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固有名詞の名前ってみんなどうやって思いついてるんだろう
「おめーよー。今仕事の話してんの。関係ない奴はさっさと出ていけ」
「レイちゃんのためにわざわざ南洋から林檎を持ってきてくださったんでしょう。ここに来たら偶然知りまして。何を作りましょうか。やっぱりオーソドックスにパイやタルトなんかがいいでしょうか。林檎を頂けたらすぐに出ていきます」
現金で図々しい女だった。
流石というべきか。女一人で旅をしていただけあって柔らかな雰囲気を裏切って言うべき時は言うし肝も太くて根性もある。悪い奴ではない。むしろ良い奴でもある。
なぜって以前の件以来、こいつは自分になんの得があるわけでもないのに率先してレイの面倒を見る。見まくる。気持ち悪いほどに構う。俺は楽できて良いのだがはっきり言ってそれは良くない。
誰かの面倒を見るってのは想像以上に大変で、なによりそいつの時間がなくなる。多くの人にとっては美談かもしれないが、働く人間からしてみるとさてどうだろうな。ハルは自分がしたいからしていると言い張ってるけど。
それはそれとして、作るんならちゃんと俺の分を確保しておけよ。言いたいことは、それだけだ。お前が高糖質を摂取しすぎてぶくぶくに太ったところで文句はない。レイにこういうだらしない奴になってはいかんと伝えるだけだからな。
「おやおやこれは見目麗しいお嬢さんたちだ。君が噂の妙齢の女性なのかな。若き煌士とそれに寄り添う少女。確かに小説の題材になりそうな二人だね。ま、僕には負けるがね!」
「すみません。林檎を頂けますか。初めまして、ハルです」
ほら図々しい。名乗りの前に要求が出たぞ。
「おっとこれはまた柔らかくも鋭い要求だ。いっそ清々しささえ感じるよ。さ、南洋の林檎だ。是非、しゃっくりと食してくれたまえ!」
「ありがとうございます」
普通にやり取りしてる。図々しいやつが図々しいやつと顔を会わせたらもお互いの図々しさはさほど図々しくないということかもしれない。俺のような控えめで従順、慎み深い人間には分からない世界なんだろう。
「ところで、噂のレーヤダーナ・エリス君はどこかな。マルー君からも奇々怪々な子だと聞いているよ。良い刺激を受けられそうだ。実に好奇心が疼くね」
好奇心旺盛な犬のように鼻息の荒いザシャだった。
なんだこいつ。俺を調べたとか言ってたけど姿格好までは把握してないのか。正直、片手落ちじゃないかと思わなくもない。
「君の言いたいことは分かるよ。けれど元々マルーくんから自分の目で見なくてはあの子の姿は分からないと事前に聞かされまくっていたからね。それはもう相当に語られまくっていたからね。まるで長年探し続けたロマンに巡りあったようにこの胸が高揚しまくっているよ!」
しょーがねーな。
俺は林檎にじぃっと見いっていたレイをひょいこらと抱き上げる。
うん、前は骨と皮だけだった感触に薄い膜みたいな肉がついている。相変わらず良く出来た人形みたいにしか見えないがちょっとばかりは人間味というものも身についてくれたのかね。
「お探しのレーヤダーナ・エリスだよ」
「なんと! 求めていた者は実は側にいたということなのだね。なんとも寓話のようなお話だ! さあレイ君。そのお顔を、僕、だけに、見せておくれ!」
突き出されたレイのうっとうしい前髪をずいっと上げるとにこやかな笑顔のまま奴は固まった。
そのまま数秒、十数秒、数分経過してようやく奴は再起動を果たした。
「久々に死の河に住まう水精に手招きされたよ! なんだいなんだいこの子はまったくもってびっくりだね! 雰囲気からして奇妙だったけれどお顔はもうこの世の者とは思えないね! 本当にもうなんって気持ち悪い――のほぅ!」
ハルが、パーで、叩こうとした。
外面は温厚そうに見えるが中身は案外と激しいところがあったりするのだあれで。暴力は全てを解決するとばかりにザシャを引っぱたこうとした。
が、その右手は奴自身の左手で封じられていた。俺の右手が目覚めるという構図だった。
穏やかな表情のままハルは渾身の力を込めて自分の蛮行を抑え込んでいた。
端的に言って、引くわー。
そうだよな、俺の右手ちゃん。
振り上げられかけた俺の右手が迷子になりそうなのでそっと左手で抑えた。両手のしわとしわを合わせて幸せ。
やっぱり暴力はいかんよな。
「い、いけないよお嬢さん。君の手は男を引っ叩くよりも撫でる方が向いている。その美しき繊手で撫でられて鳴かない男はきっといないよ」
「どう泣いてくれるんですか」
双方で『なく』の意味に違いがありそうだが飲み込んだ。俺としては男を鳴かせるハルもちょっと見てみたくはある。
「ぶ、ぶひぃ!」
期待に応えたザシャが完全降伏とばかりに鳴いた。鳴いて降参とばかりに頭を低くした。野生の動物界では頭の位置の高さによって勝ち負けが決するという。
であればハルとザシャの頭の高さ。比べるまでもなく圧勝しているのはどちらかは敢えて言うまでもなかった。
少しばかりはザシャに同情してやってもいい。選んだ言葉が悪かったな。運と時期もな。
レーヤダーナ・エリス。他称十二歳。いまだに教会のやってる日曜学校は言うに及ばず公園デビューすらも果たせない。初めてのお使いなんぞ夢のまた夢。
その素顔を見るなり悲鳴を上げる者多数。気味悪がって目にも入れたくないと顔を背ける者多数。性質の悪いやつだと石を投げつけて追い払おうとして来る者もいた。
そいつら一様にこう言うのだ。
気持ち悪い。
レイは特に気にするような感性も思考も持ち合わせてないのだがくっついて聞く羽目になったハルはすっかり辟易したようで割と過敏になっている。
「その言葉、二度と言わないでくださいね」
とっても冷たいお言葉で春の陽気に当てられて出てきた鼻汁も寒さに身を震わせて引っ込むほどだった。
ザシャも同じなのか無駄に口数の多いこの男も首をかくかくと上下に振るのみだった。
「以後、二度と言葉に出さないとこの南洋林檎にかけて誓おうではないか!」
強く宣言して林檎に強くかぶりついた。果汁が零れるからやめろ。
しばらくしゃくしゃくと林檎をぱくついていたザシャ。じっとレイを眺めている。そのレイといえばハルによって切り分けられた林檎をちょっとずつかじかじしていた。
「それにしてもその様子だとずいぶんとひどい言われようだったみたいだね」
「まあな。自給自足出来る僻村の方がこいつにとっては住み心地がいいだろう」
それについては間違いない。
姿格好に雰囲気のみならず、こいつに巣食ってる訳の分からない神さまめいた力は人の中で生きるのであれば明らかに不要だ。
落とし子なんてものの範疇すらも超えてる。
神さまが人と交わっても百害あって一利なし。最初は上手くいっているように見えても必ずどうしようもない破綻が来る。
最悪を想定すれば今すぐ人里離れた場所に移住するのがむしろ正しい。
だけどそれではダメなのだ。
それではレーヤダーナ・エリスは神さまでも人でもない怪物のままだ。
「そんな君たちに朗報さ!」
しゃくりと林檎を喰らいつくしたザシャが懐から何かを勢いよく取り出した。
眼鏡だった。
こいつ、そんなことでレイの特異な性質がどうにかなるんならとっくにどうにかなってるっての。俺が試さなかったとでも思ってんのか。
目が合わなければ問題ないというわけじゃなかった。少なくともレイを前にしてあいつに見られていると意識したらもう駄目だ。あるいはそれ以上に凶悪かもしれん。
俺やハルはもう平気なのだが。人によって結構な差があるんだ。なんでそんな風になるのかは解明出来なかった。人体実験させろとは流石に俺の薄い面の皮では無理。
「ふふん。騙されたと思ってなんてお寒い台詞は僕は言わない。掛けてみたまえ!」
手渡された眼鏡。
古びたデザインの、そう、なんというか、ぐるぐるっとした分厚いレンズのビン底眼鏡。胡散臭さで鼻がひん曲がりそう。
だから騙されたと思って掛けてみる。小さな顔には不似合いの大きな眼鏡はすぐにずれてしまうがしかし。
「あん?」
確かに、そう、確かにレイから感じられていた人を遠ざける雰囲気が和らいだ。
「これって……」
ハルがなにかに気づいたように呟いた。
「ふふふ。これは僕が長年愛用している秘密道具の一つでね。装着した人の雰囲気を極限まで地味にしてしまうという僕のように気品溢れる人間が人目を忍ぶ時に使うにはぴったりの煌遺物さ!」
煌遺物。
俺の時計もそうらしいが……前の事件以来、光るなんてことは起きていない。
他の煌遺物も何度か見かけたことはあるが相変わらずなんでそんな現象が起こるのか分からん。
煌導器でも似たようなことは出来る。獣避けやら幸運のお守りと効力の強弱はあっても基本は同じ。特定の力を持った煌加師が触媒に要素を付加して効果を発揮するんだとかなんだとか。
知り合いの煌加師に指輪なんかの装飾品になんとかしてくれと頼んだがレイの場合は無理だった。まったく力が足りずに触媒が片っ端から壊れる有り様で頼んだ奴はすっかり自信を失ってしまった。
なんとかしたいのであればもっと大きな触媒と、常に煌力を補充できるような装置が必要だと言われたので断念した。
俺はレイを抱き上げると外に出て行った。
まずはマリーダさん。
「こいつを見てくれ!」
「レイちゃんでしょ」
ダメだ。この人はレイに慣れてるから大して変わりがない。
「こいつを見てくれ!」
次は町行く人に声をかけてみる。
「野暮ったい眼鏡だね。どこで売ってたの見かけないよそんなの。もうちょい可愛いやつ買ってやんなよ」
マジか。
「こいつを見てくれ!」
「おいおいあんちゃん。ちっちゃい子を乱暴に扱っちゃいけないって紳士に教わらなかったのかい。ここは一つ、子守りの大家と呼ばれたおいらが極意ってもんを見せてやんよ」
顔を赤らめて近づいてくるおっさんを蹴飛ばして方々にレイを見せつけた結果、確かにこのクソださ眼鏡は効力を発揮しているようだった。
忌避され嫌がられ果ては石まで投げつけらたこのガキんちょが、野生の芋とたいして変わらん扱いを受けるようになっている。
マジか。
「これすっごい!」
「地呪味怨の眼鏡と言うのだよ。これを掛けた者は地味の呪いを背負ってしまい周囲から地味な奴だと認識される呪いを受けてしまうのさ。ふふふ、君が依頼を受けてくれるのならその間、この眼鏡を特別に貸してあげて」
「幾らですか」
ハルの強弁。ものっそい真顔。
「あ、いや。これは売り物ではなく」
「幾らですか」
「いえその。売り物ではなくて」
「幾らですか」
「あ、はい」
待て待て待て。勝手に話を進めるんじゃあない。
煌遺物ってのは一般人が所持するのは不法なのだ。これはどこの国でも一緒。簡単に売買や譲渡出来るもんじゃない。
「ザシャは不法所持してるってわけじゃないな」
無言で優雅に微笑むザシャだ。
流石に有名人だけあってそこの辺りはしっかりしているようだ。だとしたらやりようはある。こいつから奪い取った後もこいつには持っている振りをしてもらえばいいだけだ。持ってないのがばれたらどこかに落としちゃいましたーてへりとでも言ってくれれば……。
「当然、不法所持さ!」
「おい」
「だって便利だし」
しれっと言った。
ただまあそれならそれで。どんな手段を使っても譲り受けることに問題はないわけだ。
「おや二人とも。目が怖いよ。まるで山賊か追剥に求婚されてるような気分だよ」
「そいつを譲るってんならこの時計をくれてやってもいい。お前、これが必要なんだろう。聖樹の都とかに行くために。ついでに誠心誠意、依頼を全うしてやってもいい」
「いや、それは鍵の一つかもしれないってだけで確定情報ではないというか。とういか君が持っていないと意味がないかもしれないっていうか」
「聖樹の都って聖樹イルミアですか?」
俺とザシャのやりとりをレイを膝に乗せて林檎食わせて眺めていたハルが言い出した。
「知ってんのかハル」
「はい。母から聞いたことがあります」
割りと忘れかけてるけどこいつは魔女の末裔で、母親から色々な逸話を聞いていたらしい。まあ、こいつにとって肝心要の情報は聞けず仕舞いだったらしいのだが。
「聖樹の都イルミア。まだ大陸が安定しないなかった暗黒時代に乱立していた伝説の一つですね。詳しい場所は分かりませんが当時の暗黒期において比類ない栄華と繁栄を誇りながら決して表舞台に立とうとせず独自の文明と文化を守ったのだとか。それというのも三女神より賜りし聖なる大樹イルミア。大いなる実り。それは天を衝くほどに巨大な樹だったとのことです。そしてその根には巨万の富が眠っているとされていますね。これまでに幾人かの探検家や冒険家が探索に挑みその全てが中道に終わっています」
「ふふふ。その通り。よく知っているね君。ハルくん」
自分の説明台詞を取られしまってなんだかザシャは寂しそうだった。
「そして出来れば、レイくんの瞳を僕に向けてくれないと助かるんだけど。見つめられていると過去に犯したあれやこれやが蘇って僕を責め立てて止まないのだ」
冒険家というのは基本的に意地汚いもので、何かを発見したり発掘したりするとスポンサーに報告せずにガメたりする奴もいる。ザシャもご多分に漏れずそのようだった。
ま、俺的にはそっちの方が信用しやすい。
「あ、あ、あー! 見ないで! 見ないでー!」
結局、ザシャはレイの視線と、己の罪過の重みに負けてクソださ眼鏡を差し出すのだった。
すまんな。山賊や追剥よりもある意味、性が悪いと思ってるよ。
つまりは良い戦果だった。