2
「マルから聞いていると思うけど彼女の友人にして駆け出し冒険家のザシャさ!」
うるさい。
第一印象がそれだった。
それに冒険家だ?
ああそうだろうとも。その恰好はある時は大学教授、ある時は考古学者。伝説秘宝を求めて世界中を駆け巡り、時にはライバル業者と、時には悪徳商人と、そして時には秘密結社と世界の命運をかけて戦う冒険家の正しい姿だろうとも。
一昔前に流行った架空の冒険活劇小説の登場人物にして主人公。それをそっくりそのまま真似する様な格好をしているのが目の前の男だ。
「……ザシャって南洋連邦諸島のルヴァニ海探検行で残忍王ローネの沈んだ船団を見つけたあのザシャ?」
「そうともさ! 麗しき受付嬢! 僕があのザシャなのさ!」
ザシャと名乗った男の鼻が天高く伸びる様を幻視した。思わず何にもない宙を手で振って確かめる位には本気度は高い。
冒険家。
そんな職業が存在していることが子どもの頃は信じられなかったが今はそうでもない。
こうした連中が国や教会からの依頼を受けて未発見、未発掘の遺跡やらを探し当てその機能を僅かなりとも解明することでようやく調査団が乗り込んで調査することが出来るのだ。
それだけでなく彼らは一流の遺物鑑定人でもある。わけのわからん動きをする遺物の謎を解き明かしその用途を特定したりも出来る。
もしかしたら俺の時計についても。
「知ってたんですかマリーダさん」
「不勉強ねカナタくん。私たちの業界では売り出し中の若手冒険家ってことで名前が知られてるわ」
冒険家。
その名に違わず危険な出来事に遭遇する手前、俺たち協会とはそれなりに懇意だ。もっとも俺は興味持てないやつに限りある記憶領域を占領されたくないので全く知らないが。
「それで、そのザシャさんがどうしてうちに、いえ、カナタくんに会いに?」
「ふむ。これは意外。我が友であるところのマールヤヴィ・エリスが既に知らせていてくれていると思っていたのだがね。これは僕が一から説明しないといけないのかな。いいだろうとも。僕の生まれから育ちそして今に至るまでの壮大かつ遠大な劇を一つ残さず余さずにすべてを詳らかに説明しようじゃないか!」
うるさい。
「だがその前に!」
うるさい。
「この南洋で取れた伝説の林檎を皆で食しつつ仲を深めようじゃないか! さあ君、林檎の皮を剥いてくれたまえ! 早く早く早く!」
「うるさーい!」
差し出された林檎をそのまま奴の口に詰め込んでやってそのまま塞いでやった。するとどうなったか。やつの鼻が大氾濫を起こした。毛も糞も流れださんばかりの勢いだった。
そしてその勢いが向かう先とはどこか。
誰か。
俺だよ。
畜生め。
一張羅が男の鼻水と糞と毛でべたべただよ。しかも林檎の甘い匂いがして最悪風味だよ。林檎なんて大嫌いだ。
「これは……鼻の中がとてもフルーティじゃないか。これは女神が僕に鼻からジュースを絞り出せという啓示を与えてしまったのではないか! おお、いと尊き女神たちよ我が身は至高なれども一つきり一つきりだからこその至高! 鼻ジュース屋に身を捧げることは出来かねるのだ! げほんごほんうげっふ!」
咽てんなよ。
「なんなのこいつ……」
「噂には聞いていたけど本当に変わり者ねー」
それどういう意味っすかと聞き返そうとしたら通信が。
「え、あ、はい。……はぁ。……そういうことですか。お見えになられていますが。……しかし本人がなんと言うか。……はぁ。分かりました」
くるりと俺に向き合ったマリーダ嬢はこう告げた。
「カナタくん。あなた、そこのザシャさんの個人的な探検行の護衛につくことになったから。よろしくね」
「は?」
「カナタくん。あなた、そこのザシャさんの個人的な探検行の護衛につくことになったから。よろしくね」
「は?」
「三回目まで付き合わないわよ。とにかく、私としては不本意だけど皇都支部からの通達よ。詳細は依頼人と二人で詰めるように」
いやいやちょっと待って。
鼻から汁垂れ流してびくびくしてる奴となんか話したくもないんだけど。
「そこの人が個人的な伝手を使って君に依頼を受けさせるようにねじ込んでたみたいよ。だから私から断るとかそういうことは出来ないの」
「俺の意志は!?」
「富と名声には勝てないということよ」
「汚い! だから協会に夢持ってるやつから失望されるんだ!」
慈善団体じゃないから当たり前の話なのだが一応は言っておかないと。そんな慈善団体があったとしても絶対にどっかから金受け取ってるからね。受け取ってるって分かんないように受け取ってるからね。
決まってしまったことにあーだこーだ言ったところでどうしようもない。文句つけたいならつけられるような地位につけって話だよな。
ただね、普通に頼みに来てたら別にいいのさ。金と力使って逃げられようにしてるってのがちょいと気に入らないだけだ。
「おい依頼人。寝そべってねぇであんたが協会に話持ち込んだ事情ってのを話しな。なんで俺っていうのはひとまず置いてやる」
おらおらと頬を叩く。
最近、俺の地が周知されているのでこうした振る舞いを見せてもひそひそされなくなった。対象がこの変な奴だからってのもあるかもしれん。
「ま、ま、待ちたまえ。今回の件は僕にとってとても個人的なことなのでね、おいそれと人前で話すわけにもいかないのだ。というわけで誰にも聞かれずそして気兼ねなく忌憚ない話が出来る場所はないだろうか」
「依頼人様のお声を小さくして頂けるのであればそうした部屋もございます」
マリーダ嬢はすでにこの男に対してどう振舞うか、どう扱うかを決めているようだった。
徹底的にお客様。かつすべては俺任せにするつもりのようだった。ちくしょう。
「ふむ。麗しき受付嬢の秘密の一つや二つやあれやこれやが詰まった悩み多き部屋ということだね。そんな場所に僕を連れ込むだなんてこの僕はこの先いったいどうなってしまうんだろう。乞うご期待!」
「はーいカナタくんあれ連れてってー。そしてもうこっちに連れてこないでねー」
お客様ですよマリーダさん。お水ぐらい出して差し上げて。
いや気持ちは分かるよ。だってこいつ完全にキ印だもん。こんなんが側にいては気疲れすること間違いないし。
しょうがないのでそのままずるずると引っ張って行った。
「で、あんた今回のは個人的な依頼らしいけど」
居住まいを正し仕事モードへ。
マリーダさんはこいつを売り出し中のと言った。流石に俺でも知ってるレベルの冒険家なら国だの企業だのバックアップしてそれは冒険団まで規模が膨れ上がるそうだ。
そんなんであれば俺みたいなやっとこさ一人前に届いたかどうかみたいな煌士をわざわざ選ぶ必要はない。その筋で有名かつ有能な人が勝手に選ばれ組み込まれるだろう。
「どっかのお偉いさん達が噛んでるわけじゃないってことでいいのか」
男は、ザシャはさっきまでの一種の狂騒的な態度を引っ込めて静かに俺を眺めていた。観察されている。そう感じた。
「その通り。今回の冒険行は僕個人に由来するもので国家や企業には関係がない。僕が個人的に付き合いをしている商社が一つ援助してくれるだけさ」
「マールヤヴィと知り合いらしいが」
「以前に風景の想像画を依頼したのが縁でね。それ以来、楽しく付き合いをさせてもらっているよ。彼女から君や彼女のかわいらしい甥っ子さんのことも聞いているのさ」
かわいらしい……?
いや、それは置いておこう。
「で、俺である理由は。あんたなら俺よっか社会的な立場も保障されてて名前も顔も売れてる煌士を雇えるだろ」
「マルーに紹介されたって理由もあるけれど、一番の理由は君の持つ時計かな」
俺の形の整った片眉が上がった。
俺が持ってる時計なんぞ一つしかないからどの時計だなんて馬鹿な言葉は吐かなかった。
「あんたこれがどんなもんなのか知ってんのかよ」
時計を取り出してかかげる。
それはどこかくすんだ銀色の時計だ。裏側には三頭の蝶が刻まれている。秒を刻む音が小さく聞こえてくる。
「聖樹の都は女神の加護を受けし者こそ頂く」
「あん?」
「それは白の魔女の残した煌遺物なんだろう」
口がへの字になった。
煌遺物。確かに煌素を動力としていると思われるのにどう作られたのか、どう動いているのかまるで解明できない古代の代物。煌導器の原型。ひいては今の煌力文明が花開く切っ掛けとなった要素。
「由来は知らねえし、こいつがどんな役割を持ってたのかなんてのも今となっては誰も知らん。だいたいあんたこいつのことをどこで知ったよ。そいつもマルーから聞いたのか」
「彼女は他人の秘密をあれこれと口さがなく吹聴するような下品な女性ではないよ。むしろあれこれ考えすぎて極度に言葉を口に出来なくなってしまうそれはそれはとても奥ゆかしい女性なのだよ」
「答えてもらってないんだけど」
「調べてもらったのさ。いくら彼女から紹介されといっても信用するかどうかは自分自身で決めなくてはね。なので、君の人となりや仕事ぶりに生まれや生い立ち。私生活や好みの女性のタイプまでばっちり丸裸さ」
「なんだい冒険家ってのは人様のお家の便所の染みまで数えんのか」
「嫌味を言わないでくれたまえ。嫌な気分になったのであれば僕が手ずからこの林檎を剥いて食べさせてあげても構わないぐらいさ。今回ばかりはお金や権力の臭いがする人、またはそうした臭いがする友人がいるのは御免被りたかったのさ」
「なんでだよ。絶対そっちの方が楽だし成功率も高いだろう」
「あの言葉は僕と同じ冒険家だった両親が残した言葉でね。子どもの頃に失踪してそれっきりの。どこでどんな風に死んでいるのかも分からないけれど」
親が同じ冒険家。そして残された言葉。これらから連想されることとは。
「親の遺志を継いで謎を解き明かす的なあれか」
ザシャはふ……と笑う。
ダメだな俺は。こんなやつでもまっとうな心を持ってるってのに。そんなことありえないと決めつけていた。人間、薄汚い心ばかりが目に見えて成長していく。自戒せねば。
見かけによらず案外と親孝行なところもあるようだ。ますます冒険小説じみてきたが動機はまっとうな方が断然いい。少なくともモチベが下がることはない。今のモチベがどこにあるかはさて置いて。
「……さ」
「あん?」
「小骨が喉の奥に引っかかったような心地。あるいはお肉の筋が歯の間に挟まった感じ。鼻毛がほんのちょっぴり穴から顔を覗かせているようで、さらにその先っちょに糞がついていたらと思うとあーすっきりしないのさ!」
あ、だめだこいつ。
ちょっとでも感心した俺がいけなかったんだ。
「そう、つまりはお通じ!」
なにがつまり。
お話が一方通行で詰まってるってつまり?
「ちょっとお尻の中に残っちゃった感があると嫌だろう。それと同じなのさ!」
お前の両親もお尻の中に残っちゃった物と一緒にされて嫌だろうけどな。
立ち上がって演説と見紛うように力説するザシャだったが対照的に俺は脱力の極みだった。
人を、誰かを理解するって本当に難しいことなんだなぁ。こいつの場合はまず意思の疎通からみたいだが。
一席ぶって満足感を得たのかどっかりとソファに座ると今度は落ち着いた声色で笑いながら言う。
「すっきりしないってのは父親と母親もきっと同じさ。なぜなら始めてしまった物はきちんと終わらせないと落ち着いて眠れないだろう。だから僕が終わらせるのさ」
「…………」
ふん。
両親も草葉の陰で泣いているだろうよ。どんな意味で泣いているかは知らんけど。
どちらにせよ俺はこいつに付き合わなければならんのだ。ならせめて良い方の意味であると思っておこう。
「それで、この時計が一体何だってんだ」
「それを説明するにはまず聖樹の都について話さなければならないね。知っているかな」
当然知らない俺は首を横に振る。
「そうだろうとも!」
だんっと立ち上がって肺一杯に空気を吸い込み口を大きく開けて始まる長広舌。
それを遮ったのは誰であろうハル・リメルトだった。
こいつ、一般人のはずなのに協会には顔パスで、依頼者との密談で使うはずの部屋にも堂々と入り込んでくる。
防犯防諜の意義と意味は見失われたようだった。
「お茶です。それと林檎を頂きに来ました。レイちゃんと一緒に」
明るい紅茶色の髪の下に一際目立つ眼帯の女。ほわほわとした笑顔をしたハル。落とし子の例に漏れずそれなりに食い意地の張った奴だった。
その手に引かれているのは対照的に無味乾燥な無表情。艶の失せた地面に届かんばかりのくっそうざったらしい灰色の長い髪をしたよぅじょならぬよぅじであるところのレーヤダーナ。
二人とも、食料事情の改善からかほんのちょっぴり以前よりもふっくらしていた。
特にハル。お前はちょっと太って……いや何も言うまい。