三戦目:初めての戦い
一バル……約一・二メートル
連合国の若い兵士が、老人たちに向けて槍の穂先を向けた瞬間、グレイたちは飛び出していった。
相手は五人、グレイたちは二人。どう考えてもグレイたちの方が不利だった。相手の方が数が多い場合、理想なのは奇襲である。相手が予想外の攻撃に焦っているうちに倒してしまうということだ。
そして背後から近寄った所まではよかった。ロイの渾身の一撃は連合国兵士の首の後ろに正確に直撃し、彼の脳は大きく揺らされたようで、その兵士は地面へと崩れ落ちた。二人が飛び出してからほとんど一瞬での出来事だった。
しかしグレイが剣を打ち込もうとした兵士は、二人の気配に気づいて後ろを振り向いたため、グレイの狙いは外れて兵士の鎧にぶつかり、弾かれた。
兵士の鎧は見るからに頑丈そうで、関節部分にところどころ隙間はあるものの、たかが木刀で致命傷を与えられる場所ではない。あるとすれば首の後ろか顔面といったところだった。
すでに残りの三人の兵士は二人に気づいており、グレイたちは圧倒的不利に追い込まれた。だがそれでもグレイは敵を倒すことに集中する。鎧のせいで兵士たちは動きが鈍いため、おそらく次の兵士がやってくるまでに、目の前の敵を倒すことは可能だとグレイは判断した。彼はこの状況下で驚くほど冷静だった。そしてできるだけ素早く倒すためにグレイは危険な方法を選択した。
だらんと両腕を下げ、グレイは打ってこいと挑発したのだ。その安い挑発に乗り、若い兵士はグレイの心臓めがけて教科書通りの突きを放つ。グレイはそれを半身になってかわすと、槍をわきにがっちりと挟み込み、兵士との距離を詰めた。
迷った末にグレイは喉への突きを選択した。まだ人を殺したことなどない十七歳の青年に顔面への攻撃は躊躇われたからである。勢いがついた突きは喉を突き破りそうであったが、幸か不幸か兵士が体をねじったため、少し鈍い音がしたものの、兵士は短い悲鳴をあげて倒れただけであった。
ロイはすでに二人目を相手にしていた。今度は真っ向からの勝負で、小細工はない。しかし、若い兵士は突然仲間がやられたことに無意識のうちに動揺していた。
ロイがチラリと五人目の上官風の男を見ると、十バルほど先で微動だにしていなかった。腕を組み、不敵な笑みを浮かべている。
ロイは目の前の敵に集中することにした。その兵士はなかなかの手練れで、鋭い突きを連続で繰り出した。ロイの体にピリピリと相手の殺気が伝わってくる。彼は殺意のこもった相手の突きを皮一枚でかわす。
(くっ……! 近寄れない……!)
兵士は長い槍を短く持ち、ロイを間合いに入れまいとしていた。うかつに間合いに入れば柄の部分でやられてしまうことをロイは充分に理解していた。
しかし間合いに入らなければロイに勝ち目はない。彼にはまだ中距離の攻撃方法はないからだ。
ロイがタイミングを計りながらかわし続けていると、相手の突きのスピードが明らかに落ちた。打ち疲れだと確信したロイは、槍を木刀でかち上げる。そしてすぐさま間合いに入り、兵士の右わきに左の拳を深々と叩き込んだ。
兵士はグラッとよろめき、槍を落とした。そしてその隙に首に木刀の一撃を与え、決着は着いた。
グレイの方は二人目を難なく気絶させたため、残りは上官風の兵士ただ一人となった。
「見事な闘いだったよ。そんな歳なのにウチの兵士を倒してしまうとは、末恐ろしいほどだ。だが……」
残った兵士は槍の切っ先を一人の老婆に向けた。グレイの祖母、マリアであった。マリアは力強い眼でまっすぐグレイを見つめている。それは自分にかまわず敵を倒せ、という意味であったが、祖母というたった一人の家族を危険にさらして敵を攻撃することなど、まだ子供であるグレイにはできるはずもなかった。
「貴様たちがどうすべきか、わかるな?」
兵士は蛇のような気味の悪い顔つきをしながら言った。
ロイはその場に木刀を捨て、グレイはイラついた様子で後ろの茂みへ向かって荒々しく投げ捨てた。
「そう、良い子だ。さてと、貴様から死んでもらうとしようか……」
そう言うと兵士は槍先をグレイへ向けた。グレイは目を逸らさずジッと兵士を睨みつけている。
「良い目をしているな。貴様もゆくゆくは立派な兵士となっただろうが……」
兵士はグッと力を込めて、グレイの心臓へ向けて無慈悲な突きを放った。
しかしその瞬間、グレイの横をものすごい速さで何かが通っていった。それはコブシほどもある石で、正確に兵士の顔に直撃し、兵士の狙いは逸れて槍はグレイの右肩に突き刺さった。
「ロイー!」
槍が刺さった瞬間、グレイは痛みも忘れて友の名を叫んだ。ロイはすでに動き出していて、顔に手を当てうめき声を出している兵士へ近づくと、その兵士が顔から手をどけた瞬間を狙って顎へ右の拳をたたき込んだ。
一瞬で気を失い、兵士はあお向けに倒れた。
「やった……」
ロイの目からは安堵からか涙が流れ落ちている。そしてロイはすぐにグレイの元に駆け寄る。グレイは肩に槍が刺さったままで、仰向けに倒れながら何事かを訴えている。
「グレイ! 大丈夫?」
ロイは涙を流しながらグレイの肩から槍を引き抜こうとしたが、グレイはそれを止めた。呼吸も傷に響くらしく、呼吸をする度に顔を苦しそうにゆがめている。
「なにしてんのよ、早く起きなさい!」
グレイの目には突然エリィの顔が映った。ロイとは違い、まったく心配していない様子である。冗談だと思っているのだ。
グレイは槍を肩から引き抜くと、口を開いた。
「エリィか……。やっぱり石投げてくれたのは、お前だったんだな。お前を信じて良かったよ。そして最後にお前たちの顔が見れて、良かった……」
槍を引き抜いた肩からは血がドクドクと流れ出し、地面にグレイの血が広がっていく。明らかに命の危険がある出血量だ。
「最後って……、何言ってんのよ! 冗談はやめてさっさと立ちなさいよ!」
エリィの顔に不安の表情が浮かんだ。グレイの顔からはみるみる生気がなくなっていく。
「エリィ、最後にお前に言いたいことがある……。あんまり大きい声は出せないから、近くに来てくれ……」
グレイはそういうと苦しそうに咳き込む。エリィは膝をつき、体をグレイに寄せて耳をグレイの口元に近づけた。
その場にいた全員は、呆気にとられた表情を浮かべた。グレイの左手がしっかりとエリィの胸を掴んでいたからである。
「エリィ……、大きくなれよ……」
そう言い残すとグレイは体をぐったりとさせた。エリィは怒りのせいか悲しみのせいなのかブルブルと体が震えていた。
「ふざけないでよ! そんなのが最後の言葉なんて、ふざけないで!」
そう言うとエリィはグレイの右手をギュッと握った。すると突然、エリィの体を真っ白な光が包みこんだ。その光はやがて一点に、エリィの腕に集まりだした。そしてそれは彼女の腕からグレイの手へと移り、そのまま肩へと伝わっていった。
その不思議な光がグレイの肩に到達すると、グレイのキズはみるみるうちにふさがっていった。多少の傷痕は残ったが、彼の肩はほとんど完治し、顔にも生気が戻っていった。
「ん……? 痛くねえ! 治ったかも!」
グレイはパチリと目を開き、上半身を起こして右肩をぐるりと回してみせた。しかし血が足りないせいなのか、ふらりと頭をぐらつかせる。
その現象をひき起こしたエリィが一番驚いたようだ。エリィは目を見開き、目の前で起こった出来事を整理しようとしていた。ロイも口と目を大きく開けたまま静止している。
「ロイ、エリィ! 俺治ったぞー! ん? でも待てよ? 本当に治ったのか確かめてみるか」
グレイは治ったばかりの右肩を使い、動きが止まったままのエリィの胸に手を伸ばした。
エリィは反射的にその手を受け止め、さらに反射的にグレイの股間へつま先で蹴りを叩き込んだ。
「またかよ……」
グレイは白目をむき、泡を吹きながらバタリと仰向けに倒れた。
グレイが気を失う前に見た空は、吸い込まれそうなくらい澄んだ青色で、彼を祝福しているかのようだった。