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千年戦争  作者: 温泉郷
34/35

終戦:真友

 二人が互いを呼ぶ声とともに、二人の武器が再びぶつかり合う。それは金属音、衝撃波とともに、広間を激しく揺らす。グレイの身体を突風が激しく襲った。

 頭の中がぐるぐる揺さぶれるようだった。自分が今戦っている意味、一度は決心していたのに、やはり考えてしまう、なぜ自分は戦っているのか、と。今、この戦いの先に、何があるのか、と。しかし目の前にいる男は、そのようなことはおかまいなしに、自分の命を狙っている。

 一度武器を交わらせるごとに、骨の髄まで痛みが響く。ロイの想いが胸に痛い程伝わる。これまでぶつけてこなかった、ぶつけるべきだった想いが伝わってくる。

 自分はどうするべきなのか、グレイにはそれが分からない。ロイをとめると心を決めたが、それは、殺すということなのか? 倒すとは? 倒すとは何だ? 命ある限りロイは自分に向かってくるだろう。そんなとき、どうするのか。脚を、腕を切り刻んででも、ロイを戦闘不能にするのか? それでロイは止まるか? 首より上さえあればロイは向かってくるのかもしれない。そんな時、できるのか? 親友だと思っていた男を、殺せるのか? すべて、分からない。分からないまま、グレイはロイに刃を向ける。

 ロイが槍の石突きで石床を擦り、火花を散らせて拳大程の炎の玉を五発作り出した。それらを次々とグレイに向けて飛ばしていく。それらをまさに間一髪で躱していき、最後の一発は剣で切り裂いた。背後で弾けた炎が広間を赤く照らし出す。グレイの髪も、ほんの少しちりちりと焦げ臭く焼けていく。

 瞬きも許されない。息を乱すことも。グレイは自分の意志でこれらを制御していた。

 グレイはもう一度接近戦にもちこんだ。魔法が関係なくなり、純粋に力と技で勝負することになるからだ。

 ロイの目の下と、腕の付け根から手首にかけて刻まれている紋様、そのせいかは不明だが、ロイの動きは先ほどよりも数段疾く、そして力強くなっている。

 凄まじい速度で互いの武器は交差し合い、すでに常人が見切れる速さはとうに超えている。その動きを持続するために筋肉や関節がぎしぎしと音をたてながらうなる。グレイも、そしてロイも必死の形相である。汗は額から宙に飛び散っていく。

 目の前には、気を抜けばすぐさま死が口を開いて待っているというのに、なぜかグレイは高揚感を抑えきれなかった。初めて、拮抗する力で戦っている、ずっと憧れていたロイと同等の戦いができていることに、無意識に嬉々としていた。

 ロイの槍が宙を舞った。グレイが弾き飛ばしたのだ。ロイの体勢は崩れ、その場に片膝をついた。グレイはその隙を見逃さない。剣を振りかぶり、そのままロイの首筋に向けて斜めに切り下ろした。

 槍はロイの後方で、深々と石床に突き刺さった。金属の振動音が、耳を突き刺すように響く。

 グレイの剣はロイの首の、ほんの少し手前で止まっていた。ロイは今にもグレイに噛み付きそうな眼で、肩で荒く息をしながらじっとグレイを見上げている。グレイの手は震え、それはもちろん剣先にも伝わり、刃は何かを探すかのように小刻みに動いている。グレイも一瞬集中が解け、胸を大きく動かしながらぜいぜいと呼吸している。


「これは何のまねだ……! 情けか、グレイ……!」

 二人の呼吸が少し落ち着いた後、先に口を開いたのは、今にもグレイに命を奪われてもおかしくないはずのロイだった。その口元は、ぎりぎりと歯ぎしりが聞こえてきそうなほどきつくくいしばられている。


「そんなんじゃない……! ただ俺はお前を、……殺したくないんだ……! どうしてそれがわからないんだよ……!」

 グレイはまだ少し息を弾ませ、そうしてロイの返答を待った。

 ロイは、グレイを見上げたまま、少し頬の緊張を緩めた。しかしまだ眼はグレイを鋭く見据えたままだ。

 しかし、グレイはロイの口元を見て少し安心したように、剣に込めていた力を緩めた。そしてロイの首筋からその剣先を下ろそうとしたその時、ロイは身体を起こしながら口を開いた。


「本当に、君は甘い……!」

 ロイはグレイの手首を蹴り上げ、剣を遠くに弾き飛ばした。とっさのことにグレイはまったく反応できなかった。腕がびりびりと痺れる。


「まだまだ、僕は……! 僕は、負けてなんかいない……! ここで負けてしまったら僕は、僕は……!」

 ロイが、そして何とか自分の頭の中をたて直したグレイが、同時に拳を前に突き出し、本気で相手の顔面を殴りにいった。腕が交差しながら、拳が互いの頬に直撃した。




 その頃、ヤッハド高原では、地面が怒りをあらわにするかのように激しく揺れていた。視界を埋め尽くす程の矢が上空から降り注ぎ、響くのは人の断末魔の悲鳴、人の怒号、そして武器を合わせた時の金属音である。バルドは先頭に立ち、ほぼ単騎で敵陣を切り裂いていく。バルドほどの使い手ならば、動きの制限される馬上よりもむしろ地に足をつけているほうが安全だった。迫り来る矢を剣を振って風の刃でたたき落とし、敵をものともせずに切り捨てながら、バルドは敵陣に突っ込んでいく。返り血を、身体が真っ赤に染まる程に浴びながら突き進んでくるバルドは、北の兵士からすればまさに畏怖すべき対象であった。

 バルドはふと、今まで感じたことのないほどの悪寒が背筋を走り抜けていくのを感じた。それは目の前に向かってくる敵たちを一瞬忘れてしまうほどの気持ちの悪さだった。目の前にいる敵の腹を切り裂き、バルドの視界は一度ひらけた。そのバルドを取り囲むように北の兵士が一定の距離を保った。敵兵は恐怖のために近づけなくなっていた。バルドはここぞとばかりに少し乱れつつあった息を整えた。

 次の瞬間、その場にいたすべての人間は空を仰ぎ見た。耳をつんざく雄叫びが、戦場を貫き、すべての人間の眼を空に向けさせたのだ。東と西の空は青く澄んでいるはずだが、緑色に染まっている山のさらに上空では、空は黒かった。雲のせいではない。ドラゴンが空を滑るように駆けていた。以前帝国の城を襲ったものと同じく、漆黒の身体を持つドラゴンだった。その一頭一頭が視認できない程多く、まるで雪崩のように押し寄せてくる。


「ラッド様! ドラゴンです! 東と西よりこちらに飛来してきます! 数は……、数えきれません! 空が黒く……!」

 外壁の上、魔鉱砲の傍らに立ちながら戦局を見定めていたラッドは、兵士からの言葉を重く受け止めた。ラッドは自分を取り囲んでいる信じられないことに驚くよりも、今どうするべきかに頭を働かせていた。握り込んでいた拳の中にじんわりと汗がにじむ。部下たちの手前冷静な表情を作っていたが、内心はひどく乱れていた。


(どうする……! このままでは共倒れになる……。しかし、切り札をドラゴンに使ってしまって良いのか……? もし反動で外壁が崩れてしまったら、その後帝国の奴らに攻められればひとたまりもない。しかし帝国の兵に使ってしまえば、その後にはやはりドラゴンに攻め落とされるだろう……。どうする……?)

 バルドに攻め込まれ、連合国の軍中ではやや動揺が広がっている。その戦況を一撃で覆すだけの破壊力が、魔鉱砲にはあるだろう。しかしそれには危険が伴う。全滅させれるかどうかは定かではなく、また学者たちの話によれば、あまりの破壊力に反動で外壁が崩れてしまうかもしれないとのことだった。なんとも間抜けな話だが、威力があまりにも大きく、またその力の調節ができないところが魔鉱砲の弱点でもあった。

 帝国の軍中でも、ドラゴンに対する恐怖は蔓延していた。すべての兵士が、目で捉えることができてしまった巨大な生物あいてに、いったいどうすればよいのか分からず、目を見開いて呆然としたままである。

 それはバルドも例外ではなく、その他の兵士と同じように思考を停止させられていた。このまま何の手だても講じなければ、それこそこの場に居るすべての人間は死んでしまうだろう。号令をかけて体勢を立て直させ、ドラゴンに攻撃をしかけるか? 幸いまだ魔鉱銃兵は温存されている。あの力を使えばドラゴンを打ち倒すことは不可能ではないかもしれない。しかし魔鉱銃とて無限に力を発揮できるわけではない。核に埋め込まれた魔鉱石に蓄えられた魔法の力がなくなってしまえばそれまでだ。そうして疲弊した状態で、数で勝る連合国に攻められればひとたまりもない。自分ですら、疲労した状態で数でのみこまれればおそらく殺されるだろう。それはこの戦争の敗北を意味する。しかし今連合国を攻めても、空からドラゴンに攻められれば当然軍は跡形もなくなるほどに消え失せてしまうだろう。

 バルドは王がいた場所を振り返る。最終的な決断を、自分が剣を捧げた人物に任せた。

 王、レトラは決断を迫られていた。時間をかける猶予はまったくない。もうすでに挟まれるような形でドラゴンが迫っている。幸いレトラたちがいる場所からはまだ距離がある。他の兵士たちが襲われている隙に逃げ出すことはできる。

 しかしなかなか決断しようとしないレトラにいらだったフェムトは、少し口調を荒くしながらレトラに進言する。


「今連合国軍はあきらかに浮き足立っております。前線にいる我が方の兵を逃がすことはおそらくもはや不可能でしょう。逆にこの期を逃さずにバルドを、前線にいる兵たちを攻め込ませれば、もしかすると攻め落とせるかもしれません……! まだ我々には十分な兵力が残っております。一度安全な位置まで退くのがよろしいのでは……?」

 それは身分の違いを意識しつつも、しかし強要のような面もあった。レトラは厳しい顔のまま戦場を見つめた。大半の兵士は恐怖に呆然と立ちすくし、一部の兵士はすでに逃げ出そうと走っている。そしてまた一部の兵士は何が何だか分からぬまま、再び敵と剣を、槍をあわせて殺し合っている。


「すぐに私が指示を出します! さあ、王は早く御逃げを!」

 そうして指令を出そうと振り上げられたフェムトの手首を、レトラは強引に荒々しく掴んだ。驚いて眉を持ち上げながらフェムトは思わずレトラを睨みつけた。


「何をなさっているのです! 今はふざけている場合では……!」

 うろたえるフェムトの手首をまだ掴んだまま、レトラは怒りで身体を震わせながら、叫ぶようにフェムトに言葉をぶつけた。


「黙れ!」

 その瞬間、その声を聞いたすべての人間の動きが止まり、そしてその者たちは皆レトラの言葉に耳を傾けた。そのような荒々しい言葉を聞いたのは、彼らは初めてだからであった。


「あそこで戦っているのはなんだ、答えてみよ! フェムト、お前が作った人形か? ……違う! 彼らは人間だ、……民だ! あそこで戦ってくれているのは、……国だ! 国を捨てて逃げるのが王の仕事だと? ふざけるな! 逃げるだと? お前は勝手にどこへでも逃げるがよい! 私はここを動かんぞ! 民を、国を護るのが王である私のつとめだ!」

 フェムトの顔の弛んだ皮が、レトラの威圧に震えるようだった。予想外の言葉に完全に言葉を失っている。


「白旗を掲げよ! 我々帝国軍はこれよりドラゴン殲滅のために戦う! 伝令は各隊にそう伝えるよう走れ!」

 そしてレトラは傍らにいた兵士の一人に指示をだす。その命令を受けた兵士は次々と迅速に動き、レトラの上で巨大な白旗が掲げられた。兵士たちが五人がかりでそれを振っている。それは完全な降伏を意味するが、そのようなことは今はまったく気にならなかった。レトラのなかで重要なのは未来ではなく、今だった。ドラゴンを迎え撃つために少しでも早く軍をたて直す必要があったのだ。

 連合国、ラッドの周りでもざわめきが起こっていた。ラッドが白旗を掲げることを提案したからだ。うろたえる兵を一喝し、ラッドは指示を出す。


「優先すべきはドラゴンだ。お前たち、今あいつらをなんとかせねばこの国は取り返しのつかないほどに破壊されてしまうのだぞ! あのドラゴンは白旗を振っても我らを襲うことをやめてはくれん! 帝国はあとで我らを殺すかもしれん! だが今ではない! 重要なのは、今だ!」

 結局白旗が掲げられたのは二国でほぼ同時だった。二つの国の意志は完全に一致していた。これには両国とも驚きを隠せなかったが、それでも今はそれどころではない。

 ラッドは魔鉱砲を撃つ準備を完了させると、砲口を東に向けさせた。

 ラッドは大きく息を吸い込み、そして叫んだ。


「今だ、撃てぇー!」

 その瞬間、この世界の空を、黄金の光が駆け抜けた。





 ロイの拳が二発、三発とグレイの腹に打ち込まれた。グレイの体が力なく揺れる。先ほどからロイがグレイをめった打ちにしていて、グレイはほとんど手を出していなかった。すでにロイの拳は血で赤く染まっている。


「僕はエリィが好きだった……! いや、今でも好きだ! 彼女は僕にとって……、特別なんだ! この地上にいるすべての人間よりもだ! ……でも君なんだよ、グレイ。でもエリィは、君しかみていなかったんだ……!」

 吐き捨てるようにロイはそう言い放つ。そして防御する気配もないグレイの頬を再び思い切り殴った。殴られた体が大きくおよぐ。グレイは口の中にたまった血を、ぺっと吐き出した。


「なのに君はエリィをみようともせず! いつまでたってもふらふらしていてエリィのことを考えていない。僕にはそれが許せないんだよ……! エリィは君のことが好きだったのに……! だから僕は……」

 グレイは少し腫れている頬の緊張を緩ませ、ロイの目の前で大きな声を出しながら笑った。


「何がおかしいんだ!」

 しかしロイがそう言っても、グレイはロイをみながら笑うのをやめなかった。


「やめろ!」

 たまりかねたロイがグレイの顔を右拳で殴ろうとした。が、グレイはそれを受け止め、笑うのをやめてロイの方へ向き直った。


「笑う気にもなるさ。それでお前は逃げ続けていたわけか」

 グレイは袖で口元を拭う。


「僕が逃げていただと? 何を言っている!」

 ロイの鼻息が荒くなる。グレイはまだ口元をゆるめたままだ。


「……好きだった? だったら何でそう言わなかったんだ。どうして好きだと伝えなかったんだよ!」

 ロイは掴まれていた拳をむりやり振りほどいた。


「だから言っているじゃないか! エリィはグレイのことが……」


「人の気持ちを勝手に想像するな! 本当に好きだったのなら、何があろうが伝えるべきだったんじゃないのかよ!」

 うろたえるロイに、さらにグレイは続ける。


「さっきもそうだ……。自分で決断しているはずなのに、運命なんて言葉を使って逃げようとしているじゃないか! エリィが俺のことを好きだった? ならお前はどうするつもりだったんだよ! 俺が死ぬまで待つつもりだったのか!」

 ロイの顔がみるみるうちに歪んでいく。


「うるさい! お前になにがわかる! 僕の気持ちなんてまったく分からないくせに知ったような口を叩くな! ……それに、君の方こそどうなんだよ! あの返り血、人を斬ったんだろ! それなのに逃げながらのうのうと生きようというのか……!」

 グレイの心にはもう答えがあった。大切な人たちが教えてくれた言葉のなかに答えはあったのだ。


「償いはする。……俺は人を殺してしまった。大切な……、自分の命よりも大切な人を護ることもできなかった。だが、それを嘆いていても何も変わらない。殺してしまった人たちが生き返るわけでもない。レナがかえってくるわけでもない。俺が変われるわけでもない。だから俺は、俺の命が尽きるまで、何十人、何百人、いや何千の命を救ってみせる……! それが俺なりの償いだ!」

 グレイの瞳に、心には一点の曇りも存在しなかった。しかしそれを、忌々しげにロイは睨みつける。


「独りよがりだ……! そんなの……、そんなの答えなんかじゃ……!」

 再びロイは拳を硬く握った。


「こいよ! そのへなちょこな拳で殴ってみろ!」

 両腕をだらりと下げ、打ってこいと挑発する。

 ロイはその挑発に乗り、グレイの頬を殴りつける。

 一発ではすまない。二発、三発、四発、何発でも無抵抗のグレイをめちゃくちゃに殴り続けた。

 ロイは肩で息をしながらグレイの顔を見やった。グレイのまぶたははれ上がり、うっすらと開かれた目の中で眼光が鋭く光った。


「軽いぞ、ロイ……! 歯くいしばれぇ!」

 ロイに打ち込まれたグレイの右拳は、ロイがこれまで受けてきた一撃のなかで、最も重く、最も厳しく、そして最も熱い一撃だった。ロイの体は後方に吹き飛び、仰向けに倒れたまま起き上がってこなかった。

 ロイは倒れたまま、涙を流していた。

 口を開いただけで傷口が痛んだが、グレイはそれでもロイに言葉をかける。


「俺の五百三戦、五百一敗、一分けの一勝だな……。どんな気持ちだ? 人生で初めての負けってのは……」

 口の端が鋭い針で刺されるようにちくちくと痛むが、グレイはそういって柔らかく微笑んだ。

 ロイもほんの少しだけ、口元をゆるめる。


「よくそんなことを覚えているね……。そうか……、負けか……。僕はこれから逃げていたのか……」

 ロイはゆっくりと上体を起こす。グレイに殴られた頬が燃えるように熱い。ロイは手で触ってみた。掌でもその熱さを感じることができる。もう痛さはあまりないが、ただ、火傷しそうなくらい、あつかった。


「僕の負けだ……。グレイ、君の好きにするといい……」

 ロイは立ち上がり、胸に手を当てると何かをぶつぶつと唱えた。

 その瞬間、ジュラスが封じ込められている神の卵は石像からはずれ、そのまま石像の足下に落下した。落ちた瞬間、砂埃が舞い上がる。神の卵は先ほどよりも速く鼓動するように光を放っている。地面に落ちた衝撃でも、それ自体にはなんの影響もないようである。

 グレイは剣を拾い上げ、神の卵の前で高々と剣を掲げ、それを振り下ろした。しかし、剣は神の卵の前でとまり、直接当たることはなかった。


「グレイ、剣を貸しなよ。僕が力を貸さなければ、それは砕けない……」

 ロイは脚を引きずりながらグレイの前まで歩き、剣を受け取ると、その刃を指で撫でながらぶつぶつと言葉を吹きかける。

 グレイの剣が青く光り輝きはじめた。それは神の卵が放っている色と同じものだった。

 剣を再び受け取ると、グレイはロイの眼をまっすぐ見つめ、深く頷いた。それに応えるかのように、ロイも目を細めながら頷く。

 先ほどと同じようにグレイは剣を振り上げた。


「これで、最後だ!」

 振り下ろし、刃が触れた瞬間、神の卵は粉々に砕け散った。それに呼応するかのように、そびえ立っていた石像も跡形もなく霧散した。

 神の卵が割れた瞬間、人のものとは思えぬ、ひどく醜い叫び声が響き渡った。それは、底がみえない穴の奥底からわき上がってくるような、低く、そして何より冷たい、この世の恨みをすべて形にしたような叫び声だった。

 グレイは笑った。ロイも笑った。やっと終わったのだと、実感ができたのだ。

 しかし途端に地面が地震のように激しく揺れ始めた。天井からも、石の破片がぱらぱらと降ってくる。あきらかにその部屋の崩壊が始まっている。


「あの石像がここを支えていたんだ。このまま村に帰りなよ。戦争は、終わるから。……感じるんだ。ドラゴンはほとんど残っていないから……。エリィを、頼むよ」

 ロイは安全な場所に寝かせてあったエリィの傍らまで行くと膝をつき、そして抱え上げた。そしてグレイの目の前で優しく床へと下ろす。

 グレイはもう一度、エリィの顔を見つめた。当然だが、その表情は動くことはない。

 ロイはグレイの前で、突然エリィに口づけした。その瞬間、ロイの体から光が溢れ出し、それは口を通してエリィの中へと入っていった。その光はエリィの体の隅々まで行き渡り、エリィの体を光で満たした。

 グレイは見逃さなかった。エリィの指が動いたのを。グレイにしてみればまったく信じられないことだが、息を吹き返したようである。目の前で起こっていることは事実だ。確実に今、エリィの体の中に命が存在する。先ほどまで土色になっていた顔には赤みがさし、みるからに血が通い始めている。


「グレイ、許せよ。これが、最初で最後の、僕のわがままだ……」

 グレイは驚いて顔をロイに向ける。


「これはお前がやったのか? ……だけど、どうしてそれなら最初からこれを……?」

 そう聞いた瞬間、ロイの右手はぼろぼろと灰のように吹かれ散った。血は一滴も出なかった。


「こういうことさ。僕はもうすぐ死ぬ。この魔法と引き換えにね。こんな魔法、意味がないと思っていたんだ……。だってそうだろ? 生き返らせても、僕は生き返らせた人と、……エリィと会うことはできないんだ。……だけど、もともとこうなるハズだったんだ。僕はジュラスから力を貰っていた。神の卵が砕かれれば、僕は死ぬ。当然のことだ……」

 グレイの口から言葉は出てこなかった。喉の奥が熱くなり、何かが詰まっているように声が思ったように出てこない。しかし、なんとか声を絞り出した。目頭が熱くなる。また自分が大切な者を殺してしまったのだと、そう思わざるを得なかった。


「……なら、なぜそう言わなかった……! 言ってくれてさえいれば、俺は……!」

 ロイはグレイをまっすぐ見つめ、そして以前と同じように爽やかに笑った。そしてロイの右腕は完全に灰となり、消えた。それと同時に天井から崩れ落ちた巨大な岩の塊が、彼らの近くに砂埃を吐き出しながら落下した。


「そう言えば、君は神の卵を砕こうとしなかったろう? ……そうさ、君は甘いからね……。僕は、この部屋と同じようにここで一緒に眠ることにするよ。……さあ、もう時間だ。ナミジ村まで送るよ……。でもグレイ、約束してくれ。死ぬまで、エリィを護り続けると……。でなきゃ死にきれない。君は昔から忘れっぽいからね」

 ロイは透き通るような笑顔のまま、残った左手の指でグレイとエリィの額をトン、トンと軽く叩いた。するとグレイとエリィの体の上に黄金色の輪が現れた。それは、グレイとエリィを包み込む、太陽のように優しく暖かい光だった。


「なあグレイ、僕は、僕は間違っていたのか……?」

 グレイは強く首を横に振る。


「いや、ロイ、お前は……純粋すぎた……。それだけだよ……」


「グレイ、僕たちは……」

 ロイも眼の端に涙を溜めながら言葉を必死に絞り出した。


「ああ、友達だ……。ずっと、ずっとだ……」

 溢れ出す涙を拭うこともせず、グレイはただただ頷き続けた。グレイから落ちた涙がエリィの眼の端に落ち、彼女の頬を撫でながら滑っていった。

 光の輪がグレイたちの体を覆うように降りていき、グレイたちの体はゆっくりと光に包まれながら消えていった。


「エリィを頼むよ、真友……。」

 ゆっくり微笑んだ。部屋の柱は次々に砕けていき、天井からは絶え間なく岩が降り注ぐ。


「負けか……。負けってのは、やっぱり悔しいな。……でも、今の気分はこれまでになく爽やかだ……」

 誰にともなく、ロイは呟く。両脚と、残った左腕もなくなり、仰向けに倒れ込んだ。体の感覚はもう殆どない。しかし、ロイは力一杯微笑む。


「結局エリィには何も言えなかったな……。やっぱりグレイの言うとおり、言っておくべきだったのかな……。……でも、まあいいや……」

 ロイはゆっくり眼を瞑った。今までの自分を強く噛みしめる。


 後悔してるかって? そりゃあそうさ。まったく、僕の人生は笑っちゃうぐらい後悔だらけさ。エリィに好きと言えなかったし、グレイにも散々迷惑かけた。おまけにお礼の一言すら言えなかったなんて、冗談にもならない。まだまだしたいこともあったし、もう少し生きていたら楽しかったかもしれない。エリィやグレイと一緒に旅をして、たまに喧嘩もして、そして夜にはとびきり楽しい夢をみたかったさ。……でも、僕はここまでだ。

 ……考えてみれば、僕はずっとグレイに憧れていたんだ。今になってそう気づいたよ。グレイみたいに強く、なりたかった。グレイみたいに生きたかった。でもいくら本を読んだって、いくら腕を鍛えたって、決してグレイにはなれない。そのことに気づくのが遅すぎたんだな。……そう、遅すぎた。

 ……今さら虫がいい考えかもしれないけれど、もしも……、もしも生まれ変わることができるなら、今度は何になろうかって本気で考えてしまうんだ。自由に空を飛べる鳥ってのも悪くないけど、やっぱり、次も人間がいいな。……人間はいい。気持ちをいろんな形で表現できるから。人間を愛せるから。でも、今度は絶対後悔しないように、好きな人にちゃんと好きって伝えられるくらい、勇気のある人になりたいな。……いや、そんなことだからグレイに怒られるんだな。……うん、絶対なる。そうしてできればまた、誰かを本気で真友と呼びたい。そしてまたこの世界を離れる時に、今みたいに笑って去っていきたい。そうなれたら最高さ……。

 ロイの上空から、無数の巨大な岩が落ちてきた。ロイは岩の下じきになり、その姿はそこで消えた。



「ありがとう。」

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