未だ交わらずとも
朝日に輝く金色の睫毛が、千鶴が目覚めて一番に目にしたものだった。細い腕で体をしっかりと抱きしめられたまま、結局一晩過ごしてしまった。
「真莉愛ちゃん……真莉愛ちゃん、起きられる? 大丈夫?」
マシュマロで出来ているかのような、やわらかな頬を撫でながら言うと、長い睫毛がふるりと震えてゆっくりと押し上げられた。秘められた二つの宝石が千鶴をぼんやりととらえ、とろけるような笑みを形作る。
「千鶴……」
「真莉愛ちゃん、おはよう。それと……ありがとう」
千鶴がお礼の言葉を告げると、真莉愛はふにゃりとした笑みになり、千鶴をいっそう強く抱きしめた。子犬のように尻尾を振っていそうなその仕草に、千鶴も思わず笑みが漏れる。
「上手く行って良かったです……千鶴がまりあの偽物についていってしまったら、もうどうすることも出来なくなるところでした」
「えっ、真莉愛ちゃんの偽物が出ることもわかってたの?」
「はい」
真莉愛は千鶴をぎゅうぎゅうに抱きしめたまま、話を続ける。
「あの空間は、子供たちの不安と恐怖で満ちています。そういうときに、子供がなにを求めるかは空間の主たちが一番よくわかっているはずです。いまも会いたい人がいて、帰りたい場所があるのですから……きっと千鶴の傍には、まりあが来ると思いました。子供たちが先輩方に化けることは難しいですから」
「うん、その通りだったよ。でも、化けてるにしては詰めが甘いというか……」
千鶴が気付いたのは、様子がおかしかったこともそうだが、なにより一人称が本人と違ったことが大きい。
それを伝えると、真莉愛は少し得意げに「そのはずです」と言った。
「どうしてわかるの?」
「だってまりあは、朝に千鶴の傍に影があることに気付いてから、一度も自分の名前を呼んでいなかったのです」
「えっ、あ……」
言われてみればそうだったかもしれないと、記憶を辿りつつ思う。普段そこまで話す内容を事細かに注意して聞いていないため、判然としないところはあるけれど。千鶴は彼女が万一のことまで考えて朝から動いてくれていたことに、改めて感謝した。
「真莉愛ちゃんがいなかったら、わたし、あのまま引きずり込まれてたかも……」
「無事だったのですから、良いのです。それより千鶴、学校行きましょう?」
「!! 忘れてた……!」
体を起こして時計を見ると、そろそろ準備をしないといけない時間になっていた。
「真莉愛ちゃん、英玲奈ちゃんの好意に甘えて今更になったけど、着替えありがとう。まさかこんなすぐ二度目のお泊まりがあるとは思ってなくて……」
ハンガーラックにかけて置いた制服に着替えながら、事後報告と共に礼を言う。甘い作りの部屋着は、真莉愛のために存在するかのように一分の隙もなく可愛らしい。
「いえ、良いのです。お陰で、可愛い千鶴が見られましたから」
「それは……」
どうなのだろうと、口の中で呟く。
ありがたいことに朝食まで頂いて、真莉愛と手を繋いで学校へ向かう。道中に伊織と合流して教室に入ると、鬼ごっこをしていたクラスメイトたちがまたもや教室の中心に集まっていた。
「純菜のヤツ、なにがあったんだろうね……」
「いまも病院にいるんでしょ? 誘拐犯は捕まったらしいけど、マジ変態じゃん」
「小二女子から高一女子まで何でもありかよ。きっしょ」
「てか小学生の男子もいたじゃん? マジで何でもありだよな」
「あいつがあんなんなるくらいだから、よっぽどキモいことしたんだろうね……マジで変態は全員死刑にしてくんねーかな」
朝から物騒な会話で盛り上がっている一団によれば、あのとき行方不明になっていた隣のクラスの少女、斉藤純菜が隣町との境でボロボロの状態で発見され、病院で治療を受けているらしい。
明け透けな性格の彼女が、警察や医者の質問にもまともに答えられない状態になってしまっているとのことで、彼女の友人たちが憤慨している。
最終的に今回の事件で行方不明になったのは戸川悠真、斉藤純菜を含めた四人だったらしく、年齢も性別もバラバラなことから、変質者の仕業ということになったようだ。あの空間を破壊したことでもう同じ事件は起きないにしても、犯人逮捕の噂はどこから出てきたのだろうかと、千鶴はぼんやり考えた。
放課後、千鶴は真莉愛を伴い文化部部室棟を訪れた。部室前で会えたら彼らにお礼がしたいという真莉愛の言伝を、先輩たちに届けるためだ。
だが、部室前まで来て、真莉愛はきょとんとした顔で足を止めた。
「……? まりあにも扉が見えます」
不思議そうに首を傾げる真莉愛を見、それならと扉に手をかけるとすんなり開いた。そして中にいた柳雨がひらりと手を振り、真莉愛に声をかける。
「お姫ちゃんは、今日だけ特別な」
「だって。一緒に行こ」
「ええと……お邪魔します」
千鶴に続いて、真莉愛が緊張した様子で扉を越える。中には桜司以外が揃っており、いつもは職員室で仕事をしていていない神蛇も珍しく先に来ていた。ソファに伊月が、向かって左側の椅子に柳雨が、柳雨の正面に桐斗が、そして桐斗の傍らに神蛇が立っている。
「お姫ちゃんも座れって。そんな緊張しなくても、別に取って食いやしねーよ」
「はい……」
千鶴が桐斗の隣に座ったのを見て、真莉愛は更にその隣に腰を下ろした。
「えっ、なんでオレ様こんな避けられてんの?」
「人徳?」
「くっ……あとで覚えてろよ子猫ちゃん」
「やーだもーん」
からりと笑って柳雨の睨みをかわすと、桐斗は千鶴を挟んで真莉愛に声をかけた。
「それより真莉愛ちゃん、昨日はありがとね」
「い、いえ……急でしたので、神喚びの詩が即席になってしまって……それなのに来てくださってありがとうございました」
「即席であれだけ紡げるなら大したもんだぜ」
「詩……?」
千鶴の疑問に、真莉愛と桐斗が同時に頷く。
「真莉愛にはここの扉は見えませんから、学校中を走り回って先輩を探すか、その場で詩を紡いで先輩方に来て頂くかのどちらかしかなかったのです。意識のない千鶴を一人残しておくことは出来ませんでしたから、必死で……」
「祝詞ってあるじゃん? 神社で神主さんが唱えるあれ」
「はい」
千鶴は何と言っているかまでは全くわからないが、そういうものがあるという知識は持っている。ぼんやりとした輪郭だけを思い浮かべながら頷く千鶴に、桐斗は「それの真莉愛ちゃん作詞作曲バージョン?」と首を傾げつつ答えた。
「あれもさ、雑に言えば神様に人間の言葉を届けるためのものじゃない?」
「それをお姫ちゃんなりに想いを紡いで、自分の霊力を込めて気合いで届けたわけよ。この部室はただの人間には干渉出来ねーから、たぶんだけど未来の旦那の力も借りたんじゃねぇかな」
どうよ、と視線をやる柳雨に、真莉愛は小さく頷いた。
「まりあは……千鶴のあとを追うことは出来ても、あの場所から、連れて帰ることは、出来ませんから……だから、どうしても、先輩方に助けてもらわないといけなくて……ごめんなさい……」
話すうちに声が震え始め、そして最後には涙を流して俯いてしまった。
「真莉愛ちゃん、どうしたの? 大丈夫だよ、誰も責めてないから……ね?」
「そうよ。あなたは出来ることを精一杯したの。それは誇っていいことなのよ」
背中を撫でて宥めながら、千鶴が優しく声をかける。その後ろから、神蛇も真莉愛と千鶴ふたりの頭を撫でて囁いた。
「そうそう。寧ろ真莉愛ちゃんが道を作ってくれたお陰で早く助けられたんだし、そう気にすることないよ。てか僕らもあれを甘く見すぎてたしね」
「それな。特異点の吸引力半端ねえわ」
「う……すみません……いつも助けて頂いて……」
「それこそ今更でしょ」
さっぱりと笑い飛ばされ、千鶴は眉を下げて微笑みながら、改めて皆に「ありがとうございます」と伝えた。
「あ、そうだ、あの秘密基地の元になった男の子が見つかったってね」
「えっ、そうなんですか?」
「うん。その子が飼ってた犬が見つけたって話なんだけど……ほら、この記事」
桐斗が見せたのは、人間社会に普及しているほうの新聞記事だった。
行方不明となっている当時小学四年生の男児が飼っていた、年老いた犬が唐突に家を飛び出した。家族がGPSを辿ったところ、足腰も弱り朝の散歩も殆ど出来ないような犬には到底辿り着けない距離におり、見つけたときには衰弱して臥せっていた。だが、連れ出そうとすると悲痛な声をあげるため、そこになにかあるのではと探してみると、白骨化した手が地面から飛び出ていたという。
警察に連絡して調査をしてもらうと、それは行方不明の男児本人で、その子の歯形と容疑者の傷口が一致したことで事件は灰から黒へと塗り変わった。
「わんこはその場で静かに眠って、きっと最後に会いたかったんだろうって話」
「そう、ですか……ずっと、帰るのを待ってたんですね……」
泣き止んだ真莉愛の頬を指の背でそっと撫で、照れ笑いを浮かべる真莉愛につられて千鶴もへにゃりと笑う。背後から豊満な胸に包まれるのを感じ、見上げれば神蛇が腕の中に千鶴と真莉愛を閉じ込めて愛おしげに目を閉じていた。
優しいぬくもりに包まれ、千鶴も漸く日常を取り戻したのだと実感し、息を吐いた。
閉ざされた空間で、束の間の日常を噛みしめる。
未だ家族の元へ帰れずにいる秘密基地の主のことや、この場に足りない一人のことを頭の片隅で想いながら。




