25
まず最初に見えたのは空に吠える炎。
熱を飲み込んで一つとなった風が吹き抜けると肌と髪を焦がす。
見上げれば火に包まれる大きな木々。そこからは蟻の群れのようにヒトの形をした命が我先に逃げ出そうと吐き出されている。
炎に身を喰われどう見ても助からない影。一縷の望みを抱えて身を投げ出す影。その後を追って身を出した直後に炎に飲み込まれる影。
痛みにのたうち回り、己が置かれた境遇に嘆いて大樹を見上げ、炎に傷つけられる彼らにとって神に等しい存在の今の姿を信じられぬと絶望する。
絶望は連鎖する。
愛しい妻や子ども、親しい友が異形の姿に変じていく。苦しみ悶えな泣きながらおぞましい姿へ変貌する。
ああ、それを見る我が身も瞬く間に変わっていく。
なんだこれは。
人皮は樹皮へ。瞳は花に。首は茎へ。肢体に枝葉が。
見るな見ないで見ないでください。
我らはこれほどまでに酷い仕打ちを受けねばならないのですか。
それともこれは貴女の定めた掟を侵した罰ですか。
ああ、痛い。
ああ、熱い。
ああ、苦しい。
もはやどうにもならぬ。助からぬ。
ならば、終わりを待つだけの身であるのなら、せめて我らより別れた血族の無事を祈ろう。
継ぎの巫女よ。白き魔女。稀人ら。どうか彼らだけは救ってほしい。それだけがこの燃え尽きる身に残された願いなれば。
どうかどうか、聞き届けて欲しい。
………………。
…………。
……。
ぺたりぺたりと自分の手足を見て、顔に触れ、首筋を撫でた。
大丈夫。俺は人間だ。でも鏡を見るのが怖い。向こうの世界に映っているのが俺じゃない、そんで人でもないなにかだったら発狂するか虚無に陥るか。どっちにしても不安極まる想像だった。
「あなたの名前を教えてくれる」
かすれ気味のともすれば聞き逃してしまいそうな小さな声が耳に届く。声と空気がいっしょくたに吐き出されるような雰囲気の声。声を出す機能そのものが生まれついて弱々しく設定されているような声だった。
「俺はカナタだ。カナタ・ランシア」
何ヵ月か前にも同じような場面、同じようなやり取りをしたなとかすかに思う。
「そして僕はザシャ! 今を煌く若き天才冒険家としての名もさることながらこの大陸でも稀有なる幸運の持ち主にして紅顔の美青年かつ必ず世界の謎を解き明かす歴史家としても名を馳せるだろう女神さま方に愛を注がれまくりの三物も四物も与えられまくられてしまったと噂されるあのザシャ・シュラールさ!」
お前なんかアホのザシャで十分だ。
けれど業腹なことにザシャのアホ発言が俺の中身を正常に戻してくれた。感謝してやるよこんちくしょう。
「自己紹介したんだ。あんたの名前を教えてくれんのか」
大樹の巫女。
樹と機械に繋がれた薄暗く笑んだ女。
陰を宿した微笑だが陰惨さはない。そこにあるのはどうしようもない儚さだった。容姿は変っていないのに雰囲気のみが変貌していた。
そいつと目が合う。
あ、やばい。この人。なんか良くない。
害意はない。敵意はない。長いまつげ。伏し目がち。なぜか親しげですらある柔らかな視線。総じて危険を感じさせる要素はない。なのに頭の中で関わってはいけないと警鐘が鳴る。
レーヤダーナ・エリスを初めて見た時と同じような、およそヒトの括りで見てはならないモノだと。
「私は……大樹の巫女。ヒトであった時の名は切り捨てられ、思い出そうとしても思い出せない。長い時の経過によって風化し摩耗し、そして失われてしまいどこにも残っていない」
「……そうかい。そいつはなんか寂しいな」
じゃあもう巫女さんでいいや。この場で巫女さんは一人きりだし。
「あなたは、優しい人」
よせやい止めろ。背中がむず痒くなってくる。
巫女さんは視線をすいと時計に注いだ。
「大樹へと訪れた最後の稀人が、白き魔女と縁を持つ人というのはとても運命的」
白き魔女。
俺の知ってる白い魔女と同じだろうか。
時女神の瞳を受け継いで、過去にこの国に禍を振りまいたとかなんだとか。今はハルの左目にその存在の片鱗が宿っている。
「あんたは白い魔女を知ってんのか」
「この大樹に訪れた災厄の運び手にして私の友。白い肌。白い髪。露凝る雫に移しとられたような黄金の瞳の主」
「そいつの名前覚えているか」
巫女さんは首を振った。
「それもまた同様に。昔日の過去に飲まれた」
そうか。
……まだ煌士になるなんて思ってもいなかったガキの頃に白の魔女について調べてみたことがある。結果、なんにも分からないことが分かった。本当に存在しているのかも判別出来ない程に痕跡がなかった。最初っからそんな人物はいないんじゃないかって思わせるぐらい。
ガキの時分だから出来ることに限界があるにしたって人物史から始まって建国史、歴史書、伝記にも白の魔女の一文字すら乗っていなかった。その後は、生きることに必死で頭の隅っこに追いやられていたからハルと出会うまでは思い出すのも片手で足りるぐらいになっていた。
「さっき、頭ん中に見た覚えのない光景が入り込んできた。あれはあんたの仕業か」
「ごめん。再起動の際に記録が流れ出した。かつて大樹崩壊の際に実際にあった数ある光景の一つ」
どこの誰かも分からないのにそいつが感じた一心不乱で生々しい心情が俺に焼き付いたように消え去らない。
俺を逃がした両親もそんな風に祈って願ってそして死んでいったのかとか柄にもなく考えて胸がつかえたり。
まったく、引きずられんな。それは俺の気持ちじゃなくて、どっかの誰かの気持ちだ。
「記録。当時の記録が見れるのかい。この地で何が起きて聖樹が崩壊してしまったかも分かるのかい⁉」
冒険家にして歴史家のザシャが目を輝かせて腰を振った。
お前の気持ちは分かるよ。俺だって気になるし。だけどな。さっきも思ったように物事には優先順位という物があってだな。
巫女さんは沈んだ瞳のまま静かに頷いた。
「でも」
きたよ。
「条件がある」
ほらな。無償で何かをしてくれるなんて上手い話はそうそう転がってない。転がってるように見えてもだいたいそれは、話を持ってきた奴にとって何かの利益があるのが大抵だ。
それに、この巫女さまは言っていた。この都市を管理維持するのが目的だって。それをするには代替わりが必要だって。代替わりの役目をするのは誰だ。ハルだ。認められるか馬鹿か。うちの子がきっと黙ってないからマジで。そうなるとどうなるか俺にも分からん。ついでに俺も。
「言っておくけど俺らにゃ時間がねぇ。あんたを起こしたのもここから楽に出る方法があるなら教えて欲しいからだ。ないならないで自力で駆け上るが」
目算はついている。
ここでうだうだ条件がどうのこうのともめるよっかまず行動すること。人間、行動あるのみだ。
「簡単。あなたの目的と私の願いは相反しない。それに、上には一瞬で辿り着ける」
「どうだろうカナタくん。彼女もこう言っているようだし話を聞くぐらいはいいんじゃないかな。聞くべきじゃないかな。というより聞いておこう。むしろ聞け」
欲望丸出しの冒険家がそこにいた。
目は口ほどに物を言うどころじゃない。目から吐瀉物を吐き出しているようだった。
縋りつくな纏わりつくな抱き着いて来るな鬱陶しい。
「分かった。分かったから離れろ気色悪い!」
勢いあまって舐めてすらきそうだったのでべりっと引きはがす。
「で、あんたの目的ってなんだ。この都市の管理維持とか復興とか復活とか、そんなもんは俺らじゃ無理だからな」
金、時間、人材。
何を取っても足りやしない。
「それに、あんたの代わりを用意するなんてのもあり得ない」
それだけは何があっても一番に伝えなきゃいけないことだった。
人と大樹と機械を繋げる実例は目の前に。
控えめに見ても幸福そうではなさそうで、巫女さんの持つ雰囲気も相まって私、薄幸ですという空気を撒き散らかしていた。
薄幸そうというのはハルも同じで、それ以外も真似する必要はないだろう。
「同感。大樹に巫女はもう不要。私が最後の贄」
巫女さんは薄く笑む。そこで初めて悪意がちらりと顔をのぞかせた。
そうだ。この都市は終わってる。とっくの昔に伝説になり下がり。まっとうな命と呼べるものはなく、それらが生まれる土壌もありそうにない。なによりこの都市の中心である巫女さまが仰ってるんだ。滅ぶのなら綺麗さっぱり跡形もなく滅んでしまえ。その為なら俺は何をするべきか。そうだ。もう一度火をつけてみたらいいんじゃないか。今度はまるごと全焼するぐらいの勢いで。そうだそうだそうしてしまえ。ヘルダルフも一緒に燃え尽きてしまえ。種も実も燃え尽きて迷惑な望みなんて持てないほど徹底的に。そんで地の底に引きずり込んでやろう。その魂、冥い底に引きずり込んで朽ちて腐らせ爛れて饐えて。不浄のままにすり潰す。上天になど導かぬ。陽の道など示さぬ。ああ、なんて悍ましい終わり方。思わず笑みが零れそう。
……変顔も辞さない勢いで顔を叩いた。
「ああいうのは、ごめんだな」
俺が俺じゃないような、俺の意志で、俺の心のはずなのに誰かの気持ちを代弁させられてるみたいな浮揚感。
人の心を塗り替えて、己の意志を伝播する。
やっぱり白の魔女と同類だ。
その巫女さまは陰を宿した薄い微笑。ほんの少しだけ口の端を吊り上げていた。
光の差さない薄暗い穴倉。そこしかこに散らばった朽ちた骨。巻き散らかされた腐った肉片。全身を這う蛆。轟々と音を立てて穴の底に流れていく腐汁の川。そんなイメージが伝わってきた。
白の魔女は時。そしてこの人からは、死。惨たらしく汚らしい生々しい命の終わり方。
怖い。やっぱりこの人、よくない人だ。剥いた悪意の方向に俺がいればたちまちその毒に侵されていいなりになってしまいそう。
「ごめん。私にも、抑えられない時ある。だから何も感じないように、何も見えないように、何も話せないように。一人静かに朽ちていく。それが私たち」
それはいつかのレーヤダーナ・エリスが置かれた状況にも似て、ほんのちょっぴり昔を思い出したりもしたけれど。
「その割には感情があるように見えるけどな、あんた」
巫女さんの口から空気が抜けるような音。寒気がした。もしかして忍び笑ったのか。思わず目をしばたかせてまじまじと見ちゃったけれども。
目に映っているのは目覚めた時から変わらない微笑の巫女さんと、その巫女さんの足元に跪いて頭を垂れるザシャの姿だった。
頭を垂れるどころかそれはやがて拝跪へと変わり、足があったら舐めそうなぐらいに尻を高く上げてふりふりしていた。
だから蹴った。
「あうち!」
お前は本当にブレないな。
「なにをするんだいカナタくん。僕は巫女さまに僕の誠心誠意の至誠を見て頂こうと思っただけなのに人様のキュートなお尻を蹴るとはこれいかに。醜い痣や傷が出来てしまったら競売にかけられてなんと美しい尻臀だと絶賛されてはく製にされ永遠の美青年と題されちゃったりするんじゃないのかな!」
煩い。
尻臀とかそんな古語辞典でも使われなさそうな単語を使ってんじゃあない。
「コレはあんたの影響のせいか」
「違う。彼は徹頭徹尾、彼のまま。自己を肯定する者は総じて逞しい」
巫女さんの威厳と権威もアホには伝わらないのか。
一回だけ溜息するのを許してくれ。篭った熱と溜まった心労。そいつらを体の中からつまみ出す。
「で、巫女さんよ。あんたは何をしてほしい」
大樹の巫女。
彼女は微笑を引っ込めて生まれてから今までずっと秘めていた言葉を吐き出すように、冷たく乾いた声音で告げた。
「大樹を壊す」
それこそが己の望みと誰に憚ることなく、けれど密やかにしめやかに決然と。
「そのために、あなたの巫女に会わせて欲しい」




