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鬼灯町の百鬼夜行◆祭  作者: 宵宮祀花
【陸ノ幕】おじいさんの時計

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大きな古時計

 終業式を間近に控えたある日。

 千鶴は神蛇の手伝いで、職員室で簡単な作業をしていた。


「これで全部でしょうか」

「ありがとう、助かったわ」


 終業式の日に配るプリントをホチキスで留めたものを手渡すと、神蛇は優しい笑みでお礼を言い千鶴を撫でた。

 連絡事項や課題に関して諸々書かれた紙束が神蛇の机に積み重なっている。


「このあとは部活かしら」

「はい、寄っていこうかと思ってます」

「そう。遅くならないように、帰りは気をつけるのよ」

「はい。それじゃあ、失礼します」


 職員室を出ると、一度鞄を取りに教室へ向かう。その途中で伊織の後ろ姿を見つけ、小走りに駆け寄った。


「伊織くん、今日部活は?」

「あー……実は、朝練だったんだけど寝坊しちまって」

「えっ」


 伊織曰く、顧問や主将は普段真面目な伊織が寝坊とあって、叱るどころか却って心配して今日の練習は休んでいいと言われてしまったらしい。

 珍しく伊織の様子がおかしいことに、千鶴のみならず、周りが訝しんでいた。何故か注意力散漫で、普段の彼ならしないような小さなミスを繰り返している。朝のHRでは部室に置いてくるはずの弓道具をうっかり背負ってきてしまっていたり、昼食を忘れてきていたりと、そうしたミスを重ねる度に自己嫌悪に陥っているのが窺えた。


「大丈夫? 最近何だか調子悪そうだけど……」


 教室に戻って帰り支度をしながら、千鶴は見かねて声をかけた。

 今日一日で、目に留まっただけでも両手の指では足りないほどの『うっかりミス』をやらかしていたのだ。神蛇も心配そうにしていたが、最初から教師がなにがあったのか聞いてしまうと大袈裟になりかねないからとまずは千鶴から聞くよう言われ、休みだというのに部活へ行こうとした伊織を呼び止めたのだった。


「……いや、大したことじゃないんだ。俺が勝手に気にしてるだけで……」


 そう言いながらも、彼の表情が大したことではないとは言っていないように見える。


「でも、小さいことなら尚更、話せば楽になるかも知れないよ」

「そう思います。まりあも、伊織の力になりたいです」


 友人二人に心配され、伊織は教室に人が残っていないことを確かめるようにぐるりと見回すと、暫く悩んでから漸く重い口を開いた。


「…………うちさ、前に地主でデカい家だって言ったろ」

「うん、確かおじいさんが厳しい人だって話だったよね」


 以前の課外学習での会話を思い出す。彼の家は大地主で、代々鬼灯町の一角を治めてきた一族なのだとか。それゆえ伊織は女として生まれたことを疎まれ、男らしく生きることを強いられているという話だった。


「その爺さんが生まれたときに誕生祝いで買った大時計が居間にあってさ。ほら、歌にあっただろ」

「ああ、うん。聞いたことあるよ」

「まりあも知っています。でも、あの歌って……」


 真莉愛の言葉に、伊織の表情が僅かに暗くなる。千鶴もまさかと思い伊織を見るが、彼は小さく首を横に振った。


「いや……時計が止まっただけなんだ。ほんと、それだけ。俺の気にしすぎならそれでいいんだ。でも昨晩いきなり止まったからさ。本人は全然気にしてないし、物はいつか壊れるって言ってるんだけど……」


 そこまで言って、伊織は深い溜息を吐いた。そして自分の机に腰掛けると斜めに引き出されたままの椅子の背もたれに片足をかけて窓の外を見た。

 夏の午後五時半は、まだ昼間のように明るい。


「時計もだけどさ、爺さんもこれまで体壊したことないし、健康が取り柄ってくらいの元気な爺さんだから、病院の検査すら時間の無駄だって受けたことないんだよな」

「えっ、それは凄いね……おじいさん、いまいくつなの?」

「来年で九十になる」

「九十!?」


 千鶴が驚きの声を上げると、伊織は「ああ」と言ってから手をひらりと振った。


「じいさんつってたけど、正確にはひい爺さんなんだ。じいちゃんは父方も母方も両方俺が小さい頃にはもう死んじゃってて、だから小さい頃から爺さんって呼んでたから」

「そうなんだ……すごい人なんだね」

「まあ、何だかんだ自慢の爺さんだからな」


 伊織が照れくさそうに笑ったときだった。

 彼の端末が、ポケットの中で微かに震えた。


「わ……わかった。すぐ向かう。寿子さんは家を頼む」


 話すうち、彼の顔色が徐々に悪くなっていく。応答する彼の反応からして話の内容はあまり喜ばしくないもののようだ。終話間際の一言は、震えているようにも聞こえた。


「…………爺さんが、倒れたって」


 その言葉を最後に、伊織は携帯だけを握り締めたまま駆け出した。

 暫く呆然と駆け去っていく彼の背を見送っていた千鶴と真莉愛だったが、ハッとして彼の鞄と自分の鞄を背負うと、なにをいうでもなく二人揃ってあとを追った。


「も……もう、あんなところまで行ってる……」


 球技の部活のように走り回るものではないとはいえ、運動部に所属してキャンプにも年に数回参加し、授業の体育でも好成績を収めている伊織の足はとても速い。真莉愛も千鶴も人並みに持久力はあるが、走って追いつけるものではなかった。更に真莉愛は、平坦な体型の千鶴に比べてだいぶ発育が良いため走るのはあまり得意ではなく、すぐに息を切らして足を止めた。


「はぁ……はぁ……引き離されちゃった……」

「伊織が、向かったのは、えっと、この先となると……総合病院だと、思います……」


 一生懸命呼吸を整えながら、真莉愛が言う。向かった方角と、倒れた人間が運ばれるほどの場所となると鬼灯町には一箇所しかない。病院前で彼に追いつくことは諦めて、けれどなるべく入れ違いとならないよう早足で病院へ向かう。


「伊織くんがあんなに取り乱したの、初めて見た……」

「はい……大切な家族が、それもずっと健康だったおじいさまが倒れたのですから……まりあも心配です」

「うん。……ねえ真莉愛ちゃん、おじいさんの時計、偶然だよね……?」


 不安を目に映して問う千鶴に、真莉愛は真剣な表情で頷いた。


「せめてまりあたちは、そう思っていたほうがいいです。こういうときに無事を祈るということは、決して気休めではないのです」

「そうだね……おじいさんの心配なら伊織くんが十分過ぎるくらいしてくれてるし……わたしも、余計なことは考えないようにするね」


 真莉愛の言葉は説得力があった。心配も過ぎれば毒になり得るということを、千鶴も身を以て知っている。特に鬼灯町に来てからは、言葉に力があることを実感してばかりだった。

 伊織が不安なときに周りまで余計なことを考えて、それで彼の不安を余計煽ることになっては傍にいる意味がない。二人は嫌な予感を振り切るようにして足を早めた。

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