十二戦目:決着、そして
会場は不気味なほど静まりかえっていた。観客は皆まばたきをするのも忘れて闘技場で闘っている二人に魅入っている。もはや声をあげる者は一人たりともおらず、その会場一帯には金属がぶつかり合う音だけが響いていた。
闘っている二人は無意識のまま武器を振るっていた。考えるより先に体が動いているという言い方が適切であるが、二人は決められた通りに踊っているかのように動き回っている。その姿に皆目を奪われたのである。
二人の体にはすでに無数の傷ができており、力が拮抗しているのが見てとれる。
ナミジ村での二人の勝負は、いつもロイが勝利していた。そしてロイは、グレイに知られないようにしながら毎回手を抜き、自分がぎりぎりで勝ったようにみせていた。というのも、根が優しい彼は、自分があっさり勝ってしまうとグレイが傷ついてしまうと思ったからである。だが、ロイはグレイに一度たりとも勝たせたことはなかった。
そして今回はロイに余裕は微塵もなく、一瞬の油断が即負けにつながる状況であった。
(グレイ、君に負けてしまったら僕は……)
その思いが頭をよぎった瞬間、ロイに大きな隙ができた。それを逃さずグレイは剣を振り上げ、ロイの左肩へ向けて踏み込みと同時に振り下ろした。
(もらった! ……!)
まさに肩に剣先が触れようとした時だった。その原因が汗なのか血なのかは不明だが、濡れていた地面にグレイは足をとられた。
バランスを崩したグレイの狙いはロイの肩を外れ、そのまま勢いあまった刃は地面に浅く刺さった。
その後ほんの一瞬だけだが、会場中の時間が止まったかのようだった。その中にはグレイも含まれていたが、ただ一人、ロイだけがを次の動きを再開していた。
ロイは戦いの最中とは思えないほど丁寧に槍を持ち上げ、グレイの心臓の位置にその穂先を突きつけた。グレイの喉がゴクリと鳴った。
「……まいった。また、俺の負けかよ……」
右手で掴んでいた剣をゆっくりと離し、グレイが軽い笑顔を作った。
「勝者、ロイ!」
会場が壊れんばかりの拍手が、後から後から聞こえ始めた。ロイはエリィたちがいる方に向かって小さく手を挙げた。彼はエリィが笑顔で拍手しているのをしっかりと確認することができた。
「これで僕の五百一戦五百一勝だよ」
くるりとグレイの方に顔を向けると、ロイは顔を少し曇らしたまま笑った。
(あぶなかったな……。グレイがあの時バランスを崩さなかったら……)
ロイの額に溜まった汗はひどく冷たいものだった。
「ヨルゼン、まずはおめでとう! さあ、お前の願いを言ってみろ」
ヨルゼンの要求に、闘技場全体は揺れた。ドノバンも意表をつかれたようだったが、自分が言い出した手前、言い逃れることはできないため、しぶしぶ奴隷解放を約束し、そして今後一切の人の売買を禁止することを会場で宣言した。ヨルゼンたちが立ち去ってから、会場では奴隷たちが歓喜の雄叫びをあげていた。その声を聞いて、ヨルゼンたちはにっこりとほほえんだ。
「皆さんありがとうございます。この街は少しずつですが、これから良い街になっていくでしょう」
ヨルゼンの家の居間で、彼は深々と頭を下げた。その行為には感謝以外のどの感情も含まれてはいない。
「いえ、僕たちも嬉しいです。……でもヨルゼンさん、奴隷の人たちが解放されても、はっきり言って暮らしていけないですよね?」
ロイが不安そうな表情を浮かべた。もっともだと思いながら、エリィもヨルゼンの次の言葉を待っている。
「ああ、そのことなら心配にはおよびません。わたしが経営している工場や農場で働いてもらおうと思っています。もちろん、住む場所もすでに作っていますよ。いやらしい話ですが、時間とお金だけは誰よりもありましたから……」
ヨルゼンは恥ずかしそうに頭をかき、ティアが安心したようにホッと胸をなで下ろした。
「……? あのくせ毛はどこ?」
ティアがキョロキョロと周りを見渡す。それにつられて他の三人も視線を散らすが、その部屋にグレイはいないようだった。家の中もくまなく探したが、彼の姿はどこにもなかった。誰もいつからグレイいないのか記憶にはない。
自分が探してくると言って、エリィは外へと飛び出していった。ティアとロイもそれに続いて行こうとしたが、エリィのあまりの速さになんとなく行きづらくなったため、家に残ることにした。
グレイは一人公園の椅子に座ってうなだれていた。
「五百一回目の負け、か……」
グレイは大きく息を吸い込み、肺が空っぽになるぐらい吐いた。あの時滑らなければ、そんな思いだけがずっと頭の中をかき回していた。
その時後ろからグレイをぽんと肩を叩く者があった。エリィだ。彼女はそのままグレイの右横に腰をおろした。グレイの体を心地の良い花の匂いが包み込んだ。
「もしかしてショック受けてんの? アンタらしくもない」
エリィはそう言いながら今度は背中をバンバンと強めに叩いた。
「だってよお、同じやつに五百一回も負けたんだぜ? そりゃへこみもするよ。どうせ俺なんて、ゴミくずと同じ価値だよ……」
「五百回も五百一回も同じじゃない。それに勝ちたいなら、ロイより強くなればいい、それだけでしょ? しょぼくれてる暇なんてないはずよ」
エリィはグレイの顔を覗き込んだ。グレイは目頭がカッと熱くなるのを感じ、慌ててあさっての方向に顔を向けた。
「なーにグレイ、泣いてんの?」
「いきなり優しくすんなよ。なんか変な感じになっちゃうだろ……」
グレイは手のひらでグイッと目元を拭った。再び握った手の中には、じんわりと温度が伝わる液体が確かに存在している。普段はなにかとグレイに対してうるさいエリィだが、この時ばかりは彼にとってそれは心底ありがたいものだった。
エリィはもう一度グレイの背中を叩いた。一度目とは違い、優しく。その手から伝わる太陽のような暖かさが、グレイの心の中にゆっくりと滑り込んでくる。
エリィの言葉は少しだったが、グレイが癒されたのは、それ以外のなにかを感じとったからだった。
二人は並んでヨルゼンの家へ戻っていった。夕陽が西へ徐々に沈んでいくのが、やけに寂しくみえる。
その日の夕食は、エリィとティアが腕をふるった。といっても、それまで料理とは無縁だったティアが上手にできるわけはなかったが、エリィにあれこれと聞きながらたどたどしい手つきで包丁を扱っていた。
エリィの料理の腕はたいしたもので、次々に作られてくる色とりどりの料理を、グレイとロイは必死になってほおばっている。
大会前日などは質素な食事だったが、その日は非常に豪華なものだった。四人がワイワイと騒ぎながら食事をしている部屋で、ヨルゼンは終始笑顔を絶やさなかった。
食事も終わり、ヨルゼンが煎れた香りの良いお茶をすすると、四人はホッと息をついた。
そしてグレイが明日出発しようと思っている旨をヨルゼンに伝えた矢先、突然ティアが口を開いた。
「……オレ、ここに残ろうと思うんだ。だから、一緒には行けない」
グレイたちは驚いてティアの方を反射的に向いた。ヨルゼンに前々から話はしていたようで、彼には驚いた様子がうかがえない。
「……ここに、居場所を見つけたってことか?」
グレイは無表情のままティアを見つめ、ティアはそれに答えるようにじっと見つめ返した。
「ずっと考えてた……自分に何ができるのかって。その答えが、もう少しでみつかる気がするんだ。だから……」
グレイは表情を崩して笑っていて、妹のような存在だったティアがいなくなるのが寂しいのか、エリィは目を赤くしている。
言葉に詰まったティアは、皆に向けて笑ってみせた。それは今までのどんな言葉よりも、ティアの心を映し出していた。