孔雀草
【クジャクソウ】
可憐な人。一目惚れ。
ショッピングモールにつくと、千鶴はまず外観の規模に圧倒された。駅の北口に出たことは一度もなかったため、道を一つ越えた先にこれほど大きな商業施設があることも知らなかったのだ。
「千鶴、こっちは初めて?」
「はい……学校とコンビニと銀行さえ覚えれば何とかなったので」
「それ最低限だよー」
話しながら中に入り、桐斗の案内で奥へと進む。
目的の店は二階にあるらしく、エスカレーターで上がっていった。その道中も千鶴は落ち着かない様子で辺りを見回していて、そんな千鶴を、柳雨と桐斗が微笑ましそうに見守っていた。
「ここだよー」
「……すごい、あの……すごいですね」
「おチビちゃん、語彙どっか行った?」
桐斗が案内した店は、ワンピース専門店という看板通りの外観をしていた。入口から既に大量のワンピースがハンガーに掛けられ、表に向けて飾られているマネキンも布をたっぷり使ったワンピースを身につけている。夏物にはセールの札がかけられ、早くも秋の新作が出ているようだ。
「どんなのがいいかなー」
千鶴の手を握ったまま店に入り、桐斗は早速服を物色し始めた。その後ろから柳雨と伊月も続くが、伊月もあまり服に拘らない性格のようで、大量の服を眺めながら難しい顔をしている。
「千鶴は赤系の色が似合うから、この辺がいいと思うんだよね。これとこれ、どっちが好き?」
「えっ、ええと……」
溢れんばかりの布に溺れそうになりながら、桐斗が差し出した二着を見比べてみる。どちらも服に赤が使われているが、片方はベージュをメインに差し色が赤という作り。もう片方は赤がメインに使われていて白い刺繍やレースがあしらわれたもの。
「色の使い方とか服の感じはこっちが好きです」
「おっけー! じゃあこーゆーのを探してみるね!」
千鶴が選んだのは差し色に赤が使われたもの。その赤色も暗めの緋色に近く、適度に目を引きつつも派手さはない作りをしていた。
千鶴も自分でハンガーの森を歩きながら探してみるが、慣れないせいかどれも同じに見えてしまってなかなか探せない。半ば迷子のようになっていると、ふと目の前に影が差して足を止めた。
「青龍先輩」
「ん……」
「えっと……これ、合わせればいいですか?」
こくんと頷くのを見て、差し出された服を手に取ると、近くの鏡に向き合ってみる。スカートがレイヤーになったアシンメトリーワンピースで、先ほど桐斗が見本に見せたワンピースに似た作りのもののようだ。だが向こうは一枚だけ赤色が使われていたのに対し、こちらは生成をベースに赤やカフェモカのような淡い茶色、くすんだピンク色がバランス良く混ざっている。
手に持った感覚だと布が多い分重く感じるが、フレアスカートであることと上半身は軽い作りであることから、実際に着ればそこまで重くないだろうと思う。
「えー、なにそれ可愛い! 伊月が見つけたの?」
「そこにあった」
伊織が指したのは、夏物セールの区画。間もなく夏休みで、今年のうち着られるのは一ヶ月ほどしかないが、セール品ならそこまで惜しくもない。なにより流行と無関係なデザインなら来年着てもいい。
「これ、着てみたいです」
千鶴が今一度鏡に向き直り、桐斗を見て言うと、桐斗はぱあっと表情を明るくして、店員を呼びにいった。
「じゃあこれ。あとさっき見つけた羽織り物もついでに着てみて」
「はい、ありがとうございます」
試着室のカーテンが閉められ、ちょっとした閉鎖空間が出来る。鏡を前に服を脱ぎ、伊月が見つけた服と桐斗に渡されたカーディガンを羽織ると、カーテンの隙間から顔を覗かせて桐斗を呼んだ。
「どう? 着た感じ、違和感とかない?」
「……は、はい……それは大丈夫なんですけど……」
「どしたの?」
「いえ、ちょっと、慣れなくて……」
「大丈夫だって! ほら、見ないとわかんないよ」
桐斗の説得を受け、千鶴が怖々カーテンを開けると、柳雨に捕まって大きいサイズのワンピースを当てられて遊ばれていた伊月が、逃げるように寄ってきた。
「すっごい可愛い! ねえねえ、小物とか靴も買おうよ!」
「えぇ!? でもあの、そんなにたくさん……」
「千鶴は少なすぎだからいいんだよー! 着替えてるあいだに探しとくから!」
「子猫ちゃん、こっちによさげなバッグあったぜ」
「いまいくー」
千鶴の返答を待たずに、桐斗は興奮したまま小物の棚へと向かって行ってしまった。取り残された千鶴は、傍で佇む伊月をちらりと見上げ、そして早速帽子や靴を物色している桐斗の後ろ姿を見た。
「赤猫先輩、凄く楽しそうですね……」
「ああ。……待ってる」
「え、あ……ありがとうございます。じゃあ、着替えてきます」
桐斗が試着室を離れてしまったので、代わりに傍で待っているということだと察し、千鶴はお礼を言って再び試着室に戻った。布たっぷりの可愛い服から普段着に戻ると、そのシンプルさが際だって感じられる。
「お待たせしました」
「ん」
一文字の応答と共に、手が差し出される。まさかエスコートじゃないだろうと伊月の顔を見ると、視線は千鶴の服に注がれていた。
「渡せ」
「えっ、はい。ど、どうぞ……?」
伊月とは初日に拉致軟禁されて以来ろくに会話をしていないため、口数の少ない彼の反応から正しい回答を導き出すのに時間がかかってしまう。他の部員同様心根はとても優しいのだが、一日に発音できる字数に制限があるのかと思うくらい、本当にもの凄く口数が少ない。
伊月は千鶴から服を受け取ると、千鶴が靴を履くのを待って歩き出した。行き先は、桐斗が夢中になっている小物の棚だ。
「桐斗」
「あ、うん。おっけーだよ。こっちもすぐだから」
名前を呼ばれただけで伊月がなにを言いたいのか察して的確に答える桐斗を、千鶴は魔法でも目撃したかのような目で見つめた。
「赤猫先輩、いまのはいったい……」
「あはは、千鶴もそのうちわかるようになるよ」
それよりと、桐斗は帽子と靴と鞄をまとめて差し出してきた。
「さっきの服にこれがあうと思うんだよね。靴だけは足と合うかどうかだからさ、一応履いてみてくれる?」
「わかりました」
鏡の傍に置かれていたスツールに腰を下ろし、靴を試着してみる。オープントゥ型のショートブーツで、履き口の外側に造花がついている。大半がレース素材で、ベルトと踵の色合いはワンピースに使われていたカフェモカ色に似ている。
「思ったよりずっと軽いし履きやすいです」
「じゃあそれも買っちゃおー」
千鶴以上に楽しそうな声で桐斗が言う。傍らで荷物持ちをしながら覗いていた柳雨も「一式あったほうが便利だしいいんじゃね」と同意を示した。
結局、あれやこれやと見ていくうちに服だけでなく小物類まで揃ってしまい、千鶴は思わず財布の中身を思い浮かべていた。薦められるままに試着したものの、値札までは確認出来ていないのだ。
「足りるといいけど……」
呟きながらレジに靴と小物を並べて、ふと気付く。
「あれ、先輩、さっきの服は……」
「あれなら伊月がレジに取り置いといてくれたから、大丈夫。そんでアイツはいま外で休んでる」
「なるほど……」
先ほどの名前一言にそんなにも情報が詰まっていたとは思わず、感心してしまった。店の外を見ると確かに、吹き抜けの近くに設置されたベンチに座って本を読んでいる。
「すみませーん、取り置きの服とこれくださーい」
「はーい、ただいまお伺いしまぁす」
間延びした接客用の声が返ってきて暫く、二十代半ばほどの女性が奥から出てきて、桐斗に「お待たせ致しましたぁ」と営業スマイルを向けつつレジについた。
バーコードが読み取られていく度に四桁五桁と上がっていく数字をドキドキしながら見守っていると、最終的に、自転車を買ったときにしか見たことがない金額になった。鞄から取り出した財布を開き、どうにか足りていることに安堵している横で、なにかが横切るのが見えた。
「これでお願いしまーす」
「畏まりましたぁ。カードお預かりしまぁす」
「えっ……先輩?」
お金を取り出しかけた格好で隣を見ると、桐斗は何でもない顔で会計を待っている。そしてカードを受け取り財布にしまうと千鶴を見つめ、ウィンクをして見せた。
「僕からのプレゼント! 次のデートのときに着て来てよね」
「あ……ありがとう、ございます」
店を出ると伊月が若い女性二人組に絡まれているのが見えたが、桐斗が即刻真っ直ぐ駆け寄っていって「おばさんたち、何の用?」の容赦ない一言で蹴散らしていた。




