二十一戦目:強襲
三人が城を出ようとしても、特に衛兵が彼らを引き止めるようなことはなかった。ただ一言、早めに宿に入るように、と言っただけである。そのかわり、背後では何者かが走り去る気配があった。おそらく自分たちを監視していた者だろうとグレイは考え、少し足早に城から遠ざかろうとしていた。
三人を監視していた者は全力で地下まで走り、主人である魔導士に、三人が城を出て行ったことを報告した。その話を聞いた魔導士は血相を変えた。
「何をしておる! 早く追わぬか! あれほどの貴重な存在、みすみす逃してはならん!」
傍らに座っていた王は、魔導士に尋ねる。
「フェノムよ、どういうことだ? 事情を説明しろ」
フェノムと呼ばれた老齢の魔導士は、王の前であるということを強く意識し、必死に冷静な表情をつくる。
「王、さきほど話していたことを覚えているでしょうか。そう、太陽の素質を持った者が現れたのです。もはや文献にしか存在せぬものと思い込んでいましたが、違いました。あの青い髪の少女には癒しの能力があるのです。彼女に協力してもらえば、我が方の軍が一気に連合国軍を打ち破ることも十分に可能なのです!」
それを聞くと王は黙ったまま、どうしたものかと考え込んだ。いくら戦争のためとはいえ、まだ年端もいかぬ少女を利用することはしたくなかったのである。しかしフェノムはそんな王の優しい心をもどかしく思っていた。戦争に勝つためにはどんなものでもためらいなく利用すべきであると、この年老いた魔導士は考えていたのである。戦争はあまりにも長く続いている。兵士の士気も目に見えて下がっている。フェムトはこの状況をなんとか打開したかった。
「しかし、今開発している兵器、魔鉱銃が完成すれば、この戦争を終わらせることは簡単なのではないのか? なにもあのような娘まで利用することはあるまい」
王は力ない目でフェムトを見つめる。
「おそらく可能でしょう。しかし楽観はできません。密偵によると、連合国も何やら巨大な兵器を開発しているとの噂があります。だからこそ! 次の戦いには最善を尽くすべきなのです! 王よ、今が好機なのです!」
フェムトは高圧的な眼で王を見た。それは見るというよりも睨みつける、という表現の方がふさわしいほどである。
「うむ……。だが……、いや、許可しよう。我々はなんとしても勝たねばならんのだ……。兵を使うがよい」
それを聞くとすぐにフェムトは指示を出し始めた。にわかに城の中が騒がしくなっていく。城の中のほとんどの兵士がばたばたと城の外へと駆け出して行きはじめる。
三人は城を出るとまっすぐ南へ向かっていた。ダグーを預けている馬小屋が南にあるからだ。暗くなったせいか、城下には人がほとんどおらず、三人の姿は嫌でも街を警備する兵士の目についた。そして二人組の兵士が、グレイたちの斜め後ろから三人の方へ近づいてきた。
グレイとロイは顔を見合わせ、互いに大きく頷いた。
ロイはエリィの手をぎゅっと握り、南の門へと駆け出す。
「ちょっと……! グレイは?」
エリィは心配そうに後ろを振り返る。グレイは二人と一緒に走ることはせず、つかつかと二人組の兵士の方に歩み寄っていた。
「グレイなら大丈夫! さっき言ってたよ」
ロイは走りながらエリィの方に笑顔を向けた。
「え……? 二人とも何も言ってなかったじゃない」
顔をこわばらせ、エリィはロイを見つめる。
「いや、グレイは言ってたよ。任せろって……」
そういうとロイはまっすぐ門をめざし、さらに速く走った。
兵士はグレイに質問しようと、口を開く。
「おい! 今の二人組はなんだ! どうして逃げ出したのだ! 答えろ!」
兵士は荒々しく声を出す。しかしグレイはいたって冷静だった。自分がどうするべきか、しっかり考えていた。
「くそっ!」
グレイはそう口にすると、バルドに貰った剣を抜いた。透明な刀身に、二人の兵士の姿が歪んで映る。
「貴様、間者か!」
兵士は槍を構え、穂先をグレイへと向けた。
グレイはある程度の距離を保ったまま、大通りを西に向かい始めた。そして、背を向けて一気に駆け出した。
「待て!」
二人の兵士はグレイを追いかける。ロイたちを追わなかったのは、グレイが剣を抜いたことに理由があった。王都に住む住民に危害が加えられることも可能性として考えられたからである。
二人の兵士は鎧を身に着けていて、身軽なグレイとは脚の速さという点においては圧倒的に差があった。グレイはその点を理解し、あまり離れすぎないよう走り続けた。
(よし、ちゃんとついてきてるな……。あとはこのまま騒ぎが大きくなれば……)
走るグレイと追いかける兵士の姿は目立ち、グレイを追いかける兵士は次々に増えていった。怒号も増えて大きくなり、がしゃがしゃという鎧の金属音もグレイを追いかけてくる。城から出てきた兵士もそれに加わり、いつしか何十人もの兵士が大声を出しながらグレイを追いかけていくようになっていた。
グレイの視界に西門が入った。心の中で喜んだが、次の瞬間、それは焦りに変わった。門が完全に閉じていたのである。
日が落ちると、王都の門は完全に閉じるように決められていたのである。王都に初めて来たグレイは、その事実を当然知らなかった。
(どうする! 俺が捕まったところで特に問題はないけど、それでもそのせいでエリィたちが捕まっちまったら……!)
グレイは外壁に目をやった。しかし十バル(十二メートル)ぐらいの高さはある。とても登れるようなものではない。階段があるはずなのだが、それもグレイは見つけることができなかった。
グレイの走る速さが落ちた。門の前には兵士が立ちふさがっているからである。後ろからは大勢の兵士がぐんぐん迫ってきている。
グレイは横に行く道を探すが、建物の隙間の奥には、どこも兵士が持っているであると考えられる松明の火が見え、それも無駄だなのだと理解させられた。
あきらめようとしたその時、グレイは自分の右手首に奇妙な暖かさを感じた。反射的にそこを見ると、右腕にはめられた腕輪が燃えるように赤く煌めいていた。それを見るのと同時に、その腕輪をくれた狼、アンテの声が耳の中にこだまする。
『今こそ力を貸そう。さあ、我が名を叫ぶが良い!』
しかしグレイはなかなかその名を叫ばない。
「ええと、あんたの名前、なんだったっけ……?」
アンテと出会った後に様々なことを体験したため、グレイは彼の姿は覚えていても、彼の名前はどうしても思い出せなかった。
『この馬鹿者が! 我が名を忘れるとは、なんたる侮辱! ……まあ良い、我が名はアンテ、さあ、急ぎ叫べ!』
頭に残っていた引っかかりがなくなり、グレイは門に向かってなおも走り続けながら大声で叫んだ。
「アンテー!」
その瞬間、その場にいたすべての者がぴたりと動きを止めた。グレイの声は響き渡り、その声が聞こえた兵士は皆、グレイがなにか強力な呪文を唱えたのだと思ったからだった。
叫んだ本人であるグレイも走るのをやめ、きょろきょろと辺りを見回す。特に変わった様子は無い。兵士が皆、驚愕の表情を浮かべながら固まっているだけだ。
「はったりだ! かかれ!」
一人の兵士の声が全体を包み込み、グレイを取り囲んだ兵士たちは再びグレイとの距離を詰め始めた。
「おい! なんにもなんねえぞ! ふざけんな!」
グレイは腕輪に向かって荒い声をぶつける。兵士たちとの距離はもうほとんどない。
『馬鹿者め、だれがそのような大声を出せと言った? 心だ。心で叫ぶのだ』
グレイにはまったくその言葉の意味が理解できなかったが、やるしかない。彼は全神経を、心のなかで叫ぶ、ということに集中させた。
その瞬間、彼には兵士の姿が見えなくなった。あれだけ騒がしかった声や音もまったく聞こえなくなり、さきほどまで見えていた建物や門だけがその眼に映った。
『そう、今だ。叫べ、我が名を!』
その声が耳の中で残っている間に、グレイは叫んだ。それは全身の力を使った叫びだった。
「アンテ!」
その声は兵士たちには聞こえず、彼らにはただグレイが大きく口を開いたようにしか見えなかった。
しかしグレイには自分の体に変化が生じているのを確かに感じていた。脚が驚くほど軽く感じられたのだ。ふと自分の脚をみると、赤い炎が自分の両足に巻き付いている。だが熱くはない。不思議に思いながらも、グレイは軽く地面を蹴ってみた。
グレイを取り囲んでいた兵士たちは再び脚をとめ、目を丸くした。目の前にいた少年の脚が赤く光り、次の瞬間彼が、高く飛び上がったからだ。それは人間二人を簡単に飛び越えられる程の高さだった。
驚いたのはグレイも同じだった。
「これがあんたが貸してくれた力なのか?」
腕輪に向かってグレイは尋ねる。
『驚いただろう? 今の貴様は走る速さも、跳躍力も、人間のそれとは比べ物にならぬ。さらに力を使いこなせれば、水の上を走ることも容易だ。しかし、二、三日はまともに動けると思うなよ? 肉体にかかる負担は半端ではないからな。さあ、今は早く逃げるがよい。今の貴様ならばこやつら全員を倒すことも可能だが、同じ国に住むものを傷つけるのは後味が悪かろう』
グレイは膝を曲げ、ぐっと脚に力を込めた。確証はなかったが、不思議と外壁を飛び越せるような、そんな自信に満ちあふれた。
力強く地面を蹴ると、一気に体が地面から離れていった。自分を追っていた兵士たちが、驚きの眼で自分を見ているのが見えた。宙で感じる風は、グレイにはいつもよりもずっと心地よかった。
グレイは外壁にすっと降り立ち、後ろを振り返った。兵士たちは固まったままで、追ってくる様子がない。安心して外壁の外側をみると。すでにダグー車が下まで迎えにきていた。門の外にいた兵士は中の様子が分からなかったためか、珍しい動物であるダグーをじっと見つめているだけである。
「グレイ、はやく!」
ロイは御者台から身を乗り出し、グレイに向かって叫んだ。ロイにはなぜかグレイがそこから来るのが分かって、ずっと見上げていたのである。
グレイは苦もなく門下に降り立ち、ダグー車に乗り込んだ。それを確認もせず、ロイはダグーを進ませる。ダグーは本気を出せば、馬よりも速い。ロイはそんな速さで坂をぐんぐん下らせていった。
門の前にいた兵士はあまり状況が把握できず、かといって持ち場を離れるわけにもいかないため、結局黙ったままグレイたちを見送る形となった。
「これからどうする?」
ロイは少しダグーの速さを落とすと、後ろにいるグレイとエリィに話しかける。
「そうだなあ……、こうなった以上、村にも帰りづらいよな……」
グレイは腕を組んで考え込んだ。エリィは今まで溜めていた気持ちを伝えるべく、少し大きめの声を出した。
「……北の大陸に行かない?」
グレイとロイは思い切り首をひねり、エリィを見つめた。二人を交互に見つめる彼女の目は、それが本気であると語っていた。
三人がドゥーネの街を抜けた頃、三人を逃がしてしまったという報告はフェムトと王に伝わった。フェムトは怒りをあらわにし、その細い枯れ木のような体をぶるぶるとふるわせている。
「すぐに追うのだ! なんとしても、無傷で捕らえよ!」
フェムトは報告に来た兵士に怒鳴りつけた。しかし王はどこかほっとしたような、複雑な表情を浮かべていた。
ちょうどその頃、城の北の方角にある見張り台に配備された若い兵士は、暇を持て余していた。何か不審な物が見えたら早鐘を鳴らす、という簡単な任務であるが、ここ数十年、早鐘が鳴らされたことはなく、退屈な任務であることは間違いなかった。
大きなあくびをすると、若い兵士は懐からワインの入ったボトルを取り出した。これをちびちびと飲みながら見張りをするというのが、彼の日課になっていた。どうせ今日もなにも起こらない。そしてこんなところの任務に就かされた自分の身にも何も起こらないだろう。今日は何か城下の方が騒がしかったが、自分には関係ない。自分はここで何をするということもなく、じっと城の北を見張るだけだ。それが彼の考えることであった。
見張り台は高い場所にあるため、ほとんど毎日ごうごうという風の音が聞こえる。しかしその日は違った。風の音が聞こえない。しかし若い兵士がそんなことを気にするはずもなく、ボトルを片手に持ち、変わったものなども見えるはずがない双眼鏡を覗き込んでいた。
ふと、地平線の向こうに、なにやら黒い物体が見えた。それは一つではない。遠くからだと黒い雲のように見える。この日は満月で、かなり明るかったため、ぼんやりとだが見ることができた。なんだ鳥か、まあたまには見えることもあるさ、そう若い兵士は思った。
しかし、それはなにか鳥とは違った。確かに何かが羽ばたいているのが見える。しかし、鳥にしてはやけに大きい。それは、遠くから見ているからこそ分かった。
その姿が見えたとき、すべては遅かった。巨大な体、そんな体でも飛ぶための大きな翼、鋭い牙と爪、長い首、そして鋭い眼、それはまぎれもなく、ドラゴンだった。しかしそれは一体ではない、十を超える数である。
若い兵士はがたがたと子犬のように震えた。自分の目に映るものが信じられなかった。しかし彼は任務を果たすべく、何とか体を動かし、早鐘を激しく打ち鳴らした。
「ド、ドラゴンだあー!」
黒いドラゴンは城に向けて急降下し始めた。