三つ子の魂
「今日は泊まり込みになりそうだな……どうすっか……」
点灯したままの手術室の扉を見ながら、伊織が呟く。幸いにして明日は休日だ。気を揉みながら授業を受ける羽目にならなかったことだけは、良かったと言える。
「そうだ、千鶴。お前確か一人暮らししてるって言ってたよな」
最早ただの紙くずと化した紙コップを屑籠に捨てると、伊織は千鶴たちのほうを振り向いた。
「え、うん、親はどっちも海外出張でいないからね」
月単位、年単位の海外出張を「暫く帰れない」と表現し、戻ったと思えば引っ越しをすると言い出す両親にも慣れたもので、家に一人でいることが当たり前過ぎてうっかり意識の外へ追いやっていた千鶴は、いま思い出したような顔で頷いた。
「それは初耳だわ。……まあいいや。なら門限とかもないよな」
「そうだね……遅くなって心配する人もいないし」
千鶴が答えると、伊織は顔の前で両手を合わせてから千鶴の両肩に手を置いた。
「悪い! 俺ここから離れられねえからさ、代わりに家見てきてくれねえかな」
「えぇ!? えっと、どういうこと?」
チラリと、伊織は壁掛け時計を見る。時刻は午後六時を回っており、間もなく夕陽が沈む時間帯となる。
「真莉愛はもう帰らねえとだし、今日は泊まりになりそうだから着替えとか持ってきてほしくてさ。ついでにそのとき家の時計も見てほしいんだ」
「時計って、あの時計だよね……?」
伊織は頷く。
着替えを届けるのは構わないが、真莉愛のような目を持っているわけでもない自分が時計を見たところで、果たしてなにになるのかと過ぎる。が、友人の頼みを無下に断ることも出来ない。
「でもわたし、別に霊感とかないよ……? ちょっと、なんて言うか、そういう事件に巻き込まれやすいだけで……」
「いいんだ。ただの俺の気休めだと思ってくれれば」
「それなら……」
千鶴も壁の時計を見た。戻ってくるのは七時を過ぎそうだが、いまの季節なら冬ほど暗くはならないだろう。千鶴は伊織から合鍵を受け取ると、ポケットにしまった。
「じゃあ、行ってくるね」
「ごめんなさい、まりあはこのまま帰ります」
「ああ、ありがとう。真莉愛は気をつけて帰れよ」
「はい。またなにかあったら呼んでください」
改めて礼を言い、伊織は二人を見送った。
病院をあとにした二人は、並んで歩きながら先ほどの話を思い返していた。
「まりあは、伊織のお家がとても大きいことは、前から知っていました。そして、そのことをあまりひとに話したがらないことも……」
そっと、真莉愛は千鶴の手を取った。白く細い指先が千鶴の指を絡め取り、きゅっと握られる。所謂恋人繋ぎという形のまま、二人は歩き続けた。
「伊織、言っていました。家が大きいと、それ目当てで寄ってくる人間が増えるって。だからお家の話はしたくないのだそうです。まりあが知っていたのは、まりあのお家も伊織と同じくらい大きいからというだけです」
「じゃあわたしは、少しは信用してもらえたってことかな」
「そうですね。まりあも詳しいことは知りませんでしたから、きっとまりあも千鶴も、伊織のお友達として、認めてもらえたのだと思います」
いつもの分かれ道を、今日は並んで同じ方向へ進む。真莉愛の家は、伊織の家の更に先にある。伊織の家と千鶴の家は近いが、学校からの道だと少し行き方が変わるため、遠回りになるのだ。
「伊織のおうちは怖いところではないので大丈夫です。でも、夜にお外を歩くのは心配ですので、誰かについてもらってください」
「うーん……わたしもそうしたいんだけど、先輩の連絡先聞いてないんだよね」
「そうなのですか?」
千鶴は頷くと、そういえばと自分でも思い返した。
二ヶ月ほどの付き合いはあるが、部室に行けば会えた上に、休日に会うようなこともいまのところない。千鶴自身もそこまでメールや電話で交流するタイプではないため、端末内にある友人以外のアドレスは、緊急連絡先である母親のものだけだ。
「どうしましょう……千鶴も心配です……」
「大丈夫、病院までそんなに遠くないし、七時台ならバスもまだあるから」
「そう、ですね。まりあが心配しすぎるのも良くないです」
「ううん、ありがとう。真莉愛ちゃんも気をつけて」
分かれ道で互いに「また明日」と言って、別々の方向へ歩き出す。真莉愛の行く先をふと見れば、鬼灯町には珍しい洋館が見えた。
「そういえば、真莉愛ちゃんのおうちもなかなか不思議なんだよね……」
稀に神様の花嫁になる運命を持った子供が生まれることがあるという、物語の世界のような話を思い出す。真莉愛が時折予知のような行動を取るのも、霊感のような能力があるのも恐らくそこに関連しているのだろう。妹の英玲奈も真莉愛に似た目を持って、真莉愛を助けていた。それらを「そういうもの」と流している両親も、全くそういった感覚に無縁ながら彼女たちの言葉を否定せずに受け入れている長兄も、千鶴にとっては新鮮だった。
「……不思議、だったなぁ……」
十五年ほどの人生でこれほど誰かと親しく付き合ったことがなかった千鶴にとって、友人の家に招かれるという普通の子供には然程特別でもない出来事も、一大イベントのように感じられた。それどころかいまは、合鍵を託されているのだ。十五年分の無縁を精算する縁の山が一気に押し寄せてきているのではとすら思う。
「えっと……あった。ほんとに一目でわかるおうちだ……」
道なりに歩いて行くと、すぐに見てわかる立派な門構えが見えた。前に立つと圧力を感じるほど見事な門をくぐり、恐る恐る中へ足を踏み入れていく。
鍵を差し込んで回し、カラカラと音を立てて引き戸を開ける。と、奥からパタパタと軽快な足音が近付いてくるのが聞こえた。
「あら、伊織坊ちゃまかと思いましたが……どちら様?」
奥から現れたのは、千鶴と同じくらいの身長で少し恰幅の良い中年女性だった。
「あ……あの、わたし、伊織くんの友人で四季宮千鶴といいます。伊織くんに頼まれて着替えを取りに来ました」
「まあまあ、わざわざごめんなさいね。私に連絡くだされば持っていきましたのに」
どうぞ、と促され、千鶴は靴を脱いで上がった。
女性に先導されながら奥へ向かう途中、ふと気付く。
「あれ……? お母さんはお仕事だって聞いていたんですけど……」
「ええ、奥様はお仕事でいらっしゃいます。私はただの家政婦ですよ」
「えっ」
あまりに縁のない言葉に一度は驚いたものの、言われてみれば、最初に伊織のことをぼっちゃまと呼んでいた。
通されたのは、広い畳敷きの部屋だった。作りと壁に掛けられた大時計からしてこの部屋が居間だろう。
「こちらでお待ちくださいな。いまお茶をお出ししますからね」
「いえ、そんな……すぐ届けに行きますので」
「良いのですよ、坊ちゃまのお友達にお茶も出さなかったなんて知れたら私が叱られてしまいますもの。もちろん、あなたのこともちゃんと送り届けますよ」
そういうと、千鶴がこれ以上遠慮してなにか言う前に台所へ下がっていった。
一人取り残された千鶴は、仕方なくもう一つの頼まれ事をこなすことにした。幸いにしてここは目的地、目の前に件の大時計がある。
「……止まってる以外、特に変わりないような……?」
千鶴が首を傾げながら大時計を見上げていると、視界の端に赤いものが映った。
「えっ」
家政婦さんが戻ったのかと思って目をやれば、そこには赤い着物を着た六歳くらいの女の子が、千鶴と同じように神妙な顔で大時計を見上げていた。
「あなたは、伊織くんの妹さん……?」
女の子に声をかけると、おかっぱ頭が千鶴を振り向いて首を横に振った。
『うちは伊織よりずっと長くここにおるき、うちのがお兄さんじゃ』
女の子はそういうと、ふんと胸を張って見せた。
それだけでなにかと察してしまい、千鶴は「そっか」と答えた。格好は女の子だが、確かにお兄さんと言った。伊織とは逆の事情があるのか、それとも桐斗のような趣味でそうしているのかはともかく、彼女―――いや、彼はお兄さんなのだ。
「じゃあ、いま病院にいるお爺さまより長くいるの?」
『……まあ、ほうじゃな。けんどあれはいかん。菊にぃが体はって知らせてもなーんも気付かん。とんだいごっそうやき、しゅじゅちゅしてもこりんじゃろうにゃあ』
手術が言えていなかったことには、取り敢えず気付かなかったことにして。千鶴は、言葉の流れからだいたいの事情をくみ取った。
「なにか危険があって知らせようとがんばったけれど気付いてもらえなくて、最終的にそのひと? が、すっごくがんばって伝えたってこと、か……」
そう言って時計を見る。倣って着物の子も時計を見た。
『人も物も、ほんとに壊れてしまってからじゃあ遅いがよ。うち一人の力じゃどうにもならんことはあるき、せめて誰かうちらの声が届く人が……って、おるやか!!』
「え、う、うん……聞こえてる、よ……?」
バッと勢いよく振り向かれ、千鶴は驚きながらも頷いた。
着物の子は、ぱあっと表情を輝かせると千鶴の手を取り真っ直ぐ見上げてきた。
『おまさん千鶴いうたな! 明日もまたうちに来とうせ! 千鶴を見込んでたのみたいことがあるがじゃ』
「えっと、伊織くんやお家の人がいいって言えばだけど……」
『それなら心配いらんちや。うちがどうにかするきに。あ、うちの名前はアヤメじゃ。五月生まれやき、菖蒲の名前をもろうたがじゃ』
何故か得意げに言い切られ、千鶴は圧されるように頷いた。
そこへ家政婦の女性がお茶を手に、肘には鞄を下げつつ居間に戻ってきた。
「その時計、大旦那様ご自慢の品なんだそうですよ。何でも、大旦那様のお父様が町で一番の職人に特注で作らせたとかで」
言いながら座卓にお茶を置く。
懐かしそうな目で時計を見上げ、そして千鶴に鞄を差し出した。
「運転手に病院とご自宅へお送りするよう告げてありますので、どうぞ。坊ちゃまにも連絡してありますから、少しくらい休んで行かれても大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。頂きます」
お茶を頂きながら、時計を見る。
針は、零時を綺麗に指したまま、僅かも動いていない。




