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千年戦争  作者: 温泉郷
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三十戦目:千年戦争

「諸候たちとは連絡はとり合えているな?」

 帝国の王、レトラは傍らにいるフェムトに話しかける。連合国軍をレンドの街で半日たらずで蹴散らすと、帝国軍は数日でほとんどの兵士を北の大陸まで運び終えていた。現在帝国軍はレンド周辺を拠点とし、連絡をとり合いながら進撃の準備を進めている。百万近くもの大軍を一度に動かすのは想像以上に難しいことで、実際レトラやフェムト、バルドでさえも未経験のことだった。


「はい。一時は混乱いたしましたが、現在は問題なくとり合えております」

 フェムトはややしゃがれた声でそういうと、王に向けて頭を下げる。フェムトの進言や準備もあり、帝国軍は脅威の速さで攻め入ることができた。結果的に連合国軍は出し抜かれた形となり、大半の敵はバルドが切り捨てた。

 三人はレンドの街にある屋敷内で、これからについて長い時間をかけて話し合っていた。すでに太陽が地平線にゆっくりと沈み込んでいく時間である。


「王よ、今が好機です。時間をかければ士気が下がり、さらに食料も減り、勝てるものも勝てなくなりましょう。短期決戦、それこそが我らがとるべき道でしょう。……バルド殿、あなたはどう思われる?」

 腕を組んだまま黙っていたバルドだったが、ゆっくりと口を開いた。


「さあ、私には難しいことは分かりません。私はただ王に、命じられたことをこなすまで。命じられた者を殺すまで。王よ、どうかご命令を……」

 王に、という言葉を強調しながらそう言い放ち、バルドはレトラに目を向け、言葉を待った。その言葉にフェムトは眉間にしわを寄せ上げる。優しく優柔不断である王に取って代わり、我が物顔で軍を動かそうとするフェムトに、バルドは強い不快感を示していた。その眼は燃える様な、しかし暗く鈍い光に満ちている。そんなバルドの体からは、多くの人間から浴びた血の香りがむっと漂っている。もはや体に染み付いた匂いだった。


「明朝、この街を出る。奴らはヤッハド高原で待ち構えているだろう。向こうには城がないからな。つまり、待ち構えられている分条件はやや不利、といったところだ。しかし城を攻めるよりはずっと楽なのは間違いない。数はややこちらが不利……。しかし、こちらにはバルドがおる。百万以上もの人間が入り乱れて戦うのだ、勢いがある方が勝つに決まっている。バルド、お前には戦陣を切って戦ってもらうぞ。我が軍の士気も上がるだろう」

 バルドは無言のまま頷くと、そのまま部屋を出て行った。


(御しきれぬ男よな。奴ももう少し利口になれば分かるものであるのに……。大軍を率いるためには権力だけでは足りぬということを……)

 あご髭をさすりながらフェムトは目を細めた。そうしてやはりフェムトが主体となりながら、レトラと計画をたてながら準備を進めていった。


 屋敷を出たバルドは、つんと鼻をくすぐる潮風の匂いに、少し表情を緩める。雨がしとしとと降り続き、辺りは薄暗く、兵士たちもほとんど出歩いていないため、静けさだけがそこにある。久しぶりに呼吸をした気がしていた。というのもバルドは北の大陸に着いてからというもの、ほとんど休んでいなかった。着いた瞬間に敵の頸を刎ね、それから襲いかかってくる、視界を埋め尽くす程の敵を相手に、殺戮の限りを尽くした。襲いかかってくる敵を殲滅しても、まだ彼に終わりはなかった。街に隠れているすべての人間を殺すために、再び動かねばならなかった。家で震えながら隠れていた者を引きずり出し、死にたくないと懇願する者すべてをその手にかけた。そこに相手を哀れむ心など、ほんの少しもない。妊婦、子供、赤ん坊でさえも、ためらうことなく命を奪った。自分は悪くない、と正当化しながら。

 バルドは幸か不幸か、強力な風の呪文が使えた。敵陣にのまれ命を落とした妻を目の前に、力が溢れ出したのだ。その瞬間緑色の綿のような生き物が目の前に現れた。それらは涙で顔を埋め尽くすバルドに向かって尋ねる、「力が欲しくないか?」と。バルドは言った、「目に映るすべての敵を屠る程の、圧倒的な力が欲しい」と。

 それからだった。バルドは呪文が使えるようになった。剣を意識しながら振ると、その一振りごとに風の刃が巻き起こり、敵の体を紙屑の様に散らしていく。巻き散る敵の破片と血、それらは普通の人間が欲する、水のようなものとなった。剣を振っている時だけはすべてを忘れることができた。バルドは体力の続く限り剣を振り回し、やがて‘英雄’と呼ばれる存在となった。

 いつ頃からだろうか、自分が人間ではないのではないか、と思い始めたのは。人々が自分を妙な目で見ていることを感じ始めたのは。南に住む者は皆自分を英雄と呼び、笑顔で迎えてくれる。しかし心の底では皆笑ってなどいなかった。瞳の奥に映る恐怖を隠すことはできず、どこか自分を畏れていることは目に見えていた。

 人と対等に話したのは、この間自分の故郷から来た青年と話したのが久しぶりだった。自分よりもずっと若いその青年は、かつて自分がどこかに置いてきてしまった力強い情熱が感じられた。それと同時に、不思議な懐かしさも。

 バルドは気がつくと港に居た。連日の雨によって血は流され、ぱっと見たところは何の変哲もない港へと戻っている。次々と運ばれる物資を兵士たちが体を雨に濡らし、額を拭う暇もない程忙しく日夜運び続けている。

 港での開戦時、ここにあった懐かしい匂いを、バルドは不意に思い出した。前に感じたことのある、懐かしい感覚。グレイがいた感覚があった。もちろん戦っている時には分からなかったが、思い返してみると、確かにあの場にグレイが居たような気がする。

 バルドは一度伸びをしてみた。海の向こう側からやってくる潮風がとても心地良い。そしてそれと同時に思い出す。威嚇のために放った矢に貫かれた、一人の少女のことを。どこか自分が愛した妻に似た雰囲気を持った少女だった。もちろんしっかりと確認したわけではないが、ちらりと視界の端に映った少女のことが、なぜか気にかかった。


(戦争の犠牲になるのは結局、グレイ君やあの少女のような、若い世代だ。しかしそれでも私は剣を振り続けている。どれほどの人間を殺してでも、その先にある平和が……、いや、これは綺麗ごとだな……。所詮私は自分のためだけに剣を振っている。しかし、もしグレイ君たちが戦わなくても済む世の中が来るのならば……)

 なぜかは分からないが、体の芯から力がしみ出してくる感覚がある。ぎゅっと拳を握ると、ぎりぎりと音が鳴る。一度手を開くと、バルドは自分の手をじっと見つめた。雨が腕から手のひらに伝わり、雫がゆっくりと滴り落ちていく。手に染み付いた血の匂いが、雨よりも冷たくバルドの心を打った。


(穢れたものだな……。わたしはこれまで何人の命を奪ってきただろうか……。あと何人の命を奪えば良いのだろうか……。戦争が終わった時、私はヒトでいられるのだろうか……。それでも、今、戦う理由を見つけることができた気がする。この身がどうなろうが、私は……!)

 夜はゆっくりと静かに更けていった。

 そして、雨があがる。


 その大軍が一歩歩を進めると、それに呼応するかのように地面が揺れる。視界をすべて埋め尽くす、人の群れ、それらはまるで蟻の軍団のようである。その先頭にはバルドが馬に乗り、勇ましい姿で剣を振り上げながら兵士たちを鼓舞している。もちろんその声が直接兵士たちに聞こえるわけではない。百万近くもの兵たちがいっせいに移動し、そして声を張り上げているのだ。彼らの耳には士気をあげるための角笛の鈍い音と、自らの足音がこだましている。

 連日の雨により土は水分を含み、それから太陽の熱を浴びたため、地表は息苦しくなる程の嫌な熱気に包まれている。

 フェムトたち魔術師は王の周りを取り囲み、王を護るために前線には出ないことになっている。軍の最前列から歩兵、魔鉱銃兵、弓兵と並び、それらを横から挟み込む様に騎馬兵が進んでいる。もともと馬の数が少ないために、こういった配置となっているのだ。魔鉱銃は弓よりも破壊力は凄まじいが、それに反してあまり距離が離れているとその破壊力は半減してしまう。最善の配置であると考えられたのだ。しかしどのみち、混戦となるためにあまりこういったことも意味はなくなる。それは誰の目にも明らかだった。

 緩やかな坂を登り続けるとやがて、少し視界が開かれた場所に出た。とはいっても、その光景はバルドたちのような先頭付近にいる者たちにしか見えず、他の兵士は目眩がするような暑さに辟易しているばかりだ。

 ヤッハド高原は見渡す限り美しい緑に包まれている。その一面の野原をぐるりと山々が取り囲み、さらにその上には雲が大軍を見下ろす様にかかっており、これから大きな大きな戦が起ることなど、露とも知らぬ様子である。

 野原の奥には、連合国の都であるバダラの外壁が見える。そしてバルドの眼前に巨大な黒い固まりが姿を現した。外壁の下に並ぶ、連合国の軍である。帝国軍の数よりも多いと言われているが、さらにそこに緊張感を加えたのは、外壁の一番上に取り付けられている大砲の様なものの存在であった。それは普通の大砲の実に五倍ほどはあり、その真っ黒な砲口は確実に帝国の軍を狙っている。

 それを見た者は皆一様に不安がる。動揺は伝染し、明らかに帝国の兵の中にはためらいがみられ始める。あのような兵器が一度火を吹けば、自分たちなどひとたまりもない、と。戦が始まる前に、帝国軍は完全に浮き足立っていた。

 しかし、どんっという音ともにそれらの雑音は無くなり、軍中は静まり返った。バルドが馬から飛び降りて剣を振り上げて大地に深々と突き刺したのだった。軍の行進もぴたりと止まり、すべての視線はバルドの一身に集められた。


「きけえ! 帝国の兵士たち! これが最後の戦いだ、何を畏れる必要がある! この戦いが終われば帰れるのだぞ! 妻の元へ、子の元へ、心休まる地へ! 行くぞ、私に続けえ!」

 その言葉が止んだ瞬間、バルドは剣を地面から抜いて再び馬にまたがると、剣を高々と掲げ、敵に向かって走り出した。

 一瞬の空白の後、うおーっというかけ声とともに歩兵と騎馬兵が一斉に駆け出す。地響きは辺りを飲み込み、怒号は空を包み込む。黒い固まりが二つ、今重なろうとしていた。

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