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鬼灯町の百鬼夜行◆祭  作者: 宵宮祀花
【陸ノ幕】おじいさんの時計
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知らぬが仏

 やがて、前方に病院の正面入口が見えてきた。


「あ……思わず来ちゃったけど、わたしたち家族じゃないから病室までは行けないかも知れないね。普通の面会時間もそろそろ終わるし」

「そうですね……総合受付前なら皆が通りますし、だめならそこで待ちましょう」


 などと話しながら救急外来入口から病院に入る。午後は手術や検査、救急医療中心となっていて外来の受付がないためか閑散としており、二人は通りかかった女性看護師に呼び止められた。


「どうされました? 救急外来ならあちらの受付ですよ」

「いえ、あの……友人が、大御門くんが、家族が倒れたと聞いてこちらに来ていて……学校に鞄を置いたまま行ってしまったので、届けに来ました」


 看護師は暫く考える風にしてから、ああと声を上げた。


「大御門さんのところの……いまは手術中なので本来でしたらご家族の方以外はご案内出来ないのですが、お荷物を届けるくらいなら大丈夫ですよ。ただ、他のご家族の方もいらっしゃると思うので、あまり刺激しないようお願いしますね」

「わかりました。届けたらわたしたちはすぐ帰ります」


 看護師に、奥の階段を上って床や壁の案内に従いE棟を目指せばすぐわかるところに手術室と待機スペースがあると教えてもらい、千鶴と真莉愛は揃って案内を見つつ奥を目指した。診療時間外の病院は静かで、仕事で行き交う人の気配が目立つ。

 二人分の足音がやけに響いて聞こえる中進んで行くと、奥の休憩スペースに見覚えのある制服姿を見つけて、足早に近付いた。


「伊織くん」

「! 千鶴に真莉愛も……どうしたんだ、こんなところまで」

「えっと、鞄、忘れていったから……はい」

「あっ」


 千鶴が鞄を差し出すと、伊織は余程動揺していたのだろう、いま気付いた顔になって受け取った。その表情は精彩を欠いており、声もどこか細く感じる。


「悪い、世話かけたな」

「ううん、仕方ないよ」


 通路の突き当たりに手術中と書かれたランプが点灯した部屋があり、その少し手前に待合室と同じ作りをした待機スペースがある。ここには等間隔に並んだ椅子とテレビ、雑誌棚とカップの飲料が買える自動販売機があり、伊織は空のカップを手持ち無沙汰に潰していた。周囲は鎮まり返っており、固く閉ざされた手術室の計器の音さえ聞こえてくるのではと思えるほどだ。


「……そういえば、伊織くんだけ?」

「まあ、な。両親は仕事を抜けられないし、従兄や他の親戚は県外だし、兄貴と姉貴は古臭い考えの爺さんと気が合わなくて殆ど絶縁状態で家を出てるしで……来るとしたら俺だけだとは思ってた」


 くしゃり。と音を立てて、伊織の手の中にある紙コップが握り潰された。俯いたまま零されていく彼の声は、聞いたことがないくらい覇気がない。

 千鶴と真莉愛は顔を見合わせると伊織を挟んで座り、丸まった背中を撫でた。普段は座っていても目線が上になる伊織の頭が、千鶴より低い位置にある。百七十五センチという長身が、今日はやけに小さく見えた。


「……凄ぇ身内話になるんだけどさ、聞いてもらっていいか?」

「うん、わたしたちで良ければ」


 伊織は依然俯いたまま、躊躇いがちに話し始めた。


 大御門家は、古くから続く大地主の家系。男児が持て囃され、女児は嫁に出される。昔は女児が長子で生まれてくると、跡取り息子の乳母のような役割を負わされたこともあったという。

 伊織の兄弟は兄が一人と姉が一人。長子が男で、曾祖父はこれで安泰だと思い次子が女でも然程気にとめなかったそうだ。あれこれ言われなかったと言えばマシに聞こえるだろうが、実際は違った。次子の娘は、あの家の中でいないもののような扱いを受けて育ったのだ。

 だが、長子が東京の大学へ進学して、ゆくゆくは海外企業に勤めるつもりだと言ったために、あわや殴り合いかという大喧嘩となった。その時点で既に高校生となっていた次子は他の家と自分の家の価値観があまりに違うことに気付いており、高校卒業と共に曾祖父を初めとした親戚の誰にも相談せず、県外へ逃げるようにして就職した。いまは結婚して一児の母となっていることを、伊織と母親だけ聞かされている。だがそれも、その事実だけで、場所までは教えてもらえていない。伊織の記憶の中にある姉の姿は、高校の時点で止まってしまっている。

 長子は家を継ぐつもりがないのではと薄々勘付きつつあった曾祖父により、生まれる前から親不孝者と言われていた伊織は、ずっと男児のように育てられた。小六のときに初潮を迎えた際も、伊織は本能で知られてはいけないと察して、必死に隠し通した。

 そんな家で、性別というどうしようもないところを責められながら息苦しく生活してきたのだから、その元凶とも言える曾祖父が、死のうが倒れようがどうとも思わない。そう思っていたのに、伊織は自分でも予想外なほどに動揺していた。


「……余所から見たら、俺は可哀想な子なんだろうよ。女だったってだけで勝手に落胆されて、男みたいに育てられて、お前は兄貴みたいにはなるなよって散々言われてさ。姉貴からも、まるで人身御供じゃないって言われたのをいまでも覚えてる。でも……」


 そこで言葉を句切ったと思うと、鼻を啜る音が小さく響く。膝の上で組まれた手に、涙が落ちた。


「楽しかったんだ、俺……爺さんと釣り行ったり、山登ったりすんのがさ。それでも、兄貴たちが爺さんのこと大嫌いだってのもわかるんだ。価値観昭和より古いし、性別で勝手に生き方決められんのも嫌だろうし……姉貴に至っては、存在すらなかったことにされてんだ……恨まれて当然、なんだよな……」


 真莉愛がそっとハンカチを差し出すと、握り締めるようにして目元に当てた。すすり泣く声が、静かな廊下に消えていく。


「でも、存在否定されて、価値観だって、ねじ曲げられたのに、俺……爺さんのこと、嫌いになれねぇんだ……どうしても……」


 いっそ上の兄弟たちのように振り切ることが出来たらと、伊織は嘆く。か細い声で、伊織が呟いた。


「いっそ、ほんとに男として生まれてきてたら、こんなに悩まなかったのかな……」


 命の価値が性別で決まる世界は、正直千鶴には実感が湧かなかった。そういう家系の話自体、伊織から聞かなければ物語の世界のことだと思っていたくらいだ。ただ、彼の苦悩は確かにそこにあって、伊織は生まれたときから――彼の母親に至っては我が子が生まれる前から、選択しようのないことで苦しみ続けているのだ。


「……無理に、嫌いにならなくていいんじゃないかな」


 千鶴は、友人とはいえ家庭の問題となると完全に部外者だ。しかも出会って二ヶ月が過ぎた程度の時間しか共に過ごしていない。彼の家のことも、課外授業といまこの場で聞いた内容しか知らない。

 きっと、伊織も未熟で無責任な言葉だと思うだろう。それでも伝えたかった。


「楽しかったことも、伊織くんが男の子として育てられたのも、どっちも事実だもん。どっちかを選ばなきゃいけないことは、ないと思うんだ……だからこそ苦しいんだとは思うんだけど、でも、選べないうちは選ぼうとしなくていいと思う」

「…………そう、なのかな……」

「ごめんね、部外者だから言えることだよね」

「いや……」


 手の甲で雑に涙を拭うと、伊織は深く長い溜息を吐いた。真莉愛が貸したハンカチは涙に濡れて半分ほど変色している。


「あー……悪い、すんげぇみっともないとこ見せた……し、真莉愛はハンカチ新しいの買って返すわ。ひでぇことんなった」

「気にしないでください。まりあは、伊織のどんな姿を見てもお友達でいます。それは伊織にあげるので、持っていてください。おじいさまになにか言われたら、お友達のを預かっていると言えば良いのです」

「はは、そうだな」


 涙の痕で赤くなった目元を不器用に緩ませて、伊織が笑う。縁にレースが施された、淡いピンク色のシルクのハンカチは、伊織の持ち物ではあり得ない可愛らしさだ。

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