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 さらさらという水の音。

 燦燦と煌く太陽。

 空を覆い隠す緑による影の笠帽子。

 それでも漏れてくる光の滝に打たれても娘っ子どもは涼しいと一息ついて気を抜いていた。

 熱の篭った息と相反する冷たい空気が印象的だった。

 深い緑に囲まれて、陽の光は地に届かない。

 人の息吹はとうに絶え、大自然に侵食された末の文明圏の残り香が小さな泉だった。

 女子供が泉の縁で素足を水に浸らせて一休みしている。

 冒険家は探索だ探索だと酔っぱらったように息巻いてはしゃぎ、俺はと言えば周囲の安全を確かめ縄張りを張ったばかりで汗だらだらだった。

 懐中時計によれば時刻はちょうどお天道様が最高にご機嫌になった頃合いだった。

 地図の上でザシャが示した場所にあったのは、かろうじてかつて人が住んでいたと思しき痕跡が残る廃墟だった。

 人々の生活を守っていた家屋も壁どこから内部にいたるまで葉や蔦でびっしりと覆われていた。

 屋内の木で出来たテーブルに少し触れると腐りきっていたのかたやすく崩れた。ちょっとした揺れがあった程度で崩れるほどに劣化していた。

 人の名残は大自然に丸呑みされていた。

 集落の中央に作られていた地下水を組み上げる装置だけが誰も使いもしないというのに動いていた。

 風もなく、動物の鳴き声も息遣いもなく、時間が切り取られたような世界でそれだけが音を発している。

 汗を拭う。

 茹だるような暑さはここにはないが、動き回れば体に篭る熱のせいで体から水分が両手両足をばたつかせて出ていく。

 動きたくない歩きたくない寝っ転がって涼んでいたい。

「どうぞ」

 水を浸したハンカチが差し出される。

「助かる」

「ここにいた人たちはどこに行ってしまったんでしょうか」

「ラニーの先祖みたいなんじゃないか。新天地を求めてこの集落を出てった」

 だから骨も何も残ってない。

「そうなんかな。なーんかあんまよくない匂いがすんだよね。ここ」

「ふむ。すまない。こんな大自然の中だからこそ思わず透かしてしまったよ」

 一斉にザシャから離れる俺らだった。

「ふふふ。ご安心なされよ皆々様。僕のプリティなお尻から生まれ出ずるのはひまわりの開花にも似たとても大らかかつ包容力満点な物語だけさ。さあ皆も身も心もさらけ出して自然と一体になってみよう」

 穏やかな笑顔で他人には理解出来ない言語を垂れ流すザシャだった。

 結局の所は放屁であるのに変わりはない。なにをどう装飾したところで放屁である。分かり易く言うとおならである。すかしっぺである。この空気の中でよくまあこいつはこんな真似が出来るものだ。強い。

 実までさらけ出していないのを願うばかりなのだがザシャの蛮行はそれだけに止まらなかった。

「ちょっとなにしてんのあんた⁉」

「んふぃー見て分からないかな。脱いでいるのさ。んへふ、暑い、暑いね。暑くて辛抱堪らないね。僕は今、自由。ラニーくんも大好きな自由になってみよう。衣服という名の衣の軛を解き放ち、風の向くまま気の向くまま、全身で自然と一体化しようじゃあないか。なあにすぐに病みつきになるさ。僕は今、誰よりも自由さ」

 泉の中に飛び込んで盛大にザシャ産の水飛沫が散る。

 いつも通りに吐き出す言葉は可笑しいがなんか顔が赤い。

 あ、こいつもしかして熱中症じゃあるまいな。おいおいマジかよ勘弁してくれよ。案内役がぶっ倒れちまってどうすんだ。お前が一番こういうのに慣れてるはずだろ。

「……カナタさん下を履かせといてくださいね。適当に冷やしておけばそのうち治ると思います。あとこれを水と一緒に飲ませてあげてください」

 丸薬。

 いつだったか飲まされたことのある物とは別ものなのかどうかはハルのみぞ知る。少しばかり塩分を含んだ滋養強壮薬だと嘯いてるが味については一切言及がなかった。

 なにより最初の一言に俺は気を取られていた。

「え、俺が、こいつを、履かせんのか」

「はい。カナタさんが、ザシャさんを、履かせるんです」

 仰向けに泉に浮かぶザシャ。

 見下ろした。

 何一つ隠していない生まれたてのベイビーそのままだ。当然、奴のベイビーも生まれたてのベイビーの如く何一つ身に纏っていない。

 顔をそむけたままのハルが感情を殺しきった口調で無慈悲な裁定を俺に告げていた。

「処理が終わったら私たちに知らせてください。なんというか、まあ私たちも汗を流したいと思いますので」

「おいおい、俺が参加すべきなのはそっちのイベントだろ。昔取った杵柄で丁寧に体を洗う技術の国際免許持ってんだ」

「どこの発行ですか」

「カナタ・ランシア王国発行の永久ライセンスだ。……おいやめろ。当てずっぽうで目玉に指を突き入れようとすんな」

「ラニーさん。お話はまとまりましたので建物の中で待っていましょう!」

 うーい巫女さまー!

 なんて能天気な返事が返ってきた。見ればレイとにらめっこしているようで相変わらず一定の距離が開いていた。両手を上げていつでも襲い掛かる準備は万全の様だった。懐かれないことにすら楽しみを見出していそうだ。自由な奴だ。遊びたい盛りのおこちゃまと気のない子猫の図だ。

 くっそう。

 話なんぞちっともまったく纏まっていないっつーに。

 俺が男の下を履かせる。その行いで一体どこの誰が得をするというのか。その絵面で一体どこの誰が喜ぶというのだ。この展開に、一体どこに対しての需要があるというのだ。成人男性の生温かな熱気を感じる体躯にさっきまで着用していた汗まみれのきったないブリーフを見て、一体どこの誰が!

 俺の無垢なる怒りに火が灯る。絶対に素敵イベントに乱入してやると誓った瞬間だった。

 つか、こいつぴっちぴちのブリーフ派かよ勘弁してよマジでもうさあ!

 とは言えど、真っ正直にハルの言葉を真に受ける必要はない。

 虚ろに笑っているがまだ意識は残っているのでせいぜい喉に詰まらせないように水と薬を飲ませて後は放置した。

 ハルが焦った様子を見せなかったってのはそこまで急を要するほどの症状ではなかったってことだろうしな。

 しばらく放置しているとザシャがくるくると体を回し始めた。まるで串に刺さった肉の塊が焼かれているような動き。

 表に裏に、裏に表に。絵的に非常に楽しくないし嬉しくないし、本気でさめざめと泣いてしまいそうだしと心に刺さる。

「なぜ回る」

「僕の美しき裸体を空と大地の狭間に魅せてあげようと思って。磨き上げたこの体。表も裏も、恥ずかしい部分すらも恥ずかしい部分なんてないと証明できただろう」

「お前は自分のケツを見たことがあるのか」

「ふふふ。如何にこの僕と言えどお尻を見れるほど首を回すことは出来ないよ。だが、合わせ鏡を使うことで全身を余すことなく味わえると気づいた時には絶頂しそうになったよ。やはり僕の身体にはわずかの染み一つとしてないと」

「いつの話だよ」

「む、ほんの五年程度前の話さ。それがどうかしたかい」

「別に。お前はもっと鏡で自分と言う人間を確認する必要があると思っただけだ」

「僕は僕について、何時如何なる時でも宣言実行確認しているよ、僕であると。それはさながら女神から啓示を受けた預言者が雷に打たれかの如き確信を以てね!」

「で、体調に変化は。調子はどうなんだ」

「気分爽快絶好調! むしろ今までより美々しく雄々しいザシャ・シュラールをお届けすることを約束するよ! ほら見ておくれ、いつもより多く回っております!」

 回転回転また回転。自分をアピールするようにくるくる回るザシャはうざい。

 まあ、調子がいいならそれで結構。悪くなってないとか、違和感を感じたりしてないとかなら。なにより意識がはっきりしているようでなにより。

 なぜってそれは、俺がこいつに薄汚れたブリーフを履かせるという酷い、酷い、酷すぎる絵面がなくなってくれるからだよ。

 だからここに、決意を込めて、言わせてもらう。

「パンツ履け」

「ふ、了解だ! あまりに魅せすぎるとこの世のありとあらゆる存在から嫉妬を買ってしまうからね!」

 そうして颯爽とパンツを装着するザシャだった。

 緑生い茂る大自然の中にパンツ一丁の男が腰に手を当て胸をそびやかしている。なんだこの絵面は。カメラで撮ったら壊れそうだ。

 ともあれ、面倒ごとの一つは片付いた。

「で、物は相談なんだがねカナタくん。しばらくはここで休憩を取ることにしてだ。少し気になる場所を見つけたのでついてきてもらいたいのだよ」

「それは今後について関わる?」

「かもしれない」

 なら仕方がない。

 女子どもが素敵なイベントを満喫している間に俺は男二人組で探索行……空しすぎる。

 だがその前に、俺もひと風呂とはいかないまでも、せめて汗だらんだらんのだるんだるんなこの格好を何とかしておきたい。なので――。

「むふ。やはり僕の目に狂いはなかった。引き締まった良い体をしているね君は。日々の鍛錬の賜物なのかな。どうかな、今度、一緒にサウナでも」

「うるさい黙れ。それ以上にじり寄ってきたら鼻毛むしり取ってやるからな」

「そんな、僕を丸裸にして一体何をするつもりなんだい。あ、うそうそ。冗談冗談。怒っちゃ嫌なのさ!」

 親指と人差し指を顔の前に差し出し、何かを摘まんで引きちぎる動きをするとアホたれはそこに自分の鼻毛が惨たらしく散華する様を幻視したのか慄いて飛びずさった。

「おーいうら若き乙女よ。そんな風に隠れて見てないで堂々と見てあげて欲しいよ! 鍛えられたこの若く青く瑞々しく躍動する肉を肉体を!」

「見てないし!」

 きゃーラニーちゃんのエッチ!

 とでも言えば良かったんだろうかな俺は。

 外野がぎゃんぎゃんと喧しくちっとも心は休まらないが体の方は冷たい水でひと時の平穏を得たようだった。

 そしてしゃくに触るがこの大自然の中、一糸纏わぬに身になった時、言わばこの世に生まれ落ちた時とまったく同じになった時、新たなる扉が開かれる音が聞こえたような気がしなくもない。

 何かが始まるような、あるいは何かを征したような、そんな気持ちを抱いたのは事実だった。

 これは決して口外は出来ない。つまりはそう……ちょっと気持ちよかったです、はい。

 俺も露出の気があったのかもしらん。いやいや待てよ。結論を出すには早すぎる。街中や大勢の人前で晒したいかどうかを考えよう。うん、ない。良かった。俺は正常気味だ。

 ともかく、さっぱりしたことは確かだ。

 ザシャに連れられた先にあったのはやはり緑に覆われた石柱の群れ。等間隔に並ぶそれの最奥に坐するのは……。

「おそらくはこの村の民にとっての祭壇であり、神像のような物だったのではないかと推測される」

 大きな樹だ。

 それを崇めるように台座があった。五つの穴が開いていたその中には白い杯が一つ直立していた。その中には白く輝く石が転がっている。

 杯は一つではない。伸び放題荒れ放題枯れ放題になった茂みに二つの杯が隠れるように横たわっていた。黒と金。

「杯にあるのは煌石だね」

 白煌石(アルティア)

「煌石学では一般的に黒は死。停滞。白は浄化。再起。黄は変化。転換を意味するとされているね。煌石を女神のような存在に捧げて機嫌を損ねないようにするのは世界中で見られるよ。しかしそうすると赤と翠がないね」

「それがないとどうなる」

「世界が完成しない。白に続く翠の安定と最後に至る赤によって完成し、そして滅んで黒に戻るってわけさ。これは三女神の命の循環にも準えられているね」

 台座はお誂え向きに五つ杯を配置出来そうな形をしている。だから翠と赤がないとザシャは言ったのか。

 冒険野郎が台座を杯に置いていく。

「おお、古き聖樹の眷属よ、我が願いを聞き届けよ。そして叶えたまえ。今晩のごはんは東世の焼き魚を所望したい……! 適度に塩を振りかけて齧ると脂がじゅわりと染み出てくるほどに香ばしい焼き魚をラディッシュも添えて……!」

 そりゃうまそうだなー……こいつ何願ってんだろうなー。

 さて、馬鹿な願いが口にされたが何の変化も起きない。ま、当然か。ザシャも期待なんてしていなかったか肩を竦める。

 厚かましいったらありゃしねえな、ったくよぉ。

「どうか私めに糖分多めのおやつをください! 願えばポンと叶えてくれるような、冷たく甘くて美味しい東世風極上神風五十鈴のフラッペとかいいんじゃないか!」

「…………」

「…………」

「なーんて、祈って願っては見たものの」

「当たり前のように何も起こらなかったのである」

 静かだった。誰もいなくなった廃墟に取り残されてキーンとした静けさに取り囲まれている。静かすぎると耳が痛いって本当だったんだな。

 男二人、虚無感と謎の敗北感に包まれる。

「今はこれしかないのですまないけれど、僕らの冒険が上手くいきますようにっと」

 ザシャがごてごてとしたポーチから石を取り出す。足りていない白以外の煌石だった。宝石としての研磨や煌導器の動力として調整されていない原石のまま。そいつをそれぞれ対応した台座にぽんぽんと置いていく。

 最後の赤煌石(ルベティア)を置く。

 ……やはり何にも起きやしない。

 ザシャを見ると自信有り気に一つ頷いた。なんの自信だかはさっぱり分からない。おもっくそ外れてんじゃねぇかと。

 その自信を込めた目玉が俺の胸元に落ちて軽く見開かれた。

 視線の先を辿ると時計がぼんやりとした光を放っていた。

 もう一度、顔を見合わせる。

 そして祭壇を見る。

 それぞれの煌石が淡く光って、杯に乗っていた白煌石だけ残してぱりんと砕け、再び静寂に包まれた。

 心臓の音が聞こえてきた。

 お互いがこれからなにか起こるぞと確信しているのかそろりとザシャと目配せしてその時に備える。

 恐る恐るザシャが祭壇に残された白煌石を手に取るとそれも砕けた。

 だけど何かが起こる様子は一行になかった。

 引き攣ってはいるがザシャが取り繕うようにして笑みを浮かべて気分を落ち着かせた。

 だけどまあ聖樹の眷属ってのは意地が悪いようで、一呼吸置いてそれは起こった。

「ぬぎゃあぁぁぁ!」

 ラニーの悲鳴。

 俺とザシャは顔を見合わせると泉の方に向かって駆け出した。

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