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鬼灯町の百鬼夜行◆祭  作者: 宵宮祀花
【肆ノ幕】鎮魂のドールハウス
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二度あることは何度でも

 どこへ向かうのかもわからないまま歩いている途中も、授業が始まる前にお手洗いへ駆け込む生徒や移動教室で特別棟へ急ぐ生徒などとすれ違う。その中に、あの黒い影が張り付いている生徒を何人か見かけ、千鶴は無意識に神蛇に縋りながら歩いた。

 階段を降り、一階まで至ると職員室の隣にある部屋、保健室の扉を開けた。


「保健室……? 先生、どこか具合でも悪いんですか?」


 保健室は無人で、遠くに生徒たちの話し声がする。扉が閉まるとその音も遠くなり、消毒液や薬品の匂いがする室内に二人きりとなった。


「いいえ、わたくしではなくて……」


 カチリと鍵をかける音がして、神蛇が振り返る。冷たい指先が千鶴の頬に触れ、顎を擽るようにして掬い上げた。


「治療が必要なのは、千鶴ちゃんよ」


 驚く千鶴を優しく撫で、両手でやんわりと抱きしめる。足下から、しゅるりと微かな音がしたと思えば、神蛇の下半身が白蛇のものとなっていた。彼女の半化生の姿は白い蛇の下半身に長い爪、細い虹彩の瞳に、半身を覆う蛇の鱗に似た模様と、背中に生えた蝙蝠のような大きな翼が特徴のようだ。

 メリュジーヌを思わせるその容貌は、畏怖を覚えるほどの圧倒的な優美さと艶麗さでもって見る者を圧倒する。


「千鶴ちゃん、最近、良くないものが見えるようになっているでしょう?」

「えっ……どうしてそれを……?」

「課外授業のとき、あの子たちの血を飲んだからよ。血が持つ霊力は、とても強いものなの。色々なお話でも強い呪術を使おうとしたとき、血や心臓が出てくるでしょう?」


 神蛇の言葉に、千鶴はなにも言わずに頷く。

 大蛇の体に包囲され、背中を抱かれて、更に繊細な白い手のひらが頬を撫でている。細い虹彩の瞳が緩やかに弧を描いて、間近で千鶴を見下ろしながら話す様は、彼女らを知らない者が見れば、人が蛇に捕食されようとしている瞬間に見えるかも知れない。


「普通の人間があの子たちの血を口にしたら、まず生きていられないわ。反発しあって体が壊れてしまうの……でも、千鶴ちゃんは特別な魂を持った子だから、少し副作用が出ただけで済んだのね」

「副作用、ですか……それって、さっき言った……」

「ええ、そうよ」


 何故突然、小さな影までもが見えるようになったのかは理解出来た。言われてみれば強い力を持った白狐神と龍神の血が体に入って、何ともないはずがないのだ。とはいえ普通なら死んでいたというのもなかなかに衝撃的だが、それはともかく。


「……それで、保健室でなにを……?」

「うふふ……ふたりきりの保健室で先生が生徒にすることなんて、一つしかないわ」


 うっとりとした笑みが深まり、豊満な胸の谷間に千鶴の顔が半ば埋められる。誤解の上に誤解が重なりそうな状況だが、この妖しげな光景を作り出している当の本人である神蛇のみならず、千鶴も全く気にしていない。


「わたくしが、千鶴ちゃんの中から、千鶴ちゃんの体をおかしくしているいけない子を吸い出してあげようと思うの。そうすれば、少なくとも急に見えるようになったものは見えなくなるわ」

「吸い出すって、どうやって……それに、そんなことして先生は大丈夫なんですか?」

「あら、……うふふ、千鶴ちゃんはいい子ね」


 胸に埋めたまま、愛おしげに頬を撫でる。見なくとも、神蛇が眩しそうな目で千鶴を見つめていることがわかる。千鶴は自分の頬を撫でている神蛇の手に自らの手を重ね、谷間に埋もれた状態でどうにか彼女を見上げた。

 案の定、神蛇は恍惚とも陶酔ともいえるうっとりとした目で千鶴を見つめている。


「わたくしなら大丈夫よ。立派なお社はないけれど、これでもわたくしは水神だもの。それに……可愛い千鶴ちゃんのためなら、これくらいどうということはないわ」


 そう言って、額に口づけを落とす。

 そして、長い体を器用に巻き付けて千鶴を高い位置で座らせ、片手で背中を支えた。もう片方の手は顎を上向きにさせ、頸動脈がある首の左側が露わになる格好にすると、耳元で囁いた。


「さあ、わたくしに身を委ねて……痛いのは最初だけよ。すぐに良くなるわ。いい子に出来たら、たくさんご褒美をあげましょうね」


 注射の前にする消毒のように、千鶴の喉元にぬるりと舌が這う。人の体温よりだいぶ冷たい感触に、ぞくりと背中が粟立つ。やわらかな唇が触れたと思うと、針が刺さったような鋭い痛みが走り、体が小さく跳ねた。直後、これまで感じたことがない感覚が、千鶴の体を染め抜いた。


「……っ! ぁ、……せ、んせ……」


 体の中からなにかが抜けていく感覚と、微睡みから覚めるときに似た浮遊感が全身を駆け抜けていった。ヒクヒクと体が痙攣しているのをぼんやりする頭で自覚しながら、それをどうすることも出来ずに、ただ神蛇の腕に身を委ねることしか出来ない。そんな千鶴を、神蛇は我が子を抱く母のような慈愛に満ちた眼差しで見つめながら愛おしげに抱きしめる。


「ひゃう……っ!」


 最後にまた一つ、吸い出した箇所を舐めると、小さく刻まれた牙の痕が綺麗に消えてなくなった。赤く染まった顔と涙が滲んだ目元に荒い呼吸。余韻に跳ねる体は虚脱し、神蛇の腕にくたりと凭れかかっている。


「あら、だめよ、千鶴ちゃん……そんなに可愛い声で鳴かれたら、困ってしまうわ……教室に帰したくなくなってしまうじゃない」

「……は……ふぁ……せんせ、ごめんなさい……わたしも、あの……いま戻されても、たぶん、起きていられないです……」

「それなら、部室へ行きましょう。保健室をいつまでも閉ざしているわけにもいかないものね」


 千鶴を抱え直すと、神蛇は扉を開いた。

 保健室の扉を開けたはずが、その先は廊下ではなく百鬼夜行部の部室だった。神蛇は千鶴を抱いたまま奥のソファに腰掛け、子供をあやすように背中を優しく撫でる。

 記憶にある限り、母親の腕に抱かれて眠るという経験をしたことがなかった千鶴は、神蛇の腕の中にいるいま感じている、この抗いようのない安心感がそれなのだろうかと思った。


「せん、せ……?」

「気持ち良いのなら、そのまま……感じるままに身を委ねて……わたくしの中でとけておしまいなさい。……さあ、いい子ね……ゆっくりと、そう……」


 全身を浸す虚脱感と優しい声、やわらかな体に身を任せ、千鶴は目を閉じた。


「本当に、可愛い子……あの子が気に入るのもわかるわ」


 恍惚と頬を撫で、自身の胸に千鶴の頭を預けさせる。暗い紫色の口紅を引いた艶めく唇を笑みの形に和らげて、眠る千鶴を一限が終わるまでのあいだ抱きしめていた。

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