十八戦目:王都と英雄
宿で簡単な朝食をすまし、旅の支度を整えた頃には、外には活気が満ちあふれる時刻になっていた。
街の中心を通っている大通りをダグー車に乗ったまま進むと、人ごみはまるで王が通るかのように横へ避けていった。
三人は気分良く町の東に位置する門へと向かう。そこから王都へと続く坂道が始まるのである。王都まではそこから一本道で、迷うことなく進むことができるようになっている。
ドゥーネに入れた時点である程度身元は保証されているため、門番は無言のままグレイたちを見送った。
巨大な門をくぐると、少し遠くに大きな建物がそびえているのがみえる。グレイたち三人はそれは城の一部であると信じ、期待に胸をふくらませた。
往来が激しいのもあって、坂道に草などはほとんど生えておらず、地面がむき出しになっている。王都が台地に位置するのは、もちろん敵に攻め込まれにくくするためであるが、実際に連合国軍が攻め込んできたことは一度たりともない。両国の力は非常に拮抗しているのである。
長い坂道だが、ダグーは苦もなく上っていく。もちろんスピードは落ちているが、それでも力強くどんどんと歩みを進めていく。
「やっと着くわね! バルド様に会えるなんて……!」
弾んだ声を出したのはエリィだ。それも無理はない。一般兵でさえ現役の英雄を見ることはは珍しく、ましてや兵士でない者の目に入ることはまずありえない。しかし、絶大な功績をあげた者に王が与える“英雄”という称号は、国に住む人々ほとんどにとっては希望そのものであり、その称号を持つ者は、憧れの的なのである。
「僕も楽しみにしてたんだ!」
ロイも例に漏れず、英雄には強い憧れを持っていて、この機会を誰よりも強く待ち望んでいた。
「英雄ねえ……」
少し不機嫌そうなのはグレイである。膝につけた腕で頬杖をつきながら、気の抜けたような、いつもよりも低い声を出した。表情も曇っている。
「なあにグレイ、あんた楽しみじゃないの? 今から会えるかもしれない人はこの国の英雄よ!? え・い・ゆ・う! 一生に一度、会えるかどうかの人なのよ? それなのに……」
エリィは声を一層強めて言葉を継いだ。
「あんたもバルド様の逸話ぐらい聞いたことあるでしょ? 嫌でも耳に入ってくるんだから。そうそう、剣をたった一回振っただけで五人の敵を倒したとか。ああ、一回の戦いで五百人の敵を斬ったとかって話も……」
「ころした、だろ?」
ぶすっとした表情を浮かべたまま、グレイは後部を見た。覗いているエリィと視線が合う。
「え?」
エリィもロイも同時に聞き返す。
「倒したんじゃなく、殺したんだ。斬っただけじゃなく、命を奪ったんだろ? そんなに容易く人の命を奪える人の気が知れねえよ、俺は。それに、五百人も殺したなんて、ただのバケモンじゃねえか。……まあ、そんな話が本当だとすればだけどな。お前ら想像してみろよ。五百人だぞ? 俺たちの村の人たち皆殺されたのよりも多いんだぞ?」
「それは、そうだけど……」
エリィの言葉が詰まる。予想もしてなかったグレイの発言に、エリィ、そしてロイも言葉を失ったようである。
「まあそんなわけだから、俺は特に楽しみってわけでもないな……。結局ドゥーネでも可愛い子見つけれなかったしさあ。ていうか、外で待ってても良い?」
「せっかくここまで一緒に来たんだし、最後まで一緒に行こうよ。それに、王都なんてこの大陸で一番大きな街なんだから、いろいろ期待できると思うよ?」
ロイはグレイの興味をうまくかき立てるように、笑いながら喋りかけた。
「都には入るに決まってんだろ。そもそも、すぐ王様に会えるかどうかも分かんねえしな……。そういえば俺たちの旅も終わりだし、最後まで一緒に行くか。俺も城まで行くよ、多分。あ、そういえばエリィ、お前あの治癒の魔法だけどさ、王都の中、特に人前で使うなよ」
「僕もそう思ってたんだ」
そうロイも頷いた。
「え? どういうこと?」
本当に何も知らないといった様子で、エリィは聞き返す。
「エリィのその魔法は、はっきり言って聞いたことがない。かなり特殊だ。それに、何て言うか、ものすごく、便利なんだ、国にとってね。こんなこと言うのは悪いかもしれないけれど、その魔法が軍の関係者なんかに見つかったら、必ず利用されると思う。だってそうだろう? エリィがもしその魔法を自由に使えるようになれば、傷ついた兵士を次々に治させて……」
ロイが顔を白くさせながらそう説明した。グレイもそう思っていた。ただ幼なじみが戦争に利用されることを嫌ったのである。
「でも、アタシはそんなこと……!」
「エリィがどうこうって話じゃない。意思とは関係なく、利用されるさ。今は戦争も膠着状態らしいしな。最悪、親が人質にとられるってことも、ありえなくはない話だ。ティアに聞いたんだけどよ、お前あいつの古傷も治しちまったんだろ? それも、かなり深いやつを。そんな強力な魔法、俺だったら絶対に放っておかないね。だから、使うな。目の前で死にそうな子供がいてもだ。それだけ約束してくれ」
その時のエリィにいつもの元気は無く、彼女は小さく返事をした。
そうこう話をしているうちに、道も平らになり始め、巨大な石造りの城壁が見えてきた。所々石の表面が剥げているのは、攻められないままかなりの時間が経ったからである。それらには上から縄で吊された職人が、ドロドロとした灰色の物を、刷毛を使って塗り込んでいる。
三人の予想とは裏腹に、王都の門の前は人だかりがなく、兵士が数名立っているだけである。首をかしげながらも、グレイはダグーを門の前まで進ませた。
「止まれ。入る理由を述べよ」
すでに開いてある門の前で、剣を腰に差した二人の兵士は、無表情のまま、グレイに対して尋ねた。
「えーっと、その、俺たちは王に謁見したくて……」
グレイの顔に多少困惑の表情が浮かんだ。そのような理由で入れるかどうか不安になったからである。
「ふむ……。最近は入る者も出ていく者も厳しく検査するよう上から言われていてね。帝国証以外で何か君たちの身の上を保証するものはないかな? 例えば、紹介状とか……」
少し考えた後、グレイは懐から金の指輪を取り出した。ヨルゼンに貰った品である。太陽の光を受けてきらりと光っている。
「これでいいすか?」
グレイは金の指輪を差し出した。兵士はそれを受け取った後、様々な角度から指輪をじっくりと眺めた。
「これは、隊長に送られる……。ッ! しかもヨルゼン隊長のものか! あの方の知り合いであるのなら問題はない。通って良いぞ。確か王への謁見が目的だったな。城へはまっすぐ進めば着く。最後に一つだけ忠告しておくが、日が沈んだ後は屋内にいることだ。くれぐれも外を歩いてはならんぞ」
グレイは再び指輪を受け取ると、照れたように微かに頭を下げた。
(何とか入れたけど、出てこれるか……?)
不安を抱きながらも、グレイは石造りの口の中へと入っていった。
ダグー車は王都の中で預けるには少し大きいため、三人は外で預かってもらうことにした、王都の外壁の南側、険しい山との間には、馬屋などもあり、預けられるようになっているのである。
門をくぐると、見渡す限りに人がいた。ドゥーネと同じく、人々の目には生気が満ちているようだった。王の膝元だけあって、人々はこれといった不安も無く、毎日を生きているのである。
「やけに衛兵が多いな」
人の群れの中に、やたらと衛兵がいることに最初に気づいたのはグレイである。右を見ても左を見ても、至る所に軽装の衛兵がいる。短槍を持って、周りをきょろきょろと見回している。
「警戒すべきことが何かあるのかもね。例えば、誰かが反乱を考えているとか……」
「しっ! めったなこと口にしちゃだめよ、ロイ。そんなこと聞かれたら、ほんとに捕まえられちゃうわよ?」
王都の活気に当てられ少し元気を取り戻したエリィは、ロイに忠告した。エリィも何か尋常ではない物々しさを感じ取ったのである。
人ごみをかき分け、三人は足並みをそろえながら、正面にそびえる城を目指した。
城は左右対称に作られており、国のシンボルと言うべき建物でもあるため、思わず息をのむ程の美しさである。城を基調とした珍しい石で作り上げられており、一番高い塔には国旗が掲げられている。
城門にいた兵士にわけを話すと、三人は思っていたよりはすんなりと城の中に入ることができた。
城に一歩入ると、赤い絨毯が下には敷かれており、その上を三人は落ち着かない気分で歩いた。入った正面には受付があり、そこの女性に、王に謁見したいと伝えると、三人は客間へと通された。
「ふう、何とかトントン拍子に事が進んだな。この分じゃあすぐ帰れそうだな」
豪華な作りの椅子にどかっと腰掛けると、グレイはテーブルにあった冷たい水に手を伸ばした。
その瞬間、客間のドアが二回ノックされた。三人の目線がドアに集まる。
「入っても、よろしいかな?」
聞こえてきたのは、太い、男の声だった。
「あ、はい。どうぞ」
ロイが慌てて返事をする。
ゆっくりとドアが開き、入ってきたのは白髪混じりの長身の男だった。右頬の大きな刀傷が人目を引きつける。しかし栗色の瞳は暖かみを帯びており、エリィとロイは不思議と安心感を覚えていた。
しかしグレイだけは違った。何か得体の知れない、言葉にはできないような恐怖の感情が心中にはあった。目の前のこの男だけには逆らえない、そんな自分でもわけの分からない思いだけが頭を支配していた。
「あの、あなたは……?」
グレイはそんな何て事の無い質問を口にしたが、答えはすでに本能的に分かっていた。しかしそれでも、まっすぐ相手を見つめ、尋ねた。
「ああ、失礼。私の名は……、バルドだ。一応、英雄と呼ばれている」
バルドはそう言うと、目の前で驚く三人に向かってにこりと笑いかけた。