苦界にて生きる術を
真莉愛のほうから、オルゴールの音がする。まるで彼女が奏でているかのように。
白い肌に長い金髪、たっぷりと布を使ったやわらかなドレスに、小さな靴。蒼い目はひどく虚ろで、視線は意志を持たずに爪先へと投げ出され、千鶴の声にも反応しない。
これでは、まるで―――
「もう見つかってしまったのね。残念だわ」
くすくす笑う声と共に、椅子の影から真莉愛によく似た少女が姿を現した。真莉愛とお揃いのデザインで深い緋色のドレスを着た少女は、真莉愛の髪を指先で掬いながら、千鶴たちを見つめて可笑しそうに微笑む。
「綺麗でしょう? わたしのお人形なの」
よく見ると少女の手指は球体関節人形のもので、歩く度に人間ではあり得ない硬質な音がする。整った顔立ちも作り物めいており、首元には小さなひび割れが見える。
「姉さんを返しなさい」
「どうして? わたしのほうが先にこの子と一緒にいたのだから、返してもらったのはこちらのほうだわ」
怒気を孕んだ声で低く言う英玲奈に、少女は意にも介さずそう言った。そして狂気の笑みを張り付けながら、真莉愛を抱きしめ、堰を切ったように話し始めた。
「あの火事の日、わたしはこの子の代わりに焼かれて死んだの。だから今度はこの子がわたしの代わりに体を差し出すべきだわ。わたしが助けなければ、あのとき死んでいた命なのだから、わたしが好きにしていいはずよね。だってずっと一緒だったのよ。そう約束したの。どこへいくにも一緒だったのに、わたしは焼かれて、この子は生きた……わたしだけ炎の中に取り残されて、わたしだけが……」
こちらの様子など目にも入っていない様子で、真莉愛を抱きしめたまま呟き続ける。
「ずっとずっと、寂しかったわ。漸く見つけたの。漸く手に入れたの。わたしのことを忘れてしまっているみたいだけれど、すぐに思い出させてあげる。だってわたしたち、ずっと一緒だったんだもの。だから、またずっと一緒にいればきっと思い出すわ。あの恐ろしく忌まわしい火事の記憶も……そうでしょう?」
「……シェリー……姉さんが生まれた日に送られた、あの……」
英玲奈は少女の言葉を受け、なにかに気付いた様子で小さく呟く。英玲奈が名を口にした瞬間、少女の顔から笑みが消え、止めどなく溢れていた言葉が途切れた。
「わかったなら、消えて頂戴。わたしはこれから、今度こそこの子と一緒に暮らすの。あの頃のように、二人きりで……誰にも邪魔されずに……」
真莉愛の頬に指を這わせ、擽るようにして撫で上げると、頬に口づけをした。恍惚の表情で真莉愛を見つめる少女の目に光はない。手つきは優しいのに、彼女から伝わってくる感情は怨みと憎しみ、そして深い悲しみだけだ。
指先で真莉愛に触れ、唇で触れ、そして舌を這わせて英玲奈に見せつける。そうする度に少女の体から黒い澱みが溢れては、炎のように揺らめいている。それが目に見えて勢いを増してくると、辺りに焦げたような臭いが漂い始めた。
「あれは……やはり、彼女はもう……っ」
苦しげに呟き、英玲奈が紅葉の葉を握り締めたときだった。
「……悪いな、オレ様はアイツみてーに優しくねえんだわ」
普段の彼の口調からは想像も出来ないくらい平坦で冷たい声で、柳雨が呟いた。その瞬間室内を暴風が吹き荒れ、千鶴たちの周囲で次々ものが吹き飛ばされては壊れる音が響く。
「きゃあああああっ!!」
ひときわ大きな音がしたのと同時に、少女の悲鳴が空気を引き裂いた。ガシャン、となにかが割れる音がしたのを最後に風が止み、辺りを静寂が包む。
「……! 真莉愛ちゃん!」
「姉さん!!」
千鶴と英玲奈が同時に叫び、真莉愛の元へと駆け寄っていく。あれだけ様々なものが吹き飛び、壊れて、壁や床や天井までをも傷つけたというのに、真莉愛はかすり傷一つなかった。
「真莉愛ちゃん、しっかりして!」
正面に膝をつき、顔を覗き込みながら千鶴が名前を呼ぶと、虚ろだった表情が僅かに揺れ、ガラス玉のようだった目に光が戻った。
「千……鶴……? どうして……」
「真莉愛ちゃん……」
安堵と共に力が抜け、その場に崩れるようにして座り込む。そんな千鶴を心配そうに見やってから、英玲奈は真莉愛の頬をハンカチで思い切り拭った。
「えっ……英玲奈? 英玲奈、どうしたのですか?? えれにゃ?」
「英玲奈ちゃん……真莉愛ちゃんのほっぺたとけちゃうから……」
力を込めすぎて時折真莉愛の発音が怪しくなっているが、それでも英玲奈は擦る手を止めない。さすがに可哀想になってきた千鶴がやんわり英玲奈の手を握って止めると、大きな黒い瞳から大粒の涙が転がるようにしてこぼれ落ちた。
「英玲……」
「……心配しました」
泣き顔を隠すように、英玲奈は真莉愛を抱きしめて肩に顔を埋める。なにがあったかわからないなりに、自分のことで迷惑をかけたのだと理解した真莉愛は、なにも言わず英玲奈を抱き返して背中を撫でた。
静かに宥めている横に、ゆったり追いついてきた柳雨が立つ。
「やっぱオレ様じゃ浄化は無理か……あとでアイツ呼ばねえとだな」
嘆息し、真莉愛の背後、壁際を眺めて呟く。
千鶴が視線を追ってみると、そこでは胴体にあいた大きな穴から黒い炎に似た澱みを溢れさせる少女人形が、真莉愛と英玲奈を憎悪のこもった眼差しで睨んでいた。




