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お仕置きタイム

 デスクはふっくらした顔面に嘘くさい苦渋を滲ませた。


「いま手元にきてる苦情の件数がヤバい。記録更新だ」

「――というと?」

「デックス、お前個人に宛てて投書がきてるんだよ。この意味が分かるか?」


 それくらい分かる。名誉だ。投書は発行部数の千分の一あるかどうか。最低限、新聞を読める知能があり、なにか文句をつけてやろうという熱意をもち、ちゃんと文字を書いたうえで大金払って郵便局を利用しなければならない。凄まじいコストだ。

 その莫大すぎるコストの塊が個人に宛てて送られてきたのなら、内容に関わらず勲章として頂かなければ申し訳がたたない。


「――ニヤつくな。お前がなにを考えてるのか分からるぞ?」


 デスクは苦笑しながら言った。


「山ほどだ。冗談じゃなく、本当に山ほどきてるんだから困る。山だぞ?」

「……本当に……山?」


 手紙を束と感じるのが百通から。封書を積んで小山になるのが千通。デスクがわざわざ『本当に』の枕詞をつけて山ほどというなら、万通に達した可能性がでてくる。

 ――ありえない。『網の目』の発行部数を越えている。

 だが、いつもは優しく生暖かい目をしてくれるデスクが、困ったような笑顔になった。


「嘘じゃない。大マジだよ。さすがに器用なもんだ、デックス」


 ずっと黙っていたヘイズが、マルセルに気遣うような視線を飛ばしながら口を開いた。


「週刊ならではの不幸な偶然だ。社長が目を通してくださったうえで、社会部の記事も通すしかないと判断なさった。それくらい素晴らしい記事だったということだ、デックス」

「ちょっ、デスク!?」


 マルセルの反応から察するに、ヘイズお得意の二枚舌が炸裂したらしい。きっと政経のフロアではおれの記事をボロクソに罵っていたのだろう。

 ヘイズは両手を肩の高さに掲げてマルセルをなだめながら言った。


「言わなくても分かるだろうが、ウチとしてはマルセル優先だ」

「こっちはデックスだな」


 社会部デスク――すなわち、おれの直属の上司が言った。


「――で、折れるならこっちだわ」

「あぁ!?」


 おれは頓狂な声をあげた。自分で頓狂な声と評してしまうような声だ。ふざけてる。ふざけてるのはデスクだが、とにかくマジでふざけてやがる。

 デスクは演技がかった調子で右手を高々と上げ、手首を小さく傾けた。


「デックス。お前、クレーム処理をやれ。それで手打ちだ」

「……あぁん!? ちょ、デスク!?」


 おれは詰め寄った。無意味なのはわかっていた。だが、数万件のクレームを頂ける崇高な記事を書いた記者に、その処理を頼むとはどういう了見かと憤慨していた。

 ヘイズが神妙な顔をしてウチのデスクの視線に頷き、顔を横に振った。


「……どうだ、マルセル? 今回は――」

「……いまに始まったことじゃありません。こいつは必ずまたやります」


 容赦なかった。いいぜ、やってやる。そんな気分になってきたときだった。


「頼む!」


 デスクが禿げ頭を机に叩きつけた。マルセルとヘイズがギョっとした。笑える。笑えるが無様な演技を披露してまで守ろうとしてくれているなら、おれも付き合わねばなるまい。

 おれは真顔でデスクのデスク頭突きに倣い、両膝で床を打った。


「頼む!」


 何がかは分からないし、知らないし、興味がない。

 ただ、デスクが頑張ってくれているらしい何かのために頭を下げた。

 そうしたほうがもっともらしいかと額を床にこすりつけていると、ヘイズとマルセルの綺麗に揃ったため息が聞こえた。


「こっちは一面なんですから、まずこっちに話を通してくださいよ」

「はい……! 申し訳ありません……!」


 デスクの、ちょっと笑えてきそうなくらい切実な声が聞こえた。


「デックスは無罪放免になるんですか?」


 マルセルの冷たい声に、デスクは絞り出すような声で答えた。


「デックスにはクレームの手紙を処理させます……! どうか……どうか、それでお許しいただけないでしょうか……!」


 涙が流れそうな懇願だ。わざとらしいにもほどがる。

 ダブスタ・ヘイズが必要以上に重い息をつき、マルセルに流し目を送った。


「……わかりました。今回は、それで」


 手打ちだろうか。おれとデスクはふたりの足音が遠ざかっていくのを待った。

 やがて扉の音がし、閉まり、ひどい顔面を忍び笑いでさらにひどくした他の記者が「もう行ったッスよ」と口にしたのをきっかけに、


「やっっっっっっっってやったぞデックス!!」


 デスクが弾けて片手を上げた。

 おれは床を突き放すようにして立ち上がり、全身全霊、会心のハイ・ファイブを決めた。


「かましたったぜクソったれ!」

「ははは! 見たかデックス! あのクソ生意気なメスガキの!」

「『わかりました。今回は、それで』」


 おれの声真似と顔真似で編集部が爆笑に飲まれる。デスクは天に届けとばかりに笑い、おれの首に腕を回して頭を叩いた。うざったいが年一だったら悪くない。

 おれは編集部の声援に勇者のように手をくねらせ、意気揚々と帰宅――するつもりが。


「待て待て待て、デックス」


 デスクの妙に冷めた声に引き止められた。


「うぇーい。なんスか? おれ明日っからスラムで取材を――」

「ああ。だろうと思った。その前に地下だ」

「地下? 地下って……」


 まだ知らない隠語か何かだろうか。いくら次期エースとはいえ、記者生活三年目なんぞペーペーを卒業したばかり。便所の底に堆積している社会部特有の隠語は数しれない。

 デスクは太った腹を叩き、ピンと伸ばした人差し指で足元を指差す。


「だから、クレーム処理だよ」

「――えあぁぁぁぁぁっ!?」

「言っちまったもんはしょうがねぇだろ!? 下でクレーム焼いてこい!」

「……まぁ、いいじゃん。お前にとっちゃ取材みてぇなもんだろ?」


 飛んできた声に顔を向けると、センパイ記者サマの髭面が笑っていた。


「……クソがっっっっ!」


 おれはデスクの顔に唾をまき散らし地下室に向かった。


 まあ、事実、取材だと思えば、そこまで悪いもんでもないのだ。

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