鎮め唄、奏でる箱と
無人の廃墟。
ボロボロのカーテンに、穴の開いたソファ。カーペットは埃にまみれ、壁紙は破れて所々にカビが生えている。天井に下げられた小さなシャンデリアはとうに輝きを失い、舞い上がる埃は窓から差し込む光を反射してきらきらと瞬いている。
この物寂しい空間に、オルゴールの音がどこからともなく流れていた。
「―――あ、千鶴来た! こっちこっち!」
百鬼夜行部の部室を訪ねた千鶴を、見慣れた顔ぶれが出迎えた。今回は最初から全員揃っており、思い思いに過ごしている。
呼ばれるまま桐斗の隣に腰を下ろしながら机の上を見ると、相変わらず桜司を相手に花札で遊んでいるところのようだった。というよりは、花札を使って桜司で遊んでいるようにも見える。
「はい、上がり!」
「花見酒に月見酒、それと猪鹿蝶……赤猫先輩、結構容赦ないですね」
「おーじが弱すぎるだけだよー」
「……うるさい」
対する桜司の手札は、カス札数枚に赤短が揃いかけた状態。赤短最後の一枚は山札に残っていたらしく、数手あればどうにか上がれたかも知れないという状況だった。
「実際、子猫ちゃんが特別強いってわけじゃねーんだよな」
「まーね。柳雨とやるときはいっつも接戦だし、伊月には勝てないから」
話しながらも手を動かして、花札を山に戻していく。季節ごと、種類ごとにまとめて箱にしまうと、桐斗は大きく背伸びをした。
「ところでさ、さっきから千鶴の体からもの凄い小夜ちゃん先生の匂いするんだけど、なんかあった?」
「えっ……!」
そう言われて思い出すのは、一限目の出来事だ。
彼女の腕に抱かれて、幼子のように寝入ってしまって結局一限潰したことを、改めて思い出してしまう。
「だから僕が千鶴を呼んでも、珍しくおーじが抗議しなかったでしょ」
「そういえば……」
いつもなら桐斗との軽い舌戦が始まり、花札で勝負だとかそれだと結果が見えていて狡いだとか始まるのが、全くなかった。とはいえ、寝過ごしたことが若干恥ずかしくはあるものの疚しいことがあるわけでもないので、一先ず説明をしようと口を開く。
「……とはいっても、この前先輩たちにしてもらった応急処置の影響を除いてもらっただけで、特になにか特別なことがあったわけでは……」
そう、説明したときだった。
室内の空気がピリッと張り詰めて、千鶴は小さく体を跳ね上がらせた。その元凶は、先ほどから千鶴の斜め前の席で不機嫌そうにしている桜司だ。
「怒るなよ、狐の。特異点とはいえ人間がお前さんらの血を体に取り込んで影響がないわけないだろ?……おチビちゃん、小夜ちゃんがそれしたのって理由があんだよな?」
それまで伊月がいるソファの背もたれに腰掛けてじっと傍観していた柳雨が、千鶴に訊ねた。千鶴は一つ頷き、怖ず怖ずとそれに答える。
「その……影が見えるようになってしまって……課外授業で見たあの影みたいに大きなものじゃなくて、小さいものがあちこちにあるのが見えたんです。神蛇先生は、副作用みたいなものだから見えないほうがいいって、それで……」
「僕もそう思うよ。あんなの、見えてたっていいことない。千鶴は元々そういうの耐性ないんだし、それにこう言っちゃうのもだけど、見えたところでなにが出来るわけじゃないしね」
ガタン、と大きな音を立てて、突然桜司が立ち上がった。
そして千鶴の背後まで回ってくると、千鶴が振り向くより先に両肩を押さえ、首筋に食らいついた。突然のことに身動きできずにいるのも構わず、熱い舌が項を這う。
「ちょ……! おーじ!?」
「せ……先輩……!? なに、して……っ!」
どうにかして身動ぎをしようにも力の差で殆ど動けず、抵抗らしい抵抗が出来ない。机に組み伏せられた状態で、神蛇が吸い出した箇所を上書きするように舐め終えると、桜司は一つ息を吐いて千鶴を解放した。
やっとの思いで体を起こして振り返るが、そこには桜の花弁がひとひら、舞い落ちているだけだった。
「……はぁ……アイツ、なに考えてんだよ」
「千鶴、大丈夫? びっくりしたよね」
「はい、……でも……」
柳雨と桐斗に宥められながらも、千鶴は桜司のことが気になって仕方がなかった。
課外授業の日、記憶を取り戻すきっかけとなったあの行動。あのときひどく傷ついた様子で逃げていった、あの表情―――千鶴は確信していた。先ほどの桜司も、あの日と同じ顔をしていたに違いない、と。




