二戦目:非日常
「おーい! ロイー!」
息を切らしながらグレイが『英雄の丘』に登ってきた。急いで来たせいかグレイの黒いくせっ毛はいつもよりも暴れている。
「また遅刻だよ、グレイ!」
腕を組み、少し怒った口調でロイは言った。
「悪かったって! 今日いい風吹いてただろ? 絶好のシチュエーションだったんだよ!」
「また女の子見てたの? 飽きないんだね。……あ、そうそう、今日の修行だけど、ゲストがいるんだ」
ロイは明らかに嬉しそうな表情を浮かべている。ロイが言い終わると、石碑の後ろからエリィが現れた。何かを企んでいるような笑顔が、その綺麗な顔に浮かべられていた。
「グレイ、あんたのやられっぷりを見に来たわよー」
「うるせー! 今日こそは勝つ!」
エリィが後ろに下がったのを見ると、グレイとロイは木刀を構えた。ロイは教科書通りに構えていて、グレイは右手に木刀を持っていて、ゆったりした構えだ。グレイのものは祖母に習った剣術に、自分なりのアレンジを加えたものである。
「いくよ! グレイ!」
「ああ!」
二人はじりじりと近づいていき、あと一歩で互いの間合いに入る所まで近寄った。
グレイとロイが互いに木刀を打ち込もうとグッと体に力を込めた瞬間、突然けたたましい音が鳴り響いた。警報の音であることは誰にでもわかった。そして警報は“敵”が来た合図だということも。
三人は一瞬顔を見合わせると、無言のまま村の方角へ走り出した。言葉が必要なかったのは、村に危険が迫っていることを三人は充分に理解していたからだ。
「止まれ!」
村の入り口にさしかかったとき、一番先頭を走っていたグレイが後に続く二人の動きを止めた。なにかただならぬ気配をグレイはその身に感じていた。
「きっと連合国の奴らだ……。こんなへんぴな村にまで来やがったか。ここからは慎重に行動するぞ」
ロイとエリィは緊張した面持ちでコクリと頷いた。
三人は身を屈め、身を隠しながらゆっくりと移動し始める。村の中は驚くほど静かで、家の中にも人の気配はなかった。
「隊長! どうやらこれで村人はすべてのようです!」
三人はピタリと歩を止め、緑の茂みに身を隠した。連合国の兵士のようで、黒い鎧に身をつつんでいる。その背中には連合国のトレードマークの“二匹の向かい合う鷲”が描かれている。
「ごくろう。それで全部で何人だ?」
隊長と呼ばれた男はいかにも軍人といった姿をしていて、がっしりとした体が、頑丈そうな黒い鎧と見事に合っている。そしてその男の階級が高いことを示すマントが、風で揺れていた。三人から顔は見えないが、強そうな雰囲気は感じ取れる。
「全部で二百十二人です!」
「そうか……、やはり小さな村だな。しかし、働き手になりそうな男は見あたらなかったのだろう?」
「はい! 老人や女、子供ばかりです!」
「全員広場に集めてあるのだったな。よし、女子供は本国へ連れ帰る」
「了解しました! 隊長、老人はいかがすれば?」
兵士はギュッと手に持った槍を握りしめ、上官の返答を待った。
「必要ない。殺せ。まだ人を殺したことのない若い兵士が何人かいたはずだな? その者たちにやらせろ。良い経験になる」
やらせるか、とばかりに彼らに突っ込もうとするグレイをロイは必死に押さえつけていた。
「グレイ! 敵うわけないよ! 悔しいけど、ここは抑えて!」
ロイは泣きそうな顔でグレイの服を握りしめた。
「でも……!」
「無謀と勇気はべつものだよ! それに今見つかったら……」
そう言うと、ロイは顔をエリィの方へ向けた。エリィは突然のことに頭も身体もついていけていない様子だった。地面を見つめながら、ぶつぶつと何かつぶやいている。今見つかればエリィは逃げきれないことにグレイは気づいていなかった。熱くなりすぎているグレイとは逆に、ロイは冷静であった。
「とりあえず、広場の近くまで行ってみようよ。奴らの話からするとみんなそこにいるはずだよ」
グレイは歯を食いしばっていたが、納得した様子だった。
「了解しました!」
兵士はハキハキとした口調で言った。
「一度奴隷を連れて本国へ戻ろう。わたしは先に船の所へ行っている。老人たちを始末したら奴隷を連れてお前たちも来い。老人たちを始末する者たちは密偵とカモフラージュの役目として残しておこう。村に誰もいなくなるのはさすがにマズいからな。……そうだな、流行病で村人はほとんど死んだということにしろ」
「了解しました! それでは、失礼します!」
兵士は右手で敬礼すると、広場の方へ走っていった。隊長は三人が隠れている茂みをじっと見つめた後、馬に乗って何処かへ消えていった。一瞬ではあるが、死も覚悟したグレイとロイは、ほっと胸をなで下ろす。しかし村を襲っている危機はまだ終わってはいない、二人はすぐに気持ちを切り替えた。
広場では村人が縄につながれていた。村人は皆下を向き、黙っている。ほとんどの人間が信じられないといったような表情を浮かべている。それも当然で、これまでからすれば連合国の兵士がいきなりこんな場所に現れるなど、誰も予想していなかったからである。
村人たちの周りには二十人の兵士がいて、グレイたちは実質二人しかおらず、手が出せそうもなかった。グレイは血が出る程ぐっと唇を噛みしめ、飛び出る時を我慢強くうかがっていた。もしロイやエリィがいなかったら、どのような状況でもグレイは飛び出していっていただろう。そしてその結果は必ず最悪のものとなりえた。
「よーし、女子供は並んでついて来い! くれぐれも、妙なマネはするなよ? 俺たちは所詮貴様達の命などどうでもいいんだ。簡単に、殺せる……」
一人の兵士が大きな声を出すと、女や子供はぞろぞろと動き出し、残されたのは長い槍を持った兵士五人と、四十人ほどの老人たちだけになった。
縄でつながれているなかにはマリアもいたため、グレイはすぐにでも助けに行きたかった。もしかしたら今にも祖母が殺されてしまうかもしれない、そう考えると頭がおかしくなりそうだった。横にいるロイは驚く程冷静で、グレイの肩にてをやって彼を制止している。
連れ去られていく人たちの足音が完全に聞こえなくなると、グレイは一度目を閉じて、深呼吸をした。グレイは自分の心臓が大きく高鳴っているのを感じていた。自分でも信じられない程大量の汗が全身から吹き出してくる。ここで飛び出していったら、自分たちは十中八九殺されるだろう。人数も、状況も相手の方が圧倒的に有利だった。いざとなれば向こうは人質を使うことができる。グレイたちが有利な点は、向こうがまだこちらに気づいていないこと、それだけである。
「エリィ、お前はここにいろ。足手まといだ」
エリィがグレイの言葉を理解できたかはよく分からなかったが、グレイとロイは木刀を握りしめ、覚悟を決めた。二人の額から伝った汗が顎から垂れ落ちて、地面に黒い染みを描いた。
「いくぞ……!」
グレイがそう言うと、ロイはコクリと頷き、二人は同時に茂みから飛び出していった。音をたてず、慎重に、しかし全速力である。それは奇襲だった。