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「さて、状況を整理しようか」

 ザシャが口火を切った。

 ハルもラニーもダウンしている現状、聞いているのは俺ぐらいしかいなかったが。

 光る水がわき出す泉の縁で腰かけて清聴する。だって何時レイが泉の水を飲むか気が気でないから。こんな不気味な色合いの液体なんざ毒物に決まっているし。なんか触ったら手とか溶けそうで怖いし。

「突然のラニーくんの暴走と、驚くべき身体能力の発露。カナタくん。君はあのラニーくんを見て何か感じたかい。具体的には煌力の高まりを感じたりとか」

「いや、俺そういうの苦手だから特には」

「了解だ。ラニーくんを見てくれたまえ。あれほど損傷していた身体の傷が既に治りかけている」

 マジだった。

 この傷の治り方は尋常じゃない。俺以上に速い。浅く息を吐くラニーに何かが起こってるのは間違いない。だってこいつ、初めて会った時から襲われるまではほとんど一般人と変わらんかったはずだし。

「聖樹の加護とでも言うべきかな。このレリーフ群を見ておくれ」

 落ち着いた今だから分かるけれどこの場所の壁面全てで絵巻みたいな感じになっていた。

 最初に三人の女が一つの種のようなものを大地に落とす場面。

 樹が成長していく過程と大地から人のようなものが生えてくる過程。

 巨大な樹に跪く大勢の人々と、彼らを従えるような光る眼を持つ女。

 女が傅く民衆の中から一人の男に対して何かを与えている様子。

 樹から何かが人々に降り注ぎ、それを受けた人が力を誇示させている様子を描いている物。

 外敵なのか、小さな人が手に手に武器を持って攻め込みながらもそれら全てを撃退している聖樹の民の姿。

 その先頭には豪奢な武具に身を包んだ男らしき存在があった。

 彼がその他の人々から一線を画す存在であるのは一回り大きな姿で描かれていることからも分かる。

「聖樹の民は聖樹から加護を受けていたと言われている。体内の煌力を高めたり、落とし子と呼ばれるほどでない者すら一定の水準にまで引き上げたり、聖樹にはそうした機能があったのではないかと思われる」

 けれどとザシャは繋いだ。

「今までに聖樹の影響を受けたことのないラニーくんの肉体は急激な煌力の上昇についていけず一種の錯乱状態となりああなってしまったのではないかな」

 説明がつけられるのならそれでいいんじゃないだろうか。原因は正直なんでもいいし。

 俺が問題に思うのはその力をラニー自身が扱いきれるかどうかってところだ。使いこなせるのなら俺の心配の種が一つ減ってくれるがそうでないのなら種から芽が出て花が咲いて、最後には俺の胃が弾ける。

 ああ、気持ち悪い。あの草人間擬きを連想してしまった。

「ここまでが、聖樹イルミアとその民の最盛期というべきか。問題となるのはその後さ」

 ザシャが指さす方向。

 聖樹の側にいない、聖樹に対して向き合った大きな目を持った女が悪魔のような何とも言えない怪物を引き連れて来訪した様が刻まれていた。それに相対しているのは武具に身を包んだ男だった。

 が、その男の奮戦も報われなかったのだろう萎れた聖樹に倒れ伏す男と何かを実を大切そうに手に持って立ち去る女と悪魔の構図。

「察するに対処できない外敵が現れ敗れたのだと考えられるけれど最後のレリーフに刻まれていた女性と男性は何者なんだろうね。これは是非とも聖樹そのものの御許に向かい、解明しなくてはならないと僕は決意を新たにしたよ」

 なにやら感慨深く呟くザシャだった。

 ふと、目を離した隙に崩れ落ちた壁の傍まで行ってレイがぺたぺたと落ちた岩を撫でているのが見えた。

 危ないので傍まで行って抱えた。

 レイが触れていた岩がただの壁にしては凹凸に富んでいるのに気付いた。こりゃもしかして……。

 崩れた壁の一つ一つ持ち上げて、確かめて、並べては組み直していく。

「むむ……!」

「こいつはまた……」

 それは作りかけのレリーフだった。

 聖樹から逃げ出す人々と、その人々が何かしらの植物に変容していく様が克明に刻まれていた。

 ザシャと目を合わせる。

 これはもう、確定したようなもんじゃないだろうか。

 あの植物で編まれた人間のような姿をした何かは聖樹の民。その成れの果てだと。聖樹に近い人間たちから変わっていくようであり、聖樹から遠い人間は変わらずに無事逃げ出せたような描写がされていた。

 おそらくはその人々こそラニーの先祖になるのだろう。

「ラニーくんはハルくんを見た時に本能的に彼女が巫女だと悟ったと言っていたね。そしてその本能はああなってしまった彼らの中にも生きていた。いや、聖樹の呪いを受けてしまったからこそその本能はより強い物なのかもしれない」

「だからハルを前にしてあいつらは退いたってのか」

「ハルくんにしても聖樹が近しくなったことにより精神に影響を受けたのではと予想される。そこまで極端と言うわけではなかったけれど自失や感受性の欠如が見られただろう。トランスの一種に見えたよ」

「大丈夫なんだろうな」

「流石の僕も人の精神についてどうこう言えるような知識を蓄えてはいないのさ」

 おい。

「まあまあ僕は地図と睨めっこしてここがどこだか調べてみるから君は麗しの少女二人を見守り続けてくれたまえ」

 見守るたってなぁ。

 あいつら、なんて呼べばいいのかな。流石に元は人間であったかもしれない人たちを化け物呼ばわりするのはちょっと。

 とにかくあいつらの影は一つもない。魔獣の通り道になっていたり住処にしているような痕跡もない。

 心許なさすぎるが周囲の安全の確認はした。

 それを終えると離れるわけにもいかんからレイがうろちょろしないように抱えて二人を見守るぐらいしかないからいいっちゃいいんだけども。

 ラニーの怪我は見ている間にも徐々に治っていき顔色も健康そのものって感じで聖樹の加護ってのが本当に働いているようだった。

 対照的にハルは息苦しそうに顔をしかめていた。

 苦しそうなのでほんのちょっぴりジャケットの胸元を緩めてやろうとした。これに関しては本当に他意はない。他意はないがどう受け取るかは人それぞれであって。

 目を開けたハル。目が合った俺。

 視線が下がるハル。視線を追う俺。

 胸元を押さえつける拘束具。その中でも第一封印。通称、第一ボタンを外そうとする瞬間をばっちり見られてしまった。

「……離してくれませんか」

「おう」

 表情筋は崩れていないか。冷汗はかいていないか。心臓はびびっていないか。よし、全て問題なし。

 黄金の目玉で見つめられると自分が断崖の上に立っているような気分にさせられる。

「……邪な成分はないようですね」

「無論であります」

「心配をかけてすみませんでした」

「いえこちらこそ。誤解を招くような真似をして本当に申し訳なく思っております。で、正気でございますか」

「正気かと問われれば一体この世界の誰が正気なのかと今一度、見つめ直す時が来ているのかもしれません」

 どうやらダメらしい。

 俺の背中によじ登っていたレイがひょっこり顔を出すとハルは気が抜けたように微笑んだ。

「自分でも本当によく分からないんです。今までの自分とは違うような感じで」

 やばい薬でもキメた感じなんだろうか。

 自分自身にも形容し難い感覚なんだろう。

 意識は明瞭で口調も流暢だが違和感が抑えきれないらしい。

 ラニーが倒れ、ハルがあいつらを追っ払ったのだと伝えるとハルは一回だけ頷いた。そこは覚えていたらしい。ラニーを追いかけている途中から自分が自分じゃないように感じていたと言った。

「ラニーさんの怪我は?」

「自動修復中。俺の何倍も治りが速い。すげえわ聖樹さま」

 見ろあの間抜けなアホ面。幸せな夢でも見てるのか涎垂らしてだらしない笑みすら浮かべている。

「古代のイルミアの民は加護のお陰で今の平均的な落とし子よりも強靭で強固な肉体を得ていたはずですから聖樹が倒れた今でもその加護の片鱗が残っているんでしょう」

 それならそれでいい。

 だけどなハル。

「聖樹が倒れたってどういう意味だ」

 こいつはあのレリーフをそんなに見ていないはずだ。だからそんな言葉が吐けるとは思えない。それに大昔の人についてもどこで知り得るのか。そんな機会があったのならとっくに教えてくれているだろう。

 ハルもハルで何度か口を開け閉めして言いにくそうというか恥ずかしそうにしていた。

「笑わないでくださいよほんとに。……その、夢です。夢で見たというか、体験したというか」

 夢ですか。

 そりゃあ……言いにくいよなぁ。

 いや、人の夢から夢へと渡るとかいうメルヘンな力を持った落とし子もいるとかいう話もあるし、ありえないとは言えないのだ。

 ただ今までハルがそんな力を持ってるなんて聞いたことないし、こうも恥ずかしそうにしてるってことは本人も馬鹿みたいな話をしてるなと思ってんだろう。

 念の為、今までにそういった夢に出くわしたことがあるのかと聞くと首を振って否定した。

 やっぱりその黄金色の目と巫女とかいう浪漫溢れる単語のせいなのか。

 ザシャが言うように聖樹に近づいたからハルも影響を受けたってことでいいのか。

「なんだいなんだい面白そうな話をしてるじゃないか」

 首を突っ込んできたザシャである。

「場所の特定は出来たのか」

「凡そはね。地図にもこの場所は記されていなかったけれど、これまでの移動してきた距離の感覚や廃墟の村から辿ってきた道筋を覚えていればお茶の子なのさ。ま、この僕に大いなる翼を与えてくれていたらもっと楽になるのだけれどね!」

 大地と海の凡そを人は手に掛けているけれど空だけはまだ未踏の地だからしょうがない。

 そこは女神さまの領域だ。

 人が軽々しく手を出していい場所じゃない。

「ラニーくんが回復して問題ないようであれば出発しようか」

「そういえば、あいつらがラニーを執拗に狙ってたのはなんでだろうな」

「それはラニーさんの持つペンダントを欲していたんだと思います。……すいません」

 自信なさげに言うのはハルだった。

 顔を見合わせる俺とザシャ。

 ハルが何度か起きてくださいとラニーを揺するとぱっちりと目を開いて快調ぶりを示すみたいに飛び上がって言い放つ。

「あたし、絶好調!」

 そりゃ良かったよ。本当に。

 ハルは寝起きから元気なラニーからペンダントを借り受けると泉まで歩み寄った。

 何を考えているのか効能不明な水の中にペンダントを持ったまま躊躇いもせずに手を浸してしまった。

 止める間もなかったし、結果として止める必要はなかったようだった。

 手が溶けたり爛れたりもしなかった。

「巫女さま? なにをしてるんですか?」

「何をしているんでしょうね私は」

 そんなことを言っていたがやがてペンダントに異変が起きた。

 それは誰にも目にも分かる変化。樹木を模したペンダントの表面に罅が入る。その合間からとても綺麗な乳白色がちらりと顔をだした。

 俺たちが不可解さに目玉を丸くしている中で一人だけ別の表情。不気味さとか気味悪さが同居してるような面してるハル。

「これは聖樹の種です。この泉は聖樹を育てるための水が汲み上げられたもので、この枯れ木も元は聖樹の苗木だったんじゃないかって思います」

 それも夢で見たんだろうか。

「……お前どんな夢見たんだ」

「夢の中で私は誰かになっていました。イルミアへは誰かのお付きで来たこと。当時の街や人々の様子。大樹の巫女と呼ばれる人と会ったこと。何かと戦っていたこと。その末に都市が滅びたこと。そして、その巫女から滅びゆく民への希望として種を手渡されたこと。さらにこの種は生き残った聖樹の民へと手渡されました。まとめるとこんな所なんですが」

「ほうほうますます興味深い! 当時の人々はどんな格好をしていたんだい⁉ 言葉は生活は政治形態はどんなだったのかな⁉ そもそも聖樹とはどんな形でどれぐらいの大きさだったのかな⁉ ああ見たい聞きたい感じたい‼ しゃぶりつくして味わいたい‼」

 ザシャについてはいつも通り黙殺する。

「夢の話なので頭から真に受けないで頂けると助かります」

 あくまでも夢の話でハルが予防線を引くのも当然だ。

 しかしながら、ここに来てハルの巫女さま性能は芽吹き始めたようで色々と不可思議な様相を見せている。

「巫女さま、その種があれば聖樹がまた生まれてきたりしますか?」

「その可能性はあります」

「じゃあこれはヘルダルフたちに知られるわけにはいかないよね……」

「あんまり興味なさそうだな」

「そりゃあ昔のままの聖樹の姿が見られるのなら嬉しいと思うけど。あたしの聖樹に拘ってるのはお母さんが夢見た場所へ、娘のあたしが辿り着くって意地みたいなもんだし。いつまでも聖樹に縋り付いてたんじゃヘルダルフと一緒になっちゃう。まあ、本物の聖樹を見ちゃったらどうなるか分からないけど。あの時のあたし。頭の中が聖樹の元へ行けるんだってことで一杯だったもん」

 ラニーはあの時のことを思い出したのか腰に手を当てて忌々し気に鼻を鳴らした。

「めちゃくちゃ腹立ったよ。だってあたしあんなの望んでないもん。あたしはあたし以外の誰にも、何にだって自由にされたくはない。それが例え聖樹の意志で、聖樹の民の本能だったとしてもね!」

 ラニーのくせにちょっと格好いいじゃないか。

 割と見直した。

 俺にもそういった気持ちは少なからずあるからな。やっぱ大事だよ自分の決めた自分のルール。

「私を巫女さまと呼ぶのも止めて頂けると」

「それは無理。あたし巫女さま大好きだし。優しいし綺麗だし穏やかだし柔らかいしいい匂いするもん。でも優しいだけじゃなくて叱ってくれる時は叱ってくれるお母さんみたい」

「……お母さん」

 悪気なしに都合のいいことを吐く都合の良い奴だった。

 見直した分は差っ引かれて元の位置に戻った。

 ちょっぴりハルが傷ついているのに気づいているのかいないのか。

「あんたにも言っとくけど、またあたしがあんな風になったら有無を言わさず殴り倒してくれちゃっていいからね。そのあとお礼するけど」

 きっと痛みに満ち満ちたお礼なのだろうなと想像すると殴り倒すのも躊躇するというもの。

 だからそんな時がこないといいと願うのだった。

「さあ皆こうとなればじっとしてはいられないね! さあ、聖樹の御許へ出発しようじゃないか!」

 この男の生命力や精力に底はないらしい。

 ますます意気軒高になったザシャが俺たちの先頭を肩を切って歩き始める。

 勇ましく「おー!」と唱和してラニーが後に続く。

 だけどハルだけは浮かない顔をしていた。

「どうかしたのか。お前腹の底にため込むタイプだからな。便秘になる前に出しといた方が」

 睨まれた。

 そしてため息を吐かれた。

「いえ、聖樹が滅んだのは結果として見ているんです。けれどその過程については何も見ていないので何があったのかなって思っただけです」

 言われて思い出すのは悪魔のような姿をした何か。

 けれどそれを従えていたのはなぜか巫女の目を持った女だった。そいつらに立ち向かった男についても気になる。

 だがね。

「あんまごちゃごちゃ考えんな。お前がやりたいことはなんだ。やるべきと定めていたことはなんだ」

 前提を忘れてはならない。

 こんなことになってしまっているが、元よりこいつはこんな所に来る予定じゃなかった。本当なら今頃はラティエラの街やらを観光でもしていたはずなんだよな。

「……そうでしたね。私のやるべきこと。やりたいこと。決まってましたね」

 いつものようにガキんちょに向かって手を伸ばす。

 いつものようにガキんちょも手を握り返す。

 そうしていつものようにハルはレイに笑いかけるのだ。

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