21
ヘルダルフは去って行った。
ハルとレイ、そして無表情なままのラニーを引き連れて。
まだ腹に刃が突き刺さったままのような感触が気持ち悪いが動けるようになった。それで十分だった。
「生きてるかザシャ」
「…………」
返事がない。ただの屍の様だ。
「仕方ない。俺一人で聖樹の都に入るか」
「待ちたまえ……いたた――聖樹の都には……ぬぐぁ――イオニア猟兵団が……あいたた――一人で行くのは……あばば――危険だよ……おうふ」
話すか痛がるかどっちかにしろよ。弱っててもせわしない奴だった。
いつも通り、とは行かないが無事に喋れるようなら何よりだぜ。
だってお前、身体に何個か穴開いてたろ。
「すまなかった。ハルがいなきゃ死んでた」
「冒険の途上でなんの脈絡もなく命を途絶させられた同業者の数を知っているかい。僕たちはまだ生きている。であれば気にすることはない。そう、僕たちはまだ生きているのだから……いたた」
そうだ。
俺たちはまだ生きている。取り戻せないほどに失ったわけじゃない。まだやり直せる。
生きているのならやらなくてはならないこと、やるべきこと、やりたいことを為す。そうるすべきだ。
俺の中でははっきりしている。
あいつらからレイとハルを取り戻し、ラニーを正気にさせ、その上で全員で生きて帰ること。
聖樹については……見つけたから正直どうでもいい。
そのあたり、ザシャはどう考えてんだろうな。
「ザシャ……ザシャ?」
あいつは巨大な穴の縁で屈みこんでのぞき込んでいた。
「深いなぁ。どれだけ深いか見当もつかないなぁ」
俺も並んで穴を見下ろした。
どれだけ深いのか見当もつかない。本当に底なんてあるのか。もしかしたら冥の女神がおわす寝殿にまで繋がってるんじゃなかろうかってぐらい見通せない。
もし仮にこの穴に落ちてしまったらどうなるのか。結果は言うまでもなく死だが。本当に怖いのその途中。落下している最中なんじゃないのかって。
落下するに身を任せるしかない状況。いずれは空からの光も届かなくなって何にも見えなくなって暗闇に飲み込まれる。そして変えられない未来と訪れる結末。穴が深ければ深いほど、束の間の命が続けば続くほど焦燥感と絶望感は増していくんじゃないか。
想像して二つの意味で背筋に寒気が走った。
一つは俺がそうなってしまった場合について、もう一つは、ザシャの両親はまさにそうされてしまったはずだから。
「僕たちの傷がここまで治っているのはどういうことだい。こんな奇跡、古の煌遺器でもそうそうお目に掛かれないよ」
「ん、ああ、ハルの力。ハルの煌術だよ」
「なるほど。誰かを癒したいという願いかな。とても汎用だけれどこんなに強力ということはそれだけ彼女の祈りが強いということなのかもしれないね」
口を開けば言葉が飛び出てくるし調子も可笑しくないがどこか心あらずに見えた。
それもそうか。
こいつと出会った時に初めて交わした会話を思い出す。
始めてしまったものはきちんと終わらせないと落ち着いて眠れないと。
眠れないというのはザシャではなくて、両親についてだったのかもしれない。
「もしかしたらこの穴の底は異世界に通じているとかあるかもしれないなぁ。案外その世界でよろしくやっていたりするかもしれないねぇ。突然手に入れて妙な力でその世界をまたにかける冒険とかしてるついでに僕に弟や妹が出来てたなんてこともあるかもしれないなぁ」
「……そうかもな」
両親に思いを馳せてんだろうかな。
こいつは極大のアホでバカで変人だけど、いなくなってしまった両親を想ってその顛末を憤ったり悼んだり、そんな当たり前の感傷を持ったごく普通の人間でもあった。
「セヴェロらを聖樹の都に入れるわけにはいかないと、父と母の冒険家の矜持が言わせたみたいだ。……してみると僕は二人の矜持に傷をつけてしまったことになる。まったく不出来な息子で申し訳ございません」
もしかして落ち込んでいるのか。
いや、人間なら落ち込んで当たり前なんだ。そうなるだけの目に遭った。ただ、普段のザシャって男には後ろ向きな要素が全くなかったから。
しばらく沈黙が続く。
「で、てめぇはどうしたい」
「君はどうするんだい」
「そんなもんは決まってる。あの三人を助けて俺たち全員が生きて帰る。それが俺のやるべきことだ」
「……僕の中にあったのは両親が聖樹を求めた理由と、そしてどこで志が断たれてしまったかってことだ。勿論、一介の冒険家として聖樹に興味はあったけれど」
それは一応、判明したわけだ。
事実は無情で、シュラール夫妻は息子を盾に脅されていたから聖樹を求めた。そしてその終着点がここだった。
「ここで待ってるか」
「冗談を言わないでくれたまえ。父と母は彼らを聖樹の都に辿り着かせなかった。しかし僕の行動がその矜持を引き裂いた。ならば僕は彼らの志を引き継ぎ、彼らを聖樹から追い出さねばならないだろう」
別にそれをどうこう言うつもりはない。
自分のせいで今の事態になってしまったと思ったのなら責任を負うのも可笑しいことじゃない。善良な人間ならごく当たり前の感性だと思う。
だけどなぁ。
なんっか聞いててイラっとした。
「で、てめぇはどうしたい」
もう一度繰り返した。
「だから、彼らを聖樹から追い払ってと」
「それはてめぇが勝手に思い込んでいることだろうがよ。
俺が知ってるザシャ・シュラールってぇ奴は本当に頭が痛くなるほど自分勝手で底抜けのアホで全くもって考え無しの馬鹿野郎だ。
同時に常人が真似できないほどに前向きで不屈で歩みを止めない冒険馬鹿野郎だ。
周りを自分本位に巻き込んでなおかえりみない性質の悪い人間だ。
その行動理念の根本にあんのはなんだ。
『自分がしたいからする』って単純明快かつとんでもない我儘だろうがよ。
両親の意志を引き継ぐ。
そいつは立派だ。
だけどそれは本当にお前の根っこから生まれたもんか。
な~にが追い出さねばならないだろうだっての」
「い、いやしかし、僕には両親に報いる術がもうこれしか残っていないのだよ」
「俺は別にそいつを否定してねぇよ。
お前は誰も見つけられなかった伝説の都市を前にしてドキドキもワクワクもしてねぇのか。
お前は誰も見つけられなかった伝説の大樹を前にして冒険心も探求心も沸いてこねぇのか。
俺らをここまでずるずる引っ張ってきたお前だ。
俺がお前の立場ならぼっこぼこにされようがどうしようもない未来が待っていようが喜び勇んで突入するね」
「それはあまりにも僕と言う人間を酷評しすぎてやしないかい」
「どこかだよ」
「両断されてしまった」
「要するにだ。
いきなり綺麗になってんじゃねーよ。
両親の終わりかたについて責任を取りたい。
ああ分かるよ。真っ当な心の有り様だって思うよ。俺だってそうだからな。死なせてしまった両親に報いる術は何なのかってのが何時だって頭ん中にある。
でもな。
人間それだけじゃねぇんだよ。
俺は常識人でごく普通の青年男児だからな。
漫画や小説に出てくる超人みたいなやつみたいにそればっかし考えられるわけじゃねぇの。
飯が食いたい昼寝がしたい、風呂に入りたいし女にモテてぇとかつまんねぇ欲望が何時だって頭ん中にあんの。
生きてるからな。
お前はお前の心の赴くままに俺たちをここまで連れてきた。
だったら最後まで心の赴くままに好き勝手にしてみせろや。
お前の底にはそれしかないのか冒険家」
「……酷い。酷すぎる。君は酷い奴だね。綺麗ごともおためごかしも許さないだなんて」
ザシャは空を仰いで目を閉じた。
一回だけ、身体の内側に積もった重たい空気をこれでもかってぐらいに吐き出して顔を両手で覆った。
けれど隠しきれていない口元が徐々に歪んでニタァっと笑みを形作る。
「ふ、ふふふ。ドキドキしないか、ワクワクしないかだって。そんなもの……」
思いっきり溜めを作って。
「するに決まっているじゃあないか!
だって今まで誰も見つけられなかったんだよ!
お話の中にしか存在していなかったんだよ!
それを一番最初に見つけたんだよ!
真白い雪原に、誰も踏み入ったことのない場所に番最初に足跡を残す快感と言ったら伝わるかな⁉
泥でぐっちゃぐちゃの真っ黒になるまで歩き回って、それこそ他の誰かが来たとしても自分の足跡だらけになってるところを眺めるその瞬間の達成感が分かるかい⁉
謎とされていた文明のスカートの切れ端を掴んでめくりあげるその時に、世界中の誰よりも僕が幸せだって高揚感が分かるかい⁉
僕! だけが! 感じられる! 他の! 誰にも! 分からない! あの! 一瞬!
至上とされる美食も美酒を味わったとしてもその瞬間には及ばないだろうね確実に!
伝わるかなぁ! 伝わって欲しいなぁ! 伝わってるよねぇ!」
いや、全然伝わってこない。
だってそれお前しか感じられないって言ってたし。だったら伝わるわけないじゃないか。
やべぇ蓋を開けてしまったってのはビンビン伝わってくるけれども。
「なのにあいつらぁ! 寝取られるとはこういう気分なのかね! とてつもない不快感に怒りを隠しきれないよ紳士の僕でも!」
ああ、うん、まぁ。
大人しくされるよりはらしさが戻ってきたってことでいいのかな。
語尾に疑問符がつかざるを得ない感じだけども。
「つまりお前は」
「当然、聖樹の都に乗り込んで、彼らよりも先に秘密や謎を解き明かし、ついでに彼らの目的の邪魔をして、結果としてあの子たちを助けられたら万々歳というわけさ!」
うん。
俺がほじくり出したんだけど聞いててひでぇなって思うわこれ。
けれどもまぁ気力充実、意気軒高、気炎万丈って感じでさっきまでの不気味なザシャはもういなかった。
「だからカナタくん!」
宣言して、手を差し出される。
「僕は無力な一般人だ。その目的を達するためには君の力が是非とも必要だ。勿論、協力してくれるだろうと確信しているよ!」
なんて厚かましさ。
その面の皮の厚さはどうやって育まれてきたんだろう。両親と婆さんと向き合って子どもの教育法について是非とも話を聞き出したい。
うちの子がこんなのになりませんようにと。
「ま、頼まれれば協力はするさ雇い主さま。俺はこれでも繋げる手の紋章を掲げる導きの星協会に所属する煌士なんでね」
「そんなこと言っちゃってー。特にレイくんとハルくんを助け出したくって仕方がないくせにー。僕は見逃さなかったからねあの二人が暴行を受けた時の君の表情を。人を殺す顔というのはああいうのだと思い知らされた気分だよ」
確かにとんでもなくムカついたけれどそこまで酷い顔してたか。
うざく絡んでくるザシャをいなしながら、もはや慣れ切った気抜けた空気で扉の奥へと向かう。ザシャはこういう時、余計な気負いをさせないって意味では貴重な人材なのかもしれん。
俺たちの目的が簡単に叶う訳がないのは分かってる。
敵は多数で俺には勧善懲悪物の主人公のように他を圧する力なんて与えられていない。
だけどそれがなんだ。
そうと決めた。だったら最後までやり通す。当然、結果にも拘って。
待ってろよレイにハル。俺を刺してくれたラニーにはどんな仕返しをしてやろうか。
ヘルダルフとセヴェロ。
あいつらにはどんな報復くれてやろうか。あいつらが一番嫌がることとはなんだろう。
ははは。そいつを思う時、きっと俺の顔はとんでもなく下卑たもんだろうな。うん、確かに酷い顔してるわ。レイには見せられんなまったく。
しょうがない。だって俺、単なる人間だもの。




