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千年戦争  作者: 温泉郷
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二十三戦目:北の歌姫

出逢いとは喜びだ。光だ。しかし出逢いには別れが付きまとう。闇だ。

人々は光の先にある闇をみようとはしない。

必死に目を背け、ただただ自分の目の前にある幸福を貪るのだ。

勢いを増す絶望が迫っているというのに、人はただただ光を求める。


——オーランド

 陸が近いことを知らせる鳥が、にわかに数を増してきた。白い羽根を風に揺らし、グレイたちが積み込まれた船の上空を、気持ち良さそうにゆっくりと飛んでいる。それらは群れのようなものをつくりながら、陸に戻ってきたことを喜んでいるのか、のんきな声を出している。

 グレイたちが船に乗ってからかなりの時間が経ってから、船は北の大陸の貿易町、レンドに入港した。それまでの間、何をすることも許されず、ただひたすらに時間を浪費するしかなかった三人は、ひどく狼狽していた。無理な体勢でいたために体中に痛みを感じていたし、喉も乾き腹も空いていた。

 船の進む動きが止まり、そのうち、ごとっという音とともに、三人が入っている箱が持ち上げられた。突然の振動だったため、三人はうろたえてしまった。しかし声を出さないよう必死に努力していた。


「ん? この箱はなんだ? リストには載っていないようだが……」

 不意に男の声が聞こえた。明らかに怪しんでいるような声である。


「ああこれは……」

 聞き慣れた声があった。バングのそれだ。


(余計なこと言うんじゃねえぞ……! 今捕まったら確実に殺される……!)

 グレイの心臓が高鳴る。本来なら三人が捕まった時点でバングにも影響があるため、彼が妙なことを口走るはずはないのだが、グレイにはそんなことを考えている余裕はなかった。バングが箱にちらりと視線を落とす。


「これは差し入れですよ。いつも皆さんにはお世話になっているので。中身は新鮮な魚介類です。どうぞ皆さんで分けて食べてください」

 バングは眼鏡をあげる。男はそれを聞くとにかっと笑う。


「そうか。悪いな。俺たちはなかなかこんな物食えないからな。ありがたくいただこう。皆にお前のことを良く言っとくよ」

  その声が聞こえると、再び箱は大きく揺れ始めた。どうやらどこかに運ばれているようだ。三人は声を漏らさないようにひたすらに口を閉じていた。

 そのうちに、どすんという音とともに、グレイたちが入っている箱が地面に置かれた。それと同時に声が聞こえる。


「ここに一旦置いておいて、後で皆で分けるとしよう。さあ、次の仕事にかかるぞ」

 それはさきほどと同じ声で、その後には威勢のいい、おう、という声が聞こえた。グレイとロイが耳を澄ましていると、足音は遠ざかり、少し遠くで扉の閉まる音が聞こえたのと同時に、グレイは箱の横部分をいきおいよく蹴った。もともと内側から壊しやすいように作ってあるようで、ばきっという音ともに箱の横部分は人一人分ほどの穴ができた。それでも箱は壊れることはなく、グレイは身をよじりながら穴から体をそとに出す。

 続いてエリィが穴から体を出そうとしていたが、なかなか難しいようで、グレイに比べたらかなりの時間がかかった。


「おいエリィ、お前……、もしかして太った?」

 にやにやしながらグレイは言い、言われた方のエリィは顔を真っ赤にしている。


「失礼ね! えっと、そう、胸があるからよ!」

 慌てたようにエリィはそういったが、グレイは相変わらず口元に笑みを浮かべている。


「そんなあるかないか分からねえような胸に、引っかかるわけないだろ。やっぱ太ったな……。俺が見てねえ時に食い物つまみ食いしてたんじゃないのか?」

 エリィは言葉に詰まる。グレイの指摘は真実で、グレイとロイが寝た後に、エリィは幾度となく食料に手を付けていたのだった。太ったのがばれないように多少ゆったりとした服を着ていたのだが、その努力も虚しく、グレイに見破られてしまったのだ。


「グレイ、ロイに言ったら殴るからね!」

 威圧感を与える目つきのエリィはそういうと、ロイが箱から出てくるのを手伝った。ロイは服と箱が擦れる音しか聞こえなかったので、二人のやり取りを当然知らない。ロイは、エリィのグレイに対する怒りの空気を感じていたのだが、その理由を聞くのは危険だと察知し、動こうとする口を必死に制止した。


「とりあえず情報集めなきゃな。今はここがどんな所なのかを知る必要がある。怪しまれないように行動しながら聞き込みをしていこう」

 グレイは周りをきょろきょろと見回す。どうやらそこは港で働く者たちが使う部屋のようで、テーブルやロープ、替えの服など、様々な物が置いてあった。グレイは扉に耳を当て、その扉の近くに人がいないことを確信すると、ゆっくりとその扉を押し開ける。

 途端に、つん、と鼻を潮の香りが刺激する。海から反射した光はとてもまぶしく、思わず三人は目を細める。その光に目が慣れ始め、ゆっくりと開くと、そこには、思わず息を呑んでしまうほど美しい青い海が広がっていた。そこは港ではあったが、海は透明感のある青色をしていて美しく、退いてははまた押し寄せてくる波は、その荒々しさのなかに優しさが見られ、見る者の心をぐっと引き寄せる。

 少しの間、三人はその海に見とれていたが、はっと気がつくと辺りをきょろきょろと見渡した。ふと気づくと、扉の近くにはグレイたちの荷物が置いてあった。おそらくバングが置いたのだろう、少しだが金の入った袋も置いてあった。それを拾うと、三人は心の中で礼を言う。幸いにも人に見つかることはなかったが、急いでその場を離れた。

 海とは離れる方向に進むと、にぎやかな街が広がっている。三人はそこに向かって早足で歩き始めた。いつまでもここに居てはいけないと分かっていても、いつまでも美しい風景を見ていたかった。

 街を貫く商店街では、活気を帯びた人たちが、まるで魚のように動き回っている。店に並べてあるのは輸入したばかりの魚や、グレイたちのいた南の大陸の小道具などだ。南の海は温暖なため魚が太りやすく、そして増えやすい。そのためか南の魚は高値で取引されていた。

 周りの人を注意深くみていると、自分たちと一つだけ違う点にロイは気づいた。北の大陸の人々は、顔以外ほとんど肌を出していない。それがこの大陸の気候によるものなのか、それとも宗教によるものなのかは分からなかったが、とりあえず自分たちの格好はやや目立つ、と考えたロイは、薄い布を買い、それを今着ている服の上から羽織った。これで肌はあまり出ない。

 三人は街の中心と思われる場所に向かっていた。そこならば何か情報の集まりそうな場所もあると思ったからだ。

 店が立ち並ぶ長い長い道をまっすぐに進むと、三人の前方に何やら大きな像が見えてきた。どうやらそれはこの国の宗教上の神の一つのようで、はち切れそうな筋肉を恥じる様子もなく見せびらかし、人々に怒鳴っているかのように険しい目つきで、高いところから三人を見下ろしている。

 像の周りには噴水があり、この街の人々の憩いの場となっているのだろうか、たくさんの人々がひしめき合っている。

 しかし、そこに人がたくさんいるのは、その場所が憩いの場となっているからだけではなかった。それが分かったのは、その場に群がる人々が一斉に驚いたり、拍手をしているからであった。

 グレイたち三人が人々の間をかき分けていくと、そこには二人の人物が向かい合っていた。片方の男は頭の上にリンゴを乗せ、笑顔でもう一人の方をじっと見つめている。そしてもう一人の男は手にナイフを握り、じっとして集中しているようである。二人の距離は十バル(約十二メートル)程離れており、もし狙いが外れてナイフが刺さりでもすればただではすまないことは、誰にでも容易に想像できる。

 その場にいる百人近くの目は、すべてその二人に向けられている。

 観客が息を飲んだ瞬間、ナイフは放たれた。そしてそれは寸分の狂いもなく男の頭の上にあったリンゴに深々と突き刺さった。と同時に、観客は歓喜の声があがる。グレイたちも例外ではなく、互いに目を合わせながら、今見たことを確認しあっていいる。


「さあ、次が最後の演目です。我らが歌姫、レナです! どうぞ拍手をお願いいたします!」

 ナイフを投げた男がそう観客に投げかけると、それに応じるかのように大きな拍手が辺りに降り注いだ。皆手が赤くなり、痛みを覚えるほど手を叩いている。

 その拍手がまばらになってくると、先ほどの男の後ろから、なんとも美しい娘が、ゆっくりとその姿を現した。その場にいるすべての人間が、その娘を一目見るなり、ほうっと息を漏らした。その娘は、腰の上まで輝くような金色の髪を伸ばし、雪のように白い肌を持ち、そして大きな瞳をしていた。その瞳は青く澄んでいて、すべてを見透かしているかのような、しかし暖かみのある目をしている。前髪が片側だけ、その左目を隠すように、すうっと伸びていたが、誰も気にしていないようだ。皆その美しさに見とれている。

 レナと呼ばれた娘は一礼すると、息を深く吸い、ゆっくりと、竪琴の音に合わせて、まるでその場にいるものたちに語りかけるように歌い始めた。とたんに、それまで彼女に見とれていた者たちは皆、目を閉じ始める。なぜか彼女の歌を聴いていると、目を閉じて耳に集中してしまいたくなるのだ。その声は、母が乳飲み子に向けて歌う子守唄のように、優しくその場を包み込み、そしてすんなりと耳に、脳へと入ってくる。


——海岸を歩けば、今にも夕日が沈もうとしている 帰らなければ、母の待つ家へ 帰らなければ、父の待つ家へ

 帰れば暖かい手が待っている 笑顔が待っている 帰ろう 帰ろう 何も変わらぬ我が家へ——


 グレイは、こう歌う娘の、途中の不自然な調子に気がつき、反射的に目を開いた。すると、母や、父、という単語を口にする時だけ、娘は少し調子を弱め、そして見る者の胸をしめつけるような、憂いの表情を浮かべるのだ。その表情を見た瞬間、完全にグレイは心を彼女に奪われた。何をしたらよいのかまったく分からないが、何かを、何とかしてやりたいと、彼女を苦しめているであろう何かを、なんとしてでも取り除いてやりたいと、そう思ってしまったのである。

 彼女の歌声を聞くものは皆、心が洗われるような、癒されるような心地よさを感じていたが、そのなかでただ一人、グレイだけは違った。彼女が見せるその物悲しさに、心を乱されたのである。良い曲だ、などと口が裂けても言えるような心持ちではなかった。なぜか分からないが、自分でも意識しないうちに涙が流れ落ちていた。歌に感動したのではない。ただただ彼女が悲しかったのであった。

 彼女が歌い終わると、人々は目を開け、誰からともなく拍手がわき起こった。しかし当の本人は嬉しい顔一つせず、無表情のまま、どこかへと去っていった。拍手の飛び交うなか、再び先ほどの男が皆の前に姿をみせ、大声で叫び始めた。


「皆様、いかがでしたでしょうか。わたしたち一団は、これよりひと月の間、この町に滞在し、様々な芸を皆様にお見せしようと思っております! もし時間がおありでしたら、明日より、鐘が五回鳴り響いた時間に町の中心にある劇場までおこしください! それでは、またお会いしましょう!」

 そう言うなり、男は一礼すると、グレイたちがいた方とは反対の方角に、仲間と思われるものたちと一緒にずんずんと歩いていってしまった。

 男がいなくなってからも、人々の熱は冷めやらなかった。皆口々に、あの娘の歌は最高だったとか、今度は子供と一緒に見に行くだとか、そういったとりとめのない話をずっとし続けている。


「グレイ、あんた……、何で泣いてんの? 気持ち悪いわね」

 グレイの目から大量の涙が流れ落ちているのに気づいたエリィの言葉だった。エリィもロイも眉間にしわを寄せ、怪訝の表情を浮かべてグレイを見やっていた。しかしグレイはそんなことを気にしている様子はなく、レナの去っていった方を見つめ、ぼんやりとした顔のまま、何でもない、とぽつりと言っただけだった。


「ロイ、なんかグレイがおかしいよ……」

 エリィは小声でロイへと話しかける。


「おかしいのはいつもと言えばいつもだけど、今度ばかりはいつもと違うみたいだね。もしかして……」

 そこまで言うとロイは押し黙った。少しエリィが不機嫌そうにしたからである。


「えーっと……、そろそろ日も暮れてきたし、今日は情報集めはやめにして、宿でも探そうか」

 無理矢理笑顔をつくると、ロイは町の宿を探して歩き始めた。エリィはその跡を追い、グレイもまだぼんやりとしたまま、歩き始めた。

 三人はその後、旅人用の、安いながらもなかなか良い宿をみつけ、しばらくの間そこに宿泊することに決めた。今はとにかく情報を集めなければならない。三人はこちらの大陸の情報がまったくないのだ。そんななかで情報を集めるにはかなりの時間が必要だろう、そうロイは考えたのだった。彼が持っているオーランドの本は、北の大陸のことも書かれているが、どれほど信頼できるかは分からない。やはり直接人に聞くしかなかった。

 その晩は特に何をするということもなく、三人は寝床に横になった。慣れない船旅や慣れない土地に、知らず知らずのうちに二人は体力を奪われていたのだろう、エリィとロイはすぐさま眠りについた。しかしグレイはというと、疲れてはいたものの、昼間に聞いた歌声と、それを歌っていた娘、レナのことが気にかかり、なかなか寝付けなかった。あの娘の姿を思い出すたびに胸が高鳴り、火を近づけられたかのように、顔全体が熱くなる。そしてそれは全身に広がっていき、そしてまた時間が経つと、眠気のためか体は落ち着きを取り戻していくのだった。そんなことを繰り返していては眠れるわけもない。グレイはロイを起こさないように、そっと寝床から起き上がると、部屋を出て、港の方角に向かった。少し体と頭を冷やしたかったのである。

 その頃はすでに外は真っ暗で、酒場から漏れだした明かりと、月明かりがあるだけである。すでに町が眠っている時間だった。

 港に着くと、グレイは一度、大きく伸びをした。夜風が心地良い。昼間はそこで働く者たちの声が響き渡っていたが、今はとても静かだった。耳に入るのは、ただ波の美しい音色だけである。

 ふと、グレイが何気なく右手の方角に向くと、少し離れてはいるが、砂浜が見えた。月の光がその砂に反射しているようで、ときどき輝いている。その光景に心を惹かれたグレイは、砂浜に向かって歩き出す。

 着いてみると、グレイはあまりの美しさに、ただ驚いた。踏むときゅっきゅと鳴る砂は、時々光りながら、こちらも月の光を受けて光り輝く水面と、楽しげに会話をしているようだった。

 そしてさらに海へと近づいて行くと、前方に人影が見えた。しかしその辺りは暗く、どのような人かは分からない。

 その時、砂がぱあっと光を放ち、その人物の姿を照らした。見間違えようがない。昼間自分の目の前で歌を歌った、あの娘だ。月の光を浴びてなお輝きを増す、金色の髪しか見えなかったが、グレイには確信があった。


 グレイの心臓が、燃えるように激しく、震えた。

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