九戦目:‘黄金の街’アルガー
一ナット……約0・八グラム
ティアは夜が大嫌いだった。独りで目を閉じていると、どうしようもない寂しさがどこからか無限にわき出てきて、自分の体中をそれで満たされていく感覚があった。それに耐えきれなくなって目を開けると、高いところから月が自分を見下しているのがいつも目に入る。お前はなんて孤独でちっぽけな存在なのだ、と月が自分に冷ややかな目を浴びせる。そう言われると、その後どうしていいか分からず、月から目をそらして朝までぶるぶると子犬のようにふるえているしかなかった。だから夜は嫌いだった。でも今は、夜も好きになりかけていた。
「……ア、ティア! 起きろ! 着いたぞ!」
ティアが重たい瞼を開くと、癖っ毛の黒髪が目の前にあった。そして彼女は目をゴシゴシと右手でこすると、なんとも無邪気な声を出した。
「着いたって、どこに?」
「アルガーだよ! 見てみろよ! すっげえぞ!」
そう言うとグレイは風のように車から降りていった。ティアは少しの間ボーっとしていたが、またグレイの大声が聞こえてきたので、鈍い動きで車を降りた。
門の外でダグーを預け、四人は大きな鉄製の門をくぐった。すると思わずティアは息をのんだ。整備された広い道には白い直方体の石が敷き詰められていて、その道の両脇には大きく豪華な建物が並び立ち、四人を出迎えているかのようだった。一軒として粗末な造りの建物はない。純白の壁は住む者の懐の暖かさを表しているかのようだ。職人が技術の粋を集めたのだろう、家の外に見える柱は精巧に作られた神聖な生き物の像が輝きながら付いており、その見事な建築物をさらに際立たせている。
行き交う人びとも、見事な建築物に負けず劣らずの豪華な衣装で、赤や金色などの派手な衣服を身に纏っている。金持ちを絵に描いたような姿だと、四人は素直に感じた。
「この街は見ての通り、お金持ちたちの街だよ。でも……」
ロイが下をうつむく。
「ちょっと待って……!」
エリィが指を指した方向には一人の男性が家族連れで歩いている。見たところただの幸せそうな家族であるが、その男性の半袖からは左腕が出ていない。
よく見ると、その街ではおかしな人物たちが数多くいる。足が片方ない者、耳がない者、目が潰れている者、そんな者たちが街中を派手な格好で歩いている。
「戦場で傷を負うことは帝国では名誉なことだとされているんだ。戦場で重傷を負って兵士を辞めた人たちとその家族は税を払わなくてもいいし、毎月国から多額のお金が貰えるらしい。だからなかには自分で腕とかを切断する人もいるとか……」
ロイはぶるっと身震いした。
「じゃあお前が言った、あまり良い所じゃないってのはそのことなのか?」
グレイがその言葉を出すと、ロイは顔をしかめ、前方を指さした。
ロイに注目していたグレイがその指の先を見ると、十歳ぐらいのガリガリにやせ細った子どもが、鉄製の首輪を巻き付けながら足を引きずって歩いていた。着ているものも服とは呼べるような代物ではなく、穴あきの布をただ被っているという感じで、髪は無造作にに伸びていて、目から生気は感じられなかった。
「非道い……」
エリィが両手で顔を覆い、ティアは悲しそうにうつむいた。
「……ここでは奴隷制が黙認されているんだよ。戦場で捕虜になった者もいれば、人さらいの被害に遭った者もいる。ここの連中はお金を湯水のように使うからね。国にとってはお金を回収できるチャンスなんだ。だから……」
ロイはギュッと拳を握った。爪が手のひらに深くくい込んだのか、右手から血がひと粒地面に落ちて鮮やかな模様を作った。
四人が奥へと進んでいくと、一段と大きな建物が見えてきた。多くの人が嬉しそうにその中へ入っていき、多くの人が嬉しそうに外へ出てくる。看板には大きく賭場と書かれている。
「ここは国が直営していて、儲けは国民や戦争のために使われたりしているんだ。賭け事は結局店側が儲けるようになっているからね。まあ所詮道楽だよ、ここの連中にとってみればね」
グレイの提案で四人は賭場には入らず、市場に向かうことにした。ティアが黒ずくめの男から前金を貰っていたため、少しはお金がある。
市場も人で溢れかえっていて、活気と熱気に満ちた場所であった。嬉しそうに歩く人びとの傍らには必ずと言っていいほど奴隷がいて、大きな荷物を抱えながら黙々と運んでいる。
グレイは店頭に並んでいる大きな保存肉を見てから、その値札を見た。
「百ナットで五百ガリン? おいオッサン、ぼってんじゃねえのか?」
グレイは店のカウンターに両手を荒々しく叩きつけた。グレイが驚いたのも無理はなく、五百ガリンあれば普通の村や街では一、二週間は暮らせる。
店の主人はのそりと動き、グレイの格好をじろりと見ると、口を開いた。
「アンタ見たところこの街のモンじゃあないな? この街の人間にとっちゃ、この値段は普通だよ。貧乏人はさっさと失せな」
そういうと店の主人はまるで猫でも追い払うかのように、あっちへ行け、と手で言葉を発した。四人はしぶしぶ市場を離れ、これからどうするか決めるためにひとまず近くの公園に向かった。
建物や人ばかりだった街中とは違い、公園には緑が見られた。大きな木が数本植えてある以外にも花壇が設置されており、色とりどりの花がきれいに並べてあった。その前には白いベンチもあり、エリィとティアがそれに座り、グレイとロイはその前の白い石床にどっかりと座り込んだ。公園にはほとんど人がおらず、ゆっくり話し合うには最適だった。
「それにしてもあんなに物価が高いとは予想外だな。……地道に働くってのもめんどくさいしなあ……。おいロイ、どうする?」
グレイは腕を組んだままロイに顔を向けた。ロイは目を閉じたまま動かない。ロイが考え事をし始めるとこうなってしまうことは、グレイとエリィにはよく分かっていた。
「おいロイ! 聞いてんのか?」
グレイがロイの頭をポンポンとたたくと、ロイの目はカッと開かれた。
「あ、ゴメン。ええと、何?」
「まーた難しいこと考えてたんだろ? 察するに、奴隷たちのことか?」
「うん、なんとかならないかなあって……」
ロイは自分の膝に手をあてて人差し指でとんとんと叩いている。
「気持ちは分かるけどよ、俺らができることは何もないぞ? 繋がれた人たちを解放していっても、根本的には何の解決にもなんねえ。また新しいやつが捕らえられてきて、奴隷にされるだけだ。それに……」
「もういい!」
グレイとロイが声の出どころを探すと、それはすぐに見てとれた。ティアだった。肩を震わせ、額には脂汗を浮かべ、目には涙がたまっている。
「もうその話はいいから、どうするか決めようよ」
「……でも……、いや、ごめん。それで、どうしよっか」
さらに続けようとしたロイをエリィが眼で制止した。エリィは震えるティアの肩にそっと手を乗せた。それを見ていたグレイも決まりが悪くなったためまごついたが、すぐさま気持ちを切り替えて口を開いた。
「そうだ! エリィの体を使おう! 一揉み五百ガリンで! すぐに路銀は貯まる……」
言い終わらぬうちにエリィのビンタが飛んできた。火に入れられた竹が弾けたような乾いた快音が響き渡った。一瞬で赤くなった右頬をさすりながら、グレイは再び口を開いた。
「んだよ! じゃあ……」
またも言い終わらぬうちにエリィの雷のようなビンタが、今度はグレイの左頬にたたき込まれた。
「却下!」
エリィは立ち上がり、腕を組んだまま怒りの眼をグレイに向けた。
その光景のあと、一番始めに異変が見られたのはロイだ。こわばった顔にみるみるうちに笑みが浮かんでいき、いつものさわやかな笑顔を浮かべ始めた。
ティアも涙を人差し指で拭うと、口の両端を上に向けた。目もどんどん細くなり、最後には耐えきれなくなって笑い声も生まれた。純粋無垢なその笑顔を見ると、グレイも自分の頬の痛さを忘れた。
グレイとエリィとの絶妙な掛け合いも、厳しい旅のせいか非常に久しぶりに感じられ、四人の心を望郷の念のような感情が満たした。
「ありがとう、グレイ。そしてここからは真面目な話だけど、やっぱりお金に関しては、言い方が悪いけど、財布となってくれる人を探そう。もちろん騙すわけじゃないし、簡単な事じゃないけど、時間も無いしそれしかないと思うんだ」
ロイがそう言うと、グレイは頷いて賛成の意を表した。
途端にグレイとロイは後方から何かが近づいて来たのを感じ、二人はゆっくりと振り返った。
その正体は右足と左腕がない年老いた男性だった。顔には多くのシワがあり、髪も真っ白だったが、顔に似合わない鍛えられた筋肉が、その地味なローブの下にうかがえた。その老人は右腕に松葉杖を持ちながら、四人をじっくりと見た後、朗らかな顔でにっこりと微笑んだ。