24
開かれる左目。
暗く沈んだ蒼色。
それはどこかハルの黄金瞳を連想させる冷たさだった。
決定的に違うのは自意識の強さかもしれない。
それを見たところで何にも感じない。
優柔不断かつ自分でなにかを決めたりってのが苦手なハルだがアレはアレで骨があって芯がある。一度心に決めたら頑固だ。目の前のコレは、少なくとも今は違う。
「ふむ。まずは自己紹介といこうか。僕はザシャ・シュラール。若き天才冒険家としての名もさることながらこの大陸でも有数の聡明かつ博識で美しい快男児としても勇名を馳せるあのザシャ・シュラールさ」
返答はない。
暗い目玉をどこに向けているのか。視線は俺らを素通りしている。何を思っているのかなんてこれっぽっちも窺い知れない。
俺とザシャは顔を見合わせた。
「異形なりしも麗しき異形の君。まずは尋ねたいことがあるのだけれどこれはあるいは君に対してとても非礼かもしれないが君は人かそれとも機械かあるいはまったく別種の魔物の一種か」
沈黙。
その後もザシャが色々と話しかけているが反応は一切ない。
あーくそ。無意味に時間を消費しちゃってんじゃないのかって焦ってくる。あるいはザシャにここを任せて俺だけは地上に上がった方がいいのかなんて考えも浮かんでくる。
時計を取り出して針を睨む。ヘルダルフらとどれだけ離されてんだろうか。
……リ…ア…………。
時計に落としていた視線を上げる。
微かにだが声のようなものが聞こえた気がする。本当に聞こえたか。耳というよりも頭の中に直接響いたみたいな感じ。
ザシャも訝し気に辺りを見回している辺り、空耳ではなさそうだ。
この場で何が言葉を発したのか。幽霊じゃなければ目の前の女のはずだった。
………リ…ト………。
女を注視する。
暗い目玉に変わりはないが、その視線は俺の時計に向けられているようだった。
またしてもこの時計なのか。
手の代わりだろうか。早回しの映像を見せられている感じで枝が時計まで延ばされてきた。
害意は……ないよな、多分。頭が彼岸にいっちまった人間や煌力に狂った魔物や精霊、色んな化物と対峙してきたけど流石にこんな存在を前にしたことはない。
恐々としながら時計を差し出すと枝が触れた。
そうするとどうなったか。生き返ったよ。
朽ちていた手足は時間を巻き戻るように再生されていき、女を中心に巡らされていた弱々しかった翠色の光は息を吹き返し、ついでにこの場全体が明るく照らし出された。なにより目が弱々しくとも力を宿し、俺を見据えた。
息を飲む。
そうだ。不意にハルの左目に見つめられた時に覚える圧迫感。それと同種の物が樹に繋がれた女には生まれている。
少し気圧されたけれども、普段からどれだけいるだけで周囲を嫌な感じにさせるレイや同じような目玉を持ってるハルと一緒にいると思ってんだ。すぐに意識を建て直す。
「あんたは……誰だ?」
『……ワ、タシ……ワタシ、は……』
ずいぶんと長い間眠っていた奴にありがちな意識の混濁めいたものが見える。
俺を基準にしてもいいもんか分からんが、一ヵ月ぐらい眠り続けて目を覚ましたらまず自分てのが掴めんって経験ならあるのだが。その時は回りの人間はお前はカナタだ甲斐性なしのロクデナシだのとどやして囃し立てられてムカつきと一緒に自分が何者なのか思い出したもんだ。あ、なんか腹立ってきた。
なんて呼んだらいいか分からん女について同じようにしてやりたいところだがあいにくと何にも知らないので気の聞いた冗談の一つも垂れ流せないが女の方は俺には理解出来ない幾つかの単語を垂れ流していた。
『ワタシは、大樹の巫女……ダッタもののハズ』
新しい単語出てきたな。
それはハルとは違う巫女なのか。巫女って数種類あんのかどうなのか。
聡明かつ博識で美しき快男児として知られるザシャ・シュラールさんならと期待を込めた目で見ると爽やかにニコッとされた。分からんらしい。
「お嬢さん。まずは麗しき君のお名前を聞きたいな。そしてどうだろう。お互いを分かりあう為、今夜、君と、僕とでめくるめくすべてをさらけ出すランデブーといかないか」
「いまかなり余裕ないからね。脱ぎ出すとか止めろやこら」
「あちらが脱いでいるのならこちらも脱ぐ。礼節と敬意を忘れてはいけない」
「そんな礼儀は捨ててしまえ」
そんな文化圏じゃないだろう多分。
こんな時でもザシャはザシャだった。揺れなしブレなし恥もなし。
だけど今はかなり真面目な場面だからそういうノリはご勘弁してもらえると。
ほら、あのお姉さんもドロンとした目を向けてきちゃってるじゃないか。
「俺はカナタ。こっちはザシャ。今、上の方から落っこちてきたんだ。気持ちよくかどうかは分からんが寝てるとこ起こして悪いがこっから出る方法があれば教えてくれると助かる。で、なんて呼べばいい」
こいつがどんな奴で何なのか。
興味がないわけじゃないけども物事には優先順位があるように、俺の中にもそれは聳え立っている。
『名前……ワタシ……誰? 私は……? イエ、違ウ……違ウ?』
俺たちは顔を見合わせた。
自分の内に潜り込んで自問自答しているような感じに見えた。
それをただ悠長に待っているわけにもいかないのが俺たちの置かれている状況だ。
「……僕たちの仲間にも聖樹の民から巫女と呼ばれているのだが君とは違うのかな。巫女が聖樹の民にとって非常に重要な役割を担っているのは理解しているが厳密に、彼女らは何をしてきたのだろうね。本当に女神さまの写し身として彼女らの意思を伝える現人神なわけではないだろう。それはハルくんを見ていれば分かるよ」
あいつは近所の心配性な姉ちゃんってのが関の山だ。
魔女って言われてもピンとこないのにましてや女神さまだなんて鼻でちゃんちゃらだ。
巫女ってのは聖樹を統べる象徴。まあ女王みたいなもんだと思っていたが流石に女神の意思を伝えるってのは誇張だったのかかもしれんな。そうして金メッキの施された看板があった方が統治する側としてはやりやすいだろう。
『ア……チガ……ワタ、シは……リート』
俺を見た。
えいくそ。そんな目で俺を見るんじゃあない。
辛そうで苦しそうで痛そうな。如何にも助けを求めてますなんて目で見るんじゃあない。
肩を震わせ、時計に伸ばしていた手が戻り顔を押さえてると、女の首ががくんと落ちて静かになる。
そうして落ちた顔がすっと上がる。
『あなた方が巫女と呼ぶ存在は、大樹――完全環境式独立都市アルキュオネ――のヒト型生体素子ユニットの役割を持ちます者を指すと推測されます。大樹の力と人の意志、それらを接続しえる稀有な性質を持つ者をそう呼びます。彼女たちの存在は非常に希少であり偶発的に発生する可能性は極小ものとなっております。彼女たちは固有の煌波形質を持っており、現在、アルキュオネの上層都市にて存在している女性が新たな巫女になりうる可能性は高いと考えられます』
女の目が冷めたと思ったらいきなり流暢に喋り始めた。人が変わった。人間から機械へと。灯ったはずの意思の光は消え去って無機質な明かりに成り下がった。
まったくの別人になったみたいだ。
いや、正しくこれは別物なんだろう。人を人たらしめた意志の光がない。
機械。
受け答えの幅こそ人間みたいだけども機械としか思えない。
この女は元々はハルと同じような人として生きていた存在だったってんだろ。
それが今や人なのか、機械なのか、それとも植物なのか分からない状態になっている。半人半機半樹の合成体。
はっきりそう言われてしまうと俺の体温も下がった気がする。
「……君は大樹における司令塔のような存在で、ハルくんは君の代わりになれるかもしれないってことなのかな」
『肯定します。三女神に連なる徴を顕した少女をアルキュオネの中枢制御生体機関に組み込み管理者とすることにより、全ての都市機能が開放されるようになります』
「君こそが大樹の巫女で、その司令塔ではないのかい? さきほどはそう言っていたようだが」
『その通りです。耐用年数を無視した大幅な使用により、管理権限や機能の大半に接続不可能となっております』
『質問があります。あなた方が聖樹の民と呼ぶ存在は、このアルキュオネより流出してしまったインプラント生命体の俗称のことでしょうか』
いんぷらんと生命体ってなんだよ……。
「この地を発祥とする人々が、滅びに抗い外の世界に逃げ延びたのは断言してもいいはずだよ。その人たちを指してインプラント生命体っていうのかは分からないけれどね」
『インプラント生命体とはアルキュオネを維持し、健全な運営を行う為に大樹により産み出された模擬人格を搭載されたマンマシーンインターフェイスのことです。個体によって性格、性質、性能に違いがあり、彼らなりの社会を築いていましたが、真なる人にこの都市機能を引き渡すために製造されたという共通点に変わりはありません。安定して製造出来るようになった型式は製造者の名前からエオニアタイプと呼称がされています』
「なぁザシャ。俺は頭良い方じゃないがつまり、聖樹の民ってのは元々、聖樹から生まれたヒトではないなにかで、聖樹を正常な状態に保つために作られたって意味で合ってんだろうか」
ザシャは難しい顔をして唸っている。
俺よっか知識がある分、色々ごちゃごちゃと考えているんだろう。
「君の言うインプラント生命体が僕らの知る聖樹の民だったとして、彼らは僕らとまったく変わらない姿形をして、さらに子どもまで儲けているのだ。今の社会に適応し、馴染んでもいる。どこに違いがあると言うのだね」
『はい。彼らには製造過程において、彼らの管理者たる王ユニット、および巫女ユニットに本能的に従い、守り、敬するよう隷属刻印が組まれています。それに付随し、大樹の影響が及ぶ範囲内においてのみ、生命力、耐久力、筋力、体力、運動性、および煌力の向上がもたらされます。しかし、彼らは大樹の維持管理を目的とすることから大樹より一定の距離を離れてしまうと自壊するように設定されています。あなたがたのお話を聞く限り、その設定は書き換えられていると推測されますが』
管理者、王、巫女。
前者は分からんが、後者二つはちょいちょい聞くな。ヘルダルフとハル。
話を聞く限りだとなんとなくこの二人の力関係は対等に思えるが、ヘルダルフや部下も聖樹の民ならハルに銃を向けたのはヘルダルフの煌術のせいなのか。
ラニーなんか最後の最後ではハルに絶対服従しそうな感じがするし。
『さらに、親機である大樹が著しく損傷、あるいは停止、崩壊してしまった場合、大樹からの支援は終了され、ヒト形態の維持が困難な状態となり、より産み出された状態に近い形態変化を起こします。該当の状態であったとしても外敵勢力、王および巫女ユニットの存在を感知した場合は再起動しプログラムを遂行します』
……ヴィルヴィスのあの姿は、大樹が枯れてしまったからヒトの形を保てなくなった。そういうわけで合ってんのかな。
大樹から生まれたのならその姿はヒトよりも樹木に近しいモノになるのも道理なのか。
製造過程とか言っていたが、それを見たいとは思わなかった。
「君が聖樹の機能を司っているのなら、この都を復活させることが出来るのかな」
『不可能です。先ほどもお伝えしたように、現在の私には都市を復活させるほどの機能は失われています。加えて、都市を支える大樹そのものの生命エネルギーが枯渇しています。大樹を再生させなくてはアルキュオネは再起動出来ません』
「復活させる方法とは?」
『大樹の種を新たな巫女が天の頂より地の底へ、暗く冷たい道を下ることによって再生されます』
……これについても分からん。
分からんが、分からんなりに分からねばならんこともある。
「俺からもいいか、蒼い目をした姉ちゃん」
いや、気になることは沢山ありすぎて何から聞いて行くべきかとか、ぽこぽことキノコのように生えているがけれどしかし。
『構いません。この大樹を管理運営するに、あなた方の協力は必要だと私は判断しました。私にお答えできる範囲であればなんなりとお申し付けください。私は都市機能を維持する管理ユニットとして、代替わりを希望しています』
そいつも聞き捨てならないお話で。
他の人間なら、とりわけこの地に執着を持っているだろうヘルダルフらからすれば当然と受け入れるだろう。
俺がいの一番に問いたださないといけないのはそいつの中身だ。
是が非でも聞き出せねばならんことでもある。
けれどその前に一つだけ。
この女に対して確認すべきは何だと考えたらやっぱりこいつは聞いておかないと。
「もっぺん聞くぞ。あんたは誰だ?」
『型式番号AoR シリアルナンバー・ロストが私の形式名称となります』
「あんたかもしれないけど、あんたじゃないかもしれない。変なこと言ってるように聞こえるんならそれでいいさ」
勘違いならそれでいい。
これは俺が気持ちよくなる為だけの独善的な行いだ。
喉の奥に魚の小骨が引っかかる。ついでに薄い皮が歯と歯の間に挟まっている。ちょっとお腹が緩くなっている。誰だって解消したいと思うだろう。すっきりして気持ちよくなりたいだろう。つまりはそういうことだ。
「なあ姉ちゃん。あんたの真ん中にいる奴と話がしたい。まだ寝こけてるんなら起こしてくれるか」
『あなたが何を仰っているのか完全には理解出来ませんが、仮に本機の元になったユニットを指しているのであれば不可能だとお答えいたします』
ああ、そうなんか。本人がそう言ってんならそうなんだろうな。
だからと言って、止めるつもりはないんだが。
なまじっかハルに似た目をしていたからか、あの暗くて蒼い目の色が頭の中にちらついて気に入らない。
辛いなら辛い。苦しいなら苦しい。痛いなら痛い。目だけじゃなくて全身で発信しろい。ちらちら見せるんじゃあない。
どうすればいいか、なんてのはあんまり考えていない。
どうだろう。いったんロストさんを停止させて見つけた時と同じような状況にしてみるとかなんて割と非道を思いついたりしちゃったり。
まあそれをする前に。
「ロストさん。これに見覚えあるか」
おい時計さん。このところどうにもそうじゃないことが多いじゃないかお前。ただの頑丈なだけの時計だと思っていて悪いな。もうちょい俺を手助けしてくださいお願いします。
時計を彼女の前に掲げた。
さあどうなる。
『データベースに該当の時計についての情報はありません』
ダメか。なんの変化もない。
そんなことを言っているのに。
『しかし……しかしながら……不明です。その時計を見ていると不分明なノイズが走ります』
今度は枝じゃない。樹を引きちぎるようにして埋め込まれいた腕を時計に伸ばしてきた。
それは機械の動きにはあるまじき、衝動に身を任せるような行動だった。
『ですが情報はないはずなのに見覚えがあるような、気がするのです。不純物。不確定事項。本機にあってはならない事象が発生……』
熱病に浮かされるように時計だけを見て、時計をぶら下げる俺の手に縋り付くように体を預けてきた。
俺の手を包み込む人の手。その感触はヒトのものではない。
『私は機械。大樹と都市と人を繋げる機能。感情は不要。主観は不要。それならばこの揺らぎはなんなのでしょう』
けれどその言葉にはヒトの迷いが含まれているように聞こえた。
「あんたの言ってる揺らぎってのが俺にはどんなものか分かんねーよ。そいつはあんたの中にしかなくて、あんた以外の誰にも触れられないもんだ」
『私はどのような対処を行えばいいのでしょう』
「知らん。気になるんなら確かめたみたらいい。誰も何もあんたを止めやしないさ。気の赴くまま心の赴くまま願いのままに手を伸ばせばいい」
『心という要素は私の中に残存していません。また、願いという形のないものも同様です』
子どもを唆す悪漢になった気分だ。どっかの楽園にあったという御伽噺の蛇でもよしだ。
不思議そうな蒼い左目。それが俺に向けられる。初めて他人を認識したような、そんな目。
こうなる以前、恐らくは聖樹の民と一緒に暮らし生きていたはずの名前も知らないこの大樹の巫女はどんな思いで時間を過ごしていたのか、どんな思いでこうなったのか、なんて考えても詮無いことだけど。
『でも、いつかどこかの時間で、あなたのように、手を伸ばせと言ってくれた誰かがいたような、気がします』
大樹の巫女の手が古びた時計に触れた。




