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「「ッッッ」」

 言葉はなかった。

 相手を殴る。その技術を学んだとはとても思えない丸見えの殴打。

 伝わってくる衝撃は最大最高のもの。それはきっとお互い様だっただろう。

 お互いに最大の力を込めてぶん殴り、お互いに歯を食い縛って耐えきった。守るなんぞ頭にない。その間も相手のツラから目を離さない。足は大地に根を張って、倒されるのを全力で拒否している。

 一歩も引けない引けるわけがない。

 なぜって目の前の暴性をむき出しにしたこのクソ野郎が同じようなツラして立っている。

 だったら俺が先にぶっ倒れるなんて許容出来るはずがない。

「ハッ、ハハッ、ハハハッ」

 心の底から愉快な俺は嗤う。なんだこいつこんな顔が出来たのか。

 醜い醜い! いいぞ最高だ! めちゃくちゃ俺を恨んでる! 感謝しろよ、憎悪の空回りほど虚しいものはないからなぁ!

「なぜ実を燃やした!?」

 糾弾の言葉には赤熱した嚇怒が宿っていた。

 銃を抜けばもっと楽になろうだろうにそうしない理由は明白だ。

 憎いから。銃なんぞで傷つけても感触が分からない。苦痛も苦悶も伝わってきやない。この拳で殴り付けてこそ実感できる。

「てめえが心底欲しがってたからだよ!」

 対照的に俺の声はどうだろう。愉悦と喜色に塗れているんじゃないか。

 顔面鉄面皮のクソ野郎が感情剥き出しにして襲いかかってくる。これが愉快でなくてなんなんだ。

 殴って蹴って、お互いにこの後のことなんぞ考えていない全力壊走。背中から倒れるなんてありえない。前のめりにぶつけていく。

 頬に一発受ける代わりに腹に膝をぶちこんで、折れ曲がったところを両手を固めて頭の後ろに振り下ろしてやる。

 なのに、憎たらしい後ろどたまはそのまま俺の顎にぶち当たってきた。どっかの歯がイカれて目玉の中で流れ星が狂ったように飛んでいる。

「俺が完全な王になるには実が必要なのだ!」

「知るかよ! 他人の大切なもんをぶっ壊しておいて!」

 今までお前は何をして生きてきた。奪う踏みつけ壊して嘲笑う。そうしてきたんじゃないのか。

「それでも自分の大事なもんだけは壊されないって頭足りねーな!」

 傷つければ傷つけ返される。奪えば奪い返される。当たり前の原理で理屈。知らないのは人間の皮張り付けたケダモノみたいな奴だ。つまりはお前のような。

「因果は巡るなんて言葉を信じるか」

「そんなものがあったとして、俺にだけは巡らんわ!」

 ざけんなよ。お前にだけは巡らないなんてあっちゃいけない。むしろお前にだけは巡って来ないと理不尽だろう。

 運が悪かったな。お前に今まで罰が降りかからなかったのはきっと俺にぶっ潰されるためだ。

「ラニーの両親を殺した! あいつの居場所ぶっ壊して自由も奪った!」

「俺のコマだ! 俺がどうしようが俺の勝手だ! 聖樹の民はすべからく王に使われるべきなのだ!」

 こいつは、本当にこいつは。

「てめぇは王なんてご立派なもんじゃねえだろうが!」

 せいぜい山賊か追い剥ぎだ。

 ハルから聞いてんだよ。器でもないのにそんなもんになろうとしやがって。

 そしてそんな奴に対して王だなんだと馬鹿な妄想抱くようにしたやつらもまとめてクソ食って死ね!

「女殴ってご満悦かクソ虫ごときが巫女なんてもんに仕立てあげて殺そうとした!」

「巫女など王の添え物にすぎん! 王を傷つけた不敬は万死に値する!」

 癪に障る!

 お互いの拳がまともに顔面に入って同時に吹き飛び転がっていく。

 仕切り直しか。

 俺もヘルダルフもちょっとの間に酷い有り様になっている。瞼は腫れ上がって鼻は変形しているし唇は当然のように切れていて口の中の鉄臭い塊を飲み干す。顔面は血だらけで不細工なんて言葉じゃ追い付かない。ただ無惨。

 全力で相手を殴る蹴るしているから体にかかる負担なんぞ考慮していない。拳の間接は皮が剥がれて白っぽい肉と赤が塗りたくられた骨が覗いている。

 耳の奥にゴウゴウと音を立てる血河でも出来たみたいだった。視界はとっくに赤い世界に染め上げられている。

 なのに俺らは殴りあいを止めない。

 そいつらが活性化した肉体再生で治ってはまた壊れての繰り返しを強制させられているからだ。

 ああ、頭に血が昇って忘れてた。早く早くあいつをぶちのめしたいと気が急いて、舞台の小道具が残っているのを忘れていた。

「お前にいいもん見せてやろうか」

 それは種だ。

 遠くで「あっ」と声が上がった気がする。その後もなんかきゃんきゃん吠えてる。あんまうまく聞き取れねぇけど小うるさいならラニーだろう。もともとあいつのもんだしな。

「本物の巫女さまが言ってたぜ。こいつがおそらくは、この世に残る最後の実だってな」

「なんだと……」

 当然、嘘だ。

 だけど嘘なんて簡単に真実にしてしまえる。この男の欲しがってるモノをそれらしく見せてしまえば本物って粉を吹き掛けられた嘘が出来上がる。

「こいつはな、この都市が終わる間際に白の魔女が持ち出したものでな。いつか必要になるだろうってラニーの先祖たちに渡したもんだ」

「失われたはずではなかったのか」

 その口ぶりだとヘルダルフの一族にもそういったモノが伝わっていたと一応は残されていたらしい。実物を見たことがなかったのか。都合がいい。

 おそらくはラニーの一族を襲った時にそれらしい種や実があれば奪われていただろうがどう見てもくそでかい樹の種には見えないからなこれ。しかも金属っぽいし。

「お前はラニーを操るだけ操って、一番欲しがってたコイツに関してはまるで興味出なかったなんて間抜けにもほどがある」

「寄越せ」 

「はいあげまちゅーなんて言うわけねーだろ。だって俺、お前嫌いだし」

「ならばそれをどうする。這いつくばってどうか恵んでくれと乞えとでも言うか」

「まっさか。お前はそんなものを受け入れないし、どうせ最後には奪って殺すつもりでいるんだろう」

 だから、こうする。

 大口を開け、種を掲げ、そのまま投下。

 ごろごろした感触が喉から食道、そして胃へと落ちていく。

 その時のヘルダルフの顔といえば、気持ち悪いことに顔をひきつらせて目を大きく見開き肩がビクリと蠕動して何か言葉を発しようとして、結局なんにも言えずに一瞬が過ぎ去るのを見守るしかない、そんな愉快な顔だった。

 白の魔女の呪いも時女神さまの祝福も受け取ってないが、俺にも時間を操ることが出来たようだ。

 時間が止まった。正確には誰も何も喋らないし動きもしない。風も吹かないから空気も揺れない。月の光も止まったように思える。 

「まっずぃ、うぇ」

 端的に言って、美味しくなかった。

 丸のみだから当たり前なのだが。果肉なしの果汁もなし。ザシャが金属見たいと言ってたがその通りでこりゃ胃に悪いな。

「ごっちゃん」

 舌を出してペロリ。追加で頭こっつんしてごめんちゃい。

「誰かの人生奪ってまで欲しがる食い物じゃないな。お前、こんなの欲しがって、やっぱり馬鹿なんじゃないか」

 ヘルダルフの頭に浮かんでいた極太の青い血管が、その時、ぷちりと音を立てて切れたのを見た。

「あ、ごっめーん。あんなに欲しがってた実、食べちゃった。テヘペロー」

 特段、変わったことは起きない。

 いきなり超人になったりもしてないし身体のどっかが変わった感じもない。

 やっぱり種のまま食ったりしても特に影響はないってことなのか。

「さあどうする王さま。俺の腹ぁかっさばいて取り出すか。ああ、もう一つ、たぶん消化出来そうにないからクソの山から掻き分けてみるか。クソに集る蝿みたいでなかなか似合いだな」

 震える手足は怒りのためか。

 それとも振り幅の激しい感情に身体がついてこないのか。

 不格好にもほどがある獣めいた超低姿勢でヘルダルフが駆けてきた。それは今までで最高最速。人の動きを逸脱した獣の動き。 

 硬く握り込まれた拳が腹に突き刺さる。連打連撃。踏み込み突いて、突き上げる。

 腹の中に収まった種をなんとしても抉り取ってやるという狂気的な意志。

 胃液吐瀉物血液。

 そんな汚いもんが自分に降りかかってもまるで頓着しない。ひたすら俺の腹をかっさばこうと意味を為さない唸り声を上げて目玉をひんむいている。自分の耐久力を超えて繰り出される攻撃は俺だけじゃなくヘルダルフ自身も壊れていく。

 流石に防がないわけにはいかない。こんなの無防備に受け続けてたら腹と背中が貫通して引き裂かれる。

 腕を十字に、腹への一点を防ぐ。吹っ飛ばされてはこっちが体勢をどうにかする前に追い付かれ、また吹っ飛ばされるのを繰り返す。

 骨は砕ける、肉は裂かれる、それでもまだ壊れない俺の身体笑える頑丈すぎとか思う前にやっぱりいってぇな畜生!

 歯を食い縛ったら奥歯が砕けた。

 そんなに。そんなにこんなクソまずいもんが大事か。そんなに欲しいか。

 ヘルダルフの突進の衝撃で、ヘルダルフを受け止めたまま広場の縁まで運ばれる。

 お互い荒い呼吸。生じた隙間のような静かな時間。

「他人ってやつにはなぁ、絶対踏み込んじゃなんねぇ、触れちゃなんねぇ聖域ってもんがあんだよ」

 それは例えば取り戻せない過去だったり、それは例えば失った両親であったり、それは例えば心の一等奥に仕舞い込んだ誓いだったり。

 それをお前は我が物顔で踏みにじり、ぶち壊して奪い去る。

 ああ、勘違いすんなよ。別にそれ自体に腹を立ててるわけじゃない。自覚のない無礼に非礼に失礼なんて生きてりゃ当たり前に遭うもんだ。

 それはいいんだ。

 そんなのは本当にどうだっていいんだ。

 はっきり言うぞこのクソ野郎……!

「てめぇ、俺に、この手で、レイを殺させようとしやがったな……!」

 今度はこっちが腹を殴り返す。

 汚い唾液が振り撒かれるが知ったこっちゃあない。無様に腹を抱えるその姿を目に、記憶に納めて溜飲を下げる。

 この世にある、ありとあらゆる悪行の中で最上位に値する許されざる所業に対し報復を報いを復讐を。

 故に思い付く限りの悪行をやり返して虚仮にして、必ず潰す。

 例えお前が求める全てをぶち壊したって晴れるもんじゃないこの苛立ちに怒りに憎悪。甘んじて受けろよ。他人さまの領域を踏み荒らしたのなら当然だ。

「貴様その程度で、俺が真の王へ至る道を壊したと言うのか……!」

「その程度で他人ってのは吠えるし噛みつくし怒るんだよ! そうなんのが嫌なら尊重って言葉を覚えとくべきだったな!」

「思い上がるなコマ風情がおぞましい! 尊重!? なんだそれは!? 俺にそんなものが必要だとでも!?」

 体勢を立て直したヘルダルフが近づいてくる。

 助かる。正直、歩くのも億劫なんで、いい年してるくせにガキみたいなおっさんに近寄るのは気力が必要だったところだ。

 俺に負けず劣らず歯茎をむき出しにした嫌らしい嗤い方に思わず嗤う。

「あのガキを殺させようとしたことが許せないだと? ならば再び我がコマになりもう一度殺しに行け! しくじるな! 俺の命だ失敗は許されない成就以外に道はない!」

 言葉に力が乗る。

 その力は壊れた俺の耳にするりと侵入し、頭の中に根を張っていく。ガキを殺せ。お前の矜持にかけてガキを殺せ。王の命。何よりの喜びと光栄に酔う。

「くっそっが!」

 瞬間、両耳を潰した。鼓膜が破壊され、言葉が聞き取りづらい雑音でしかなくなった。

 それでやつの支配に抗えた訳じゃない。

 強制的に意識が塗り替えされ書き換えられていく。耳の穴から蜘蛛が侵入してきて見境なく巣を張り巡らしていったらこうなるかもって感触に自分自身の頭を砕きたくなる。それなのに砕けない。自由を奪われた。

 戯れに仕掛けられた前とは違う。己以外は全てコマと心底信じる奴の強烈な祈りが意思を塗り替えていく。

 ヘルダルフが何か喚く。聞こえないのにその言葉に身体が従おうとするのが憎たらしくてたまらない。

 手が、足が、身体の感覚が遠ざかっていく。

 思っていない方に手が延びて、考えてもいない方に足が進む。俺の意志に反して機械じみた動きであらぬ方へと前進し始める。

 その先にいるのは、レーヤダーナ・エリスだった。

 冗談じゃあない。冗談じゃあないぞ。あいつをこの手にかける。それだけは例え女神さまだろうが犯させちゃなんねぇ俺の聖域だ。

 こいつは俺の身体だ。間違ってもお前なんかの命令を聞くためにここまで永らえてきた訳じゃあないんだよ。

 俺の腕。俺の足。俺の頭。俺の目玉。何のために使い、誰のために使うのか。それを決めるのは俺であってお前ごときじゃなあい。だから身体中に巣食った蜘蛛ども疾く失せろ!

 そう念じた瞬間、指先に針で抉られたような痛みが走る。

 そこにはなぜか、俺の再生力や、ハルの治癒すらまるで受け付けなかった咬み痕がある。

 もう一度、レーヤダーナに視線が向かうとあのガキんちょめ。

 灰色の底無し沼めいた目の奥に、ちらりと濁る、前と同じ不快の色。睨んでいるのか、落胆なのか軽蔑なのか、とにかくそれは不快の色で。

 ゆったりと、口を開け、何かを噛むよう真似をした。ガチンと罠が噛み合うようなそれ。

 ……イッ!

 歯をむき出しにしてきやがった。

 蘇る、性悪な化け猫に食いつかれたような記憶と怖気。

 そいつはこれまで受けてきたどんな威嚇よりも心胆寒からしめる破壊力に満ちていて、頭の中の蜘蛛の糸を引きちぎり、それに飽きたらず五体の感覚を取り戻させた。

 俺の中ではクソ野郎の祈りよりもガキんちょに噛みつかれた恐怖体験の方がより強い強制力を持つらしい。

 笑うしかねー。

「何をしている。早く行け。そして殺せ!」

 早く行けじゃねーよ。なに命令してんのお前。滑稽で嗤うわ。

 手、動く。足、動く。頭の中身は。クソ野郎。ムカつく死なすしぶっ潰す。つまりは正常だ。

 腹に力を入れる。

 ここにあるのは拳骨だ。この瞬間、この世で最も堅くて強いと信じる拳骨だ。何でもぶっ飛ばせると信じる拳骨だ。

 振り返る。

 訝しげに俺を睨むヘルダルフ。

 自分の祈りを信じきってまるで疑っていないその鼻面へ、今宵最大限の贈り物を。

 この拳は何でも殴り飛ばせる。なぜってガキんちょの前で、そうじゃないと格好つかねぇ。足の裏は地面を踏みしめて根を張るように。

 身体を捻り、力を溜めて、威を巡らせ。そうして最後に解き放つ。そこに一切の技は不要。ただの力任せ。火事場の馬鹿力。

「人様にムカつく命令こいてんじゃねー! 馬ッ鹿野郎!」

 人の身体は水平飛行を可能にする。それはもう見事なまでに。

 撒き散らかされる鼻血に唾液に砕けた歯。

 吹き飛ばされる方向は地続きじゃあない。あいつの身体を受け止められる大地なんぞない。掴めるものも何もない。

「……ふざけるな! コマの、分際ガ~~~!」

 憤激混じりに伸ばす手は、空の下に消えていった。

 その生涯において、他人を一切顧みることのなかった男は、だからこそ、誰にも、それこそ血を分けた娘にすらその手を掴まれずに終わる。

 はん、似合いの末路だ。一切顧みられずに、死ね。

 消える手の顛末を見届けずに振り返った俺は、その瞬間に、プチっと断線した。

 意識は途切れ、ぐしゃりと潰れた。

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