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『管理ユニットAoR・シリアルナンバーロストより、完全環境式独立都市アルキュオネの完全起動について可能と判断。ここにアルキュオネの廃棄を提言』

 鈍い音を立てて周囲が光り出す。薄暗い翠色の世界に突然、朝の日の出で光が照らすように。

 それはあるいは、もうすでに終わったこの都市の最後の最後の余光であるかもしれず。

 大樹の巫女を目覚めさせる時に現れた透明で複雑な模様をした、手に触れても何にも感じずなんだか不安になるような絵図版が音を立てて、狂ったように明滅しては生まれて消えて、最後にはほんのわずかな翠色の光だけが残った。

 そんな中で、巫女さまの蒼い目が深く深く、それこそほとんど黒に近い色合いまで沈んで灯り、彼女の回りに蒼い熾火のような光が降っている。それをみるとどうしてか、柄にもなく人生の終わりについてふんわりとした気持ち良さに乗せられて心が飛ばされそうになる。

 終わりとは死だ。俺が迎えるべき死とはなにか。俺が望み、かつ叶えなくてはならない死の形とはつまり、つまり、つまり……?

 あ、やばい。また持っていかれそうになった。

 頭を振って馬鹿な考えを散らした。俺はまだ生きていたいし生きているなら生き続けなきゃならないし、なんなら追いすがってくる終わりの手なんぞ振りきって走らなきゃなんないし。

 この光は終わりの形を導く光だ。たんなる人間が触れてはならず、見てはならない別次層の不可思議な力だ。回れ右して逃げるべきの。

 触れてはいけない光は巫女さまだけでなくハルからも。黄金の光の粒が渦巻いてあいつを取り囲んでいる。その左目も冷たい黄金の圧が増していっているように見えた。

 そうして巫女さまでもハルでもない全く別の声が響き渡る。

『時ノ天秤。蒼ナル冥棺。神呪確認。謳エヨ、汝ラ、大樹ノ嗣子デアルユエニ』

 機械の声はハルたちにおそらくはこの大樹における特別な立場の持ち主であることを証明しろと言っているんだろう。そのあたり、俺はなにも聞いてないが無事に終わるのか。

「「一つの星より生まれ、無数の光、空満たす」」

 二人が唱和する。

「「瞳のうちに無限を捉え、永遠なる刹那の世界、完全なる円環に命よ歌え」」

 不思議な音韻の言葉だった。なんだか頭の中がふやけてしまう。元より軽い中身だが、浮遊して回遊してなんだったらそのまま永眠してもいいかなと思っちゃいそうな、人の心を鎮めさせる声と言葉。

 あの光と合わせると本当にやばい。なんとなく気分がいいんだ。目の前に縄があったらなんとなく括ってみて、さらにそいつでなんとなくくたばっちまってもまぁなんとなくいっかで済ませてしまいそうなくらいには。

 そんなおっかない効能さえなければほんのりひねくれってんなって自覚のこの俺が素直に良いなぁと思っちゃうぐらいに精神や魂や本能ってもんにじんわり染み込んでくる。

「「我ら、女神の命を紡ぐ者なり」」

『提言ヲ承認。アルキュオネ破棄。規定二従イ、全区画二緊急脱出警報ヲ発令、発令、発令発令発発発発』

 無機質な言葉が何か聞き捨てならない内容で、しまいにはぶっ壊れてしまったみたいだが俺はというと言い終わった瞬間に立ち眩みを起こしたようにふらついたハルがべしゃりと倒れ込むのを寸前で抱えた。

 ぐったりしていた。アレかもしれん。ちょっと前に同じような、ザシャが言ってた意識がどうのこうのってやつと同じような状況。

 それと同時だった。

 なにか、どこかで、近いのか遠いのかも分からないが何かが変わった。身体の変調か。種食っちまったせいか。あれは巫女さまもなんか大丈夫っぽいこと言ってなかったっけ。

「おい巫女さま、こいつは大丈夫なんだな。おい巫女さま……巫女さま?」

 ハルと同じように巫女さまも萎んだ花のようにくずおれていた。おいおい、あんたもかよ。

「……ああ、大丈夫。まだ、大丈夫」

 肩で息をし、呼吸は浅く、心なしか身体そのものも小さくなってしまったように見える。目蓋を閉じていかにも辛そうだ。

「彼女であって彼女でない誰かの意識が強く入り込んだ。本来はワタシのようにユニット化された状態でないと降ろすのは難しい。それにも関わらず行えるということは彼女の資質の高さによるもの。でも、適合しすぎていても問題」

 なんだよ、なにが問題なんだよ。具体的にどこがどう問題なのかを教えてくれてないとどうにもならんぞ。

「その瞳はあまり使わない方がいい。そうさせたワタシが言うべきではないけど」

「どういう意味だ」

「それは時女神の物。本来、ただの人間が扱ってはいけないもの。強く交感すればするほどに、彼女の意識は白い魔女だけじゃなく、これまでの瞳の持ち主のものに塗り潰される可能性がある。それは、時の管理、星の運行を司る時女神の影、依り代、写し身にのみ起こる機能的不具合」

 えーとつまり、なんだ。

「こいつが別の誰かと混ざるってことか?」

 どういう理屈でそうなんのかは分からんが……。

 そうなるのは……まぁ、納得できないな。ほら、レーヤダーナが暴発するかもしれんし、俺としてもそういうのは本人承諾の元、許可を得て、なるべきだろう。

 他人への模倣。他者への変容。他者への変身。そうした願望は、こいつにはない。そう思いたい。

「彼女にも伝えてはいる」

 巫女さまはハルを心配しているようだ。

 ハルが気づいた。目を開けても視線はぼんやりとして定まらない。やがて焦点を結ぶと自分がどんな状態なのかわかってか、ばつが悪そうに目をそらした。

「……またよく分からない状態になってたみたいですね」

 他人事みたいになんでもなく言うけどお前それさあ。

 さて、なんと言うべきかと言葉を出しあぐねていたら先に話をされてしまった。

「あなたのしたいことは出来ましたか」

「……うん。君のお陰。この都市は崩壊に向かっている」

 巫女さまが言い終えた直後に、彼女の回りを漂っていた光が突如として絶え、微かな翠色の光だけが残った。異変はそれだけではない。

「うわ。え、なになんなの?」

 それまでこちらの、というよりもハルたちの邪魔をしたくなかったのだろう、直立不動で起立していたラニーが転げた。

 レイのように何にも所でも転ぶなんて特殊な技能を持ってないにも関わらずだ。

 地面が揺れた。

「崩れてく?」

 聖樹の都が傾いでいる。思わず自分が立っている場所を穴よ開けとチラ見しても変化はないように思える。

「……聖樹と命運を共にするつもりがないなら急いで。猶予はまだあるけど、ワタシも子どもを道連れに終わりたくはない」

 深い深いため息の後の疲れ果てたといった声音。

 本当にその命の残り火は僅かなんだろう。それはどうしようもないことだ。

 当然、脱出はさせてもらう。俺の目的はこいつらを無事に連れ帰ること。それが一番。人は己を一番に優先せんといかんのだ。

「あなたは、どうなるんですか」

 ハルがそう問いかけた。

 巫女さまはまだ目を閉じていた。自分がどうなるのかは、伝えていなかったのか表情からは何を思っているのかは伺い知れない。

 瞳が開かれる。

 深い深い黒に近い蒼が失われていた。それがこの人の今をどうしようもなく伝えてくるようだった。

 目がゆっくりと動き、俺でもハルでもラニーでもなくレーヤダーナをおさめた。

「器は肉と機械と樹の混合物。人としての思い出なんてほとんどなくした奇形な合成獣。それが偽りない私」

 己を合成獣だと言うのなら。

「だけど焼き付いているモノがある。許さない、許さない、許さない、私は聖樹を決して許さない。目が覚めた時、強く思ったこの想い。心があるかどうかなんて分からない。なら残ったこの一つの想いに従おうと決めた。きっとそれは、私が人だった頃の残滓」

 だから取引をした。契約をした。大切な誰かを救う手助けをしよう。代わりにお前は私の願いに手を貸せと。その望みは叶ったはず。であれば残された僅かな時間を何に使う。どうするのか。それは、何に向けてのものなのか。誰への言葉なのか。

「命の終わりの最後に想いを遂げて眠るように死んでいけるのなら、記憶のないワタシには幸福そのもの。そのはず」

 口調はゆっくりと、夢と現を行き交うようになっていく。

 瞼が重いのか時おり閉じては億劫そうに開けるのを繰り返す。

 俺としては別に巫女さまがここで死んでいくのは受け入れている。知り合ってまだ一日も経っていない。感謝はするが親愛の情の抱きようもない。

「あんたがここでくたばっていくのは構わねぇよ」

「ちょっとあんたね」

「黙ってろラニー。あんた幸福なんだろ。俺も幸福だと思いつつくたばりたいもんだよ。でもなあんた鬱々しいんだよ。気分が良いってならちったぁ笑って天寿をまっとうしてくれや」

 そんな構ってちゃんみたいな発言を今わの際にしてくれんな。そのまま見送ったんじゃあ足首捕まれてなんか引きずるような気分になっちゃうかもしんないじゃないか。

「あんたなにが楽しくてなにがつまんなくてなにが悲しくてなにが嬉しいのかも知らねぇんだろ。せめてそんぐらいは探してみなよ」

「そんな時間、残されてない」

 かー暗いなぁ、暗いやつだなぁこの巫女さまはー。

 そういう女をみるとなぁ、なんだかこう胸の内側がこうもにょるんだよ。

「この人、意味のない話をするのが好きなんです。まあ、与太話に付き合ってあげてください」

 意外な所から援護が。

「それに私もまだあなたと話をしたりないです。ずっと昔の花や樹の話だったり、私がここに来ようと思ったのもどんな怪我でも治せる薬草があるって与太話からなんです。寝るまでの間、付き合ってくれたりしたら、嬉しいなって」

「寝るまで……」

「僭越ではありますが、不肖、このラニーめが! 巫女さまが落ち着いてお眠りになられますよう歌ってしんぜましょうか、どうでしょうか!?」

 ラニーは煩いだけだが。

「君たちは何を……」

「ようするにだ」

 猶予はまだあんだろ。信じるぜ。せっかく面白そうな話聞けそうなんだ。記憶に残しておかないとなんかもったいないじゃないか。

 巫女さまの傍でどっかりと腰を落とす。ハルもラニーも俺に続いた。最後にレイがせこせこと背中に乗ってきてあざとく巫女さまを見上げる。いつもはのっぺりした目玉が心なしかキラついてるように見えなくもない。

「うちの子、どうもあんたに興味にあるらしい。育ちが悪くて無作法不調法だが多めに見て触れて話ししてやってくれよ。あんたが涎垂らして寝こけるまで」

「ご要望であればご指定されたお時間に起こし出来るサービスもしておりますが」

「カナタさんの声だと爽やかな目覚めにならないと思いますよ。基本的にガラが悪いっていうか因縁つけてるっていうか、そのチンピラっていうか……」

「んだコラ」

「それ、それですよ」

「今のはてめぇが因縁つけてくださいってこいたからだろうがよ!」

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ出す俺たち。

 そっちのけでラニーがうさんくさい笑顔で

「巫女さま。あなたの従者としてお仕えする気満々であるところのラニーがお引き受けいたします。この男の野太い声よりも若さと張りと元気に溢れております。ラーラール~」

 全員でわっちゃわっちゃと俺が私がと我先にあーだのこーだのと話かけると巫女さまがほんとうに微かに、今までない種類の笑みを浮かべた。

 機械に意識を支配された時の無機質なものでなく、憎しみを滾らせた冷たい笑みでなく、大樹の僕としての諦念の笑みでもない。

 俺が最大限贔屓目に見ても微苦笑と呼べるかどうかといったものだがそこには温度があった。

 彼女が発するただの人としての温もりがあったと、そう思う。思うことにした。

 だってよ。ほんのりと肩を震わして口元を隠すように顔をそらすなんざそれしかねぇだろう。

「笑った。笑ったろ今」

「笑ってない」

「いーや笑った」

「笑顔でしたね」

「崇高な微笑みでした」

 三方向から指摘された巫女さまは、今度こそ控えめながらも、屈託なく、ガキんちょのように笑う。

 よーし良い顔だ。やっぱ人間。常にじめってちゃあ器の中身まで湿気るってもんよな。

 そうして最後に美味しいとこを持ってくのは本当のガキんちょと古今東西で相場が決まっているもんなのか、レイが進み出て両手を広げて見上げた。

 あ、これは俺やハルがたまーにやるやつだ。これから抱き上げてやるぞーという合図で意思表示なのだがお子ちゃまの身では現実問題として背丈が足りていない。

 自然、巫女さまがレイを抱き上げる格好になり、そのままその小さな身体を抱きしめた。

「暖かい」

 息を飲む。およそ人とは思えない冷たさのレイを抱えてその言葉。

 本当に彼女は尽きるのだろう。

「昔にこうしてあげたかった誰かがいた気がする」

 その時、レーヤダーナ・エリスが彼女を抱き返した。いつものようにガキの本能全開で抱き着くってんじゃなく、自分でも何をやってるのか分からないようなあいつにして初めて見せる迷うような素振りで。

 何を思ってるのかはやっぱりあいつにしか分からない事だろうが、この場面、この人相手にそれはきっと、何よりのお返しだったんじゃあないだろうか。

「ワタシもこうして欲しかった気がする」

 顔を上げて俺たちを見る。

 その瞳にもう蒼はない。意味の分からない威圧、神威、そうした物が抜け落ちた、ありのままの彼女になっていた。

 ゆえに彼女は俺たちを見ていない。彼女が見ているのはきっと――。

「……遅かったじゃないか。……待ちくたびれた。……とても眠い」

 彼女の胸の奥に眠っていた彼女自身の記憶だろう。

 願わくば、彼女の見る夢が幸せなお話でありますように。その夢の果てに、彼女が抱きしめてあげたかった人たちと出会えますように。

 なあ、女神さまがた。

 あんた方の手に負えない呪いのせいでこんなとこに縛り付けられた人だぞ。そんぐらいの特典は許してやってもいいんじゃないか。

「少し……寝る。とても……疲れた」

 だからその何気ない言葉に声を返せたのは、同じく呪いを持ってしまった女に他ならず。

「おやすみなさい、()()()

「……ジニア。……ああ、ワタシの名前」

「自分の名前を忘れないでください」

「そう……リート。……は……よう」

 最早言葉は途切れ途切れでか細く小さく聞こえない。

「ジニア。とても素敵な名前です」

 ハルがそう告げると、大樹の巫女は、ジニアと名乗れた少女は全ての力が消失したように、文字通り、眠るように逝った。

 抱擁を解かれたレーヤダーナがゆすっても瞳が開かれることも言葉を話すことも再び抱きしめ返すことも二度とない。笑うことも泣くことも怒ることもない。俺たちとの僅かな邂逅にしかその存在は記憶されない。

 幾度も彼女を起こそうとするその動きが唐突に止まる。灰色の瞳に逝ってしまった彼女を写して。

 気づいたのか。別れてしまったのだと。

 悟ったか。逝ってしまったのだと。

 もし、お前が彼女に抱いた想いが、少しでも人として好いていたのだったとしたなら、いつか気づけた時でいい。ずっと一人でここに繋がれていた彼女を、どうか悼み悲しんで欲しい。別れとはこういうものだと覚えて欲しい。死とは何かを想って欲しい。

 ここで逝ったジニアという人を心の片隅でもいい覚えていて欲しいと、そう思うのは、まあ、感傷なんぞに浸った俺の勝手な願いだな。

 なあ、巫女さま、ジニアさま。あんたがどう思うのかはもう絶対分かんないし、押し付けるのもどうかと思うけどさ。

 生きてる人間にゃあそれぐらいしか、出来そうなことが残ってねぇのよ。だから多少の自分勝手は許してくれよな。

 最後に生まれた本当の笑顔を思い出して、女神に祈った。

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