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 ここで引くってのも一つの選択なのは確かだ。

 当初の目的は達成している。

 俺たちは全員無事だし聖樹の都も見つけたわけで、あとのことはどうにかしたい奴等がどうにかしたらいい。ヘルダルフなんぞに関わるの百害あって一里なしなのは間違いない。

 だからまあ、他のやつらの意見によってはここで終わるってのもなくはない。

 それぞれの顔を見る。

 レイはいつも通りのぼんやり面でなんにも考えてなさそう。ハルは疲労困憊といった状況で俺を見て何か言いたげだ。そして最後にラニーはといえばげっそりと青白い顔で意外にも神妙にしている。まあ、吐くもん吐いて何か言える状態じゃないだけかもしれないが。

「あたし、あっしは、おえ、あいつを、追うから、みんなは、帰って……ウェッ」

 あっしてお前……。その根性に敬服。

 煌士としての立場だったら、有無を言わさずラニーも連れ帰るのが正解なんだよな。民間人の安全第一主義なんで。

 ただまあ、個人としてはこの先に進むのに賛成だ。あのクソ野郎をただで放っておくわけにはいかない。

 それにぶっちゃけるとこの大樹からまともに降りるのは出来そうもない。地表からどんだけ高いかなんて量る気にもならないし、どっちみち正規の道なんて分かりゃしねぇし帰り道なんてもんがあるんなら教えてほしいね。

 俺が知っているのは大樹の巫女から示された、天頂の庭園にある雲上と根の底を繋げる道だけだ。

 そこ行く前に振り返る。

 音を立てて燃え上がる炎。風に乗って巡る苦しみと痛みの音のしない声。それに混じる人の焼ける異臭と巻き散らかされた焼けた血潮。

 俺が引き起こしたことの顛末を視界に収めた。名前も知らない誰かとただ役目を果たしたヴィルヴィス。

 こうなるかもしれないという予測をしていて予測通りの結果になった。

 あの中には単純にヘルダルフに操られていただけの奴もいたかもしれない。悪事を働くなど考えたこともない奴もまた。

 だけど単純に、邪魔だからという理由だけで排除した。だから忘れるな。彼らの終わりを。お前の決断が招いた彼らの結末を。

 そんなことに思いを馳せるのは無駄で無意味で無価値で害悪で、いつかお前の命を奪う毒になるとずっと昔に教わった。

 それは絶対的に正しいと感じているし、そうするべきだとも思う。だけども。

「我は人。彼も人ってやつかね」

 相身互い。命を奪い合う者同士が使うべき言葉ではないが、ならばなおさら、お互いへの敬意と悼心を忘れてはならない。それを亡失したまま命を奪うのは人に非ず、ただの獣。醜い獣に他ならぬ。

 なんてのをちょっと、思い出したりもしたし。それに……。

 レイを見る。ハルと手を繋いだまま燃える炎を瞳に映して黙して語らない小さな姿。

 今はまだなんにも感じてないかもしれないが、いつかこいつの心が育った時にこの記憶を思いだし、俺の在り様を見て、他人なんぞゴミカスで、一々心を砕くまでもない。そいつが普通なのだ、なんて思われちゃたまらない。

 人間の醜い側面なんざとっくのとうに出会って味わい尽くしたこのガキんちょ。

 エリスの怪物。

 いつか人並みに心が成長し、他人と接し、何を感じ、何を思い、そして何を為すのか。それを選択するのはこいつ自身で、その結果もこいつが受け止めるものだけれど、せめてその判断は、人間とは悪性だけの塊ではないと、それだけではないと思えるだけの材料を。

 だからなるべく、こいつの前では正しい人の姿でありたい。口になんて絶対に出せないし、出さないが。

 なんとなくレイの頭をグシャグシャっと乱暴に撫でくりまわす。ぐりんぐりんと首が回ってぼんやりと俺を見上げてきた。

 この先できっと正しくはないだろう姿を見せるかもしれないのならなおさらに。とても醜い人間でしかないその姿。

 火が回ってきた。

 本当はハル達を、特にラニーをこの先に連れて行きたくはないがそういうわけにもいかないか。

「カナタさん」

 ハルが話しかけてきた。ひどく難しい顔面していやがった。私、なんか思い詰めてますって丸分かりだった。

「あの、私、あの人を」

 遮った。

「そういうのは婆さんのとこに戻った後でいくらでも聞いてやるよ。金持ちなんだ。上等な酒と旨い肴を用意してもらおう。なにしろ伝説の都生の発見祝いと誰一人帰って来られなかった曰く付きの場所からの生還祝いだ。普段の安酒なんざ比べもんになんねぇぐらい美味いに違いない。当然、お前も付き合うことになるがな」

「拒否権は」

「あるわけねぇだろ」

「……その怪我でお酒は身体に良くないと思いますが」

 洒落臭いことを。

「酒は百薬の長という言葉を知らんのか?」

「されど万病の元って言葉知ってます?」

 目が合う。呆れたような目線にだったがそれまあきっと俺も同じようなもんだろう。沈黙を残したまま同じ歩幅でずんずん進む。

 大きな溜め息をハルがする。

「ええ分かりました。でしたらその時に聞いてもらいます」

 なんか憤懣やるかたないって感じだが不安そうな顔してるよりもマシか。

「その為には」

 胸ぐら掴んきやがって、それだけでも俺は目を真ん丸にしているだろうにさらにこう告げてきやがるもんだから。

「目が見えて耳が聞こえて話も出来て、レイちゃんを無意味に撫で回したりする手やおんぶして気持ち悪くご満悦になれる身体じゃないといけませんからね」

 ふんすふんすと鼻息荒い。目も血走っているしめちゃくちゃ意味不明な言動口走るし。冷静に見えてちゃんと興奮かつ混乱してたんかこいつは。いつ俺がガキんちょ背負って悦にいったよ眼科行け眼科に。

 ……ん、あ、ちょっと前にしてたわ。悦に。だってひんやりしてたんだもん。

 まったくもって、生意気な。

 礼には礼を。無礼には無礼を。そこに男も女も関係ない。相応しい返礼をしなくては礼を失するというもの。

 ハルの顔を挟み込む。柔い頰に不細工なたこ口。こうなると無意味に威圧感を振り撒く黄金瞳も形無しで、面白さを彩る色物要素にしかならん。

「ふぎー」

 こいつが言いたいことはまあ分かった。

 要するに、俺が負けるとでもちらっとでも思ったんだろう。そう思わせたのは無様なとこ見せた俺だから仕方あんめぇが、受け入れるのとムカつくは別の話。ここで何か言ったところで説得力はないし格好もつかん。

 だから行動と結果で示すっきゃねぇわけで。

 この先にいるだろうクソ野郎を思うとそれはそれは。ああ、本当に本当に。

「ラニー。お前は何があっても逆上するな。勝手な行動すんな。あいつの言葉に耳貸すな。離れたまんまでいろ。あいつが近づいてきたらなんとかして逃げろ」

「わ、分かってるって。あたしだってあいつの人形になるなんて二度とゴメンだし」

「次にああなったとしてもお前を正気に戻す余裕なんてないからな」

「……分かってるよ。けど、いや、なんか、あんた、その怒ってる?」

「なんにだ」

「いや、笑顔気持ち悪いし……」

 男子の笑顔を気持ち悪いとは失敬な。

 笑ってんのは否定しない。この先にどんな光景が待っているかを思うと胸が高鳴って止まらない。もしかしたら恋する乙女よりも。

 なぜってそんなのは当たり前の理屈。

 我は人。彼も人。

 その思想に否やはない。その言葉の持つ全部の意味を俺が飲み込んでるなんて欠片も思ってないが要するに、人間同士、敬意を持ちあいましょうってことなんだろうよ。叶うなら人間みんながそうだったらいいなと思うし、俺に出来る最大限の努力をしたっていい。

 けれど、彼が獣であったらどうなる。我が人であり続ける理由はあるのか。

 俺の答えでいいんなら、そんなもんはこれっぽっちもない。

 俺はどこにでもいる人間で、古代の偉人のように偉大でもなければ聖人のように心が広いわけでもない。矮小とまで言いたかないが普通なんだよな。心の大きさも感性の有り様も。人としての器ってやつかね。あるいは人間性に人間力。

 そうだ。俺はどこにでもいる人間だから、縄張りを踏み荒らす獣に対して公明正大、海闊天空な人としてなんて振る舞えない。なるべく正しい人の姿を示したいとは思うしそうありたいとも思っているが、やっぱり自分の心を偽っちゃあいけないよ。

 上へ上へと近づいていく。

 薄暗い空に輝く満天の星。高すぎるのか雲一つもない様子だ。

 随分と冷たい空気。だからこそ伝わってくる極僅の熱の感触に何かが焼ける音と漂ってくる腐ったような甘い匂い。

 もし仮に、ヘルダルフらとの邂逅もなく、俺たち五人だけでここに訪れていたら何を思い、何を感じていたのだろう。

「これって、連理の木。あんなにたくさん」

「……枯れてる」

 複雑に絡み合う巨木。お互いがお互いを食い合うように絡み合う巨木。身体を預けあったたくさんの木。

 聖樹のように高く聳え偉容をそびやかすのではなく、己だけではもはや立ち上がれないからと隣人に身を預ける病身の女性のような姿だった。

 歴代の大樹の巫女がなした樹だったのかもしれない。流石にどんな形をしているかなんて聞いていなかったし。

 巫女の数だけ樹がなったとしたのなら、その姿はいったいどういう意味があんだろうな。

 捻れ、捩れ、互いを相食むような姿は支えるようにも傷つけ合うようにも見えた。こりゃあ俺のただの感想でしかないがな。

 その多くは枯れ落ちて、だけど一つだけ生き残っている樹があった。けれど最後に残ったその一つは枝葉も幹も、今この瞬間に焼け落ちた。当然、実も何も残らない。

 自重を支えきれず地に落ちる枝の音が俺には根の底に佇む大樹の巫女の歓声のように聞こえる。

 燃え尽きた最後の樹の前に佇む男の姿があった。

 ヘルダルフ・アレクセイ。

 その背中はひたすらに静かで目の前で起きた事実をどう受け止めているのかは伝わってこない。

 ハル達を残して俺だけが近づいていく。

「いや、景気良く燃えたな。乾燥してたし風も強かったからな。丁度いい具合に燃えたな」

 俺は一体どんな声をしてるんだろうな。

「なあおいどんな気分だクソ野郎。ずっと欲しがってた実が目の前で燃えカスになった気分は」

 とてつもなく下衆で下劣で下品だってのは自分でも分かる。分かっちゃいるが止められない。止めるつもりは端からない。

「た~くさん頑張って頑張ってそれこそが・ん・ばっ・て! 努力してたのにほんっとうに残念だよな~こーんな結末になっちゃうなんて!」

 紳士紳士。紳士の心を忘れずに、けれど下衆い心が前面に出る。

 心が踊る。口の端がつり上がる。胸の奥が動悸で弾け飛びそうだ。心臓が口の奥から全世界にこんにちはしそう。

 こんなに興奮と高揚で震えるのはいつぶりだったかな。もしかしたら色んな意味の童貞を失って以来か。

 愉快痛快。その面見さらせ。泣き顔だったら気持ち悪いと殴ってやるし、そうでなかったら泣きわめけと蹴り飛ばしてやる。

 俺のそんな痛切な願いと裏腹にやつの顔は歪んでもなかったし崩れてもいなかった。

「これはお前がやったのか?」

「これってなんだよ。主語と述語を明確にしろ。なんなら修飾語も付け加えて詳しく説明してくれてもいいぞ」

「この樹を、実を、火を付けたのはお前かと聞いている」

 冷静な口調。冷徹な視線。目の前で希望が文字通りに燃え尽きたってのに機械めいた印象は変わらない。

 つまんね。耳穴ほじって出てきたカスを吹き飛ばす。

「当たり。ご指摘の通り、俺が、火をつけてやりました。樹がでけぇから火回りは鈍かったし火種は心もとなかったしで大変でございました。でも頑張りました。めっちゃくちゃ張り切りました。なぜって、お前への最高のプレゼントになると思ってたからだよ」

 なのになんだその期待外れの反応は。

 はぁ~っと盛大な溜め息。

「どうやってここまで来た」

「後ろにいるなんちゃって巫女じゃない現役のモノホンさんに会えたんでね。なんでもその女は聖樹をぶち怖したくて堪らんらしいので、そいつの願いを叶える一環として手始めに実を燃やそうってことで合意したんでここまで送ってもらったのさ」

「そうか。代わりがいるのか。しかも過去の巫女ならば、再び実を生み出すことも可能だろう」

 ふらりと俺の方に振り向いた。幽鬼めいた青白い顔。

「どけ。そも、お前はなんだ。何者だ」

「あ?」

 無造作に近づいてくる。それこそ、俺がこいつをどう思ってどうしてやりたいかなんて考えてもいないように。

 それどころか自分が銃器を持ってる優位性まで忘れたかのように俺の真ん前で来て見下ろしてくる。

「覚えがない。そもそも誰の許しを得て俺の前に立っている」

 なに言ってんだこいつ。ちっと前にやりあったのを忘れたのか。痴呆か。歳だからか。

「つれねーこと言うなよおっさん、殴りあった仲だろ。しかも大虚仮かましてくれやがってこっちは忘れたくっても忘れられねーよ」

「俺が? お前を? 虚仮に?」

 おうむ返しに聞き返してきやがる。本気か。本気で言っているのか。

 覚えてない。あんな真似をしくさりやがって覚えてないだと。

 はっ、笑えない。頭に血が上る。喉の奥が震える。舌が痙攣する。眼球の表と裏がひっくり返りそう。拳に力が入る。奥歯を噛み締めて衝動を抑える。

 手間かけて燃やしてやったってのになんの意味もなかったってか。ふざけろよ。

「カナタさん!」

 遠くからの声が俺の意識を引き戻す。

「その人は、自分以外をヒトだと思ったことも感じたこともありません! 自分以外は全てコマです! きっと初めて他人を認識したんです! 彼は今、初めてあなたと出会ったんです!」

 それはまさしく、巫女からのお告げかあるいは女神さまからの天啓か。

 沸騰していた頭の中身にすっと一つの思い付きが浮かんだ。

 他人。人。己以外は全てコマと言い切る男が誰だと聞いてくる。それはつまり、俺を人間だと思わざるをえないことが起きたってことで。ようやっと胸がすいた気分。殺伐な現場に清涼な風が吹くってもんだ。

「もう一度、聞いていいか」

 極めて冷静に。どうせすぐに思考なんぞ吹っ飛ぶし。

「お前、今どんな気分だ?」

「どんな気分? どんな気分かだと?」

 ずっと鈍色の靄が沈んだ目に色が灯る。

 その色の名はよく知っている。何度も向けられ、そして何度も向けたことのある意味慣れ親しんだ色。

 憎悪。

「逆に聞いてやろう。お前は、いま、どんな気分だ」

 はは、よくぞ、よくぞ言ってくれたよ。よくぞ期待に応えてくれたよ。そうでないと実を燃やした意味がない!

 そう言ってくれないと、俺も胸張ってやり返してやれないってもんだからな!

 嗤う。とても醜い人間の貌で。

「「潰シテヤル」」

 奇しくも同じコトバ。

 お互いの最初の一撃は、絶対に相手を叩き潰してやるという顔面への拳だった。

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