動する。それも迅速に。推移を見守るなんて真似はしない。見守ってたらなんか巻き込まれちゃいましたてへてへなんて馬鹿っぽいだろ。
行動したら行動したでやっぱり巻き込まれちゃったってのもあるけどどうにかしようとした結果で納得は出来る。
人間には生来の危機感が備わっている。俺のそれはここにいる三人よりは役立つはずだ。少なくとも崩壊していくここに留まっていいことなんか何にもないだろ。
「はよ出るぞ」
「あーはいはい」
「そうですね」
なんもかんも終わったと思っている二人だ。俺との温度差は当然。それに聖樹の崩壊もめちゃめちゃ緩やかで、二人がこういう現場に全くの素人なのもの手伝ってか俺が急かす理由が上手く伝わらん。嫌な予感も予感なだけに説得力なんかない。
「あ、ザシャあたりに記念品とか持って帰ってあげよっかな。一応、世話になったわけだし」
「そんなもんいらんからはよ出るぞ」
あいつ巫女さまからとっておきの記念品もらってるから。
「感謝の気持ちを示すことは悪くないと思いますが……」
俺もいい心掛けだと思うよ。でもその心意気は外に出てからでいいんじゃないかな。あいつなら聖樹の近くに棲んでた転がってたフンコロガシのフンでも喜んで転がしてくれるよ、きっと。
だから急いで、ここから離れないととても不味いことになるんじゃないかって、警鐘が鳴りやまない。
やばい、まずい、速く逃げろと警告している。
「早くしろ」
「さっきからどうしたんですか一体?」
伝わって、俺の真心。
「あれ」
そう声を上げたのはラニーで。
「巫女さまあれ見てください。なんか、聖樹が崩れてます」
「はい?」
それは崩れているんじゃなく削れてるわけでもない。ハルやラニーでは見えないのだろうそれは。
「なんか飛んでくる……」
ラニーの呆けた声。
ああもう遅いと頭の中の警告音が諦めた。だけど俺は諦めるわけにもいかず。
「いいから速くしろ!」
怒鳴った。この女と出会って初めて本気で怒鳴った。
結果は覿面。
「は、はい! ごめんなさい!」
怯えさせた。怖がらせた。くそだせぇ真似をしてしまった。
そんなことを言わせたいわけでも聞きたいわけでもない。あとで謝るぐらいならいくらでもするから速く速く速く――。
怒鳴ったせいか、もたくさとハルが鍵である杖を取り出す。
その杖を台座に突きこむと穴が開く。
輪で作られたあちらとこちらの境界面。たとえこっちが在りし日の伝説の都だろうと向こうに見える日の光の方にどんだけ安心を覚えるか。
「なにあれ……」
再びラニーの声。
視線を移す。移してしまった。
それは最初、人の形をしていると思った。小さな染みじみた点にしか見えないソレは、四肢があり頭があるなら人に見えるのは俺が人間だからか。
けれどすぐに違うと分かった。なぜって人間にしては形が崩れている。だったらヴィルヴィスか。迫りくるソレは彼らと同じで四肢はあるけど歪になっていて間違いでもないと思った。
だけど違うと分かった。いや合ってるのか。つまりどっちだよ。
顔が引き攣る。
目か、あるいはそれを通して処理する脳が、狂ったんじゃないかと。
ソレは確かに最初、人の形をしていたはずだ。けれど瞬きの間に四肢は短くなった。短くなったわけじゃなくて他の部分が膨れ上がって小さくなったように見えるだけ。
「なんですあれ……」
ハルも目にしてしまったソレ。
それを生物と言ってしまうと命ってもんの定義がどっかに行ってしまいそう。
なぜってそれは、今この時もその姿形を変えていく。羽を持ったムカデのような何かであって羽を持ったサメのような何かであって四肢を持ったスライムような何かであって。人鳥魚虫のどれでもあってどれでもない。
目まぐるしく形態を変え、絶えず膨張を続けるソレは。違っていてほしい。外れていてくれ。俺たちに向かって落ちてきてるなんて勘違いに決まってる。
心臓はバクバクで手足の先は冷たいが、焦りも過ぎると冷静にひっくり返る。
「行け」
ハルがレイの手を取って、いまだにぼけっとしているレイの手を強引に掴んで輪を潜る。
二人の背が蒼い円に吸い込まれて見えなくなる。
次はラニー。だけどこいつ何呆けてんのよはよ行けやあんなもん見てたって幸福に寄与なんぞせんだろうがよ。
輪に向かって突き飛ばす。
その口元が動く。ああ、嘘だろおい。半端に読み取れてしまった。こちらも見間違い、聞き間違いであってくれ。もしくは俺の勘違い。本気の本気で願いたい。
誰に。女神さまに。女神さまでもこんなのが生まれるなんて想定外じゃなかろうか。
声なき声に象られたその名前。
ヘルダルフ。
同時に背後に響く着地音。
人の体重で出せる音量じゃあない。空から超重量の岩の塊でも降ってきたみたいな響く音。
悪魔めいた大きさの砲弾が運良く不発で着弾した時みたいに、いつ爆発するかと窺いながら身体が機械に改造されてしまったみたいに息を止めてぎこちなく振り返る。
そこにいたのは、いや、そこにあったのは一言で表すのなら芋虫だ。
芋虫は芋虫でも蜥蜴じみた四肢があり、その背中には竜を模したかのような枝で編まれた翼があり、開けっ放しの口から覗く並んだ牙は鋸めいた不格好な鋭利さをこれでもかと見せつけてくる。
目を細めた。涙が出そう。肺は動かさない。この汚染された大気を取り込んだ瞬間に俺も同化してしまいそうな嫌悪感。そうしないと俺の身体の中も腐ってしまうという忌避感。
腐っている。
身体を動かす度にどこかの部分が己の重みに耐えきれぬと悲鳴を上げて落下する。
けれど腐り落ちたその瞬間に、信じられない速さで穢れ一つない美しい樹皮を再生し、その直後にはまた腐り落ちる。
繰り返し繰り返し何度も何度も何度でも。
頭の片隅で、実、不死、不完全、出来損ないという言葉が反響を起こして交錯する。
目の前にあるのは生きながらにして腐れ死に、死にながらにして再生し続ける化け物。
胴体にはある器官が斑に配置されていた。小さいモノ大きいモノ。閉じた新芽のように固く閉ざされたモノ。転び出るように溶けかけたモノ。
瞳。
ソレらが一斉に見開かれ、ぎょろぎょろと不規則に視線をさ迷わせ、最後には俺を視界の中央に合わせ、ニタリと歪む。
嗤った。
そんなもんを注がれて、怖くなんてねーよなんて強がれない。これは違う。魔女や巫女さまに抱いた畏敬混じりの畏れではなく、地に足の着いた単純な恐れ。
伝わってくる。嗤ったのだ。そこに満腔の憎悪と歓喜を込めて。
縊ってやる裂いてやる轢いてやる潰してやる砕いてやる抉ってやる壊してやる破ってやる……ああ、殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる。
血を分けてやった駒も従わぬ巫女も盗人の小僧も全てみな殺す。
見えてしまった。化け物の口腔。その奥はあるいは玉座か。そこに鎮座しているのは腐乱死体めいた糜爛な姿を晒す、狂気に冒されたヘルダルフ・アレクセイだった。
下半身は完全に腐肉と一体化し、上半身も腐れた樹皮となり、顔の半分も爛れ崩れたその姿。なまじ人の原型が残っているからこそより悍ましくて気持ち悪い。
振りまかれる殺意はその巨体に比例する。
その腐れた枝葉を腕のように振り乱しながら俺に伸ばしてきた。
巻き散らかされる生臭すぎる悪意を振り切るように叫んで輪の中に飛び込んだ。
「冗談じゃあ――ねーぞ!」
アレに捕まれば、アレと同じく腐れて爛れた化け物になるのだろう。そしてそれは、ただの人間に、抗う術などない。




