別れ
うつ伏せになり、床に肘を立て、手のひらに顎を乗せる。
レレイのマンガを読む時のスタイルだ。
「かわいいな〜レレイは」
そして、同じくそのスタイルで、レレイを横から見つめる小学四年生の少年。
「おぬしは、ここ二、三日、そればっかりじゃな。ずっと見つめられると、ワシも恥ずかしいぞ」
「だって、かわいいんだもん」
「…………」
齢73じゃぞ?
と、思わず言いかけたが、レレイは口を閉ざし、恥ずかしげにマンガ本に顔を埋める。
「あ〜顔が見えないよ。もう少しで完成するのに」
ケンは今、自由研究の最後の仕上げに取り掛かっていた。
「ワシの、顔?」
「うん。やっぱり自由研究に、実物のスケッチは付きものだからね」
そう言って、シャカシャカと色鉛筆を走らせるケン。
気になったレレイが、マンガから視線を逸らし、画用紙を覗く。
描かれていたのは、実物よりもかなり濃いめのピンク色の髪の少女である。
レレイはそれを見て、なぜか再び嬉しそうに、マンガ本に顔を伏せるのだった。
「そう言えばさ、レレイって、火属性の魔法使いなんだよね?」
「そうじゃな。まぁ、他の魔法もそれなりに扱えるが、最も得意とするのは火属性の魔法じゃ」
レレイはそう頷くと、人差し指を上に向けると、その先に小さな火を灯す。
「わぁ、すごい、花火みたい!」
「花火? ああ、昨日テレビに映っておったアレか」
レレイは、この世界の文化に、とても興味を持っている。
毎日、ケンの親の目を盗んでは、リビングでテレビを見たり、パソコンからインターネットにアクセスして、この世界の情報を集めているのだ。
「ちょっと、電気消してみていい?」
「うむ。構わんぞ」
ケンは入り口のスイッチに駆け寄り、部屋の照明を落とす。
レレイはテレビで見た花火を真似て、カラフルな火を色々な形に放った。
「わぁ、すごく綺麗! ファンタジーだねぇ!」
「そうじゃろう、そうじゃろう。ほれほれ」
見惚れるケンに気をよくしたのか、レレイが自慢げに火を作り出す。
その時だ。
「あちっ……ッッ」
浮遊させていた火が、ケンの右手の薬指に触れる。
「あ、熱いじゃないか……!」
「す、すまぬ。体が小さいせいか、距離感が狂ってしまったようじゃ」
「ちぇ。指にやけどしちゃったじゃん。得意って言うから、お願いしたのに」
「むぅ……じゃから、いつもと勝手が違うと言っておろう。と言うか、ケンが『電気』という灯りを消したから、コントロールが上手くいかなかったのじゃ」
フーフーと、指に息を吹きかけて抗議するケンに、レレイは憮然とした顔で言い返す。
本来であれば、数百人を一瞬のうちに火だるまにできる程に、レレイの火属性魔法の熟練度は高い。
今回も、部屋が火事にならないようにと、魔力量を最小限に絞ったため、ケンの指は大事には至ってないのだが……。
実際、手元が狂い、ケンに当たったのだ。
レレイは、申し訳なさそうに、頭を下げた。
「すまぬ。今のは、ワシの過失であるな……。ワシは、ワシの現状を踏まえた魔法の行使を、心がけるべきじゃった」
平謝りするレレイに、ケンは驚いたような顔をした。
そして沈痛な面持ちになり、小さく呟く。
「凄いなあ、レレイは……。悪いと思った事は、すぐに謝れるんだね」
ケンの言わんとした事を、レレイはすぐさま理解した。
親友のユウと喧嘩してしまったことを、ケンはずっと気にしているのだ。
どのような言葉を返そうかと、レレイが思案していると、ケンは消え入りそうな声で、言葉を続ける。
「ぼく、『ユウくんなんて、早くいなくなっちゃえ』なんて、言っちゃったんだよね……」
後悔に押し潰されそうになりながらも、ケンはひとつひとつ、言葉を紡いでいく。
「『いなくなれ』か……。確かにそれは、ちと言い過ぎじゃな。じゃが、夏休みとやらが終わったら、謝ればよかろう?」
「違うんだ、違うんだよ」
必死に首を横に振るケン。
「ユウくんは、もうすぐ転校しちゃうんだ」
「転校? 転校とは、何じゃ?」
「違う学校に、行っちゃうってこと」
「ふむ、なるほど。そういう状況で、『いなくなれ』と言ってしまった訳か」
「うん……」
ケンの目にうっすら涙が浮かぶ。
「まあ、言ってしまったものは、仕方あるまい。咄嗟に出てしまった言葉じゃからな。肝心なのは、悪いと思った事は、きちんと誠心誠意、謝罪することじゃ」
「そうなん……だけどね」
「ユウとやらは、もう他の学校に行ってしまったのか?」
「いや、まだだよ。転校するのは10月だから、夏休みが終わっても、ちょっとの間だけ、会えるんだ」
「それなら、何も問題はあるまい。気持ちを伝えるための時間は、ほんの少しで良いのじゃ。あと必要なのは、勇気だけじゃからの」
「勇気……」
「別れとは辛いものじゃ。いざ別れる時になって、本当に伝えたいことが溢れてくる。もっと早く言えていれば、などと後悔しても、時間は戻ってこんのじゃぞ」
「うん、分かった。ぼく、きちんと謝るよ!」
小さくも、力強く頷くケン。
長かった夏休みも、いよいよ明日で終わろうとしていた。
◇
「やっと自由研究が終わった……。レレイのお陰で、助かったよ!」
「ふむ。ワシが『鳥』であるとか、いささか事実とは違う記述もあるようじゃが、まぁ、よかろう」
自由研究の内容に、少々、引っかかる点はあるものの、レレイはおおむね満足した様子で、何度も頷いている。
そんなレレイが、ふと視線を落とし、両手をジッと見つめる。
「ワシの魔力も……いい具合に、回復したようじゃな」
眉間にわずかにシワを寄せ、かすかに笑みを浮かべるレレイ。
笑み……ではあるが、その表情は寂しげであり、儚げである。
イシュタール王国へ帰るため。
転移魔法を再発動するため。
その魔力が、ついに溜まったのだった。
その事に気づいたケンが、ハッと目を見開く。
「レレイはやっぱり、もとの世界に帰っちゃうの……?」
「そうじゃな」
「い、嫌だ……レレイと離れたくないよ!」
「ケン……」
すがるような目で見つめるケンに、レレイは困ったように視線を落とす。
そして、ケンを安心させるため、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「ケンよ。案ずるでない。前にも説明した通り、世界線が正常に戻れば、元に戻ろうとする力が働く。つまりじゃ。異なる世界線の記憶である、ワシとの出会いは、綺麗さっぱり忘れてしまう。ケンに悲しみは残らぬはずじゃ」
「え……?」
しばらく理解が追いつかないケンだったが、追いついた後も、数秒は絶句したままだった。
「ぼく、レレイのことを、忘れちゃうの?」
「そうじゃ」
「まさか、レレイもぼくのこと、忘れちゃうの……?」
「そう、じゃな……」
「だって、だってぼく達、せっかく友達になれたのに……」
「本来、ワシはこの世界にいる人間ではないのじゃ」
今にも泣き出しそうになるケン。
ケンを心配させないようにと説明したつもりが、むしろ、余計に不安にさせてしまったようだ。
「そんなに悲しい顔をするな。ワシまで辛くなるじゃろう。さぁ、明日からは学校じゃ。そろそろ寝る時間じゃぞ」
レレイは半ば強引に、ケンをベッドに寝かしつける。
「明日は、ちゃんとユウくんに謝るのじゃぞ」
「……うん」
ベッドに入ってからも、しばらくケンはグズグズと泣いていた。
やがて、泣き疲れたケンが、スウスウと寝息を立て始めた頃。
「やれやれ。思った以上に、悲しんでおったの」
ケンに布団をかけ直すレレイ。
その寝顔を見ながら、レレイはフッと笑みをこぼす。
「じいさんの若い時にソックリじゃな」
レレイには、伴侶はんりょがいた。
幼い頃からの付き合いの、魔法使いだった。
腐れ縁の延長のように籍を入れて以来、長年連れ添った二人だったが、ついぞ、子どもは出来なかった。
もし自分に、子ども……あるいは孫がいたならば、こんな感じの、愛おしい感情を抱いていたのだろうか。
レレイはケンを見つめながら、湧き上がる感情を噛み締める。
「ふふふ。転移した後も、記憶が残っているのであれば、墓参りには、ちょうどいい土産話になったのじゃがな……。文句ばかり言っておった、あのじいさんも、きっと喜んだじゃろうに」
そう言って、レレイは、両手を大きく頭上に掲げた。
「さようならじゃ、ケン。達者でな」
そして、ケンの部屋に、青い閃光が走る。
その光が収まった時には、ケンの部屋にレレイの姿はなかった。
「忘れ……たく……ないよ……」
レレイが最後に聞いたケンの言葉は、そんな寝言だった気がする。




