二十戦目:戦争の理由
地下へと案内されたエリィとロイは、軽い不快感を覚えていた。というのも、華やかな城の地上部分とは違い、地下はジメッとしていて、空気が悪かったからである。地下への階段の途中の石の壁からは所々緑のコケが顔を出しており、その湿気の多さを示している。
また、所々に取り付けてある燭台はいかにもといった雰囲気をつくっており、そのろうそくの炎はゆっくりとゆらめき、薄暗い地下をあやしく照らしている。
二人の前を歩く魔導士は、黒いローブをすっぽりと上から被っており、顔のあたりはあまり見えない。それでもその声と歩き方から、女性であることは何となく知ることはできる。
その女性は二人をひらけた場所まで案内した。そこでは十名程の、やはり黒いローブをかぶった魔導士が円卓を取り囲み、何かが書いてある用紙を広げ、ぼそぼそと何かを言い合っている。
しかしその十名程の魔導士のなかには、赤いローブを身にまとった者がひとり、ひとりだけ違った雰囲気を持っていた。肩まで伸びた白髪と、生茂った真っ白な髭が印象的である。
三人が目の端に入ると、その男は顔を上げ、荒い声を出した。
「誰だ!」
その声の迫力にロイとエリィは縮み上がった。その剣幕にもまた二人は気圧された。二人にはまるで殺されるかのように感じられたのである。
「王、こちらは……、そう、バルド様のお知り合いでございます。魔法の素質があるということなので、こちらまでお連れした次第でございます」
エリィたちを案内した女性はローブを頭から脱ぐと、王に向かって深々とお辞儀をした。ロイたち二人はわけも分からないまま頭を下げた。
「ロ、ロイ! い、今の、聞こえた? お、おおお王って……!」
「う、うん。今、確かに王って言ったよね?」
上半身を完全に倒しながら二人は顔だけをあげて王に向けた。王は怪訝な表情を浮かべながらロイたちをまじまじと見つめている。
「ふむ、そうか。バルドの……。それならば、いい。しかし他の部屋を使え。この部屋はたしかに広いが……、分かるだろう?」
王はそう言うと再び周りの魔導士たちと話し始めた。二人は固まってしまった筋肉を何とか動かし、誘導しようとする女性魔導士の跡を急ぎ足で追った。
王たちがいた部屋から退出し、一部屋素通りした次の部屋に、二人は通された。
その部屋はかなり簡素で、ベッドと机と本棚以外には何も無く、明かりもランプが一つあるだけだった。
「さてと、ここは私の部屋だから大丈夫。さっそく始めましょうか。ところで二人は魔法についてどの程度知ってる?」
そう尋ねられ、エリィはいつものようにロイを見つめる。ロイも自信がなさそうな表情を浮かべて女性魔導士の答えを待った。
「まあ一般人が魔法についての本なんか読んだってあまり意味が分からないからね。うんうん、それでは初歩から教えましょうか。まず、大前提として、この世界には精霊と呼ばれるものたちがいるの。ああ、あんまり信じられないかもしれないけど、とりあえず最後まで聞いてちょうだい。そう、それでね、その精霊たちの力を借り、自然界に存在するエネルギーを集め、解き放つ! とまあ、これが魔法の簡単な原理なわけなのよ。そして魔法を使うために一番最初に必要なことは、精霊との対話。それで友好を深めるの。ええと、ここまでついてこれてる?」
エリィは既によく分からなくなったようで、目が泳いでいる。一方ロイは初めて知ることができたことに心底感動していて、目を輝かせながら次の言葉を待っている。
「さっき言ったことは本当に魔法を使えるようになれば自然と分かるようになるから、今はあまり気にしなくていいわよ。それで、使える魔法の種類は基本的に一人一系統。例えば私は……」
女性は机の中からろうそくを一本取り出し、右の人差し指をその先端に向けた。
「テナ……」
そう女性が唱えると、彼女の指先の少し手前から小さな火の玉が飛び出し、それはろうそくに火をつけた。
「こんな風にね。つまり、わたしは火の属性ってこと。さ、あなたたちの属性も調べてみましょうか」
そういうと彼女はまたも机の引き出しから本とはねペンを取り出すと、二人にそれに名前を書くよう言った。エリィたちは羽ペンに黒いインクを付け、言われるがまま名前を書くと、女性に再び渡した。
「ほら文字を見てごらん。これはね、書いた人の本来持っている魔力に応じて色が変わる仕組みになっているのよ。火なら赤、水なら青、みたいにね。えーと君たちは……、んん?」
三人がじっと本に書き込まれた文字を眺めていると、ロイの文字は黒のまま変化せず、エリィが書いた文字はきらきらと黄金色に輝きだした。
奇妙な間が三人の間に存在した。女魔導士は予想外のことが起こったのか、本棚の前へ進み、ぱらぱらと様々な本を開いてすさまじい勢いで読んでいる。
「なんかマズかったのかな?」
沈黙に耐えかねたロイがエリィに尋ねたが、そんな理由がエリィに分かるはずもなく、首をふるふると横に振っただけだった。
「分かったわ! ロイ君、君は火、水、風、地、そのすべての魔法を使いこなせる才能があるのよ! そしてエリィちゃん、あなたは……太陽の属性。すごいわ二人とも……! 特にエリィちゃんのは本当に珍しい。……あ、ちょっと待っててね」
そういうと女性魔導士は部屋を急ぎ足で出て行った。取り残された二人は顔を見合わせる。
「今度こそマズいことになったかもね……」
エリィは顔を下に向けた。それをみたロイは慌てて付け加えた。
「いや、エリィのせいって言ってるわけじゃないよ!」
しかしそれは無駄に終わり、二人の間にまた沈黙が流れた。ロイは頭をかき、本棚のところまで行くと、本をぱらぱらとめくり始めた。その本のなかに興味深い内容があったようで、ロイはそのうちその本を夢中で読むようになっていった。
そのうちに扉がバンッと音をたてて開き、先ほどの魔導士と、もう一人が部屋に入ってきた。老齢の魔導士のようで、杖をつきながらゆっくり歩いてくる。
「この女の子がそうなのかね? ふむ……、一応、王には知らせておこう。続けてくれたまえ」
わざとらしく一度咳払いをすると、その老いた魔導士は部屋を出て行った。
「さ、続きを教えましょう」
女魔導士は何事もなかったかのように話し始めた。ロイたちは言いようのない不安感を覚えていた。
グレイはどれほどバルドの答えを待ち続けただろうか。長い沈黙が二人の空間を満たしていた。バルドは黙ったままじっと考えていたが、やがてグレイに視線を合わせた。
なぜ戦争などというくだらないことをするのか、グレイはずっと不思議に思っていた。この世界に生まれた者で、それを疑問に思うものはほとんどいないだろう。それは、戦争が存在しているからである。生まれてくるものにとって戦争は当然のことのように存在しているからである。この世界にとって戦争は、空気と同じなのである。
グレイはその答えを、バルドならば答えられると思い、信じていた。
「分からない」
「え?」
グレイは思わず聞き返す。
「わたしも昔はそれについてよく考えた。朝から晩まで考えたこともあったよ。しかし、そこに答えはなかったのだ。……グレイ君、きみはこちらの大陸とあちらの大陸について、どれほど知っている? 実は我々と彼らはほとんど違わない。言語も通貨も、肌の色も同じだ。違うことと言えば宗教だ。私たちは一神教で、彼らは多神教。それに住む環境も違うか。我々の大陸は比較的温暖で、農作物がよく穫れる。比べて北の大陸は寒冷で、放牧が中心だ。違いはそれくらいだ。たしかに宗教の違いというものは根深く、国内の環境というものも争いの原因にもなりうるだろう。……しかし、それだけだ。他になにがある? たったそれだけで人は何百年も戦い続けられるのか?」
グレイは何も答えられなかった。さらにバルドは続ける。
「そんなことを考えているうちに私も兵士になり、英雄と呼ばれるようになった。大切な人もできた、……妻だ。……先ほど答えはない、と言ったが、訂正する。答えはある」
「それは?」
バルドは窓の外を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「私の妻は美しく、強く、そして聡明だった。志願兵でね。同じ部隊に所属し、わたしたちは恋に落ちた。しかしこんな時代だ…………」
バルドは一度大きく深呼吸をした。
「それからは、敵を殺すことだけがわたしの目的になったよ。なぜかな、一人敵を殺すたびに、わたしは生きていることを実感するようになってしまった。わたしはまだ死んでいるんだ。そう、人間は、人間を殺すために、この馬鹿げた戦争を行っている、わたしはそう考えている」
グレイは何も言えなかった。目の前のバルドの戦う理由が、あまりにも悲しすぎたからだ。バルドは行為と目的が一緒になっている。それを十分に理解しているからこそ、グレイは何も言えなかったのである。
「もし……」
バルドはグレイの方に向き直った。
「もし君の大切な者、ロイ君やエリィ君が殺されたとしたら、君はどうする? 君はその時どうすると思うね? その時のきみの気持ちが、また新たな争いを生むだろう。そうしてまた戦争は積み重なっていく」
グレイはじっと考え込んだ。このような時代、そんな話は珍しいことではない。しかしグレイにはそれが想像できなかった。自分の本当に大切な者がいなくなる、そんなことは考えられなかったのである。
しばしの沈黙の後、グレイは答えた。
「今は分かりません。でも、その時が来れば……」
バルドは軽く頷くと、再び口を開いた。
「いや、すまなかったね。なぜだか君に対しては口が軽くなってしまう。いつもはこんなことはないのだがね。君の前だとなぜだかべらべらとしゃべってしまう。すまない、気を悪くしたのなら謝るよ」
それに対してグレイは当然強く否定した。年齢が二倍以上も違うであろうバルドがこれほどまで真剣に答えてくれたため、気を悪くするどころか心底感謝していた。
気まずい雰囲気を何とかするべく、バルドは自分の腰に差してあった剣を取り出した。
グレイが見たところそれは何の変哲も無い剣であったが、その剣の鍔の部分には透明な宝石のような物がはめ込まれていた。
「グレイ君、わたしは君にこれを渡したい」
最初に会った時にしていたにこやかな表情に戻ると、バルドはグレイにそう告げた。
「どういうことです?」
グレイは疑問を投げかけた。
「これは試作品でね。魔鉱石という物質が使われているんだ。魔鉱石は使い方次第では便利な物だ。火の力を加えれば明かりの代わりになるし、水の力を加えれば簡易井戸にもなる。そして武器に使ってみようと考えられて作られたのがこれなんだ。効果のほどはわからないが……」
「どうしてそんなものを、俺に? それに試作品なら、それは軍の機密ってことでしょう? 危ないんじゃないんですか?」
グレイはまたも質問する。そんな物を持ち歩いて、犯罪者として見られでもしたら、たまったものではないと考えたからだ。
「問題はないよ。これは私には使いこなせなくてね。まあ、テストの一環として将来有望な君に託したことにすればいい。私に文句を言うものも少ないだろう。それに、君のこれからのためには、必要な物となるはずだ」
バルドはじっとグレイの瞳を見つめた。自分の気持ちをすべて見透かされるようで、グレイは内心困惑した。
グレイは礼を言い、バルドの剣を受け取ると、自分の剣を代わりに預けた。その後はなんてことのない雑談が続き、グレイもバルドも充実した時間を過ごすことになった。
「さてと、そろそろエリィ君やロイ君も戻ってくるだろう」
バルドが一度伸びをすると、部屋の扉が開いてロイたちが部屋に入ってきた。エリィは少し疲れた顔をしている。
「早いな、お前ら。そんなにすぐに魔法って覚えられるようなものなのか?」
グレイはロイに尋ねる。
「うん。というか、魔法を使うためにはやっぱり時間をかけないといけないんだって。僕らが教わったのは基本的なことだけだけど、それでもかなりの収穫はあったよ」
そういうとロイは本当に嬉しそうに笑った。
「それは良かった。それで、もう日も暮れようとしているが、今日は泊まっていってはどうかな? もし、急いで帰らなければならないのなら別だが」
バルドの言葉を聞いて顔を輝かしたのはエリィだ。城に泊まれる機会など、一般人にはほとんどない。それを考えると、できることなら泊まっていきたいと考えるのは当然のことであった。
グレイたちもそれに同意し、バルドの好意に甘える形になった。
「それでは今日の晩餐は期待していてくれたまえ。そうそう、それまでの時間は、城の中を自由に歩いてみても大丈夫だが、地下には下りないように。ロイ君とエリィ君が魔法を習った、あの場所だ。いいね?」
そういうと、バルドは三人の返事も待たずに部屋を出て行った。
ロイとエリィは緊張が解けたようで、ぐったりとした顔つきになった。
しかしグレイは違う。バルドの気配が遠ざかったあとも、誰かに見張られているような雰囲気を感じ取っていた。
「ロイ、ばれたか?」
グレイはこれだけしか言わなかったが、ロイはすべてを理解した。
「うん……。多分今、見張られてる」
ロイもまた、妙な空気だけは感じ取っていた。
「え? じゃあ、どうするの?」
エリィは不安げに二人に尋ねる。その質問に、グレイはしれっと答えた。
「決まってんだろ? ……逃げる!」
窓の向こうでは夕日が地平線に沈もうとしている。王都にとって長い長い夜が始まろうとしていた。