仲直り
「ケン〜? いつまで寝てるの〜? 今日から学校でしょ?」
「う……ん?」
翌朝。
ケンは母の声で目を覚ます。
今日から、新学期が始まるのだ。
大きなあくびを一つ、ケンはベッドから起き上がる。
「早く朝ごはん食べなさい。遅刻するわよ?」
目をこすりながら、ぼんやりとしているケンを横目に、ケンの母は踵を返し、朝の支度に戻っていく。
「ふわぁ……」
すごく、長い夢を見ていた気がする。
どんな夢かは、思い出せないけど。
ケンはもう一度大きくあくびをすると、モゾモゾと着替えを済ませ、リビングへ向かった。
「いただきます」
食卓に着き、ケンが箸を持った時……。
「痛っ……」
「まぁ、どうしたの?」
右手の薬指に痛みが走ったケンが、慌てて箸を置く。
「何だか、指がヒリヒリするんだけど。赤くなってる。やけど、かな?」
「あら、いつ火傷なんてしたの?」
「う〜ん、分かんないや」
ケンは首を捻りながらも、その部分に触れないように、器用に箸を持ち、卵焼きをつまむ。
気付かない間に、指を少し切っていたり。
どこでぶつけたか分からない、青タンが出来ていたり。
ケンにとっては、よくある話なのだ。
「絆創膏でも貼る?」
「いや、大丈夫だよ」
箸を開いたり閉じたりしながら、問題ないことを確認するケン。
「ごちそうさまでした。じゃ、いってきます」
「忘れ物がないか、ちゃんと確認するのよ。ティッシュ、ハンカチ、夏休みの宿題……自由研究も、ちゃんとやったのよね?」
「あっ」
「まさか、やってないの?」
「いや、やったよ。やったと、思うんだけど……」
「思う……?」
どのような自由研究をやったのか、その内容がなぜか思い出せない。
だけど、やったという事実だけは、ハッキリと覚えている……。
なんとも奇妙な感覚である。
おもむろにケンは、手提げ鞄から画用紙を取り出した。
画用紙の見出しには、『〜〜の観察日記』という文字が書かれている。
「ちゃんとやってるじゃないの」
ケンの母は、ランドセル越しに、ケンの背中をポンと叩く。
「じゃあ、車に気をつけて、いってらっしゃい」
ケンの母が、自由研究の細かな部分まで、ジロジロと目を通さなかったのは、自分がケンを疑っていると、思わせたくなかったからである。
……実際はケン自身が、その自由研究を見ながら、目を丸くしていたのだが。
◇
「おかしいな、いつの間にこんなのやったんだろ……」
自分の書いた自由研究を、マジマジと見つめるケン。
間違いなく自分の字である。
なのに、それを書いた記憶がないのだ。
「かわいい……鳥」
ケンは目を細め、その鮮やかな桃色の小鳥の絵を見つめる。
鳥の名前は、レレイ。
遠い遠い、いしゅたーる王国からやってきた渡り鳥。
目がクリッとしてて、ピンク色の毛が綺麗なメスの……じゃなくて、女の、鳥。
かわいい顔なのに、おじいちゃんみたいな、変な喋り方をする……鳥。
いしゅたーる王国では、けっこうえらい鳥だったらしいけど、もういい歳だから、そろそろ田舎に帰って、いんとん生活をしようとして、その途中に、ぼくの家の近くに迷い込んじゃったんだって。
好きなものは、グレートボアの肉と、サイダーと、マンガ。
空を飛ぶのが得意で、火の魔法も得意。
でも、火の魔法を見せてもらう時に、ぼくの指に火が当たりました。
とっても熱くて、やけどをしました。
「指に……やけど?」
驚いたケンが、薬指を凝視する。
レレイは回復魔法が苦手なので、ぼくの指を治せません。
あと、レレイは水属性の魔法も苦手なので、冷やせませんでした。
でも、ちゃんと謝ってくれたし、友達だから、許してあげようと思います。
レレイは渡り鳥なので、夏が終わるまでには、ここを出て行かなければなりません。
とても寂しいですが、友達なので、また会えたら嬉しいなと思います。
「レレイ……」
自由研究を読み終え、ケンがそう呟いた時だ。
「ケンちゃん」
後ろから、ふと声がかかる。
ケンの胸が、高鳴る。
「ユウくん!」
ケンは慌てて振り返った。
それは、ずっと謝らなければいけないと思っていた、親友の声なのだ。
ケンに声をかけたユウは、気まずそうにランドセルの肩ベルトを握りしめ、下を向いている。
ユウと会ったら素直に謝る……そう決めていたはずなのに、いざ本人を目の前にすると、何も言葉が出てこないケン。
そんな時、ケンの頭に浮かんだ言葉。
『勇気』。
ケンは息を吸うと、意を決して口を開く。
「ユウくん。ごめんね……いなくなっちゃえなんて言って……で、でもホントは、そんな事思ってないから! ユウくんが転校しても、ずっと友達でいたいから!」
初めは、震える声を絞り出すように言っていたケンだったが、徐々に、堰を切ったように、大きな声になる。
思いを伝える。
ただそれだけを、がむしゃらに。
「ケンちゃん、ぼ、ぼくも、ごめん。ずっと謝ろうと、思ってたんだけど……」
「仲直りしようよ。ぼくたち親友だし!」
ケンは、とびきりの笑顔を作ってみせた。
まだ、ユウが怒っているかもしれないという不安を、気合と勢いで、振り払いたかった。
そして、ユウが破顔して、大きく頷く。
「うん!」
お互い、照れくさそうな顔をしながら、学校へ向かって歩き出した。
その時、ユウが何かを思い出したように、表情を曇らせる。
「ケンちゃん、自由研究のことなんだけど……」
「ああ。そのことは、ユウくんのお母さんから聞いたよ。でも、気にしなくていいよ。ぼくもちゃんと終わらせたからさ!」
ユウの目の前に、ケンは画用紙をひらりと突き出す。
「わぁ、かわいい鳥だねぇ!」
「そ、そうでしょ? レレ……レレイって言うんだ」
努めて自慢げに、笑顔を見せるケン。
だが実は、本当はよく知らないのだ。
このレレイという鳥を。
大事なことな気がするけど、なぜか思い出せない。
妙に懐かしい響きの、レレイという名前と、不思議な既視感のある鳥の絵……。
そんなむず痒さを感じながらも、ケンはユウと話を弾ませながら、学校へと歩みを進める。
二人がしばらく歩いた時。
電柱の前で、ケンが急に立ち止まる。
「ケンちゃん、どうかしたの?」
ユウが気にして、ケンに声をかける。
ユウの声が耳に入ったのだが、それでも構わず、電柱の根元を凝視するケン。
そこに、視線が吸い寄せられるように。
そこはちょうど、ケンとレレイが、初めて出会った場所だった。
「ケンちゃん?」
心配そうに、ケンを覗き込むユウ。
「え? あ、ごめん。なんか、ボーッとしてた……」
何度かその電柱を振り返りながらも、ケンは前を行くユウの元へと、駆けて行った。
少し、涼しくなった夏の朝。
夏休み中とは違い、晴れやかな顔で歩く、二人の少年の姿があった。




