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ひと夏のきらめき  作者: 高山 由宇
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第ニ章


「夏川さん」


 放課後の教室、今まさに帰ろうとしていたところを呼び止められて振り向けば、早瀬七海が真剣な面持ちで立っていた。


「夏川さん、話があるの」

「ごめん、私、急いでいるから」


 七海の言葉を遮るように口早に告げると、急いで彼女の横を通り過ぎる。


「待って! 夏川さん!」

「……」

「お願い、話を聞いて。もう、私たち……あなた以外に頼れる人がいないの」

「テニス部に入って欲しい」

「え……?」

「それ以外の話なら聞くよ」

「……夏川さん」

「私は、もうテニスをやるつもりはないんだ」

「お願い、夏川さん。もう一度、話を聞いて」

「……」

「インターハイまででいいの」

「……」

「テニス部が嫌なら、練習に参加しなくてもいい。インターハイに出てさえもらえれば……」


 だんっと、重い音が教室中に響き、残っていたクラスメイトたちが一斉にこちらを向いた。


「夏川さん……」


 唖然とする七海を睨みつけ、机に叩きつけた自分の鞄を再び持ち上げる。


「馬鹿にするな」


 それだけを言うと、驚いているクラスメイトたちの目から逃れるように足早に教室を出たのだった。




 夏川瑞希は、今年度から私立聖凛高等学校の二学年に転入してきた、早瀬七海のクラスメイトだ。

 しかし、瑞希と七海が話すようになったのはつい最近のこと。昨年まで通っていた公立の高校で、瑞希がテニス部に所属していたという噂を聞いた七海が勧誘したのがきっかけだった。

 瑞希は、小学二年生の頃からテニスを習っていた。中学一年生の頃には、シングルスで県大会優勝を果たし、全国では準優勝までいった。その翌年と翌々年は、ダブルスでもシングルスでも勝ち進み、部員たちを引っ張って全国優勝を勝ち取ったのだ。そして、硬式テニス部が強い公立の高校に特待生として入学したのである。

 ……だが。

 わずか一年で、瑞希は部活だけでなく、その高校を辞めることとなってしまった。

 そんなことを思い返しながら昇降口に向かっていると、


「夏川さん」


 階段の踊り場で声をかけられた。


『またか……』


 なかばうんざりとして振り返る。そこにいたのは、面識のない人物だった。


『……三年生?』


 制服の赤いリボンが目に入った。

 この学校では、学年によってリボンの色が違う。三年生は赤、二年生は水色、一年生は黄色。

 今、瑞希を呼び止めたのは三年生らしかった。


「夏川瑞希さん、よね?」

「……はい」

「私は、三年生の秋月紫苑というの。少し話を聞いてもらいたくて」

「テニス部に入るつもりはありませんよ」


 紫苑の言葉を、瑞希はぴしゃりと断ち切った。


「先輩は、テニス部の先輩ですよね?」

「ええ。でも、どうして?」

「この学校で私に話しかけてくる人は限られていますから。早瀬さんから、私がテニスをやっていたって聞いているんですよね?」

「そうね」

「すみませんが、私はテニスをやめました。もう、テニスをやるつもりはないんです」

「そうらしいわね」

「……では」


 そう言って立ち去ろうとした背中に、


「私は、あなたを勧誘にきたわけじゃないわ」


 紫苑の言葉が届いた。そこで、瑞希は足を止めて振り返る。


「私は、あなたに謝りにきたの」

「……なにを?」

「七海のことよ。私の後輩が、失礼なことを言ったわね。ごめんなさい」

「……」

「私、あなたを勧誘したいと思っていたの。それで、あなたのクラスまで行ったのよ。そしたら、七海とあなたの話が聞こえてきて。あれは、七海が悪いわ。同じことを言われたら、私も怒ると思う」

「……いえ。今考えれば、別に、怒ることはなかったと思います」

「ううん。どんなに実力があったって、練習もしない人が試合にだけ出ていいはずがないわ」

「……」

「だから、夏川さんが『馬鹿にするな』って言ったのを聞いて、本当にテニスが大好きな人なんだなって思ったの。あれは、テニスを馬鹿にするなってことだったのよね?」


 瑞希は、それには答えなかった。しばらくの間沈黙が続く。その後、ぺこりと頭を下げた瑞希が階段を下りて行こうとしたその手を、紫苑がつかんだ。

 驚いて振り向く瑞希。しかし、それ以上に、紫苑も驚いた表情で固まっていた。わずかに見つめ合ったあと、


「ごめんなさい」


 紫苑が謝った。けれども、つかんだ手はそのままだ。


「私は、夏川さんを勧誘にきたわけじゃない。それは、本当よ。夏川さんのクラスには勧誘のために行ったけれど、ここまで追ってきたのは勧誘のためじゃない。七海の言葉を謝るため」

「……」

「でも、ごめんなさい。私、やっぱり、諦めきれない」

「……先輩」

「七海がしつこく夏川さんを誘っていたのは、私のためなの。私は三年生で、もう、この大会が最後だから。私は、夏のインターハイで優勝したい。どうしても! だから、経験者で、中学の頃には全国優勝まで果たしたという、あなたの力が必要なのよ!」

「……すみません」

「夏川さん!」

「私は、テニスを辞めたんです。もう、生涯、テニスをするつもりはありません」

「……生涯って、どうして?」

「それは、先輩には関係のないことです」

「……そうね。でも、諦めないわ」

「……諦めてくれないんですか?」

「ええ、またくるわ」

「また? また、明日も待ち伏せですか?」

「ええ。明後日も、明々後日もね。毎日くるわ」

「そんな時間があるなら、練習した方がいいんじゃないですか?」

「練習しても、部員がそろわなかったら出場自体取りやめられるもの」

「もしかして……実力以前に、数も足りないんですか?」

「あなたが入ってくれさえすれば、力も数も一気に跳ね上がるわ」

「入りませんよ。もう、やりたくないんです。……そう、決めたんです」


 紫苑は瑞希の腕を解放した。


「またくるわ」


 そう言ってにこりと微笑んだ紫苑が、踵を返すと階段を上って行ってしまった。その横顔を、瑞希は複雑な面持ちで見つめていた。

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