家族という形
小狐たちが調えてくれた食卓に、先輩四人と並んでつく。以前、桜司と二人でついたテーブルとは別で、こちらは桐斗たちが出入りするようになってから設置したらしい。いつかこうなるときが来ると踏んで、桜のテーブルと椅子のセットを作成させたという話をしたとき、桐斗は頬を染めて喜んだ。
一番扉に近い椅子に桐斗が座り、その隣に千鶴が、更にその隣に桜司が座る。桐斗の正面に柳雨が座り、桜司の正面に伊月が着いた。空白の席には川魚や山菜、野菜などの天ぷらが宴の席のように盛り付けられており、千鶴は改めて小狐たちにお礼を言おうと思った。
「すごいねー」
「龍神川、養殖場かなにかだったか?」
天ぷらの他には千鶴が頼んだ鮎の塩焼きと茶碗蒸し、大豆とひじきの煮物、香の物に夏野菜の揚げ浸しにおあげとネギの味噌汁が並んでいる。湯飲みに熱いお茶、グラスに麦茶がそれぞれ入れられており、麦茶はお代わり用のポットも置かれている。
「冷める前に頂くとするか」
「うんっ、食べよ食べよ! 頂きまーす」
「頂きます」
元気よく桐斗が手を合わせて言うと、皆もそれぞれ手を合わせて食べ始めた。
千鶴はまず味噌汁を一口啜った。出汁と味噌とおあげの甘さが口の中で溶け合って、喉を通すと空調に慣れた体の中心が温まるのを感じた。無意識のうちに、ほうっと息が漏れる。炊きたての白米も湯気の香りから既に甘く、噛みしめる度に幸福感が染み入る心地だった。清流で育った鮎は小狐たちの手によって程よい塩気を帯び、箸を入れると皮がパリッと軽い音を立てる。
「おチビちゃん、天ぷら取ってやるよ。どれがいい?」
「ありがとうございます。じゃあ……紫蘇とお茄子ください」
「あいよ」
取り皿に分けてもらった天ぷらを、紫蘇はそのまま、茄子は大根おろしを少し載せた天つゆにつけて頂いた。千鶴の手のひらほどある紫蘇はとても香りが強く、衣の食感が楽しい。サクサクと小気味良い音を立てて食べ進めるうち、自然と頬が緩んでしまう。茄子は先を天つゆに浸して染みたところを思い切り齧り付くと、茄子の甘さと天つゆの風味が口いっぱいに広がるのを感じた。
「はぁ……美味しい……」
一通り箸を付け、お茶を一口飲むと、千鶴は溜息交じりに零した。ひとり丼サイズの茶碗でご飯を食べていた柳雨が、それを見て目を細める。
「おチビちゃん、相変わらず何でも美味そうに食うよな」
「ねー、小狐ちゃんたちに見せてあげたいくらい」
久々に受けた「美味しそうに食べる」という評価に、千鶴は頬を染めて眉を下げた。褒められているということは理解しているが、それでも照れくさい。
「だって、どれもほんとに美味しいんですもん……」
「わかるー。僕もお魚大好きだし」
うんうんと頷き千鶴に同意している桐斗は、鮎を頭から骨ごと食べきっていた。皿の上には尻尾の破片すら残っていない。
「柳雨、僕にも天ぷらちょーだい。お魚ー」
「はいはい、どーぞ」
川魚の天ぷらを二つ取り分けてもらった桐斗は、千鶴に劣らぬ満面の笑みで口に含みしあわせそうに堪能している。
テーブルの上が大凡綺麗になってきた頃、桐斗は千鶴の腕をつんつんつついた。
「ねえねえ、明日の鬼灯祭、千鶴はおーじと回るんでしょ?」
「はい、そのつもりです」
「僕らもその辺ぶらついてるから、会ったら遊ぼーね」
「はい、ぜひ」
当たり前のように頷いてから、ふと。
「青龍先輩も、赤猫先輩と一緒ですか?」
「いや、俺は……」
「いーじゃん、伊月も僕らと一緒に回ろうよ」
「……わかった」
毎年、伊月は祭のあいだずっと自身の社で過ごしていた。青龍神社には人が来ない。祭の喧騒も灯りも遠く、暗く、ひたすらに静かな時間が流れる場所だ。今年もこれまで同様にひとりで過ごすつもりでいたが、気付けば桐斗の誘いに頷いていた。
「ご馳走様でした!」
すっかり空になった皿の群を前に手を合わせて言うと、桐斗たちは席を立った。その椅子の音で気付いたらしき小狐たちが、台所と繋がっている食堂の扉から声をかけた。
「失礼いたします」
「お皿はそのままで構いませぬゆえ、どうぞおくつろぎください」
「お片付けも任せちゃっていいの?」
「あい、皆さまはぬしさまの大切なお客様でございますゆえ」
「我々にお任せくださいませ。ご入り用のものがございましたら、何なりと」
小さい体で目一杯見上げながら、薊と葵が交互に話す。千鶴も食後の片付けくらいは手伝おうかと思ったが、この様子では却って気を遣わせてしまいそうだ。
「今日のご飯も凄く美味しかった。ありがとう」
ならばと言いたかったお礼の言葉を伝えると、小狐たちは頬を両手で包み、全く同じ仕草と表情で「勿体ないお言葉にございます」と声を揃えた。
居間へ戻ると、ソファに腰掛けた千鶴の膝に猫の姿になった桐斗が飛び乗り、小さく丸まった。余程気に入ったのか、早速喉を鳴らして寛いでいる。
柳雨は大量に持ち込んだゲームの中から別のゲームを取り出してセットし、昼間より音量を低くして遊び始めた。伊月も昼間と同様に、千鶴の正面、柳雨の左側のソファに座って本を読んでいる。
「此奴、今宵はお主の布団に潜り込んでくるであろうな……」
「随分アンバランスな川の字ですね」
くすくす笑いながら千鶴が言うと、桜司は一瞬目を瞠ってから、ふっと笑った。最早千鶴の中では、桜司と寝床を共にすることが日常となっているのだ。
「お主が構わぬのであれば、時折そうしてやれ」
「はい、わたしは全然……動物も先輩も好きですし」
「其奴は人の手を知らぬままに世を去った魂であるゆえに、人の手にしか癒やせぬものだからな」
「……はい」
いつの間にか眠っていた桐斗の背を、優しく撫でる。
いつも明るく、出会った当初から千鶴に寄り添ってくれていた彼の心に、想像し難い傷があったことを知った。その恩返しが少しでも出来るのであれば、千鶴は桐斗が望む限りこうしていたいと思った。
桐斗を撫でる千鶴の肩を桜司がそっと抱き寄せ、髪に口づけをする。肩を抱いたまま前を向くと、どちらということもなく目をやりながら口を開いた。
「お主ら、帰る気がないなら夜が更ける前に風呂くらいは入れ」
「おう。じゃあ、次のセーブ行ったら子猫ちゃんつれて入るわ」
「人の子のようなことを言いおって……」
ゲーム画面に視線を向けたまま投げ返された答えに、桜司が呆れて呟く。
「……なら、先にもらう」
「あいよ」
本を閉じ、伊月が立ち上がる。そのままソファの後ろを通り抜けて桜司と千鶴が肩を並べて座っているところまでくると、千鶴の頭を通りすがりにひと撫でしていった。
「人の嫁を行き掛けの駄賃かなにかのように……」
「あはは……丁度いい位置にあったんでしょうか」
ふと、桜司は千鶴の首元に目を留めた。そこには、伊月からもらった赤い石のついたペンダントがかかっている。
「律儀だな、お主も」
「?……あ、これですか? ずっとつけているように言われたもので……先輩が嫌なら外しましょうか」
「いや、いい。あれはあれで案じているのであろうし、悔しいが我もお主に二十四時間張り付いていられるわけではないからな」
「わかりました。でも、本当に嫌なことは言ってくださいね」
「ああ」
それは此方の台詞だと、喉まで出かかったのをすんでのところで飲み込んだ。千鶴は桜司のすることも言うことも拒絶しないし、否定もしない。
しあわせそうに目を細めて、喉を鳴らしながら眠る桐斗を撫でる千鶴を抱き寄せて、振り向いた頬に唇を寄せた。擽ったそうに笑う千鶴を抱きしめていると、風呂上がりの伊月が着流し姿で戻ってきた。その手には戻るついでに台所に寄ったのか、酒の入った徳利と猪口がぶら下がっている。
「また貴様は勝手に」
「元を辿れば俺の水だ」
「……すげぇ暴論を聞いた」
桜司と伊月のやりとりを聞いていた柳雨が、ゲームを片付けながら呟いた。鬼灯町の水を使って造られた地酒は、確かに元を辿れば龍神川の水なので正しくはあるのだが。
片付けを終えるとソファには座り直さず、千鶴の前までやってきて正面にしゃがんで眠る桐斗の頭を指先で撫でた。
「爆睡してんな」
「そうですね。随分気に入ってくれたみたいで……」
「でも、いま寝ると夜に眠れなくなるし、風呂もまだだから悪いけど」
そう言って柳雨は、ひょいっと桐斗を抱え上げた。千鶴の膝から離れた桐斗が眠たい目を瞬かせ、ややあって現在地に気付いたらしく柳雨に文句を呟いている。その内容は千鶴にはわからなかったが、柳雨も柳雨で、聞いているのかいないのかよくわからない反応をしている。
やがて、柳雨は「風呂から出たらおチビちゃんに返してやるからな」と宥めながら、猫のままの桐斗を浴室へと担ぎ込んで行ってしまった。
「赤猫先輩、あのままお風呂入るんでしょうか……?」
「あれは全部彼奴に洗わせる気だな」
「なるほど……」
ふたりを見送った視線を前に戻すと、手酌で一人晩酌をしている伊月と目が合った。一応とはいえ高校生として生活しているはずなのに、なぜか不思議と違和感がない。
「……? お前も飲みたいのか?」
「!? い、いえ、違いますっ」
思い切り首を振り、伊月から目を逸らす。横から「未成年に酒を勧めるな」という、至極真っ当な溜息交じりの呟きが聞こえたが、当の伊月はなにがいけないのかわかっていない顔をしている。
「十五には、なったのだろう」
「はい、一応、次の八月には十六になります」
「なら、問題ないのではないか……?」
「えっ」
驚く千鶴の頭に手を乗せ、そのまま桜司が腹の底からなにもかもを吐き出すかの如く深い深い溜息を吐いた。
「現行の法律では、成人は二十歳と決められて居るのだ、くそたわけが」
「…………いつの間に」
いつもの無表情で、真面目ぶった顔で呟く伊月は、とても冗談を言っているふうには見えない。実際、伊月自身も冗談のつもりで言ってはおらず、いま初めて衝撃の事実を聞かされたと顔に書かれている。
「我が言えたことではないが、少しは俗世に関心を持て」
「……善処する」
街が近く、参拝客もそれなりに来る桜司の社と違い、伊月の社は山の中にあって祭の夜に神職の人間が奉納品を持ってくるときにしか人が来ない。もしやその差だろうかと思ったが、それにしてもいつの時代で知識が止まっているのやら知れたものではない。
「そういえば、お主の誕生日が近いのだな。いつだ?」
「来月の十五日です」
「そうか。なにかほしいものはあるか?」
「えっ、そんな……先輩にはたくさん頂いているので、これ以上は……」
予想通りの答えに、桜司は苦笑して千鶴を撫でた。何でもいいも困るがなにもないと言われるのもなかなかに困るもので。桜司は千鶴をひたすら撫で回しながらなにがいいだろうかと考え込んだ。
くしゃくしゃにされながら、千鶴は既にしあわせな気持ちでいっぱいだった。自分の誕生日を誰かに気にかけられたのは、人生で初めてだったから。だから既に、一年分の贈り物をもらったような気持ちでいた。
そんなふうに思っていることなどつゆ知らず、桜司と、それからちゃっかりふたりの会話を聞いていた伊月、風呂から戻って部屋に入るところだった柳雨と桐斗は、来月の十五日はどうやって祝おうかと思案していた。




