秘密の花園
柳雨たちと別れた千鶴が自転車を回収するべく真莉愛の家まで戻ると、帰って休んでいると思っていた真莉愛が門の前に立っていた。
「真莉愛ちゃん!?」
驚いて駆け寄る千鶴に気付くと真莉愛も泣きそうな顔で千鶴に駆け寄り、無言のまま抱きしめた。微かに啜り泣く声が千鶴の耳元で聞こえ、人形を抱いていないほうの手で真莉愛の背を撫でる。
「千鶴……今日は、まりあのおうちに泊まってくれませんか……?」
「え……? うん、わたしはいいけど……いいの?」
真莉愛はこくんと頷き、千鶴を抱きしめる腕にぎゅっと力を込める。
「千鶴に、まりあのお話を聞いてほしいのです……ずっと話せなかったこと、まりあのことを知ってほしくて……」
「わかった。そういうことならお邪魔するよ」
そっと体を離し、千鶴は真莉愛に人形を差し出した。
「真莉愛ちゃん、この子……」
「……シェリー……ごめんなさい……」
真莉愛は千鶴から人形を受け取ると、愛おしそうに抱きしめて涙を零した。月明りを反射して輝く涙は、月の雫のようで。千鶴は息を飲んで見入ってしまった。
「ごめんなさい……案内しますね。自転車は門の中に置いてください。あとで車庫まで運んでもらいます」
「うん、じゃあ、お言葉に甘えて……お邪魔します」
真莉愛の案内に従い自転車を門の内側、外からは見えない位置に置くと遠くに見えるお屋敷を目指して、どちらからともなく手を繋いで歩き始めた。
屋敷までの道は白い石畳で舗装されており、広大な薔薇庭園を眺めながら歩くことが出来る。所々に蔓薔薇のアーチがあり、その下を潜るときに真莉愛がこの薔薇は五月と十月が見頃だと説明した。
「ただいまです」
玄関に辿り着き、扉を開けて中に声をかけると、英玲奈が奥から駆けてきた。人形が真莉愛の手の中にあることに気が付くと一瞬視線が鋭くなるが、特になにか言うことはしなかった。
「千鶴姉さん、いらっしゃい」
「こんばんは、英玲奈ちゃん」
先に眠るという英玲奈と別れ、真莉愛の部屋へ向かう。その途中にもたくさん部屋があり、千鶴は一人で歩いたら迷いそうだと思った。
「どうぞ入って、こっちです」
扉を開け、中に入ると、そこはお伽噺に出てくるお姫様の部屋そのものだった。広い室内には天蓋付きのベッドや鏡台、キャビネットなどの家具が並んでおり、テーブルと一対の椅子や天井の照明も含め全てが同じデザインで統一されている。白を基調に淡いピンクと金縁の装飾が施されたその家具たちは、真莉愛のために作られたもののように見えた。
「真莉愛ちゃんのお部屋、可愛いね」
「そうですか? ありがとうです、千鶴」
はにかみ笑う真莉愛に勧められ、椅子に腰掛けると、真莉愛はベッドに腰を下ろして人形を膝に座らせた。それから少しだけ沈黙が流れる。どこから話そうか、どう話せばいいのか迷っている様子の真莉愛を、千鶴はただじっと待ち続けた。
「……まりあは小さい頃、火事にあいました。お友達だと思っていた子に呼び出されて行った無人の小屋に、火をつけられたのです」
「……っ、そんな……」
「英国にいたころのまりあは、陰で死神と呼ばれていましたから」
火事が本当だとしても事故だと思っていた千鶴は、言葉を失った。真莉愛は煤汚れに塗れた人形を優しく撫でながら静かに続ける。
「一つしかない入口が火と煙で覆われて、なにも見えなくなって、まりあはシェリーを抱きしめたまま、小屋の中で意識を失いました。次に意識が戻ったときには一週間ほど経っていて、火をつけた子は魔女の処刑だとか死神だとか叫んでいたそうで、あのあと精神病院へ入れられたそうです」
伏せられた長い睫毛が、真莉愛の白い頬に影を落とす。
「生まれたときから一緒だったシェリーを炎の中に置き去りにしてしまって、暫く熱と悪夢に魘されました。それから暫くして、嘘みたいに熱が引いて……熱と一緒に、あの火事の記憶もどこかへ追いやってしまったのです」
友達だと思っていた相手に裏切られたばかりか命まで脅かされ、家族同然にいつでも共にいた人形を失い、独りぼっちになった事実に幼い心が耐えきれなかったのだろう。火事の一件で、真莉愛に罪はないはずだ。それでも人形からすれば自分だけ助かったと思っても仕方がないのかも知れないが、真莉愛が望んで起きたことは何一つないのだ。
「シェリーも、裏切られたと思っていたのですね……大切だって言ったのに、まりあがひとりで助かって、その上、シェリーのことを忘れたまま生きていて……思い出させてくれてありがとう……」
真莉愛は喪失に耐えられなかった。人形は忘却に耐えられなかった。
荒療治ではあるが忌まわしいあの日の記憶を取り戻したことを、真莉愛はシェリーと共に真っ直ぐ受け止めることを選んだのだった。




