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千年戦争  作者: 温泉郷
16/35

十五戦目:満月の下で

 先ほどまで自分を殺そうとしていた敵が、自分の前で尻をくねくねと左右に動かしながら道案内している姿に、グレイは思わず吹き出しそうになっていた。

 その後ろ姿は、さっきとはうって変わって可愛らしさがにじみ出ている。運転席からその狼を好奇の目で見ていると、それを感じ取った赤き猛獣に睨みつけられ、グレイは慣れない口笛を吹きながら目をそらした。

 赤い体毛を持つ狼、アンテの道案内のおかげで、三人は難なく‘リバルの森’を抜けることができた。その間、ロイはときどき唸りながら眠り続けていて、それをエリィが心配そうな表情で眺めていた。

 森を抜けると、やけに太陽がまぶしく感じられ、グレイは思わず目を細めた。太陽はすでに地平線の向こうで沈もうとしていて、グレイの顔を赤く照らす。

 数秒もすると、グレイの目はしだいに赤い光に慣れ始めた。


「我が名はアンテ。世界の均衡を保つ者。再び会うこともあるだろう……」

 その声に反応してグレイはバッと目を開いたが、アンテの姿はすでになく、目の前のダグーが気の抜けるような声で鳴いた。ぬかるんだ森の道を歩いて疲れたのだろうか、ダグーは少し体を震わせると、もう一度、今度はさっきより大きい声で鳴いた。


(アンテ……か。なんだってんだよ)


 グレイは無意識のうちに右腕の腕輪を撫でた。金属であるように思われるが、熱を吸収しているのか、ほんのりと暖かみがある。

 森を抜けるとすぐに、旅人や商人用の簡素な小屋が建っているのが目に入り、グレイはエリィにそこで泊まることを提案した。エリィは寝ているロイから目を離さずに、わかった、と一言だけ告げた。

 ダグーを小屋の外にある木製の小さな馬小屋に詰め込むと、グレイはその目の前に大量の干し草を置いてやり、馬用の大きな桶になみなみと水を入れてやった。ダグーは感謝を告げるように太い声で一回鳴くと、目の前の食べ物をむさぼり始める。


(しっかしふしぎな動物だな……。こうしてたまーに食べ物を与えるだけで何日も動いてくれるんだもんな)

 ダグーの間抜けな顔が、その時のグレイには非常に神聖なものに思われた。

 馬小屋よりは少し造りの良い小屋の中には、ベッドが左右に一つずつ設置してあり、そのベッドの横でエリィが自分たちが持っている清潔なシーツを丁寧にかけている。

 戸が不気味な音たてながらゆっくりと開き、グレイが小屋の中へ入ってきた。エリィは手を止め、グレイの顔を心配そうな表情を浮かべながら見つめた。


「ねえグレイ、あの時のロイって、変だったよね。何て言うか、……すごく、こわかった」

 エリィは恐怖をおぼえた光景を思い出しているのか、堅く目を閉じている。

 グレイは少しの間、アンテに言われた言葉をエリィに言うべきか迷っていたが、やがて口をひらいた。


「ロイでもたまにはあんな時もあるさ。お年ごろってヤツだろ。俺も、なんかイライラしてあんなこと口走っちまったしな」

 そう言った直後、自分の言葉があまりにも薄っぺらく思え、グレイは後頭部をポリポリと爪でかいた。エリィはそっか、とポツリと言うと、無表情のまま作業を再開した。


「ロイを運んでくる」

 その空気に耐えられなくなったグレイはそう口にすると、薄暗くなってきた外へと出ていった。

 馬小屋の隣に置いたダグー車の中では、まだロイが横になって寝ていた。額には汗が溜まっていて、少し苦しそうな顔をしている。


(……なあロイ、俺たちは幼なじみで、親友だよな……? ケンカぐらい……)

 グレイは肺の中が空っぽになるぐらい大きく息を吐くと、ロイの膝の裏に左腕を、背中には右腕をそえて、一気にグイッと持ち上げた。ロイは細身なので、グレイは楽に運ぶことができた。


(これってお姫様だっこ、てヤツだな……)

 不意に自分の姿が滑稽に思われ、グレイは一人でニヤリと笑った。

 足で小屋の戸を開き中へ入ると、正面に灯された蝋燭が、部屋全体を明るくしていた。小さな小屋なので、蝋燭は一本で事足りたようである。


「あっ、そっちに寝かせてあげて」

 エリィは正面から見て右のベッドを指さした。グレイはその言葉に従い、真っ白な敷布の上にロイをゆっくりと丁寧におろした。


「今日は俺が外で見張っとくから、エリィは休めよ。疲れてんだろ?」

 グレイは戸に手をかける。ダグーや荷が猛獣や夜盗に襲われる可能性もあるため、誰かが外で見張りをする必要があった。


「うん、……ありがと」

 エリィはそう答えると、空いている方のベッドに体を横たえた。グレイはそれを見ると、ロイに目をやってから再び外へと出ていった。

 外は月明かりのおかげでかなり明るく、火も必要か微妙なところだった。


(そういや腹減ったな。なんか食うかな……)

 荷台に積んであった旅人用の布袋から少し硬めのパンを取り出し、グレイはそれにかぶりついた。朝にヨルゼンから渡された物なので、そのパンはまだ香ばしく、そしてほのかに甘かった。


(やっぱヨルゼンさんの料理、うめえな……。……ティアは、今日どんなことしてたのかな……)

 馬小屋の前の地面にどっかりと腰を下ろし、パンを頬張りながらグレイは今日別れたばかりの者たちを想った。

 夜も更け、虫が奏でる音色にも飽き始め、暇を持て余したグレイはダグーの体を丹念にブラッシングしてやっていた。黒くふわふわした体毛の奥から、この大きな体の動物の鼓動がしっかりと伝わってくる。ダグーはその場に座り込んだまま目を閉じて動かなかったが、どこか気持ちよさそうな顔をしていた。

 それも終わるとまた暇になり、グレイは傍らに置いてある剣をつかむと、満月の下で素振りをし始めた。素振りといっても単調なものではなく、様々な場面を想定しながらのものである。刃の部分に月光が当たり、ときどき闇を光が切り裂いていた。

 グレイが闘っている相手は、ナミジ村での兵士たち、闘技場の戦士、そして、ロイだった。やはりロイが最も手ごわく、グレイはある種の憧れの感情を抱いていた。

 時を忘れるほど熱中していると、突然小屋の戸が開く音がグレイの耳に入った。エリィが起きてきたのかと思い、額の汗をぬぐうと、グレイは顔を上げる。

 月明かり照らされたその顔は、アンテ以外で今日グレイの命を狙ってきた、ロイのものだった。ロイはわき腹を押さえながら、ふらふらとグレイに近づいてくる。グレイは無意識に剣を持つ右手に力を込めた。

 ロイはグレイの前で足をとめると、その目をジッと見つめた。森の方角から吹いてきた生ぬるい風が、ロイの長髪をやわらかく触っていく。

 奇妙な沈黙が、二人の間に流れていた。ロイから敵意は感じられないが、無表情でグレイに真っすぐ視線を浴びせていて、グレイもどうしたらよいか分からなかった。グレイは視線をそらすことを何となく嫌い、ロイから目を離さなかった。

 グレイは何か喋ろうとはしていた。ロイを心配する言葉が頭には浮かんでいたが、上下の唇が糊で貼り付けられたように動かなかった。


「ごめん……」

 その沈黙を破ったのはロイだった。しかし少し視線を落とし、次の言葉は続かなかった。

 再び、二人をずっしりと重たい空気が覆い始める。口を開くと、相手に悪態をつかれるんじゃないかという心配が二人の心の中にはあったのかもしれない。

 グレイは剣を鞘にしまうと、あぐらをかいてその場に座り、ロイにも座るよう目で促した。ロイはそれを感じとったのか、その場にゆっくりと座り込んだ。


「なあ、覚えてるか? 十歳の時にさ、エリィが探検に行きたいって言って、嫌がる俺たちを無理やり近くの森に連れていったこと」

 グレイはロイが座ったのを確認すると、そう切りだした。ロイは始め、何のことだか分からない、といった顔をしたが、頭の中からその記憶を引っ張り出すと、口をひらいた。


「……もちろん覚えてるよ。結局森から抜けられなくなって、帰る頃には真夜中。なんとか家にたどり着いたけど、親にあんなに怒られたのは、あの時が最初で最後だった……」


「迷ってたときのエリィ、笑えたよなあ! 涙と鼻水で顔ぐっしゃぐしゃにしながら、ごめん、ごめんって謝ってた!」

 グレイは話しながら自分の顔に笑みが浮かんでくるのを感じていた。


「自分から誘った手前、申し訳なかったんだろうね。……そういえば、あんなにブサイクなエリィの顔を見たのも、あれが初めてだったかも」

 ロイは腹の下あたりから、なにか暖かいものがこみ上がってくるのを感じていた。そしてそれと同時に、笑いの波が二人を襲っていく。

 二人は何かに取り憑かれたように、笑いこけ始めた。次から次に笑いがこみ上げてきて、勝手に口から外へと出ていった。

 疲れ果てるまで笑い続け、息も絶え絶えになってから、グレイは口をひらいた。


「ロイ、俺はお前が、幼なじみで、ライバルで、そんで親友だと思ってる」

 グレイは一度唾を飲み込むと、言葉を続けた。


「でも多分、親友だったら、ていうか親友だからこそ、ケンカってできると思う。いっつもお前は俺に遠慮してて、言いたいことがあっても我慢してたのは目に見えてた。俺はそれが嫌で嫌でたまらなかった。……てあれ? 俺なんの話しようとしてたっけ……。まあなんだ、これからは……、しっかりぶつかっていこうぜ!」

 グレイは照れ笑いを浮かべると、ロイに向かって右腕を差し出した。


「なんだよそれ……」

 ロイもふっと笑いを作ると、がっしりと握手を交わした。

 その夜は一睡もせず、二人は思い出話で盛り上がった。ナミジ村にいた頃の、無数の楽しい思い出を思い返しながら、飽きもせずに話し合い、満月の下で笑い合っていた。

 エリィは小屋の中で、笑みを浮かべたまま眠っていた。

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